5 ヴァルプルギスの夜
通路の壁面に沿って明かりの見える丁字路の分かれ目まで行くと、そこで俺は小声で二人に言った。
「用意はいいわね? 何が見えても気をしっかりと持つのよ」
半分は自らに言い聞かせるためのものだ。
岩陰から慎重に身を乗り出し、その奥を覗き込む。
そこは広大なホールの一角だった。
俺達が顔を覗かせた入口近くを含め外周をぐるりと取り囲むように一定の間隔を開けて篝火が焚かれ、中心部分がすり鉢状に低くなっている。古代ローマの円形劇場をもっと急角度にしたような造りだ。
俺達がいる場所は観客席のちょうど最上段に当たる箇所で、舞台となる床との落差は二十メートル余り。
そして野球の内野グラウンドほどの最下部には様々な種類の
地獄。もし本当にそんなものが実在しているなら、これこそまさにそうに違いないと思わせる光景。
「こんな数の……魔物がいるなんて信じられない……」
セレスが絶望の呟きを洩らす。ミアは声も出せないようだ。
そんな中、俺は奇妙に落ち着いていた。
〈これだけの死体を一体、どうやって用意したのだろう?〉
あまりの現実離れした景色に恐怖心が麻痺したのか、純粋に疑問に駆られる。
まあ、事前に魔眼で予想が付いていたのもあるだろうけど。
「まさかカタコンベ……?」
それでも無意識にそう呟いていた。
「えっ、何?」
耳聡いセレスが聞き付け、訊ねてくる。
「カタコンベ──いわゆる地底墓地のことよ。これだけの
厳密に言えばカタコンベはローマの地下に拡がるキリスト教徒の共同墓所のことだ。似たような施設は他にもフランスやウクライナ、トルコなど世界各地に存在する。
俺がカタコンベを思い浮かべたのは、それが一番しっくりくるイメージだったからに他ならない。
「でも、『死者の迷宮』で墓があったなんて聞いたことがないわ」
セレスの言う通りだった。これまで埋葬された遺体はもちろんのこと、それらしき形跡があったという報告すらされていない。
「ひょっとしたら私達が想像している以上にこの迷宮は広大なのかも。未発見の場所がまだまだ残されているとも考えられるけど、今はそれよりも──」
詳細に観察すると、遥かに気になることがあった。
「魔物が身に着けている装備。あれって……」
足許の魔物には普通の
奴らが普段から武具や防具を帯びているのは珍しくないが、ここに集まっているアンデッド達は勝手が違った。
「ええ。考えられないほど上等なものだわ。冒険者でもあれだけの品はなかなか揃えられない。ミスリルの装備まであるじゃない」
そうなのだ。アンデッドの装備と言えば元となった死体が身に着けていた物か、冒険者から奪い取った品というのが相場。当然、戦闘で著しく損耗していたり、年月を経て錆び付いていたりというのが通例だ。
それにも拘わらずこの場にいる魔物の多くは、まるで新品かと見紛うばかりの傷一つない鎧に身を包み、切れ味鋭そうな剣や歪みのない盾を携えたりしている。
「有り得ない……って、自分の目で見ていなければそう思ったでしょうね。たぶん、誰に話しても信じて貰えないわよ」
ハンマーフェローで生産される武具や防具は、周辺国の軍事バランスを考えて厳密に管理されているはずだ。
それを掻い潜って誰かが横流ししたとしても数が多過ぎる。
まさかアンデッドが自分達で鍛造や鋳造した──いや、さすがにそれは発想が飛躍し過ぎだろう。
わからないことにいつまでも思考を奪われているわけにはいかない。
装備のことはひと先ず置くとして、俺は思い付いたことを口にする。
「もしかしてミアが聞いたハンマーフォローを襲わせるっていうのは、こいつらのことだったんじゃ?」
これだけの大群なら、幾ら鉄壁の防御を誇る城塞都市でも無事では済むまい。
「ああ、確かにそう考えれば辻褄は合うけど……」
セレスはまだ眼前の光景が受け容れられないのか、茫然といった様子から抜け出せていないようだ。
「! 待って。まだ何か出て来る」
そんなセレスを尻目に、俺達が隠れる岩陰の真向かいに当たる外縁のさらにその奥の暗がりから何かが現れた。
一見すると只の擦り切れた黒いローブを身に纏った人物。だが、同じ高さから窺えたその顔は、
只の
それを見てミアが俺の背に隠れるように縮こまる。
セレスでさえ無意識に違いないだろうが、俺の腕を掴んだ手に力を込めた。
「……魔眼なんか無くてもわかるわ。あれは別格の魔物よ」
セレスのその言葉を裏付けるように魔眼で見ると、その中心はほとんど孔と見分けがつかない漆黒だった。
恐らく、あれがこの地下迷宮の主である
一般的なアンデッドと同じく寿命で死ぬことのない不死の肉体であるにも拘わらず、普通は失われるはずの生前の記憶や経験、さらには転生後に培った知識をも併せ持つことから死者の王とも呼ばれる存在、それが
そいつが眼下に立ち尽くす自ら生み出したに違いない数千ものアンデッドを睥睨すると、無造作に骨だけの口を開いた。
声帯も無いはずがどういう仕組みか不明ながら、地の底からこみ上げてくるような寒々しさと同時に、どこか威厳さえ感じさせるしわがれた声をホール内に響き渡らせる。
「──我ガ
その宣言にアンデッド達からは一斉に低い唸り声が上がる。承諾したという意味だろうか。
どちらにせよ、もう充分だ。知りたいことは知り得た。これ以上、ここに留まる理由はない。
「見つからないうちに退散しよう」
俺は二人にそう告げる。
一刻も早くこの場を立ち去りたいという願いは、全員が一致して抱いていたと思われる。
音を立てることなく、それでいて可能な限り速やかにその場を後にした。
背中にびっしょりと汗を掻いていることに気付いたのは、そこを退いてしばらく経った後のことだった。
とにかくそこを離れたいという一心で俺達は先を急ぐ。もはや進む先に上階への階段があるかどうかは二の次だ。
そうしてやっとのことで安心できそうな距離を置いたと思えた頃、お誂え向きに休息に適していそうな小部屋を発見する。
肉体的な疲労に加え精神的にも困憊していた俺達は、そこで一旦回復に努めることにした。
特にずっと前線で戦っていたセレスを休ませることは急務だった。
そこで俺が見張りを買って出て、二人に休憩するようリーダー権限で命じる。
セレスはやや不服そうだったが、このままでは足を引っ張ると思ったのか、渋々了承した。
──二人が眠りについて、幾許かの時が経つ。
真っ暗な迷宮内では時間の感覚がわからなくて困る。ここに来て何時間が過ぎたのか、今が昼か夜かなのもさっぱりだ。
時計とまでは言わないが、せめて経過時間が把握できるアイテムが作れないだろうか? 魔力を使った照明器具の残量を示すとかすればできそうだけどね。
そんなことを考えながら、体内時計では三時間程が経過したように感じられた辺りで、接近して来る魔物の気配に気付いた。
やはり悠長に休ませてはくれないようだ。
俺はセレスとミアに起きるよう促すと、戦闘準備を告げる。
数はさほど多くなさそうだが、魔力の流れを見るに結構強力そうな奴らだ。
現れたのは四体の
正直、あの光景を見た後で大きな音を立てるのは躊躇してしまうが、それで他所からアンデッドを招き寄せるならこれまでもそうなっていたはずだ。
たぶん、音は聞こえてもあちらこちらに反響してどこから響いて来るのかわからないのだろう。
それを信じて俺は奴らの一体に狙いを定め、榴弾で頭部を粉砕して瞬殺した。
そう言うと楽勝に聞こえるかも知れないが、各種魔弾は本来なら奥の手だ。数もそれほど用意していない。
いわば最初に究極奥義を放つようなもの。決して余裕があるわけではないのだ。
とはいえ、これで数の上では互角。あとは何とか通常弾で押し切ろう。
セレスには一番動きの軽快そうな奴を任せる。残り二体をミアと俺との連携で受け持ち、斃せるならそれで良し。斃すのが難しければセレスが駆け付けるまでの時間稼ぎとする。そんな戦法を敷いた。
一体は通常弾のゴリ押しで何とかなったが、もう一体はなかなか隙を見せずに手強い。
セレスの方も珍しく手こずっているようだ。休息したばかりだから疲れが原因というわけではあるまい。
よく見ると、どこか相手の
剣を交える様も歴戦の勇士の技量を感じさせた。生前は名の知れた騎士や剣士だったのかも知れない。
──愉しげだって?
俺は自分が受けた印象に驚く。
〈もしや
有り得る。普通は操り人形のように個性を感じさせることはなく、画一的な行動に終始しているが、稀に精神力が強い者が不死系魔物になった場合、生前の意識や性格を反映することは大いに考えられそうだ。
それは詰まるところ、技量の優れた強力な
「ミア、少しの間一人で耐えて。危なくなったら逃げていい」
そうミアに告げると、俺は依然としてセレスと互角の勝負を繰り広げる
「死を司る者の支配から解き放たれよ」
無論、魔眼を以てして。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます