第2話
男が目を覚ますと、そこには真っ白で何もない世界が広がっていた。
どれだけ目を凝らしても地平線すら見えず、風もなく、気温すらも感じない。
「やあやあ、調子はどうだい? Z君」
途方に暮れていると、急に背後から声をかけられた。
驚いて声の方に振り向くと、何もないはずの場所にぼんやりと人のようなシルエットが浮かび上がって見えた。
身長はおそらく小学校に上がりたての子供くらい。しかし、何故か直視しがたいような異様な雰囲気を感じた。
「……は? だ、誰ですか? ……これって、夢?」
「夢じゃないよ」
顔も何も見えないはずなのにシルエットはニヤリと笑い、男にもなんとなくそれが理解できた。
「僕は君たちの言うところの神様という存在さ。Z君」
神様を自称する謎の存在を前に、男の中の警戒心がむくむくと膨らんでいった。
そもそも男の記憶では、先ほどまで自分は部屋でゲームをしていたはずだった。某国民的RPGゲームのナンバリングタイトルの実績トロフィーをコンプし、小さな達成感と引きこもり生活の虚しさを同時に噛みしめていたところで――
「ていうか、なんですかさっきから、Z君Z君って……」
本当に神様なら自己紹介せずとも名前を知っていてもおかしくはないが、男の名前のイニシャルにZは含まれていない。
自称神様はよくぞ訊いたとばかりに、背景とほぼ同化している両手を広げ――
「おめでとう! 君は二十六人目のダンジョンマスターに選ばれたのさ! ……地球からやってきた迷宮管理者Z君」
▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
「あれ? 反応薄くない?」
「いや、そう言われても……」
状況をいまだに飲み込めていない男、もといZ。
「普通は、異世界転生やったー!! って小躍りするところじゃないの?」
「そんな、ライトな小説の導入じゃあるまいし…………って、異世界転生? ……俺死んだんですか?」
「うん、死んだよ。急性心不全。だから魂だけをここに呼び寄せたんだ」
そう言われて、Zはようやく事態を飲み込み始めた。
精神世界っぽい真っ白な空間。神を自称する謎の存在。極めつけは「あなたは死にました」のいつものやつ。
全てがどこかで聞いたような展開、というか異世界ファンタジー小説の導入だった。
「死んだ……のか。くそっ、明日こそは外に出て仕事を探そうと思ってたのに……」
「と言いつつ十年間も何もしなかったでしょ?」
そう言われるとぐうの音も出ない。Fラン大学卒で就活にも失敗し、十年間立派に穀潰しを続け、両親に謝る機会もなく逝ってしまった。
「まあまあ、そう落ち込まないでよ。君だってこういう展開好きだったでしょ? 時間だけはたっぷりあったから、小説サイトのランキング上位から見漁ってたじゃない。自分で書いて投稿した経験も――」
「や、やめっ」
「恥ずかしがることないじゃない。君が死体以外で唯一あの世界に残せたものだよ?」
「…………まあ、そうかもしんないっすけど」
Zの全てを知っているような口ぶりだが、事実として、神としての不思議な力でZの生涯はおおよそ把握しているのだろう。
Zも先ほどから前世に未練があるような言動をしてるが、実際のところ半分くらいはポーズで、ファンタジー小説じみた新たな人生の到来に心は沸き立っていた。
「……それで、俺はどんな世界に転生するんですか? 転生先は貴族ですか? チート能力はちゃんと貰えるんですよね?」
「急に元気になったね。まあいいけど。……君が生まれ変わるのは厳密に言うと人間じゃないよ。人型ではあるんだけどね。さっきも言ったでしょ?」
先ほど神様が言っていた言葉を改めて反芻する。ダンジョンマスター。迷宮管理者。つまり……。
「ダンジョン経営モノか……」
「そうそう。そんな感じ」
ダンジョンを管理し、モンスターを生み出し、やってくる人間たちを迎え撃つ。
そういった小説もいくつか読んだことがあるため、Zの頭には様々な構想が浮かんでいた。
「でもそれ、正確には異世界転生とはちょっとジャンルが違いませんかね?」
「そう? 同じようなものじゃない?」
異世界の神様にそのあたりの情趣は伝わらなかったらしい。
神様は「改めて説明するね」と告げ、Zも背筋を伸ばして傾聴する姿勢になった。
「君がこれから行くのは剣と魔法のファンタジー世界(予定)だよ」
「……(予定)?」
「うん。向こうの世界にも一応魔力や魔法は存在してるんだけど、極一部の者しか知らないような秘匿された知識なんだ。だから、ダンジョンからドロップしたスキルオーブを使って、段階的に魔法やスキルっていう超常を浸透させていく予定なのさ」
「……いまいち何言ってるかわかりませんが、続きを聞かせてください」
「うん。実は君の他にも二十五人の魂をダンジョンマスターに転生させたんだ。その子たちは一足先にダンジョン制作を始めているよ。君は最後の一人だから、ダンジョンの概念を参考にさせてもらった地球の現地人を呼び寄せてみたんだ。日本生まれのZ君」
二十六人目のマスター。アルファベットのAから数えてZ。聞いてみれば、何の変哲もないネーミングだった。
「続けるね。君にはダンジョンマスターとしての基本的なスキル――アイテムやモンスターを生み出すことのできるダンジョンスキルと、君自身の心象を現した固有スキルが発現する。そのスキルを使って、自分なりのダンジョンを作ってみてよ。ダンジョンスキルにはダンジョンポイント(DP)を使うから気をつけてね」
これまたどこかで聞いたような設定のため、Zは頭を悩ますことなく理解した。
「そのDPはどうやって手に入れるんですか?」
「流石、理解が早くて助かるよ! DPはダンジョン外のものをダンジョンに取り込んだり、外の生き物がダンジョン内に一定時間滞在することで手に入ったりするよ。前者と比べると後者は微々たるものだけどね。……ちなみに、DPが0になったり、ダンジョンコアを破壊されたりしたら死んじゃうから気をつけてね」
「死ッ……!?」
「まあ大丈夫だよ」
何でもないように神様は言う。
「DPは生きているだけで自然に消費するけど、一分に1くらいだし、モンスターとそこそこ戦える生き物がダンジョン内で一時間も過ごせば自然消費分なんてすぐ補えるよ」
消費DPは一分で1、一時間で60、なので一日だと1440だ。
ダンジョンスキルのDP相場は不明だが、短い滞在時間でも一日の収支がプラスになるなら、DP不足で死ぬ可能性は考えなくてよさそうだ。
「ダンジョンコアっていうのは……?」
「コアはコアさ。これを操作してダンジョンスキルを使えるんだけど、ダンジョンマスターにとっては心臓に等しいものなんだ。少し高めだけど、DPで作れるセーフルームに入れてしまうのをおすすめするよ。そこなら侵入者も入ってこれないからね」
「……なるほど」
真剣な表情を浮かべるZを見て、神様は満足げに頷き、「他に質問はあるかい?」と尋ねた。
「……えっと、そうですね。……ダンジョンマスターって言うと、人類の敵みたいなイメージなんですが、人間にモンスターを嗾けたりしなきゃいけないんですかね? 正直、人殺しは遠慮したいというか……」
現代日本で生まれたZに殺しはハードルが高すぎる。人類を間引くのが目的、などと言われたらどうしようかと思っての質問だったが……。
「ん~、そこらへんは任せるよ」
「……はい?」
神様はあっけらかんと答えた。
「だから、どうやるかは君に任せるよ。レアアイテムで釣って強い人間を一網打尽にするもよし、人間との共生を目指してみるもよしだよ。ダンジョンマスターはダンジョンから出られないから、とれる手段は限られると思うけどね」
ダンジョンマスターは外出不可。またもや引きこもりライフが始まることが確定したが、今はそれ以上に訊きたいことがあった。
「……あなたは俺にダンジョンを作らせて、一体何がしたいんですか? ……何が目的なんですか?」
「目的かぁ。強いて言うなら、ダンジョンを作らせること自体が目的かな。……実は、僕の管理する世界は、他の世界と比べてかなり文明の進歩が遅れているらしいんだ。かといって直接教えを授けるわけにもいかない。世界に直接的に干渉するのは神々の協定で禁止されているからね」
どうやら、神様の世界にも色々なしがらみがあるらしい。
「だからダンジョンを作って、少しずつ文明を発展させてほしいんだ。嘘偽りなく、それだけが僕の望みなのさ」
神の言葉を咀嚼し、しばらく黙考して、男は頷いた。
「……大体の事情はわかりました。前の人生より悪くなることはないだろうし……やってやりますよ」
神様はその答えを聞いて、待たされたことに憤るでもなく、――おそらく――満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! ……そうだ、ご褒美も用意してるから頑張ってね!」
「ご褒美?」
「うん! 発展に一番貢献してくれた人――分かりやすく言うと、DPを一番集められたマスターの願い事を何でも叶えてあげる!」
「な、何でもですか?」
「世界を壊したい! みたいなのは流石にダメだけどね。本末転倒だし」
「……今の記憶を残したまま、剣と魔法の世界で生まれ変わらせてもらったり」
「それなら全然いいよ! この世界でも、別の世界でも。チート能力? ってのもサービスしちゃう! 一番になるくらい頑張ってくれたら、ダンジョンマスターもお役御免さ!」
「おおお……」
Zにとっては僥倖だった。ダンジョンマスターも悪くないが、本当の意味で異世界転生俺TUEEEEできる可能性もあるとは……。
「ちなみに期間の方は……?」
「とりあえず百年としておくよ!」
「ひゃ、百!?」
人間の寿命と大差のない長期間だった。
「大丈夫大丈夫、百年なんてあっという間さ! ダンジョンマスターになったら時間の流れに鈍感になるし、暇つぶしがしたいなら、DPを使って君の好きなテレビゲームなんかを生成することもできるよ」
「え、そんなこともできるんですか!?」
「うん。ポーションやスキルオーブは別だけど、それ以外の生成できるアイテムは各マスターの記憶準拠にしたんだ。その方がそれぞれのダンジョンの内容が差別化できるからね」
俄然テンションの上がるZ。それを見て頷いた神様は「そろそろ始めようか」と呟いた。
「ダンジョンの仕組みやスキルの使い方は、あっちに行ったら分かるようになってるから。繰り返しになるけど、君の好きなようにやっていいからね」
「うっす!」
「それじゃあ行ってらっしゃい!」
神様が腕を振るうと、あたりに淡い光が浮かび、身体がゆっくり宙に浮いていく。
その時、Zは訊こうと思っていた質問を思い出して声を上げた。
「すみません、最後に一個だけ!」
「なんだい?」
「初期のDPってどれくらいもらえるんですかね?」
ほぼ無用の心配らしいが、DPがなくなるまでのタイムリミットを知っているのと知らないのとでは安心感が違う。
とはいえ、あちらに着いたらすぐわかることだが……。
「最初に与えられるDPは、ダンジョンマスターになる前の経験や知識、強さなんかに応じて変わるんだ。他の二十五人は……そうだな~、だいたい平均して10万DPくらいだったかな」
10万DP。何もしなくても、二ヶ月ちょっとは生き延びられる計算になる。ならば、それまでに人間がやってくるような工夫を凝らせばいいだけだ。
なるほど、と納得しかけるZだったが……ある可能性に思い至って固まった。
「……その二十五人ってどんな人たちでした?」
「ん? ……どんな人って、そりゃこんな大事な役目を任せるんだから、選りすぐりの魂を選んだよ! 単騎で邪龍を討伐した英雄とか、神の教えに生涯を捧げた救国の聖女とか、他の世界で数千年も崇められた賢者とかね!」
「ちょ、それって」
「それじゃあ改めて、行ってらっしゃい!」
「まっ――」
ひときわ大きな光が立ち昇り、Zは異世界へと転送された。
「よ~し、これでダンジョンマスターは全員揃ったね」
神様はうーんと背筋を伸ばして息を吐いた。
これであとは数百年か数千年。のんびりと待てばいいだけだ。
「そういえばZ君、初期DPがどうとか言ってたね。まったく変なこと気にするな~」
そう呟きながら、透明なタブレットのようなものを出して、Zに与えられた初期DPを調べたところで――
「あ、やば」
神様はタブレットを消すと、明後日の方向を向いて口笛を吹いた。
「まあ失敗は誰にでもあるよね。気にしない気にしない。一個無くなっても残り二十五個もあるんだし」
残念ながら、Zは既に旅立ってしまった。
故に、そのセリフにツッコミを入れるものは誰一人としていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます