クーベルタン市編Ⅵ 策謀の章(クーベルタン市編完結)

1 鉱山探索

「今度の依頼はこれまでとは勝手が違うわ。数日がかりの調査になる上、道中に宿泊できる村もないから野営の用意も必要になる。今まで以上に準備は入念にしておかないとね」

 そんなセレスの忠言に俺は神妙に頷いた。あっちの世界ではソロキャンプを趣味にしていたとはいえ、こちら側と一緒にはできないだろう。向こうではキャンプ中に襲われることなんてまずないしね。

 というわけで俺達は丸一日をかけて装備を整え、依頼を受けた翌々日の早朝に領都を出発した。

 鉱山入口までは馬車をチャーターすることもできたが、時間に余裕がある今回は訓練と節約を兼ねて徒歩で向かう。

 夜は安全を考慮して移動は控えるので、到着は明日の昼頃になる予定だ。

 荷物は普段の装備に加え、二人分の糧食や生活用品を分けて背負うことになるため、ペース配分が大事だと告げられた。

 特に自分達パーティーは人数が少ない分夜間の見張りの負担が大きくなり、それだけ休息にかけられる時間も減る。

 あくまで本番は鉱山に到着してからだから、その間で疲れていては冒険者失格なのだ。

 もっとも今回は森林や山岳地帯を踏破するわけではなく、街道沿いを進んで行けば良いので、その点は比較的楽には違いない。

「へぇー、意外と手際が良いのね。そっか、領都まで旅して来たんだもの、これくらいはできて当然か」

 俺のソロキャンプの経験を旅慣れていると勘違いしたセレスがそう感想を口にする。実際には事前に下拵えしてあった携行用のキャンプ飯を披露しただけだが、わざわざ否定するまでもないので、まあね、と俺は軽く受け答えして言葉尻を濁しておいた。

「じゃあ、先に休むわよ。交代の時間になったら起こして頂戴」

 腹も膨れたところで、そう言ってセレスが街道脇の広場に構えた寝所に潜り込む。これはいわゆるシェルターハーフと呼ばれるもので、防水加工をしたシートを二本のポールで直立させただけの簡易なテントだ。軍幕とも言う。雨露を凌ぐ程度しか役に立たないが、今の季節なら充分と言えるだろう。なお、ポールはその辺に落ちている枝を使っているので、荷物の軽量化にもなる。

 ところで正確な時計のないこの世界で時刻を知る方法は、日中なら黄道上の太陽の位置で算出される。クーベルタン市においては広場の中心に据えられた古代エジプトのオベリスクを彷彿とさせる柱の影を読む、いわゆる日時計だが、その根元には複雑怪奇な図形が描かれ、季節毎の変動まで補完されているようだ。

 それに対して夜間はこの世界ならではの二つの月の並びによって読み解く方法が用いられる。具体的には『月読み儀』という盤上の道具を使い、中心点を大きい方の月(姉月と呼ばれる)にかざすことで小さい方の月(妹月と呼称)の示す位置から現在時刻を割り出すというものだ。

 無論、これ以外にも水時計や砂時計を併用して、より正確な時刻に常時補正されているのだという。そしてこれらは最終的に星霜院という国を跨いだ専門機関により所管されているそうだ。時刻はある種の宗教的な意味合いを持ち、彼らの発表するものこそが神の定める厳密な定義ということらしい。

 もっとも日常レベルでそこまで意識している人はまずいないから、無視しても構うまい。要するに凡その時間さえわかれば生活には支障ないということだ。

 なので俺とセレスは日の出までの時間を大体で二つに区切って交互に見張りをすることにした。街道のすぐ脇とはいえ、二人揃って寝てしまうのは不用心過ぎるからなのは言うまでもない。

 夜番は後でする方がそのまま行動を開始することになるので辛くなる。今回は慣れていないだろうからとセレスがそちらを買って出てくれた。帰りは俺が代わろう。

 さすがにこの世界に来た初日と違い、森の中というわけではないから魔物に襲われたりすることもなく、夜が明けた。

 明け方近くに一度目を醒ました時、セレスが愛剣に着いた魔物の血らしきものを拭っていたように見えたのはきっと思い過ごしに違いない。

 そして予定通り昼過ぎには鉱山入口に辿り着いた。ここからいよいよダンジョン探索が始まる。

 といっても本物の迷宮ダンジョンではなく、あくまでそれを想定したというだけの、実際はつい先日まで働き手がいた鉱山だ。今現在は閉鎖中で誰もいないはずだが、依頼主のメルダース商会を通じて鉱山内の地図は受け取っているので、迷うことは恐らくないだろう。

 入口手前で地下探索用の装備に変更して、足を踏み入れる。松明やカンテラは持たなくて良いとセレスは言う。

 その理由はすぐにわかった。足許に伸びるトロッコ用のレールに沿い、坑道を数十メートルほど進んだところで、外界の光は届かなくなるが、天井や壁面のあちらこちらがぼんやりと光を放っているので、完全な暗闇に陥ることはない。これは何かとセレスに訊ねたら、その名もヒカリゴケという発光性の苔植物を人工的に繁殖させているのだそうだ。ここのような人の手で切り拓かれた鉱山はもちろん、迷宮でも踏破された場所では割とポピュラーな照明手段らしい。元の世界にも似たような苔はあるが、明るさが段違いなので、まったく別の種類と思われる。

 ただし、見えるとは言っても外部の明るさとは比べものにならない。ちょうど最初に枝分かれする箇所が少し広めの空間になっていたから、ここでしばらく待機して坑道内の暗さに目を慣らすことにした。

 まあ、俺の場合は意識するだけで魔素マナの流れから暗闇でも魔物の接近は察知できるので、そこまで神経質になる必要はないと思うのだが、いずれにしても用心するに越したことはないだろう。

 そうして目が慣れたところで、再び鉱山の奥深くを目指して足を進める。

 途中、小型の魔物には幾度か遭遇したが、とても人を襲って行方不明にできるとは思えない相手ばかりだった。やはり、原因があるとすればもっと先に違いない。

「ここから奥は一段と狭くなっているわね。曲がり角も増えて先も見通せない。幾ら探知系のスキル持ちと言っても油断は禁物よ」

「わかってる。慎重に行くわ。大体この手のことって慣れてきた時が一番危ないのよね」

 仕事でも恋愛でもそうだが、上手くいき始めたと感じた頃が大きな失敗を犯しやすいのだ。実体験だから間違いない。

 その上、当然ながら狭い坑道内の戦闘は、野外フィールドのそれとは勝手が違う。飛び道具や攻撃魔法の使いどころが限られていたり、剣や槍が思うように振れなかったり、気を付けていないと、いざという時の対処が間に合わない。

「……時々、ユウキって若返りの秘薬でも飲んだ魔女なんじゃないかって思えてくるわ。老成し過ぎて可愛げないって言われるわよ」

 中身アラフォーのおっさんに可愛げがある方が問題だと思う。

 俺は当たらずとも遠からずなセレスの指摘を「調子に乗るよりはマシでしょ」と受け流しておいて、魔眼で周囲の探索を行う。どうやら近くに魔物は潜んでいないようだ。

 それと、ここに来てわかったことがもう一つ──。

「この辺りに魔物はいなさそうよ」

「そう。なら、ここからは私が先頭を行くわ。ユウキは念のため背後を警戒しながら後ろを付いて来て」

 そう言ってセレスが分岐した坑道の一つに歩き始めた。

「待って、セレス。そっちじゃないと思うんだけど」

「えっ? そ、そうよね。ユウキがきちんと道を把握しているか試したのよ」

 実はセレスは結構な方向音痴、というか地図を読むのが苦手らしい。

 行ったことがある場所なら迷わない、と本人は言うが、それって何の言い訳にもならないと思うのは俺だけではないはずだ。

 たぶん、これまでは斥候役のフィオナに頼りっきりだったのだろう。

 指摘されたのが恥ずかしかったのか、いつもの勇ましさとは違い、拗ねたようにプイッと横を向く仕草が年相応で可愛い。

 それはさておき──。

「でも妙だわ。こんな坑道、地図には載ってない。それにさっきの曲がり角でも地図にない分かれ道があった」

「ホントに? だってその地図って依頼主から預かったものよね? ユウキこそ見間違えているんじゃないの?」

 セレスが自分の不手際を胡麻化すように言うが、残念ながら地図を読むのは昔から俺の得意分野なのだ。

「そんなはずはないわ。その証拠にそこを曲がった先が大広間で行き止まりになっているから。それがこの鉱山の最深部よ。つまり、ルート自体は合っている」

 むしろ、実際の地形との差異に気付かなければ帰り道でこそ迷いそうな感じだ。まるで誰かが意図的にそうさせようとしているかのように──。

「確かにユウキが言う通りこの広間で行き止まりね。採掘跡の真新しさからいってもここが最深部なのは間違いなさそうよ」

 だが、周囲を調べてみても行方不明の原因どころか抗夫の死体すら見当たらない。理由があるとすればこの場所だと思ったのだが、当てが外れたらしい。

「魔物の痕跡も無しか。これじゃあ、原因を探ろうにもお手上げね。依頼主のメルダース商会には異常はなかったと正直に伝えるしかない。案外、労働がきつくて抗夫がこっそりと逃げ出しただけじゃないかしら? もう少し周辺の枝道を巡ってみて何もなければ戻ってそう報告しましょ」

 そうセレスが言って手前の分岐点まで引き返そうと振り返った途端、広間の出口の先にゆらりと揺らめく複数の人影が見えた。

「気を付けて、ユウキ。不死の亡者アンデッドかも知れない」

 咄嗟に剣の柄に手を掛けたセレスが語気鋭くそう警告する。

「……違うわ、セレス。あれは生きた人間よ」

 俺はセレスに人影の正体を告げた。

 魔物なら俺の魔眼で判別可能だ。それが魔素マナの流れが見えない相手──すなわち魔物でないことを示していた。

 人影がゆっくりとこちらに近付いて来る。どうやら三人組のようだ。

 ──三人組?

 まさかと思ったが、大広間に足を踏み入れたその顔を見て、嫌な予感が的中してしまったことを確信する。

「待っていたぜ、お前達」

「あなた達は……どうしてここに?」

 それはあのヴァレリー達に魔物の『擦り付け』を行い、冒険者ギルドを追放となった元黒曜級冒険者の三人だった。

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