迷宮管理者Zの英雄奇譚~ダンジョン経営しないダンジョンマスターが往く~
碓氷 雨
プロローグ~洞穴の主~
第1話
今よりずっと昔、俺の爺さんの爺さんの、そのまた爺さんくらいが生きてた時代には、この世界にスキルなんてものは存在しなかったらしい。
人々は農耕や牧畜に励み、時には剣や槍を振るって戦い、スキルによる恩恵や補正などなしに、己が肉体にのみ頼って生きていた。
そんな世界が突如として様相を変えた理由はただ一つ。ほぼ同時期に、ダンジョンと呼ばれる異界の迷宮が世界中で発見されたからだ。
ダンジョンとは、簡単に言うとでかくて深い洞穴であり、内部はある種の異空間になっていると言われている。ダンジョンの入り口は世界中に点在しており、合計で十個の存在が確認されているらしい。
その洞穴の中には、地上には存在しない強いモンスターたちがうようよいて、地上には存在しないお宝がたくさんあった。
王都の学術院で学ぶこの世界の歴史は、先史時代、有史時代、そしてダンジョン史時代と分けられるらしい。それほどまでに、ダンジョンは世界に多大なる影響を与えたということだ。
もちろん、変わらず農耕や牧畜をして暮らす人々もいた。しかし、一部の戦う力を持った者たちは、一攫千金を夢見てダンジョンへと挑んだ。
しばらくすると、ダンジョンから出土した希少金属や魔石により、文明は急速的な発展を遂げていった。
しかし、それ以上に変容したのは人間という種そのものだった。
ダンジョンでごく稀に発見される『スキルオーブ』は、スキルと呼ばれる魔法や特殊技能といった不可思議な力を使用者に授けた。
そして、その血を受け継いだ子供たちも、『ギフト』と呼ばれる先天スキルや親譲りの強大な魔力を持って生まれることがあった。先天的でないにしても、努力により後天的にスキルを習得する者も現れた。そうやって、スキルは少しずつ世界に浸透していったのだった。
とまあ、今の世の成り立ちを説明するならこんなところだ。王都の学術院や探索者養成所を出てるわけでもない俺でも知ってるくらいの一般常識である。
俺か? ……俺は、探索者崩れのしがない何でも屋だ。
リバムド王国の外れ、これといった特徴もない村の農家の次男坊。
ガキの頃、故郷の村に訪れた探索者さんに憧れて、齢十五で寒々しい村を飛び出し、『彷徨いの迷宮』と呼ばれるダンジョンのある王都まで遥々やってきた。
今でも昨日のことのように……というほど鮮明でもないが、とにかく初めての都会ということもあって、それなりに記憶には残っている。
王都に着いた俺は、早速とばかりに探索者ギルドに赴き、路銀の残りである全財産を使って探索者登録をした。その際、元C級探索者というギルド員による簡単な実戦テストを受けたが、実力は一番下のF級だと判定された。
まあ大抵の探索者はF級から始まるので気にすることようなことではない。そう受付嬢さんからも言われたが、当時の俺は年相応に悔しく感じたものだ。
パーティは組まなかった――というより組めなかった。知り合いもおらず、スカウトなど来るはずのないF級スタートの駆け出し探索者は、浅層で実績を積んでE級に上がってからパーティメンバーを探すのが通例とのことだった。
モンスターの跋扈するというダンジョンで、頼れるのは自分と腰に差した剣一本のみ。
そんな当たり前の事実に震えそうになる心を叱咤し、俺は覚悟を決めてダンジョンに乗り込んだ。
……結果は惨敗。
『彷徨いの迷宮』で最弱のFランクモンスターといわれるのゴブリンと対峙し、必死に練習した剣技で立ち向かうも歯が立たず、探索者さんに貰った思い出の剣も折られ、ついでに心も折られ、這々の体で逃げ出して気を失った。
ちなみに、モンスターのランクというのは探索者の等級と対応していて、FランクモンスターならF級がソロでも問題なく討伐できるとされている。
……つまり、俺の実力は最低のF級にすら届いてなかったということで、実戦テストを通ったのは何かのまぐれか、あのギルド員が適当な判定をしたかのどっちかだっだ。
ギルドの治療院で目覚めた俺は、その事実に思い至って泣いた。声をあげて泣いた。怪我の治療費としてギルドに借金をしたことを知ってさらに泣いた。
しかし、まぐれであっても自分は探索者として登録されている。可能性が潰えたわけじゃない。たった一度の失敗がなんだ。F級以上の実力を付ければいいんだと自分を奮い立たせた。
それから俺は必死になって鍛錬した。
とはいえ、先立つものがないとどうにもならないので、日中はギルドで埃を被っていたダンジョン外の採集依頼や、どぶさらいのような仕事で糊口を凌ぎ、同時にギルドから借りた治療費も少しずつ返済した。
日が暮れてからは、近隣の林で自作の木剣を振るった。ギルドの訓練場はD級以上の中位探索者が占領していて使えないので、覗き見た先達探索者の動きを頭に焼き付け、反復練習を繰り返した。ダンジョンに一切潜らない俺を他の探索者たちは笑ったが、いつか見返してやると、その悔しさをさらなる糧にした。
そんな毎日を過ごし、俺が再びダンジョンに挑んだのは一年後のことだった。
結果は惜敗だ。
前回と同じくゴブリンと対峙し、有り金を叩いて買った鉄製の剣は折られ、でも心は折れず、最終的には戦略的撤退を決めた。
またもや第1階層で返り討ちに遭ったのは悔しかったが、確かに成長しているという実感があった。
前回は攻撃を防ぐのがやっとだったが、今回は一太刀入れることもできて、次こそはという気力が身体の底から湧いてきた。
それから一年。さらに腕を磨いた俺は歴戦の勇者のような心持ちでダンジョンに赴いた。
俺を出迎えたのは当然のようにゴブリン。緑色の小さな体躯に、腰巻を巻いただけの見慣れた姿だ。
当然別の個体だろうが、前回ゴブリンに付けた傷と同じような傷痕があり、なんだか再戦を挑んでいるような気になってしまった。
開始の合図はなかったが、新調して手に馴染んだ剣を正眼に構えると、ゴブリンは腰を落として小さくグァと鳴いた。
……それはまさしく死闘だった。
俺が剣を振るえばゴブリンは鋭い爪で弾き、ゴブリンが爪を振るえば俺が剣を合わせて弾いた。
体格の差を活かすために、どっしり構えながら迎え撃つ姿勢をとると、ゴブリンは俺を翻弄すべく、身軽さを活かして四方八方から攻めてきた。
しばらくは一進一退の攻防が続いたが、勝負の決め手となったのは――わずかな技量の差だった。
ゴブリンの攻撃パターンを完璧に把握しかけていた俺は、都合三度のフェイントを挟み、前のめりに体制を崩したゴブリンの喉元を剣で貫き、押し倒すように地面ごと突き刺した。
狂乱したゴブリンが振り回した爪で片目が潰されてしまったが、それまでだ。
ゴブリンは絶命し、光の粒子となって消えた。
ダンジョン内で倒したモンスターは死体が残らず、魔石と呼ばれる石と、一定確率で落ちるドロップアイテムを残して消失する。知識としては知っていたが、実際に見るとあまりに不可思議な光景だった。
どこか寂しげに見える魔石とゴブリンの爪を拾い、俺はしばしの間、感傷に浸った。
ようやく、探索者としての第一歩を踏み出せた。
今はまだまだだが、いつかは探索者としての高みに上り詰めてやる。
今は亡き宿敵であるゴブリンにそう誓い、俺は片目の消毒と手当を済ませ、お宝の一つでも手にすべくダンジョンの奥へと進んだ。
そして……。
ゴブリンの群れを一方的に蹂躙する、年端もいかない少年少女パーティを見て完全に心が折れた。
……現実は無情だった。いやマジで。
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「そんなわけで、ダンジョン探索者の道は諦めたんだが……啖呵を切って故郷を出た手前、今更のこのこ帰るのもバツが悪くて、こんなことをしながら日銭を稼いでるってわけだ」
俺が自虐的にそう締めくくると、御者台に座る行商人らしき装いの少女は「へぇ〜」と気のなさそうな返事を寄越した。
目的地までの道中、暇だからとダンジョン探索の話をせがまれたため、在りし日の失敗談を語っていたのだ。面白い話じゃないと前置きしたが、やはり少女とっても面白くはなかったらしい。まあゴブリンとしか戦ってないしな。
気づけば、あれからさらに五年が経ち、先月で俺は二十二歳を迎えた。
「……えーと、お兄さん――ノイドさんだっけ? じゃあ、それはゴブリンから受けた傷ってこと?」
「ああ」
右目の眼帯を外して古傷をみせると、顔半分だけ振り向いた少女は「うへぇ」と声を漏らした。失礼な反応だな。別にいいけど。
ちなみに、手に入れた魔石は二束三文で売り払い、ゴブリンの爪は首飾りとなって、今でも俺の首にかかっている。
「ま、あんなガキンチョたちが楽々とゴブリンを狩るのを見せられたら、流石に無理だと悟ってな」
「……う~ん、その子供たちがすごく強かったってことはないの?」
「ないな。あいつらは俺と同じF級だったし。大方、探索者志望の友達同士でパーティを組んだんだろうよ」
首にかけた暗灰色のタグを見せる。F級の探索者タグ――俺の髪と同じ色だ。ギルドに登録した探索者は、このタグの色によって等級が決まっている。裏には個人識別用の番号が記されており、身分証代わりにもなる代物だ。
ちなみに、ダンジョンで死亡した探索者の死体は一定時間経つと消失するが、このタグだけは消えずに残るらしい。そのため、行方不明者の死亡確認としても用いられている。
……あの時見かけた幼い四人組パーティも、しばらくして全滅が確認されたらしい。気の毒だとは思うが、ダンジョンじゃよくある話だ。
将来有望な若者だろうが、わずかな慢心や、小さな不運が重なれば簡単に死ぬ。俺にしたって、あの時潔く諦めていなければ、今頃は道半ばでくたばっていたことだろう。
「……とにかく、俺の才能なんてそんなもんだったんだ。本気で数年鍛えて、子供でも楽々狩れるようなゴブリン一体と同格。命を賭けるには望みがなさすぎる」
「そっかぁ……」
少女はそこで思い出したように――
「ところでお兄さん、今回の依頼は大丈夫なの? 森のゴブリン退治だよね?」
……まあ依頼でゴブリン退治に向かっている途中だからな。そう考えるのも無理はないか。
「それは問題ない。たとえ同種であっても、ダンジョン外のモンスターは、ダンジョン内のモンスターとは比べ物にならないくらい弱いんだ」
ダンジョン外に生息するモンスターは、元々はダンジョンで生まれたモンスターが外に出て繁殖したものだと考えられているが、実力は比べるべくもない。俺程度の腕でも、ゴブリンが多少群れたくらいでは全く問題にならないほどだ。
魔力が充満するダンジョンとは違う、魔素濃度が薄い地上に順応する過程で、他の野生動物と変わらない程度の身体能力に落ち着いた、というのが通説だな。
とはいえ、ゴブリンは繁殖力が高い。数十からなる群れが相手では、戦闘能力を持たない一般人では歯が立たない。
そのため、時たま依頼として、ダンジョン外のゴブリン退治がギルドの掲示板に貼られることがあるのだ。そういった依頼は、俺のようにダンジョンに潜らない探索者崩れにとっては貴重な収入源になっている。
目の前の少女は行商のために王都から北の帝国に向っているらしく、ちょうど向かう方向が同じだったため、護衛代わりと言って宿場町から馬車に同乗させてもらったというわけだ。
「ま、安心してくれって。こう見えてもF級探索者だからな」
「あはは、それはさっき聞いたよ」
おどけて力こぶを作ると、少女は苦笑して前に向き直った。
それから暫くして、馬車はゴブリンが発見されたという森の入り口に着いた。森に入るのは俺一人なので、馬車で送ってくれた少女とはここでお別れだ。
「それじゃあ、頑張ってね。お兄さん」
「ああ。世話になった」
大きく手を振る少女に片手を上げて応え、走り去る馬車を見送った。
外見も中身も、あまり印象に残らない少女だったが、成人もしていなさそうな少女一人で商いをして回っているのだ。もしかしたら、見た目よりはずっと腕が立つのかもしれない。スキルなんていう埒外の力も存在するわけだしな。
案外、ダンジョンのゴブリンでも蹴散らせるくらいの実力があったりして。
「……さっさと終わらせるか」
そんな突飛な考えを、頭を振って意識の外に追いやる。
空を見れば、少しだけ雲行きが怪しくなっていた。とっとと依頼を終わらせて、街道の途中にある宿場町まで戻りたい。
▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
それから数時間後、森のゴブリン討伐は無事に完了した。戦闘自体は問題なかったのだが、意外とゴブリンが見つからず森の奥深くまで入ってしまった。ゴブリンは巣を作っていたが、規模としては極めて小規模で、個体数も十体に満たなかった。しかし、これがあとひと月もすれば数十体以上の群れとなるため、決して軽視できないのがゴブリンという生き物だ。
ダンジョン外のゴブリンは討伐しても消えずに死体が残るが、山火事にでもなったら大事なのでわざわざ燃やしたりはしない。この程度の数なら疫病の心配はいらないし、どのみち森に住む虫や動物たちが綺麗に片付けてくれるだろう。
ゴブリンの住み着いた森は先住の動物が減って生態系が乱れるため、早く元に戻るよう、多めに餌を提供してやるくらいでちょうどいい。
あとは、討伐証明として数体分の爪を剥いで革袋にしまっておくことも忘れない。決して気持ちのいいものじゃないが、必要以上に不快に感じることもない。育ちの良い坊ちゃんってわけでもないしな。
「……こいつは、本降りになりそうだな」
ゴブリンを狩っていた時からぽつぽつと降り始めていたが、気が付けば雨足はかなり強くなっている。
もうすぐ日も暮れそうだし、今日は森で野宿した方がいいだろうな。
そう決めて少しでも雨風の凌そうな大木なんかを探そうと考え、
――――。
「……なんだ、今の?」
今、誰かに呼ばれた気がした。人の声……たぶん男の声で、なぜか俺を呼んでいたような気がする。
風鳴りや雨音を聞き間違えたかと思いつつも、俺は声の聞こえた方向に歩き出した。
数分くらいか。少し速足で歩いた場所に、山肌に隠れるような小さな洞穴があった。
若干傾斜があって斜め下に下りるような構造になっており、中を覗いてみると、高さと幅は俺が楽に通れるほどに広く、奥行きはダンジョン基準の単位で10メートルもないほどだった。
「今夜はここで休むか……」
声のことなんてすっかり忘れた俺は、夜更けも近いので早々に判断した。
木々も多く、地盤もしっかりしてそうなので天井が崩れてくるようなことはないだろう。
一応、洞穴の入り口には糸と木片で簡易的な鳴子を仕掛けておく。そして奥に陣取り、粘土のような味と食感の携帯食料を水で飲み下し、何も敷いていないむき出しの地面に寝転んだのだった。
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「…………」
夜中、ふと目が覚めた。
鳴子はなっておらず、しんしんと雨足が弱まった雨音が外から聞こえるだけだ。
もう一度寝直そうと思ったが、どうにも眼が冴えてしまって眠れない。
身体を横にしながら何も考えず壁を見ていると、そこに何か違和感のようなものを覚えた。
「ん……?」
あの部分、なんか……他の壁と少しだけ色が違くないか?
自然の模様かと思っていたところも、よく見ると継ぎ目のように見えなくもない。
灯りもないのでただの目の錯覚かもしれないが、気になりだすと止まらないもので、俺は結局立ち上がって壁を調べてみることにした。
まあ何もないだろうが、もしお宝でも眠ってたりしたらと考えながら――
「……マジかよ」
体重をかけて壁を押してみると、ズズズと鈍い音を立てて動いてしまった。ちょうど俺一人が通れる扉くらいの大きさだ。
そのまま思いっきり力を込めると、壁は楕円状にくり抜いたように奥に倒れた。
……これ、あれだ、隠し扉。
郊外の森の奥の洞穴に、人為的に作られたとしか思えない隠し扉。
初めてダンジョンに挑んだ時のように胸が弾む。……五年間どんだけ山も谷もない毎日を送ってたんだと悲しくもなるが、今はそれよりも目の前の大発見だ。
こんな場所で火を起こすわけにもいかないので、魔石を動力とするランプを点ける。動力になる高純度の魔石は使い捨ての高級品だが、今の俺は損得勘定より好奇心が勝っていた。
細心の注意を払い、壁の向こうの隠し部屋に足を踏み入れた……が、中は想像以上に狭くて拍子抜けしてしまう。
洞穴そのものよりもわずかに狭いくらいで、パッと見た感じだと目ぼしいものは何も……。
「……いや」
隠し部屋の隅。人目を忍ぶように転がっている拳大の玉があった。
見た目は胡散臭い占い師が持っている水晶玉に似ているが、透明ではなく色が濁っている……というか中の雲みたいな模様が蠢いてないか? こんなもん初めて見たぞ。
……とにかく、王都のギルドに戻ったら、鑑定スキル持ちの鑑定士に調べてもらうのがいいだろう。
まさか、森のゴブリン退治に来てこんなお宝が手に入るとはな。こいつが高く売れたら、故郷に帰って腰を落ち着けるのもいいかもしれない。探索者として成功こそしなかったが、多少は格好もつくだろう。
そんな取らぬ狸のなんとやらで頬を緩めながら、俺はその玉に手を伸ばした。
そして……。
「うおっ!?」
指先が触れた瞬間、玉は部屋全体を照らすほどに光り輝き――同時に頭の中に見知らぬ誰かの知識やら記憶やらがものすごい勢いで流れ込んできて、俺は抗う術もなく意識を失ったのだった。
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