あいつ

ニャン太郎

あいつ(1話完結)



おれさ、お前のことが………好きだ



……えっ…??



パリーン

甲高い音が響く

ガラスが割れたのだ



なんで、なんで、今そんなこと言うの?

だって勝手過ぎるじゃん、そんなの…



月明かりでキラキラとした破片が大小、四方に飛び散る

飛び散った水分は床を濡らす

床をただ見つめる

だんだん、万華鏡の模様にも見えてくる

私の存在があやふやになる気がした



……まず、なんで今言うのか、きちんと説明して



……だってさ、今しかなかったんだよ!



……何それ、全然理由になってない!



そんなに、理由が必要か?そんなに大事か?

理由なんてない

今しかないものは、今しかないんだ!



なに…それ…意味…分かんないよ…



ずっと、言おうか言うまいか、迷ってた

でもな、今日やっと決心がついた

なんでか分からない

でも、これは今言わないといけないやつだって



だって…そんな素振り一つもなかったじゃない!



見せられるわけないだろ

お前にどうしても嫌われたくなかったんだよ…

ただ、後悔して死ぬくらいなら、

今しかないと思ったんだ

このまま、何もしなかったら、絶対後悔するって



…後悔?…じゃあ

……じゃあ私は?私はどうなるの?私の気持ちは!



…ごめん、お前の気持ちは……

お前の気持ちはこれからちゃんと考えるから…

でも、これは本心なんだ!

だから、一度、考えてほしい…



なんの音もない

水面の円が広がるように

あたりは静けさに満ちる



…分かった…あんたの気持ちはよく分かった

私も感情的になり過ぎた



……分かってくれたのか?!本当に?!



……なんで私が好きなの

私のどこが好きなのよ!



…う~ん、いろいろありすぎてキリがねぇよ

全部じゃあ、ダメか?



ダメ、具体的に言って



…ん…困ったな

ほんと、挙げたらキリがないんだ

おれが一番好きなのは、

お前のころころ変わる性格だよ

他と違って、面白くて、全然退屈しないんだ

初めて、誰かと一緒にいて楽しいと思えた

そして初めて、生きている心地がした


お前は、いつもツンツンしてるかと思えば、しっとり甘やかになることもある

元気はつらつとしているかと思えば、落ち込んでいることもある

時々、いろんな感情が混ざってたこともあった

いつか、怒りながら泣いてたこともあったな

逆に泣き過ぎて笑っていたこともあったよな

思い出すだけで、笑いが出てくるよ



も…もう、十分、分かったから!

言わなくていいから!



あっ、そうか?まだまだあるんだけどな

後で教えるよ

……ほんと、お前のおかげだ

人生が明るくなった

ほんと



そんな…

そんなふうに思ってくれてたなんて……

…でも私は…



いいんだ、別にお前が悩むことはない

おれが一方的に思っていただけなんだから



…だって…だって、

私、初めてそんなこと言われたんだよ?

今まで、そんなふうに言われたことないもん

みんな、私のこと怖がるんだよ?

人をおかしくする化け物だって

お前なんかとずっといられない、死んでしまうって

いきなり、発狂して逃げた人もいた

みんな、理由はおんなじ、ただ言わないだけ…

けど、本当は知っているのよ…私…

それだけは、あんたに言わない…

とにかく、人のことは信じないの…

あんたのことも本当だったら信じられないのよ

あんたも他と一緒だって


…でも、あんたは違った

あんただけは他の誰よりも違った

だって、私に唯一優しくしてくれたから

こんなに優しく接してもらったのは、私初めてよ…

あんたは私のことは何も聞き出さず、なんの見返りも求めず、私を避けることもしなかった

むしろ私を必要としてくれた、求めてくれた

あんたには言わないつもりだったけど…


…本当は、私の方が嬉しかったのよ…!


あんたとずっと一緒にいられたら、どんな世界が見られるんだろうって…


毎日楽しかった…これがどんなに幸せか…



でも、同時に思った


これはあんたのためにならないって

あんたのためを思うなら、私が身を引くべきだって


それで姿をくらましていたのに……

どうしてあんたは…



………え、それは本当なのか?信じていいのか?

ずっとお前の姿が見えなかったのは、おれのため?

おれのことを最近ずっと避けていたのはそのためか

……こんな、嬉しいこと…あるのかよ…

……じゃあさ…俺たち……



…待って、それ以上、言わないで…

それ以上は私が……



ふいに視界が海に沈みかける



…おい、どうしたんだよ、急に…

だからさ、おれ……




黙って!!




?!



あんたさ、デリカシーってもんがないわけ?

私の気持ち考えるって言ったよね



は?どういうことだよ!!

お前の気持ちはちゃんと考えるよ



じゃあ、どうして、あんたは私を見つけたわけ??

もう取り返しがつかないの、分かってる?



それは、お前にとにかく会いたかったからだよ

取り返しがつかないってなんだよ!

意味わかんねーよ

ちゃんと、説明してくれ



説明ね…

あんた、本当に何も分からないわけ?

私がなんでここにいるのか?

最初に言ったでしょ?

自分がここにいる理由も分からないの?



そうだよ!分からないよ!

でも、お前がここにいる本当の理由なんて

もうどうだっていいだろ?!

おれがここにいる理由もだ

思い出したい昔の記憶なんて今はない

もう理由はなんだっていい


…おれとお前はただ……一緒にいたい……



理由はただそれだけ…


それだけじゃ、ダメなのか…






砕け散った破片と飛び散った水はそのままだ

このまま床に吸い込まれるのを今か今かと待ち侘びる

これから、待ち受けるものを待つかのように…

いっそこのままでも良かったのかもしれない

私の存在はあやふやになりそうだ



けど、私はスーッと深呼吸をする



そして意を決す



それはね、私があんたを……






















































トントントン

ガラガラガラガラ……


「失礼します、何かパリンと割れる音がしませんでした?心配だったので急いで様子を見に来ました」



……はっ…??何が起きたんだ……?



そいつは来る

そいつの真っ白い格好は暗がりでも分かる

そいつはそそくさと懐中電灯で割れた場所を探す

見つけると、そこに向かい、しゃがむ

拾ったグラスを持ったまま、おれの方を向く


なんでおれのことを

そんな哀れそうな目で見るんだ?



そいつは小声で呆れ口調で言う


「田中さ~ん、病室での飲酒は禁止ですよ。

田中さん、ご自分の病気のことなんです。もっとご自身を大切にして下さい。今飲んだら、もっと悪化して、取り返しがつきませんよ。

そもそも、なんでここに一升瓶の日本酒があるんです。って、開いてないんですね。グラスにも…確かに何も入ってない……

…とにかく治療の妨げとなりますので、ステーションで一旦預かりますよ。

さ、早く、田中さんもおやすみ下さい。」


そう言って、おれの掛け布団を掛け直し、一升瓶を片手に足早に出ていった



あぁ…そうだった…

やっと思い出した


おれは、肝臓がんだ


看護師は治療が、治療がっていうが

もう何をしてもダメなことはおれがよく分かってる

多分、俺はもうじき死ぬ

でも、それでいい


それで、良かった…はずなんだ……



ふと棚に置かれたグラスを見る

グラスにあったはずの酒はない


あれ…さっきまで割れてたよな

縁は酒で少し濡れていたはず…

確かに飛び散った酒と破片で、

あたりがキラキラしていた

それが万華鏡の模様に見えたのだ

ってあれ…

何で割れた?

万華鏡ってなんのことだ?

グラスはこの位置からは手に届かない


じゃあどうやって…



ふと見ると、グラスの隣には紅色のおぼろげな万華鏡が一つ置いてあった



さっきまで、大切な何かが確かにあった…


忘れてはいけない大切な何かが……


それは何だったのだろう



思い出したい、思い出したい、思い出したい


しかし、何も思い出せない…

何かがすっぽり抜けている


まともに起き上がれないおれには…

できることはないはずだ……


おれはまた、大切な何かを失ったのか?

また……またってなんなんだ?

前にもあったのか?

でも、おれはひと月、同じベッドで寝たきりだ

何もできるはずがない



おれに家族はいない、友人もいない

数少ない知り合いはみな死んだ

おれを訪ねに来る者などいない

ここに来るまでは

酒に溺れ、時間の概念すら無くなる

無意味な日々だ


ある日、救急車で運ばれた

道端で倒れたらしい

何も思い出せない、いや、違う

過去の記憶を自ら、自分の意思で削除してるんだ



でも、

このひと月、理由は分からないが、

なんか…なんとなく、心地良かったんだ

朗らかだった

楽しかった

初めて、人生に意味を見出せた


なぜ?




だって、それは、あいつが…



ってあれ…


あいつって誰のことを言っている


おれには、もう誰もいないはずなのに…






今日は月明かりの良い夜だ

眩い月光がカーテンをも貫く

力強い意志を持つ



何も思い出せない、だが、確かにあいつはいた


おれ一人では、決して生じ得なかった


あの感情がある…





おれは、

残り少ない命をあいつのために使うと決めた


もう意味はないかもしれない


おれは必死に上体を起こす


もうじき指一本動かせなくなるだろう


棚に置かれたグラスを手に取る


ッカラッ


ベッド横のゴミ箱が鳴る


もう、いらない


そう決めた



万華鏡をふと手にとる


見ると、その幾何学模様はいろんな表情を見せる


おれはそれを手に取ったまま、眠りにつく




今夜は、月明かりが一層眩い


自らの存在を強く主張する


おれはそう思った



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あいつ ニャン太郎 @kk170215

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