一般高校生だった僕が邪神を葬る仕事に着いたワケ 〜暇を持て余した神々の遊び〜

真夜中の黒山羊さん編

こんばんは! 黒山羊さん!


 茹だるような暑い7月の終わり。

 ジリジリと煩わしい蝉の音は、田舎でも都会でも関係なく鳴り響く。


 ここ都立碧煌高等学校は、ついさっき一学期の終業式を終えた所だった。

「早く部活行こうぜ」

「腹減った〜」

「明日どうする〜?」


 クラスメイトは思い思いに今後の予定を話し合う。


 終業式が終わった今、世間で言う所の夏休み。


 遊びや部活、バイト等々。各々の理由で大忙しだ。


 それに僕らはまだ一年生。自分のやりたいことを実現する時間はたくさんある。

「ねえ哲くん」

 トントン、と背中を突く感覚と、透き通るような声が耳に入って来た。


「⋯⋯なんだよ、絵里」

 僕が振り向くと、そこには幼馴染の藍沢絵里あいざわえりが立っていた。


 黒曜石のような綺麗な長い髪、ぱっちりとした黒い瞳は、見る者を魅了する輝きがある。

 シワひとつ無い制服や佇まいからも、彼女の清楚さが伝わってくる。

「今日は部活来てくれる?」

「まあ⋯⋯夏休み前からね。行くよ」


 僕も部活に入ってはいるけど、幽霊部員みたいなもの。

 オカルト研究部。文化部の中でも、結構ゲテモノ扱いされるやつだ。


 僕、笹倉哲人ささくらあきとと絵里を入れて全4名。生徒会規定で3人以下の部活は自動的に廃部になるからと入ったが、あまり顔を出していない。


 正直、やりたいことの無い僕は出てもいいんだけど⋯⋯オカルトなんていうものに傾倒するくらいなら、勉強でもしてた方がいいと思うタイプだ。


 反対に絵里は頻繁に顔を出しているらしい。

 理由を聞くと「女の子って実はこういうの好きなんだよ」という事らしい。


「じゃあ先に飲み物買ってくるから、先行ってて」

「う、うん⋯⋯」

 僕は机の中の物を鞄に詰め、部室へ向かおうとすると⋯⋯。


「あっ」

「⋯⋯っ、すまん」

 教室の出入口で誰かとぶつかってしまった。


 少し青みがかった白色の長髪に、鷹のように鋭い目。それとなく高い身長も相まって、立つだけで威圧感が生まれそうな雰囲気と顔立ち。


 終業式1週間前という、珍しい時期に転校してきた、女子生徒。桐谷折遠だった。

「すまない。少し急いでいて」

「あ、うん⋯⋯こちらこそ⋯⋯」


 真面目で頭も良く、ほぼぶっつけ本番みたいな期末テストでも好成績。寡黙な感じも男子からは人気なんだとか。

「折遠センパイ!」

「ああ、今行く」

 スッとした立ち振る舞いが魅力的に見えるのは、とても理解出来る。


 桐谷さんは、そのまま教室の外で待っていたツインテールの女の子と一緒にどこかへ行ってしまった。


「⋯⋯」


 僕には特筆すべき点は何も無い。

 いじめにあっているだの、その身に不幸が降り掛かってくるだの、そんなものは一切ない。


 それでもただ、淡々と今をすごしている。


 いずれ何かが見つかるなら、それでいいのだと。


「まあ、特に何かしてる訳じゃないけどね⋯⋯」


 みんなやりたいことがあるのは羨ましい。そんな風に思いながら、久しぶりのオカルト研究部の部室を開く。

「失礼します」


「あ! あきくん久しぶり!」

「⋯⋯お久しぶりです、秋野先輩」

 天真爛漫な笑顔で出迎えてくれたのは、この部の部長、三年の秋野楓あきのかえで先輩だ。


「楓でいいのに⋯⋯」

 むう、と頬を膨らませて振り返る秋野先輩。

「それで、女々調先輩は⋯⋯」

「うーん、和樹くん教室にも来てないんだよね⋯⋯」


 もう1人の三年生(留年している為実質四年生)、女々調和樹めめしらかずき先輩は今日休みらしい。

「お疲れ様です、お茶買ってきましたよ」

「あ! ありがと絵里ちゃん!」


 すぐに絵里が部室に入ってくる。

「女々調先輩は⋯⋯?」

「来てないっぽいよ」

「そっかぁ⋯⋯」


 4本のペットボトルの内、3本を配り、残りを小さな冷蔵庫へと入れた後、秋野先輩はチャイムと同時に今日集まった趣旨を話し始めた。


「ということで、明日から夏休みだけど⋯⋯オカ研は今日の夜から活動します!」

「おー」

 別に予定がある訳でもないし、夜ならまあ⋯⋯。


「場所は旧校舎! 今日こそあの"黒山羊様"について調べてみようかなって!」

「黒山羊⋯⋯様⋯⋯?」

 そういえば女々調先輩は山羊が嫌いだったなぁ、と思いつつ、絵里に視線を向ける。


この学校ウチの怖い話のひとつ。旧校舎がまだ現役だった頃、忘れ物を取りに学校に行ったら、黒くて大きな木が、めぇ〜! って鳴き出してその生徒を食べちゃったんだって。哲くんは知らないの?」

「なんか聞いた事あるような⋯⋯無いような⋯⋯」


 たまにそういう話を聞くが、盗み聞き程度の情報しかないため、絵里が話してくれた以上の事は知らない。


 四年前から噂が立っているが、今の三年生からはこの新校舎を使っているため、本当に噂程度でしかない。


「そういう訳だから、適当な飲み物と必要だと思う物を持って今夜、旧校舎前に集合ね!」




 ---




 深夜、と言っていいか分からないが22時。

 僕と絵里、秋野先輩は制服で今の校舎から5分程度歩いた所にある旧校舎前に集まっていた。


 学校の裏手の不思議と都会の中に取り残されたような緑生い茂る森の中にある旧校舎は、三階建ての木造で、耐震基準法に引っかかりそうなボロ旅館だと言われてもおかしくない。


 何か衝撃を与えれば一瞬で崩れそうな旧校舎だが、こんな所に何かがあるのだろうか⋯⋯。


「というより、どうしてコレ放置してるんです⋯⋯? 絶対取り壊した方が⋯⋯」

「一応ウチ新校舎だから、来年には取り壊しが決まってるらしいよ⋯⋯」


 秋野先輩がしょんぼりしながら答えてくれた。

 先輩的には、こんなオカルチックな場所は取り壊して欲しくないのだろう。


「それじゃ、手分けして⋯⋯いや、ちょっと怖いし、みんなで固まって色々探そっか⋯⋯」


 こうして、オカ研の夏休み最初の活動が始まった。

 秋野先輩が怖がっていたように、校内は冷たく少し湿った空気と、何一つ明かりの無い空間で満ちており、肝試しとしての雰囲気は満点だと言っていい。


 夜なのに肌にまとわりつくような空気が湿度の高さを物語っており、気温自体は低いものの、木造だからか湿り気があるような気がする。

 それでいて光と呼べるものは微かに窓から入り込む月明かりとスマホのライトひとつ。


 適当な教室を漁っては何かめぼしいものがあるかを確認。無ければ次の教室へと向かう。


 基本的にはほとんど何も無い空き教室だが、稀に机や棚がそのままの教室もあるため、その辺は重点的にチェック。

 やがて、2階まで全ての教室を見て回り、残すは3階のみとなった。

「ねぇ⋯⋯あきくんいる⋯⋯?」

「いますよ」


 ぶっちゃけ、ライトがあっても暗すぎる。何かを調べようにも片手が塞がっている上に暗くてよく目を凝らさないとものが見えない程だ。

「哲くん⋯⋯?」

「何?」

「なんでもない⋯⋯」


 ⋯⋯意外と2人とも怖いのは苦手なのかもしれない。

「⋯⋯ねぇ2人とも、少し聞いて貰ってもいい⋯⋯?」

「⋯⋯? いいですよ」

「なんですか?」


 暗闇が支配する空間に刺す3つの光だけが頼りのこの場所で、秋野先輩はぽつりぽつりと話し始めた。


「今年で私と和樹くんが卒業するのは知ってるよね?」

「はい、女々調先輩が留年しなければの話ですが⋯⋯」


 以前あの人とも話したが、女々調先輩が留年する可能性は極めて低いらしい。

「だからさ、ちゃんと思い出っていうかさ、記憶に残るものを残して卒業したいよね」


 本当は、女々調先輩とも来たかった⋯⋯のかな。

「来年、オカ研があるかはわからないけど⋯⋯あきくんや絵里ちゃんの記憶に残るような⋯⋯そんな活動がしたくて」


「忘れませんよ」

 自然と、そう口に出していた。


「はい、私も哲くんも、例えこの部活が無くなったとしても、先輩方との思い出は⋯⋯ちゃんと覚えてますから」


 絵里も同じ気持ちだったらしい。


 例えやりたいことや目標が無かったとしても。


 こうして一緒に活動していた事は⋯⋯忘れられない高校生活の1ページになるはずだから。


「ありがと、2人とも⋯⋯」


 秋野先輩の声は少し涙ぐんでいていた。

「次の活動は女々調先輩と一緒に出来ればいいですね」

 みんなで一緒に活動したい、そういう意図も、絵里にはあったのだろうか。


 僕は教室の出口へと向かう。

「こっちは終わりました。置いていきますよ?」

「あっ、あきくんまってー!」


 その慌て様に俺と絵里は小さく笑いながら、扉を開こうとした。


 が、ふと聞こえてきた羽音に気が付くことが出来た。


「⋯⋯? どうし⋯⋯むぐっ」

「静かに」


 普段と同じような声で話しかけてきた絵里の口を塞ぎ、寄ってきた秋野先輩に小声で状況を伝える。


「先輩、静かに出来ますか?」

「う、うん⋯⋯」

 扉から足音を立てずに離れるが、その不気味な羽音が鳴り止む事は無い。


 近くに虫が湧いているにしては、その羽音は大き過ぎる。

 小さくとも1mはある。大きければ2mだが、それほど大きな虫は聞いたことが無い⋯⋯と、考えていると、丁度廊下側から月光が差し込んだ。


 廊下側に付いているガラスは、型板ガラスになっており、全容は見えない。

 が、それでも形容し難い存在の影が見えた。


 頭があるような場所は人でも動物でもない、異様な形をしたものがあり、全長1.5m近く、人間程の大きさ。

 羽音がなる様な羽ではないが、網目状の羽が付いており、そこから不気味に羽音が鳴り響いている。


 明らかに、現実離れした存在が、今教室の前を横切っていく。


 その間、僕達はその影を見つめるばかりで、何一つ動けなかった。


 いや、動けなくて正解だった。もし、物音を立ててこっちに気がつけば、何が起こるか分からなかった。


「⋯⋯な⋯⋯に⋯⋯? いまの⋯⋯?」

「わ、わかりません⋯⋯」

 羽音が遠ざかり、ようやく口に出せた言葉がソレだ。


 絵里を見ると、目は見開かれ、口元はガタガタと震えており、力なく膝を着いていた。

「と、とにかく、早くここから出よう⋯⋯、外に出ればたぶ⋯⋯ん⋯⋯」


 ここから出る判断は正しい。明らかに異常な存在がいるこの場に残り続けるのは危険だから⋯⋯?

「秋野先輩?」

「ね、ねぇ⋯⋯そとって⋯⋯」


 秋野先輩が窓から外を見て指を指している。

 つられて俺も目を動かすと、そこに緑生い茂る木々は無く、奇怪な形の枯れた巨木があるだけだった。



 月明かりのおかげで見えるその木は、まるで何かの口のような形をした皮で覆われており、ゆらゆらと枝が揺れていた。


 そのひとつ、僕達に1番近い巨木の枝が、不気味にうねうねと動き始める。

「っ!」

「⋯⋯」


 動き出した木は黒く変色し、幾つもの口のような模様の皮からは何かの粘液が垂れていた。

 いや、口のような模様では無い。



 それは口だった。



 根だと思っていた場所は蹄へと変わり、幹は幾つもの大口で覆われる。

 葉のない枝は触手のように意志を持ち、目は無いはずなのに、何故か僕たちと目が合ったような気がした。


 ゆっくりと、その足がこちらへと向けられ、唾液を漏らしながら、聞き馴染みのある、その狂気的で形容し難い見た目からは考えられない程可愛らしい鳴き声を辺りに響かせた。




「「「メェェェェェェェェェェェ!」」」





「なんなんだなんなんだなんなんだ!」


 目の前に現れた訳の分からない怪物。

 可愛い鳴き声に反した歪なバケモノ。


 今すぐにも逃げなきゃいけないのに、恐怖で身体が動かない。

 足がすくんで、木製の床に尻もちを着く。

「い、いや⋯⋯いやぁ!」


 秋野先輩が大声を上げて逃げようとする。


 が、次の瞬間には。


 黒い怪物の触手が窓ガラスを割り、木造の校舎の壁を突き破って秋野先輩を薙ぎ払うように吹き飛ばした。


 俺の頭上スレスレを触手が通ったが、そんなことは些細な事。


「せんぱっ⋯⋯!」


 そう声を出したが、もう遅い。

「⋯⋯」


 共に吹き飛ばされた机の下敷きになった上、肉片や臓物を撒き散らしながら廊下で潰れた秋野先輩は、もう。


「うっ⋯⋯うぇぇっ⋯⋯」

 絵里はその光景を見て、胃袋をひっくり返したように吐き出していた。

「なんなんだよ、なんなんだよ⋯⋯!」


 即死だった。

 助かる余地の無い程に、顔面は崩れ、内蔵は飛び出し、爆ぜたように鮮血を撒き散らしていた。


「メェェェェェェェェ!」

 状況に似つかわしくない鳴き声が、この教室に鳴り響く。


 怪物から遠ざかるように、尻もちをついたまま後ずさる。

 ガラスの破片が手に刺さるが、そんな事を気にしている余裕は無い。


 化物に無いはずの瞳と目が合ったような気がした。

 その直後、次の触手が振り下ろされそうな予感と共に。


「絵里!」

 無理矢理手を握り、引っ張った。

 その直後、机を巻き込みながら僕達が元々いた場所に触手が床を抉るように叩き付けられる。


 絵里が吐瀉した後の酸っぱい臭いは、この際見なかったことにして。

 恐怖による失禁は、彼女も気が付いてないから無視。


「逃げるよ!」

「⋯⋯!」

「⋯⋯で、でも秋野先輩が⋯⋯!」


 変わり果てた秋野先輩は、もう⋯⋯。

「まずは自分を優先しなきゃいけない時じゃないの!?」

 明らかに冷静な判断が出来ていない絵里を諭す。


 ここで重要なのは秋野先輩を連れ帰る事じゃない。

「僕達は、生きて帰る事が⋯⋯」


 そう言いかけた直後、化物の触手が絵里の背後から襲いかかってくる。

「絵里!」

 ドン、と突き飛ばし、僕も倒れ込むよう回避する。


 これはただ、運が良かったに過ぎない。

「急いで!」

「⋯⋯」

「死にたくないだろ!?」


 絵里は無言で僕が差し出した手を掴み、着いてきてくれた。


 どうしてここまで僕が冷静かなんて、自分でも分からない。

 それでも今は僕と絵里が、生きて帰れればそれでいい。

 秋野先輩のことを考えるのは後だ。


「なんでこんな⋯⋯」

 理由なんて分からない。ここに来たのが間違っていた、なんて事は言いたくない。


 全く頭の中が纏まらない。

 それでも僕は一心不乱に教室の扉を開き、廊下へと出る。


「「「メェェェェェェェェ!」」」


「「「メェェェェェェェェ!」」」


「「「メェェェェェェェェ!」」」


 校舎の外からは全く同じ山羊の声が響く。

 真っ暗な廊下を、一心不乱に駆けていく。

 廊下を走り切り、階段を飛ぶように降りて一階。


 逃げたい。残った僕と絵里が、なんとか⋯⋯。


「「「メェェェェェェェェ!」」」


 忌々しいその声が聞こえた瞬間。


「っ!」

 真横から薙ぎ払うような触手が壁を突き破って。


「あきぐっ」

 直撃した。


 僕じゃない。


「絵里!」

 彼女はその触手に弾かれ、ボールのように壁へと激突し、床へと倒れ伏す。


 ピクピクと動く絵里を見るに、まだ意識はあるようだが、ハッキリ言えば。

「⋯⋯逃げ場が無い」


 化け物が居るのは校舎の外。つまり、校舎を出たらアレに追われる羽目になる。

 今更気が付いても、もう遅い。


「メェェェェ?」

 立ち止まった僕を、窓の外から覗くように化け物が声を上げる。

「目なんて付いてないよね⋯⋯」


 自分の口から吐かれた、諦めが籠った嘲笑混じりの一言。


 こんな大きな化け物に、殴りかかって勝てる訳が無いけど。

「ここで無抵抗に死ぬくらいなら⋯⋯!」


 恐怖無い。

 運動部未経験の貧弱な拳を握り締め。


 触手が作った校舎の亀裂に走ろうとした。


 が、その時。


「おい待て」

 と、後ろからガっと腕を掴まれる。

「伏せろ」

 続けて聞いたことのある凛とした声が、僕の耳元で響く。


 それと同時に手が話されたので、言われるがままに伏せると。


 ドン、ドン、ドン、ドン


 というテレビの中でしか聞いた事のないような音、銃声が響いた。

「メェェェェ!」


 が、化け物の叫び声は変わらず、あまり効いていないようだった。

「ちっ⋯⋯」


 カチャリ、と銃を腰のホルスターに収めた彼女は⋯⋯。

「桐谷さん⋯⋯!?」

「お前は⋯⋯昼間の⋯⋯」

「えっと、笹倉です」


 思い出そうと目を泳がせていたので、自分から名乗った。少し悲しい。


 でも、どうしてここに桐谷さんが⋯⋯。

 服装は学生服でいつもと変わらないけど⋯⋯雰囲気が⋯⋯。


「そ、そうか⋯⋯なら笹倉。そこの彼女を連れてこの先の体育館に行け」


「体育館⋯⋯?」

「そうだ。何故お前がいるかは知らない。だが、死にたくないならとっとと⋯⋯」

「その間、桐谷さんが⋯⋯?」


 僕がそう尋ねると、桐谷さんは意外そうな顔をしていた。

「なら絵里を頼みます」

「なっ⋯⋯」


 自分の命を優先しようとしていたさっきの僕とは真反対の言葉。

「ここに来たのは、僕達の自業自得です。だからせめて絵里だけは⋯⋯」


 桐谷さんの方が、多分体力がある。

 どっちが絵里を助けられるかなら、多分桐谷さんがおぶった方が⋯⋯。


「メェェェェェェェェ!」

 再び化け物は触手を振り上げ、僕たちへと振り下ろす。

 が、それは虚空で止まる。


「えっ⋯⋯?」


 まるで何かに阻まれたような違和感のある止まり方だ。

「メェェェ?」

 化け物にも明らかな困惑が見える。表情は無いが、鳴き声でそう感じた。


「偉いな、お前は」

 桐谷さんは、落ち着いた仕草で右の手の平を眼前で掲げる。


「今回は使うなと言われていたんだが⋯⋯恐怖に負けなかったか。なら、少し下がってろ」

 パチリ、と右手の人差し指に付けられた指輪が光り輝く。



魔導兵装メイガスアルマ展開オープン



 聞いた事のない単語を呟いた桐谷さん。


 次の瞬間、彼女の頭上に巨大な黒い球体が現れた。

 それは玉虫色に輝くの黒い球体で、それが桐谷さんの周囲を踊るように跳ねる。



解錠コード我、黒き泥に潜む篇獄の使徒■■■■■■■■■■)



 そして、少しゾワゾワする、悪く言えば気味の悪い言葉を発したかと思うと、跳ね回っていた球体はアメーバ状の粘液へと拡散し、桐谷さんを飲み込むように包んでいく。


 それらが小さく縮小していくと、自然と桐谷さんの形となる。

 内側から現れた桐谷さんは真っ黒でタールのような色をした篭手や脛当てが付けられ、禍々しい爪や刺々しい外装を纏っていた。


 右の目元には綺麗な白髪の前髪から垂れるように黒い流動が侵食しており、目の周りを覆っている。

 ヌルヌルと胎動しながら彼女の足元で蠢く液体は、足を伝って彼女の背中で鳥の翼を模した形へと変化。


「絵里さんの息は⋯⋯あるのか」

 桐谷さんが呟いたので、ふと絵里の方向へと向くと、そこから鳥が桐谷さんの右手へと向かって飛んで行った。


 その鳥は右手の篭手に止まると、吸い込まれるように消滅した。

「なら、思いっ切りやれるな」


 その言葉が紡ぎ終える前に。

 足元の黒い液体から巨大な槍が射出される。

「メ"ェ"ッ"」


 咄嗟の事で理解が出来ていない化け物の無数にある口中へと吸い込まれていく。

「私達は、陸上自衛隊特殊作戦群盤外遊撃部隊」


 そしてその槍は再び流動体へと変化し、化け物の体内へと吸い込まれていく。

「神話的事象や存在を、調査し研究。科学的に解き明かし、利用する組織だ」


「「「メ"ッ、メ"ッ、メ"ェ"ェ"ェ"ッ!」」」


 ぐにゃぐにゃと今にも破裂しそうな化け物を他所に、話し続ける桐谷さん。


「笹倉さんはさっき、自分が盾になる方が、絵里さんの生存率が高くなる。そう判断して私に預けようとした」


 吐き出そうにも吐き出せない、そんな苦悶が見える化け物。


「狂気に打ち勝つ人の強さを、私は信じてみたい」


 やがて、化け物の皮膚を突き破るように、黒い流動体が至る所から溢れ出した。

 体液と共に流れ出る黒い液体は、役目を終えたと言わんばかりに虚空へと消えていく。


「笹倉くん。少し、興味は無いか?」


 桐谷さんは振り向き、僕に手を差し伸べてきた。



「神を、人の領域に叩き落とす事に」


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