抜け落ちた日常

PROJECT:DATE 公式

美談


午後。

陽だまりさえ寝ぼけている

いつも通りの平日。

何の変哲もない1日。

廊下ではわーきゃーと

男子達が暴れており馬鹿騒ぎをしています。

下ネタも飛び交っている様子。

ふと逆側を見れば女子達が屯して

ガールズトークとやらを繰り広げています。

昨晩等のドラマやジャニーズとか

云々について話している様子。

何の変哲もないのです。


そう、ただの日常。

羽澄が嫌悪してつまらないと

いつも罵っていた日常。

薄っぺらい大人ばかりに出会って

さっさと大人になりたいと思っていた日常。

愛咲や他の人たちと出会って、

ちょっと味気の出てきた日常。

宝探しが始まってから

楽しみの増えた愉快な日常。

…それは既に日常ではありませんでした。

先日、日常は崩れてしまった。

日常を日常だと理解する前に、

日常が幸せだったと知る前に

日常は。

…日常は姿を隠したのです。


羽澄「…。」


ふらふらと意思なく歩いていると

彼女がいるであろう教室に

辿り着いていました。

彼女の、愛咲のいるクラスを見に行っても

いつものあの煩さはどこかに

消え去ってしまっていて、

教室自体が暗くなったかのような

錯覚を覚えました。

この違和感はなんだろう、

形容し難い気持ち悪さでした。

きっとだけれど、

人がいなくなっているというにも関わらず

平穏を取り繕う人々が

気持ち悪かったんだろうなと思います。

けれどきっと他の人からすれば

これはいつも通りで今までと

何も変わっていない風に見えるんだろうな。

…なんて。


じっと覗いていると偶々ながら

三門さんと目が合ってしまいました。

でも三門さんは無視したまま。

羽澄の事を数秒見続けた後

興味がなくなったのか

また窓の外を眺めてました。

もう羽澄の事はいらないと、

もう2度と関わりたくなどないと

言っているようにも見えてしまう。

そんなのはただの思い込みだと

分かってはいます。

分かってはいるけれど今の気持ちとしては

マイナスに捉えてしまいがちでした。

けれどそんな内心を他所に

今の羽澄は周りから見ればきっと

いつも通りの一環なんです。

羽澄からしたらいつも通りとは

またちょっと違った味がしました。

前は目すら合わなかった三門さんだが

この様子を見るにいっそ

今まで通り目すら合わないままの方が

良かったのかもしれない。


羽澄「何やってる…んでしょうかね。」


ぽつり。

床に反射するも廊下が煩かったせいで

誰にも届きはしませんでした。

…羽澄達は会わない方が

良かったのかもしれない。


あの宝探しが羽澄たちの関係を、

環境を完全に変えていきました。

知らない人と出会えた、仲良くなれた、

一緒の事を一生懸命にやるのは楽しかった。

なんだか文化祭みたいな雰囲気でした。

とはいえ今まで羽澄は文化祭を

本気で楽しんだ事なんてなかったけれど。

いつも面倒だと思って遠くから

へらへら眺めていただけ。

楽しそうには思えなかったのです。

必死にやって何がいいんだろう、と。


そんな羽澄があのレクリエーションで

本気で遊ぶ楽しさを知りました。

…でも恐怖が潜んでいる事を

後に目の当たりにした。

ああ、死ぬかもしれないんだって

愛咲がいなくなってから

漸く実感が湧いたんです。

薄情ですよね。

羽澄もそう思います。

そう。

…愛咲がいなくなった。

いなくなったんです。

ただの煩い人でした。

ただ、いつの間にか

よく一緒にいるようになった人でした。

ただ、人なだけ。

人ならば何処にもいるのに。

けど愛咲は1人しかいなかったのです。





°°°°°





愛咲『あのな、感想文ってゆーか自分の意見を書け系の課題なら終わってんだわ。』


羽澄「なかなかに面倒なものは先終わらせたんですね。」


愛咲『おう。だってそれは見せてもらうとか出来ねーからな。全写しは流石に。』


羽澄「そういうところだけはしっかりしているんですね…。」


愛咲『生物のワーク課題も答えついてるやつだしやりゃ終わるからいーんだよ。』


羽澄「じゃあ後あの重い数学プリント集だけですか?」


愛咲『そうっ!そーなんだよー!先生らあんな重たいプリント集作っといて答えなしだぜ!?』


羽澄「羽澄も分かんないところは全部スマホ使って写しましたよ。」


愛咲『課題は一度回収して、んでまた答えと一緒に配り直して、そんでもってまたまた回収ってどーゆーことだよお!』


羽澄「面倒ではありますけど、先生なりに考えたんじゃないですか?」


愛咲『に、してもだろ!あーもうだめなんだうわーん。』


羽澄「だから羽澄が行くって言ってます!」


愛咲『はっ!そうだったぜ。その数学プリントだけ持ってきてくれねーか?』


羽澄「任せてください!でもあれ、写すだけでも結構時間かかると思います。」


愛咲『だあーよなぁ。ま、何なら夜ご飯もご馳走していくぜ?』


羽澄「ありがとうございます!でも夜は流石に帰りますよ。」


愛咲『おう、そうか。んじゃあカレー作って待ってるからよ!』


羽澄「了解であります!待っててください!」





°°°°°





たった1ヶ月前の記憶が勢いよく

脳の中で蘇ってゆく。

どうして愛咲じゃなくちゃ

いけなかったのでしょうか。

愛咲がいなくなって数週間。

羽澄は何度か彼女を

探しに外を駆け回りました。

大声を出して喉が焼き切れるほど叫びました。

それでも愛咲はいないのです。

あの特徴的な癖っ毛が

近くで揺れることがないのです。


悔やんでました。

羽澄に何か出来たかと問われると

何もなかったのかもしれません。

それでも悔いてしまうのです。

羽澄は大切な人を守れないんだって。


羽澄「…。」


匂いばかりは覚えていたい。

それだけじゃない。

声を顔も仕草も全て

彼女が帰ってくるまで覚えていたい。

愛咲が戻ってきたらお帰りと言い、

その日が来るまではずっと

あなたの場所を温めていたいのです。

出会ってたった2年ほどの付き合い。

それこそ幼馴染だとか

そういう関係ではありません。

羽澄と愛咲はただの

クラスメイトというだけの

薄い薄い繋がりなのです。

でも、羽澄にとって愛咲は

大事な大事な友達になっていました。

境界線はいつまでも定かでないままに

愛咲とは距離が近くなっていたのです。


羽澄「…っ。」


漸く諦めがついたのか

愛咲のいる教室から距離をとり、

その箱ら逃げるように1歩、

また1歩と足を踏み出すと、

靴の裏なんて存在していないかのように

地面の感触が直に足に伝います。

奇妙です。

これまで気にならなかったことが

突如世界が変わって見えたのか

色々な物事が気になって仕方がないのです。

気になるとは言っても好奇心だとか

そういう話ではないのです。

違和感に対して気になっているのです。

日常は崩れ去っているにも関わらず、

多くの人々は気にすることなく

平穏な毎日を過ごしています。


これはきっと日々の惨憺たるニュースにも

言えることなのでしょう。

何気なく見ているニュース。

人が死んだ、災害があった、戦争が起こった。

その中で多数人は亡くなってます。

けれど羽澄達は気にしすぎることなく

結局今までと何も変わらない

毎日というひとピースを

また大きな大きなパズルに

懲りもせず嵌めていくのです。


巻き込まれている当事者に

近い立ち位置になった今、

それがいかに奇妙で不可解で

吐き気のしそうなほど

気持ちの悪いことなのか

漸く知れたのでした。

当事者になって漸くでした。


ふらふらと廊下を歩いていると

色々な人とすれ違います。

楽しそうな人、無表情な人、

その他区分できないほど

微細な違いを抱えた人々。

同じようで違う心中を持つ人々。


羽澄は何でもないように

振る舞ってしまう人でした。

これまでの生い立ちだとか

部活で辛いことがあっただとか。

様々な苦難の中で、人を頼るということを

忘れ去ってしまっていたのです。

相談できる人はいるにはいるのです。

しかし、その人を100%信用しているかと

問われるとそれはまた違う。

100%まで信用する必要は

ないのかもしれませんが。


羽澄「……あ。」


ふと、横でふわりと見たことのあるような

影が揺れた気がしました。

その影は羽澄のことなど眼中になく

通り過ぎて、去ってしまう。

刹那、振り返るとやはり

見たことのある姿。


それは、数週間前とは

ぱっと見ではあまり変わっていない

麗香ちゃんの姿でした。


羽澄「待ってください!」


麗香「…。」


羽澄「麗香ちゃん!」


麗香「…。」


羽澄の声が聞こえていないのか、

こちらを振り返ることなく

進んでしまう彼女。

でも聞こえてないだなんてはずはない。

絶対に届くくらいの声で

呼んだのですから。

麗香ちゃんの代わりに

周りの人々が羽澄の方へと

くるりと向くのです。

その場から逃げるように床を蹴り、

目の前の麗香ちゃんの腕を

出来る限り優しく掴みました。

すると、流石に驚いたのか

目をこれでもかというほど見開いて

こちらを見ていたのです。

時間が止まったようでした。

今、花弁が1枚散ってしまっても

耳に届くのではないかと思うほどに

無音が聞こえたような。

互いにほぼぴんと張った腕を

彼女は無理に振り払うこともせず、

冷静に羽澄のことを見つめています。

もっと激しく暴れ

拘束を解こうとしてくるのではないかと

勝手ながらに思っていたので、

予想外の行動に過少し

たじろいでしまったほどです。


麗香「……何…。」


羽澄「…!」


麗香「…。」


羽澄「えっと…」


麗香「用事がないなら離して欲しいです。」


正面に向かって漸く

前より視線が暗いことに気がつきました。

元から鋭い眼光が、

今日はいつにも増して刺すような目つき。

嫌がっているのは見て取れました。

気まずくなってしまい、

自然と視線が落ちる。

すると、パーカーから僅かに

麗香ちゃんの手が顔を出していました。


羽澄「…!麗香ちゃん、その手…」


麗香「っ…離して。」


ぶんと振り解かれてしまいました。

強い力で握っていなかっただけあって

麗香ちゃんの力でも簡単に解かれて。

そして羽澄がぼうっと

自分の手を眺む間に

微かに足音をたてて走って

逃げていってしまいました。


麗香ちゃんの指は

自分で弄ってしまったのか

ぼろぼろになっていました。

ささくれをなりふり構わず

めくってしまうだとか、

爪を噛んでしまい深爪になるだとか

そう言った類のもので。

施設内にも爪を噛んでしまう

癖のある子がいるので、

そこまで理解がないわけではないはずです。

ですが、やはり何度見ても

心にくるものはあるものだと

深く深く思うんです。


一旦落ち着こうと思い、

冷やかしてくる壁を背に

地面と睨めっこします。

通りゆく人々は羽澄のことを

奇妙なものを見るような目つきで

見ているはずです。

先程大声をだして人を呼び、

その上逃げられたのですから。


羽澄「あはは…。」


また変な意味で有名になってしまうのかも。

そう思うと、羽澄は昔から

悪い意味で変わっていないことになりますね。

自分でもわかるほどの

乾いた笑いが込み上げました。

愛咲と一緒に過ごす中で、

自分は変わった気になっていました。

現に彼女がいなくなってみれば

羽澄は羽澄であり、

何ひとつ変わっておらず

成長すらしていないことに気がついたのです。


今年の4月以前まで、

麗香ちゃんとは稀に会っていました。

勿論、間に愛咲を挟んで、ですが。

麗香ちゃんは愛咲に対して

結構強い言葉を平然と吐く人なのだと

少し嫌悪している部分がありました。

どうしてそんなに強い口調で、

愛咲のことを蔑ろにできるのか

羽澄には分からなかったんです。

優しくするのが当たり前というか、

人が傷つくことを言わないというか、

そういう教育を学校含め

色々なところで受けて

今の羽澄があったから。

だから、学内で罵り合って笑っている人は

なかなか理解が出来ませんでした。

麗香ちゃんもきっと

そちら側の1人なのだと

思うようになっていったのです。

碌に話もしないで

勝手に決めつけていたのです。


けれど、実際には信頼してたから

愛咲に対してあそこまで

口を聞けたのかもしれません。

今の麗香ちゃんの状況を見るに、

麗香ちゃんにとって愛咲は

とてもだなんてそんな簡単な言葉では

言い表せないほどに

大切な人だったことが分かります。

痛いほど分かります。

羽澄以上に強く強く、

愛咲を大切にしていたのだと。

それを、今更わかったんです。

今更です。

本当に。


羽澄「…麗香ちゃん……愛咲…。」


羽澄達は元々他人です。

赤の他人なんです。

家族でもなんでもない。

血なんて繋がっていない。

ただの他人。

麗香ちゃんとも、愛咲とも。

出会う前に戻っただけ。

そう思うことが出来たら

心は今よりも断然軽かったのでしょうか。


仄暗い空が両手を広げて

小さい声で羽澄のことを

呼んでいるようでした。

静かに雨空は待っていました。





***





羽澄「ただいまです。」


「はずみおかえりー!」


「はーちゃんはーちゃん、聞いて聞いて。」


家に帰ると、小学生や中学生、

それ以下の子供達が

自由時間のために

好きなように過ごしていました。

部活動も最後まで残れば

夕方というよりも夜の方が近くなります。

そのこともあり、

夕食の時間はみんなと大幅に

ずれているのでした。

中学生で部活に入っている子も

同じような生活習慣で、

羽澄はその子達と食べるのです。

帰宅して割と早くに

夕飯へとありつくのですが、

その前にいつもこうして

幼い子達と今日あったことなどを

お互いに話して笑うのです。


「あのね、今日ととくんが虫をね、こーやって見せてきたの。」


「ちがうよこうだよ、こうやって」


「ちーがーうー!こうだったー!」


羽澄「あはは、はーいはい、喧嘩は駄目ですよー。」


「でもととくんいっつも意地悪するもん。」


「してなーい。」


「してるってば、だって前もそんなことしてたじゃん。」


「そんなことって何ー?」


「だーかーらー」


2人は大真面目に喧嘩しているのですが、

羽澄からするとどう頑張っても

子供達の戯れている様子にしか見えず、

不本意ながら口角が上がってしまいます。

羽澄は一体、何をそんなに

悩んでいたのだろうと

思ってしまうのです。

自分の悩みがちっぽけに見えました。


2人は暫く言い合いを続けたのち、

他の子にボードゲームをしないかと

誘われて2人は楽しそうに

遊びだしていました。

喧嘩をして、そして仲良くなって。


羽澄「…懐かしいな。」


昔、遠い昔に、

羽澄は1度だけ本気で

喧嘩した覚えがありました。

殆どは羽澄の方が悪いなと

今なら思えるのですが、

当時はそんなこと全く思いませんでした。





°°°°°





羽澄は、この施設に来る前に

別の施設に入っていました。

暑い夏、寒すぎる冬。

2月には雪がたんまりと

積もっていたのを覚えています。

四季の中で、幼い羽澄は

職員さんの言うことを

ちゃんと聞いてやることはやる

ただの優等生っぽい子供でした。

羽澄がその前の施設に入って数年の間に

多くの子が出入りしていきました。

そしてある年。


「…。」


髪の短い女の子が

施設に入ってきました。

とても幼く、羽澄よりも

幾分も小さな女の子。

羽澄は何故か1番に仲良くなりたいと

直感的にそう思ったのです。


羽澄「よろしくね。」


「…。」


そう言って手を差し出す。

けれどその子は手をとってくれることは

ありませんでした。

何か返事をすることも

ありませんでした。

まだ喋れないような年齢では

なかったと思います。

ただただ、羽澄のことを

じっと見つめてくるだけ。

羽澄は気味悪くなって手を戻し、

それ以降はその子を

邪険に扱うようになったのです。

子供特有の無知ながらの罪です。

職員さんからは怒られました。

「羽澄ちゃんはいい子だから

仲良くすることもできるよね?」と。

けれど、とある事件が起きるまでは

羽澄はその子と仲良くなれないままでした。


とある事件が起きて。

彼女はその被害を受けて。

羽澄は、羽澄は。

…。

いい子だったはずの羽澄は、

いつからか悪い子になっていたんです。

その子を連れて2人で

その施設を逃げ出しました。


一緒に長時間かけ施設を離れ、

人の多いところへと向かいました。

人の多いところ。

そこについた時、世界は広かったのだと

とても感動したのを覚えています。

ずっと移動していたために

お手洗いに行きたくて、

その子に待っててもらい

羽澄は1人お手洗いに向かう。

そして戻ってきた時、

その子はもう居ませんでした。

離れ離れになったのです。


羽澄のことが嫌いだったのかもしれない。

恨んでいたのかもしれない。

そう思われていたって仕方がない。

その子からすれば生活を全て

奪われたのだから。

だから、いなくなって当然かもしれない。

けれど、当時の羽澄には

そんなことは当たり前ながら浮かばず、

誰かに攫われてしまったのだとばかり

考えていました。

現に、そうかもしれません。

その後の行方は知ることもなく

今に至っていました。


今じゃ連絡も取れません。

生きているかすら知りません。


あのちかちかとした夜、

1人で突っ立っている時の

あの風の冷たさだけは

今でもずっと覚えていました。





°°°°°




ご飯も食べ終わり、

食器を洗っていると

他の人たちは皆先に部屋へと戻り

あっという間に

消灯時間になっていました。


夜は冷えます。

今日も例外ではありません。


羽澄「また大切な友達を1人無くしたんですね。」


からり。

割ることのないように

注意を払って湿ったお皿を置きました。


何が守る、なんでしょうか。

大切な人を守れるようになる為

自衛隊を目指し今は剣道に

打ち込んでいるというのにこのざまです。

乾いた笑いが何度も出ました。

それと同時に涙が

こぼれ落ちてしまうのではないかと

思う時だってありました。

けれど、泣くことはありません。

ストッパーをかけているからでしょうか。

羽澄は心満たされぬままに

今日まで歩んでしまったようです。


何も変わっていない。

そう。

変われなかったんです。





***





数日の間暑い日差しが

身を打つように照らしました。

幾分か日を経て、

羽澄の心は晴れにつられて

軽くなったと思っていましたが、

それは思い違いだったようです。


羽澄「…戻ってきてない…ですよね。」


気づけばまた、

愛咲のいるはずであるクラスに

来てしまっていました。

気づけば、です。

行こうと思っていなくても

無意識のうちにここへと

辿り着いてしまうのでした。

鼻を突く見知らぬ人々の香り。

それは羽澄も同様に。

けれど、愛咲だけがいない。

やはり何度見ても

気味の悪い光景なのでした。


そして、三門さんとは

目があったり合わなかったり

ということを繰り返しています。

彼女はあくまで羽澄に

興味があるわけではなく、

「廊下側に目をやったらなんか居た」

程度の認識だと思います。

憐れむような視線を向けるわけでもなく、

羽澄に対して何も感じていないと

言わんばかりにそっぽを向く。

何事に対しても冷めてると

捉えられることが正解なのでしょう。


けれど、今の羽澄にとっては

この対応が嬉しかったりもするのです。

憐れむような視線を向けないこと自体に

安心を感じてしまう自分がいるのです。

羽澄はまだ、異常ではないと。

あちら側ではないのだと

どこか安心してしまうのです。

それが最低なことだとは

理解はしています。

ですが、その沼からは

簡単に抜け出すことができません。

麗香ちゃんを見ていて

あちら側にはなりたくないと

…ならないようにと何度思ったことか。

…羽澄も、誰かに対して甘えたり

過剰なほどに信頼していたら

また違ったのだろうと思います。

ふと過るのは施設のみんなの姿。

心配をかけないようにと

いつも通りを装うほかなかったのです。


羽澄「……はぁ…。」


いつからか押さえつけていた自分の心。

羽澄は何とでもないと表では言い張り、

心の中では豪雨だったのかもしれません。

いつしか頼ることも忘れて今に至っています。


先日、美月ちゃんとプライベートで

偶々遭遇してしまい、

いろいろな話をしました。

こどもの日のイベントでお寺に行ったら

なんとそこは美月ちゃんの家だったのです。

そこで、愛咲のことやうっすらと施設のこと、

他にも羽澄達は案外

似ているのかもしれない、とも。


今日ばかりは麗香ちゃんと

すれ違うこともなく、

更に平穏へと馴染んだ日々が

そこにはありました。

きっと麗香ちゃんは前と変わらず

瞳の暗いままに今を過ごしているでしょう。

いつだか、再度この教室の前で

偶然にもすれ違ったのですが、

声をかけても無視されてしまいました。

腕を掴んで止めた上に

踏み込んでしまったのが

いけなかったのでしょう。

もう羽澄と麗香ちゃんの間には

溝のみが生成されています。

羽澄達2人の仲は

愛咲がいてこそ成り立っていたのです。


教室の前に突っ立っていても仕方がない。

こんなことしていても愛咲は帰ってこない。

そう思い、足に張った根を

引き剥がそうとした時でした。

とんとんと肩を叩かれたのです。

何かと思えば、あまり馴染みのない顔。

みんな女生徒で少々派手目な雰囲気。

見慣れぬ顔は3つあり、

まるで暴走族に囲まれたかのよう。

羽澄は子羊のように

逃げることも出来ず内心怯えながら、

背筋を伸ばしたまま

堂々としているように見せるのです。


「ねえねえ。」


羽澄「はい?」


このクラスの人でしょうか。

1人が声をかけてきましたが、

物腰は柔らかそうだと認識して

緊張を緩やかに解いていきました。

よくよく見てみれば、

身長は様々で高い人もいれば

小さい人もいるという謎の集団でした。

話しかけてきたのは

身長は羽澄くらいでしょうか、

160cmほどの身長に

肩を越すほどの髪をしばっていました。


さて、何の話でしょうか。

単純な疑問を抱きながら

失礼のないようにと体を正面に向けました。

同い年だと、ネクタイは

ネイビーブルーの主張をやめません。


「関場さんだっけ?」


羽澄「はい。」


「急にごめん。聞きたいことがあってさ。」


羽澄「何でしょうか?」


聞きたいことがある。

その一拍を置かれるのは

苦手とする部分がありました。

無駄にどきどきと心臓を打つ不安。

その時間が微々ながら増える。

気にしなければ何ともないのだが、

次の問いが来るまでのこの間は

そうはさせてくれなかったのです。

聞くならひと想いに言葉を

投げかけてくれないかとよく思ったものです。


「あんたってさ、長束と仲良かったよな。」


羽澄「…。」


「何か知ってることない?うちらも愛咲のこと探したいんだよ。」


羽澄「…探す…。」


「うん。うちらだって愛咲が居なくなって辛いしさ、なんか出来るのに何もしないって癪じゃん。」


「何回かは探しに行ったんだけど顧問の先生にバレて注意受けるわ、そもそも長束の行きそうなところわからないわで困っててさ。」


羽澄「…。」


顧問、というあたり部活…。

目の前にいる方々はどうやら

愛咲の所属している陸上部の人だったようです。

大所帯で探しに出かけたのでしょう。

確かに、愛咲の件については

誘拐だとか犯罪めいている可能性も

大いにあります。

だからでしょう、

先生は厳重に注意したはずです。

これ以上教え子がいなくなってしまったら。

そう考えるのも無理ありません。


愛咲は誘拐されたのか、

将又ただの家出なのか。

家出だなんてことはしそうにないのですが。

それか、いっそ神隠しにあったとか。

神様が愛咲のことを隠したんです。

いっそそう思ってしまった方が

楽なような気さえしてくるのでした。


きっと、聞きたいのは愛咲が居なくなった

前後あたりに何かあったかということでしょう。

それこそ、宝探しの話をすれば

相手方も満足いくのだと思います。

しかし、何故でしょうか。

話してはいけないのではないかと

感じてしまいました。

責め立てられるのが怖かったのだと思います。

プライドが邪魔をするとは

このことでしょう。


羽澄「いえ…分からないです。」


「そっか…ありがとね。」


「関場さんもよく愛咲と話してたから色々思うことあるよね。」


羽澄「…そうですね、よく楽しく話してました。」


「そうだよな。よく長束から話を聞いて」


「どうして過去形なんだよ。」


羽澄「えっ…?」


「だから、どうして愛咲はもう死んだみたいに話してんだって。」


突如として耳に届く憤りの声。

それは、これまで喋っていなかった

1番身長の低い人でした。

噛みつかれるかと思うほど

瞳の奥に炎を宿すその自然に、

羽澄はたじろぐことしかできません。


「まだ愛咲は死んだ訳じゃねーだろ、行方不明でしょ?」


羽澄「そうですが」


「生きてるに決まってるじゃんか。」


羽澄「…。」


「お前はもう、愛咲のこと諦めてんだろ。」


羽澄「…そんなことないです。」


「だったら、故人みたいに扱うなよ。」


羽澄「…っ。」


そんなつもりは毛頭ありません。

ありませんが、遭難などの場合は

3日が命の境界線になると

聞いたことがありました。

3日経たあたりから、

羽澄は心のどこかで

諦めていたのかもしれません。

背中で握り拳を作るも、

羽澄にはその権利すらないと思い

花火のようにぱっと散らしたのです。


「そんな責めないであげて。」


「なんだよ、こいつの態度に腹が立たねーのかよ。」


「怒りをそのままぶつけるのは違うでしょ。」


「…くそ。」


そうひと言、きっと羽澄に吐き捨て

そのまま背を向けて去ってしまいました。

この場に止まってしまうと

やりきれない気持ちをまた

羽澄に吐いてしまうと考えたのでしょう。

頭を冷やすためなのだと思います。


「…私ら部活一緒で長束と追っかけっこしたりバカやったりして…長束がいるのが当たり前だったからさ、あいつがいなくなって大穴がぽっかり空いたんだよ。」


羽澄「…分かります。羽澄もですから。」


「ごめんね。」


羽澄「な…何で謝るんですか?」


「だって、さっきの…茜ちゃんが言ったこと…きつかったでしょ?それの謝罪。代わりに謝らせて。」


「うちからも。ごめん。」


羽澄「謝るのは羽澄の方です。ごめんなさい。」


頭を軽く下げる2人に対して、

羽澄はもう上げることが

できないかもしれないと思うほど

深々と頭を下げました。

これは愛咲への謝罪でもあったのです。

それに気づいてから、

尚更頭を上げる気は起きませんでした。


それから2人は茜さんを追うと言い、

走ることも早歩くこともせず

2人で何やら小話をしながら

遠ざかっていきました。

楽しい話ではなさそうで、

渋い顔をした横顔がちらと映ります。

周りの人達は少し気にしていたものの、

波が過ぎるとどうでもよくなったのか

時間が流れ出しました。


「羽澄さん。」


羽澄「…?」


一難去ってまた一難とは

このことだろうか。

半ば諦めの気持ちを抱いたままに振り返ると

そこには見慣れた顔がありました。


花奏「さっきの…大丈夫やった?」


羽澄「…あ、あぁ。はい!恐喝とかではありませんでしたよ。」


花奏「そっか。」


花奏ちゃんはさらっとそう言いあげるものの、

憂を含む顔をしていました。

こんな時でさえ明るくしようとしてしまう

羽澄はどうしようもないのでしょう。

寧ろ、見られていたのかと

ぎくりとしてしまうほどです。

すらりと背の高い彼女は

先ほどの2人が歩き去っていった方向を

ぼんやりと眺めながら口を開きました。


花奏「羽澄さんは悪くないで。」


羽澄「…勿論わかってますよ。」


花奏「愛咲さんってほんまにみんなの中心なんやね。」


羽澄「…はい。」


これは羽澄達誰もが悪くないからこそ

起こってしまった出来事なのでしょう。

…誘拐犯や…考えたくはないのですが

殺人犯がいるのであれば

それはその人が勿論悪いです。

しかし、現在は何もわからない中で

誰を責めることもできない状況。

誰かにぶつけたくなる気持ちは

重々に分かります。

もどかしいこの気持ちは

いつまで抱きかかえ続けなければ

ならないのでしょうか。


そう。

きっと誰も悪くないんです。

きっと。


花奏ちゃんはひと言羽澄に

またねと告げたあと、

日課なのか慣れたように

目の前の教室へと潜っていきました。

羽澄もそろそろここを離れよう。

その流れに乗せて足を動かします。

刹那、教室内を横目で眺む。

愛咲がいるような気がしたのです。

しかし、映ったのは遠く窓際で話す

三門さんと花奏ちゃんの姿でした。


羽澄も愛咲と今頃あのように

話せていた未来が

あったのかもしれないと思うと

心がきゅっとなってしまいます。

時間は何故だかいつだって

どれほど願ったとしても

逆行しないのでした。









美談 終



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