第36話

「……貴方。死にたくないなら早々にその方を離した方がよいですわよ?」


 もう一人の女に呆れ顔でそう言われて、男は気づいた。

 普通は自分みたいな男に後ろからいきなり抱きつかれ、ナイフを突きつけられたら身体が恐怖で固まるか震えるものだ。

 だが、自分が今拘束してる女は、そんな気配が微塵もない。


「……運が悪かったですわね♪」


 そんな言葉が聞こえた瞬間だった。


「ぐお……」


 ドコッと鳩尾に女の肘が打ち込まれていた。

 堪らず女から少し体を離した瞬間、頬に凄まじい痛みが走り抜けた。


「…あら?少し弱かったかしら?」


 女はくるりと体を回し、今しがた男の顔を打ち据えたらしき物を顔の前に構えていた。


「やはり、愛用の物でないと、使い勝手が宜しくありませんわね…」


 その華奢な手が触れて確認しているのは、ほっそりとした扇だった。


 扇で打たれたにしては、かなりの重さがあった事に男は恐怖した。


「?ああ。これですの?両端の骨に鉄を使っていますのよ♪いつも使ってる物より細かったせいか、意識を刈り取れませんでしたわね。ごめんあそばせ♪」


 にこやかに頬に手を当て微笑む女に、男は恐怖を覚えて逃げ出そうとした。


「おや?何処に行くのかな?」


 振り返った先には、さっきまで階段の上にいたはずの男がいつの間にか自分の背後に来ていた。


「ち、ちきしょうーーっ!!」


 ナイフを振り回しながら、走り抜けようとした男は、ストンと転がされた。


「へ?」


「…うちの姉上を人質にとるばかりか、殿下に刃を向けるなど、楽に死ねると思うなよ…」


 やはり階段の上にいたはずの黒髪の男が自分を床に押し付けている。


「な、何なんだ、お前らっ!?何なんだよーーっ!!」


 かよわい令嬢からは逃げられ、自分よりひ弱そうな男達から逃げることも出来ずに堪らず叫んだ。


「貴方のような方がアディエル様に触れるなどと、許しません!」


 ツカツカと勢いよく近寄った女に、無理やり口を開かれ、液体を流し込まれた。


 ゴクリと、嚥下したのを確認して手を離される。


「な、何を飲ませやが……」


「お黙りなさい、この豚野郎……」


 ボソリと怒気を孕んだ声でリネットが呟く。


「………ブヒ✰」


「ありがたく思いなさい!新作の暗示薬ですわ!」


 しばらくした後、男は四つん這いになって、ブヒブヒと言い出した。


「まあまあ……」


 その姿にアディエルの目が大きく見開かれ、


「うっわぁ…」


 気持ち悪そうに後ずさるダニエル。


「へえ。なかなかの効き目だね♪」


 と、感心するカイエン。

 そして、ただ一人ーー。


「豚野郎……。リネット、それは令嬢として口にしちゃダメなやつ……」


 エイデンだけは、リネットに対して頭を抱えていたのだったーーーー。


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