蜘蛛のカフェ

須天一哉

蜘蛛のカフェ

 見なれぬ店の前を通り過ぎた。


 通り過ぎてから数歩戻り、ドア横にあるワイヤーに吊された看板をまじまじと見る。

「蜘蛛の巣」

 そう書かれている。ドアには蜘蛛の巣の様に糸が張られている。正しくはそうデザインされている。


 こんな店いつできたんだ? 建物自体に見覚えがない。見た感じ木造だが少し奇妙な作りをしている。

 人通りの多い場所なのに入っていく人がいない。


 壁に貼られたメニューにはコーヒー、紅茶……並んでいる品目からしてカフェだ。今は休憩時間で

「ちょうどお腹すいてたし」

 とドアを開いた。


 中には蜘蛛がいた。どこの席にも人間サイズの蜘蛛が座っている。カウンターの向こうにも蜘蛛。蜘蛛は雲ではない、八本足の生えた生き虫。いや、正しくは糸を出す節足動物。触肢を使い器用にストローからオレンジジュースを飲んでいる、セアカゴケグモ。右の第一脚にはサンドイッチを持っていた。

 慌てて目を閉じ頭を振り、幻でも見ているのかと目をこすり再び目を開けた。するとそこには人々が座っていた。

 セアカゴケグモに見えたのは黒いスーツの背中に赤い柄。それはセアカゴケグモに似ていた。ハイセンス! と心に言い聞かせ、なんて幻を見ているのだと自分に呆れながら空いているカウンター席へ座った。


 先程蜘蛛に見えた他の客も人の形をしている。そもそも蜘蛛がジュースを飲んだりサンドイッチを食べたりするはずがない。

「いらっしゃいませ。初めてのお客様ですね。我が蜘蛛の巣へようこそ」

 店員はカウンター越しに微笑んだ。

「あの、ブレンドコーヒーとサンドイッチをお願いします」

「はい、コーヒーに蝶の触覚はおつけしますか?」

「はい?」

 聞き間違いか? 今蝶の触覚とか言わなかったか? そんなミルクはおつけしますか? 的なノリで?


「ちょ、ちょう?」

「不要ですね、承知いたしました。当店ではサンドイッチのマヨネーズにコオロギが入っておりますが大丈夫でしょうか?」

 そんな辛子が入っているノリで聞くの???

「だ、駄目です」

 もう涙目で答えるしかなかった。

「承知いたしました。コオロギ抜きですね。少々お待ち下さい」

 と店員は手際よくサンドイッチを作り始めた。

 カウンター越しに、店員の調理している姿が見える。


 話していた内容で恐怖を感じたが、作っている材料はなんの変哲もない、パンにレタスとトマト、そしてハムをはさみマヨネーズの塗られたサンドイッチだ。見慣れたメーカーの食パンで作られているのが袋で分かった。

 サンドイッチを作り終わると、コーヒーを作り始める。その頃には安心して店内を眺めていた。


 まだ新しくきれいな店だ。少しライトを落としているが、外の光で中はそう暗くない。


「おまたせいたしました」

 目の前に出されたのは普通のサンドイッチとブレンドコーヒーだった。


 良かった、普通の食べ物だ。

 とカップを取った。いい香りのブレンドコーヒーだ。一口飲むと苦味が広がる。しかしさっぱりとしていて美味しい。

 サンドイッチもなんの変哲もないサンドイッチだ。

 さっきの蜘蛛も幻覚で、触覚やコオロギも聞き間違いだったんだきっと。俺は疲れてるんだな。疲れてる時には、こういうのもいいかもな。


 サンドイッチを食べ終えてコーヒーも飲み干した。

「美味しい。お会計お願いします」

 立ち上がるとカウンターの店員が伝票を持って現れた。

「970円になります」


 会計を済ませて、店を出ようとすると店員の声が耳に入る

「またお越しくださいませ」

 ドアが閉まる前に振り返って見ると中には最初に見た蜘蛛が客席に並んで見えた。

「は……い……」

 店員も蜘蛛の姿で深々と頭を下げている。


 カランカランと音がなってドアが閉まった。

「え?」


「先輩、こんなところで何してるんですか?」

「え、あ、ここのカフェで」

「どこにカフェなんてあるんですか?」

 同社の後輩はあたりをキョロキョロ見回した。

「あれ!? さっきまでここにあったのに」

 先程までいた場所を見ると、そこには別のビルが建っていた。


「寝ぼけてるんですか? 疲れてるなら少し休んだほうがいいですよ。早退取りますか?」

「いや、大丈夫……」

「あ、じゃあ俺は先に戻ってますんで」

 明らかにおかしい、先程までいた店が急になくなっている。慌てて財布を取り出し、中を確認する。レシートは受け取らなかった。お金は減ってはいるがなんの証拠もない。


「俺は何を食べさせられたんだ?」

 泣きそうになりながら呟いた。

「まあでも、美味しかったからいいか」



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蜘蛛のカフェ 須天一哉 @suamakazuya

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