桜の木の下には死体が眠っている!

i & you

あたしちゃんの憂鬱

 桜の樹の下には死体が埋まってる!!!

 信じてよ!!!!

 なんでって、それは、何にもなくて桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃん!?

 あたしちゃんはね、あの美しさが信じられなくって、ここ数日、ずーーっと不安で、もうどーしょーもなくってさ。けど、今、やっとわかるときが来たんだよ。桜の樹の下には死体が埋まってる!これは信じていいことなんだよ!ね!!信じてよ!!!


 どうしてあたしちゃんが毎晩家に帰る途中、よりにもよってちーっちゃくて薄っぺらい、まぶた用の剃刀なんかが目の前に思い浮かんで来たんだろうね。───家にはママとパパ、そして優しいお兄ちゃんが待っているんだし、それにあたしちゃんの部屋にはそれはもうたっくさんの化粧道具があるのに。化粧道具じゃなくたって、楽しみな物も欲しいものも沢山あるはずなのに───じゃあなんで浮かんでくるのがわざわざ薄っぺらい、まぶた用の剃刀なんだろう。キミはそれがわかんない、って言って考え込んでくれたけど、――そしてわたしにもやっぱりそれがわかんないんだけど――それもこれも結局全部同じこと?みたいな気がする。


 ほんとに、どんなお花でもね、いわゆる花の盛り、って状態にな?と、周りの空気に神秘的なふいんき?ふんいき?を撒き散らすじゃん。それはね、よーく回ったコマがかんっぺきにピタッと止まった時とか、音楽で、上手な演奏がこう、ビシッと「きまった!!」って時に何か、幻覚を生み出すじゃん。それみたいに、あの剃刀はどうしようもなく、人の心を"うって"しまう、不思議な、生き生きとした、そんな美しさなんだ。

 でもねでもね、昨日一昨日、あたしちゃんの心がすごーくしんどくなっちゃったのもそんな美しさのせいなわけ。

 あたしちゃんにはね、その美しさがなにか信じられないもののような気がしたの。それでね、あたしちゃんは逆に不安になって、憂鬱になって、空虚な気持ちになった。

 でもね、あたしちゃんは、今、やっとわかったんだ。

 ねぇ、キミ。今、圧倒的に美しく、そして春の微睡みみたいに甘い風に咲き乱れているこの桜の樹たちの、その一つ一つの下に、

それぞれ死体が埋まっているって、そう想像してみてよ。───気持ち悪い?考えたくない?そう言わずにさ!───何であたしちゃんがそんなに不安になってたか、ってことに、きっといつか、キミも気づいてくれるんじゃないかな。

 馬みたいな死体、犬猫みたいな死体、そして人間みたいな死体、死体は全部腐ってて、ただれてて、虫とか湧いてて、もう堪えられないくらい、臭い。なのに、水晶みたいな透明な液をたらたら流してる。桜の根っこはそれを、欲張りな蛸みたいに抱いて、いそぎんちゃくの食糸みたいは根っこを集めて、その液体を吸っているんだ。

 何があんな花びらを作って、何があんな実を作ってるの。あたしちゃんは根っこが吸い上げた、水晶みたいなあの透明な液体が、静かな、ただ束のなかを、夢のようにゆっくりとあがってゆくのが見えるかも、なんてそんなふうに感じちゃったんだ。

 ――ねぇ、キミ。何でそんなに苦しそうな顔をしているの?美しい透視なんだよ、これはね。あたしちゃんはやっと、ようやくこうして落ち着いて桜の花が見られるようになったんだから。昨日、一昨日、あたしちゃんが不安で不安で仕方なかった神秘───そう、あれは神秘だね───から自由になったんだよ。

 それからね、つい二、三日前、あたしちゃんは、ここの川へ下りたんだ。ほら、すぐそこの。それでね、石の上から石の上へ、飛び移りながら遊んでたんだ。その時ね、水しぶきのなかから、あっちからもこっちからも、薄羽かげろうが、まるで美の女神ビーナスみたいに───ビーナスは海の泡から生まれたんだよ。それも、父親の首が彼の息子に切り落とされて、そして海に浸かった瞬間、生まれた泡から美は誕生したの───

 生まれて来て、川の上空の空をめがけて舞い上がるのが見えたんだ。キミも知っているよね、彼らって、そこで美しく結婚するんだ。

 結婚というか、交尾というか、ね。でね、しばらくその調子で石の上を歩いてると、あたしちゃんはもっと変なものに出会ったんだ。それは多分大雨で川の水が溢れたんだろうね───水溜りになって、そしてもうあらかたは乾いちゃった後の、ちっちゃなちっちゃな水たまり。そんなちっぽけな水のなかだったんだ。たまたま石油を流したのかな、とか思っちゃうような光が、水たまりの一面にたくさん浮いているんだよ。キミ、それは何だったと思う?それはね、たくさんの───本当に、ただ、何万匹もの、としか言えないくらいにたくさんの、薄羽かげろうの死体だったんだよ。隙間もなく、水面が見えないくらいにただ水たまりの水面を覆ってるんだ。彼らの羽が重なり合っているの。光がそれを映し出してたんだ。そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったんだよ。

 あたしちゃんはね、それを見たとき、なんだか胸が高鳴るような気がしたんだ。お墓を覗いて、死体を漁っている変質者みたいな、そんな残忍で残酷なよろこびを、そこであたしちゃんは味わってしまったの。

 この川では普段、あたしちゃんを楽しませてくれるような、そんな「何か」はなかったんだよ。ウグイスも、シジュウカラも、白い日光を浴びてすっごくみやびな木の若芽も、もちろん美しいとは思う。思うよ。でもね、それらはただそれだけだったら、ただ解像度の低い風景に過ぎないの。あたしちゃんにとってはね。あたしちゃんには、惨劇が必要なんだ。憂鬱なまでの惨劇があってはじめて、あたしちゃんの心の形は明確に形作られる、ってわけ。

 あたしちゃんの心は、まるで悪魔みたいに憂鬱を欲しがってる。乾いてるの。乾いて、渇いて。そして、あたしちゃんの心に憂鬱が完成するときだけにね、その渇きが癒されて、あたしちゃんの心は安心できるんだ。

 ――キミ、そのハンカチでさてはほっぺを拭いてるね。冷汗が出てるのかな?。それはあたしちゃんも同じさ。うんうん、別にそれを嫌がる必要なんてないんだよ。

 それはべたべたと、まるで精液───ちょっと下品だけど、キミは男の子だから大丈夫でしょ。あ、ちょっと赤くなってるじゃん、かわいいね。ううん、別にそういう意味で精液って言ってるわけじゃないんだけど…ともかく、───精液みたいだと思ってみてよ。それであたしちゃん達の憂鬱は完成するんだよ、って。ちょっと難しいかな。

 うん!桜の樹の下には死体が埋まってる!

 こんな話は、いったいぜんたい、どこから浮かんで来た幻なんだろうね、どんなものなのかも全然わかんない死体が、今はまるであの桜と一つになって、それで桜は満開に花を咲かせているんだよ。

 それがね、どんなに頭を縦に横に振ったって、無我夢中になったって、何をしようとどこへ行こうとぜんっぜん頭から離れようとはしないんだよ。

 今こそあたしちゃんは、この桜の樹の下で、キミと一緒にならお花見の強いお酒を飲めそうな気がする。あたしちゃんの、あたしちゃんと君の、大いなる──────かつ単純な気づきに乾杯しようよ。

 ほら、お猪口を出して。ほら、ほら!

 なぁに?あたしちゃんのお酌じゃ飲めないって?

 はい、グイッと一口で彼はさなや飲んじゃって。

 ふふっ、飲んだ、飲んだね。

 難しいことを考えるのは、後回し。

 今はたった二人、たった二本の桜の下で。

 残酷な生について考えるのも、悪くはないんじゃない?

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