5 決着

「兄上、何故なにゆえこのような場所に?」

 ギュスターヴの登場から数瞬の間を開けて、驚きから醒めたランベールが改めてそう問い直す。

「長兄を差し置いて弟と妹が何やら密談している様子と聞き及んで……などと冗談を言っている場合ではないな。順を追って説明しよう。だが、その前に聞く必要のない者には退場願おうか。特に議長を始めとする何人かは収賄の取り調べが待っていることだしね」

 審議員の買収についてはどうやら既に調べが付いているみたいだ。巷では次期領主は添え物とのことだったが、なかなかどうしてやるではないか。噂は所詮噂に過ぎないということだろう。

 それに生真面目が服を着て歩いているようなランベールとは違って、ギュスターヴの方は存外愉快な人らしい。

 モントーレ議長を筆頭に収賄容疑の掛かった審議員が衛兵に連行され、不要になった他の三名も退出を命じられる。ついでにメリッサという偽名が明らかになった彼女も用が済んだということで、一堂に頭を下げたのち、室内から姿を消した。

 テオドールにはまだ訊ねたいことがあるということで、両脇をがっちりと衛兵に固められながら部屋に留め置かれる。

〈俺はこの場にいても良いんだろうか?〉

 そう思ったが何も言われないところを見ると、問題ないようだ。

「さて、本題に戻ろうか。私が何故、ここに来たかということだったね。実は以前から内密に調査していた件に、そこのテオドールが関わっているらしいとの情報を得たのさ。そこで詳しく調べてみたところ、モントーレ議長らへの不正な金の流れが見つかってね。ちょうどセレス達の審議が行われているとのことだったので、弟の手助けになればと勇んで駆け付けてみたものの、どうやら要らぬ世話焼きだったみたいだ。もっともランベールに限ってそんな企みに踊らされるわけがないのはわかり切っていたがね」

 ご明察恐れ入ります、とランベールは兄に向って殊勝に頭を下げてみせた。その態度はとても次期領主の座を彼から奪おうとしている人物とは思えないものだ。演技としたら相当な役者に違いない。

「ところでテオドールよ、そろそろ観念してすべてを打ち明ける気になったかね? メルダース商会は今回の不正をお前の独断で行ったこととして支部長の任を解くと同時に解雇の旨を通告してきたよ。まあ、私がそうなるように情報を流したからなんだが。ついでに背任の容疑で告発もするそうだ。もう言い逃れはできそうにないねぇ」

 そこまで追い詰めたなら、俺達を襲った連中との繋がりも調べれば明らかになりそうだ。どうやって奴らを撃退したか、言い訳するのに苦労しそうな気はするが。

 すると、項垂れているとばかり思っていたテオドールが、クククッと奇妙な笑い声を上げ始めた。

「メルダース商会が私を解雇? それがどうかしたのかね? 私が本当に商売なんかのためにこんな手間の掛かった真似をしたとでも思っているのか?」

「……いや、思ってないよ。商会は単なる隠れ蓑さ。お前の目的はもっと別にある、そうだろ?」

 ギュスターヴが今度は真顔で訊ねた。ここからが核心に迫る内容らしい。

「計画は大いに狂ったが、まだ完全に潰えたわけではない。それは近々わかる。その時になったら手遅れだろうがな。愉しみにしているがいい」

「お前の言っていることが領境に集結させていた武装した連中のことなら、既に王都の軍と我が領軍が協力して鎮圧したよ」

「何だと……嘘だ! そんなはずはない」

「そう言われても困ったな。どうやって証明しようか」

 領境に怪しい奴らがいたことを知っている時点で証明されたようなものだろう。そのことに気付いたテオドールが、今度こそ苦々しげに吐き捨てた。

「おのれ、この──」

 だが、その暴言は左右から繰り出された腕に組み伏せられ、続きは発せられずに終わる。

「私兵など集めてこの者は戦争でも仕掛けるつもりだったのでしょうか?」

 足許にテオドールを見下ろしながら、ランベールが兄にそう訊く。

「恐らくお前に取り入った後、上手く唆してクーデターでも起こさせるつもりだったんじゃないかな。それには兵力が必要だからね」

「そのような愚かしい行為を私がするなどあり得ません。それほど蒙昧に思われていたとは……」

「そうとは限らないよ。最悪、拒否されても思い通りに操る奥の手があったのかも知れない」

「それは、まさか……アンブロシアの?」

 アンブロシアというのは以前にランベールが口にした言葉だったはず。結局、何のことかはわからず終いだったのだけど、一種の麻薬のようなものだろうか?

 ここでセレスが、とうとう控えていられなくなったようで、兄弟二人の会話に割って入る。身内でなければ不興を買いそうな行いだ。

「ギュスターヴ兄様、そのアンブロシアというのは一体何なのでしょう? 前にランベール兄様に訊ねた折には教えていただけなかったのですが」

「そうだね、セレスも知っておいた方が良いだろうね」

「兄上!」

 ランベールが彼にしては珍しく狼狽した様子で声を上げる。が、それに構うことなく、ギュスターヴは話を続けた。

「先に言っておくが、これから話すことは他言無用だよ。領主かその補佐をしている者の間でしか知られていないことだからね。もし破られた場合は機密漏洩罪で一族郎党まで裁かれることになるので、皆そのつもりで」

 途端に周囲の衛兵達が緊張で固まる。彼らとしてはできれば耳に入れたくなかったことに違いない。

「兄上、ご再考を。セレスには関わりないことです」

「お前の気持ちはわからないでもないが、セレスはもう一人では何もできない幼子ではないよ。仮に知ったことで問題に巻き込まれたとしても自分の面倒くらい自分で見られるさ。何しろ、クーベルタンの戦乙女と称されるくらいだからね」

 そう言ってセレスに向かい、ウインクしてみせる。

 ランベールはまだ納得しかねるようだが、正式な後継者たる兄にそう言われては面と向かって反対し続けるわけにいかないのだろう。仕方なく口を閉じた。

「アンブロシアというのは昔からこの大陸にはびこる邪教集団さ。そして同時に奴らが追い求める何かしらの効果をもたらす源を指す言葉でもあるという。実を言えばわかっているのはその程度のことで、詳しい実態はほとんど知られていないんだ。何しろ、下っ端には真の目的すら明かしていないようだからね。恐らくこの男も同様だろう」

「それで配下達が素直に従うものでしょうか?」

「そこが連中の恐ろしいところだよ。何と言っても操られている人間にはその自覚がないんだからね。知らず知らずに自分のしていることが崇高な行いだと信じ込まされてしまうのさ。違うかい?」

 最後の言葉は床で這いつくばるテオドールに向けられたものだった。

「……ふん、貴様らに話したところで我らの高貴な教えは理解できまい。せいぜい邪教と蔑むが良い。いずれ自らの愚かさを思い知るだろう」

「今のがこの者らの常套句だが、目的のためなら手段を選ばない連中さ。そのせいでこれまでにどれほどの人が犠牲になったか。しかも実際に作られているのは人を屍同然にして操る薬だったり、魔物を活性化する薬だったりするわけだからねぇ。幾ら自分達の正当性を説いたところで、受け容れられるはずがないよ」

 ギュスターヴの言う通りだと俺も思う。基本的に何を信仰するかはその人の自由だが、人を思い通りに操ろうという連中が堂々と主張できることではない。

 もっとも魔眼使いの俺がそれを糾弾できるのかという疑問は残るが──。

「俗人らしい発想だな。目先のことに囚われて大局を見ることができぬお前達には我々の理想など一生わかるまい」

 テオドールが押さえ付けられ、苦痛に顔を歪めながらも尚そう言った。

「……なら訊くけど、お前は自分達の目指すものが何か本当に知っているのかい?」

「当然だ。私は教団の中でも中心的な人間の一人……重要な役割を任されて……我らの目的は……知っているはず……いや、そんな……何故思い出せない……嘘だ……私は操られているなど……」

「やはり、下っ端だったようだね。奴らを捕らえても大体がこの調子なんだよ。何らかの薬物でも使って記憶を操作しているんだろうねぇ。自らの矛盾に気付かないように。これでは尋問しても大した成果は得られそうにないなぁ。恐らくアンブロシアにとって今回の一件は些末な企みの一つに過ぎないのだろう。この男と同じく、幾らでも替えが利く程度のさ」

 テオドールはもはやそんな言葉など耳に届かないかのように、ブツブツと独り言を繰り返している。

〈マインド・コントロールか……〉

 如何にもカルト教団らしい手口だが、そんなものまで駆使して一体この組織は何がしたいのだろう?

 アンブロシア……アンブロージア……一年生植物であるブタクサの一種。

 ブタクサは花粉症の原因として知られる代表的なアレルゲンであり、アメリカでは日本でのスギやヒノキと同様に、全人口の一割前後がこの植物による花粉症との統計があるくらいだ。

〈まさか異世界で花粉症を流行らせようというわけじゃないだろうしな〉

 俺は胸の中で独り言ちる。他には──。

「あっ!」

 俺は彼ら兄弟の前であるにも拘わらず、思わず声に出してしまった。

「どうかしたのかね?」

 案の定、ギュスターヴが不審そうな表情で、こちらを振り返った。

「いえ、何でも……」

 咄嗟に胡麻化そうとしたが、時既に遅かったようだ。

「構わぬから気付いたことがあるなら言うが良い」

 ランベールにまでそう言われては、観念するしかなさそうだ。

 アンブロシアに纏わるあることを俺は思い出していた。

 こうなれば仕方がない。覚悟を決めて、俺は語り始める。

「私の故郷にある言い伝えなのですが……神話に出てくる神々の食べ物、その名前が確かアンブロシアだったような……同じ意味として使われているかはわからないんですが」

「神々の食べ物とな?」

 そう。うろ覚えではあるが、ギリシア神話に登場し神界の飲み物ネクタールと共に饗される、もしくは同一とされるもの、それがアンブロシアだ。

「ふむ、それなら邪教とはいえ、宗教に関わる組織の名称に付けられてもおかしくはないが……」

「──それだけではありません。アンブロシアにはそれを食べた者を不老不死にするという謂れがあるのです」

 まさしくそのことを思い出したから、気軽に「そういえば……」と口にできなくなってしまったのだ。

「不老不死、それがこの者らの最終目標だと?」

「そうは申しません。私にわかるのはアンブロシアにはそういう伝承があるということだけ。あくまで御伽噺の類いで、本気で信じている人は誰もいませんでした」

「まあ、そうだろうね。あのエルフ族だって長命というだけで、不老不死というわけではないのだから」

 いずれにしても判断するのは時期尚早ということで、ここだけの話にしておくように念を押された。

 その後、すっかり憔悴した様子のテオドールが兵士によって部屋から連れ出されると、残っているのはセレスとその兄二人、カリスト・ビスタークに俺のみとなった。

 そこで改めてセレスが先程の兄ランベールの発言について真意を問い質す。

「そうそう、本人が語りたがらないなら私が教えるという話だったね。そうしても構わないだろ?」

「……兄上の御随意に」

 ランベールが、どうせ抵抗しても無駄だろうという風に頷く。

「昔からランベールは何を考えているのかわからないというのが周囲の声でね。しかも本人は他人にどう見られようがまったく気にしないという困った性格だから、色々と誤解を招きがちなんだよ。もう少し周りの評判も気にしてくれると、兄として私も安心なんだが」

 主の背後でカリストが如何にも同意しますといった感じの微苦笑を浮かべる。気配でそれを感じ取ったのか、ランベールが彼の方を一瞥すると、心外そうな表情で告げた。

「……誤解したい者には勝手にさせておけば良いのです。自分の為すべきことさえしていれば、他人がどう思おうと気にはならぬもの」

「ほらね、この通りだよ。それで身内にまで勘違いさせていては呆れる外はないのだが、弟にはそれすら平気らしい」

 それって詰まるところ──。

「では、私に冒険者を辞めさせようとしていたのは……」

 セレスが恐る恐るという感じで口にした疑問に、ギュスターヴがひょいと肩を竦めて答える。

「この男は妹が可愛くてしょうがないのさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る