第7話 マムルークの若獅子(2)

「たあっ!」


「つぁっ!」


 アイン・ハレドの礼拝堂の前で、一騎打ちを繰り広げるラシードとメリッサ。自分の馬を正面から突撃させたメリッサが長剣を振り下ろすと、ラシードは横向きに構えた曲刀でそれを受け止め、すかさず斬り払う。メリッサは怯むことなく再び斬撃を浴びせるが、ラシードも片手で手綱を巧みに操り、馬を素早く後退させて迫りくる刃をかわした。


「ラシード隊長!」


 村人たちを避難させる任務を終えて戻ってきたハミーダが、ラシードの苦戦を見て横から加勢しようとする。だが彼女の前にアマーリアが自分の馬を立ち塞がらせ、進路を阻みながら長剣を向けた。


「異教徒ながら、一廉ひとかどの勇士と見ました。勝負を!」


「いいわ。相手になりましょう!」


 ハミーダはアマーリアとの対戦に応じ、優れた馬術で馬を駆け回らせながら激しく斬り合う。その横で、メリッサの攻勢を辛くも凌いだラシードはハミーダの援護を受けるまでもなく反撃に転じていた。


(こいつ、強いな)


(アラジニアの異教徒にも、こんな腕の立つ勇者がいたなんてね)


 骨のある相手に出会えたことを喜ぶ好戦的な笑みを浮かべつつ、交錯を繰り返す両者。互いの乗っている馬同士が勢いよく激突し、ラシードとメリッサは体勢を崩して同時に落馬した。二人とも咄嗟に受け身を取ってすぐに立ち直り、そのまま徒歩かちでの戦いに突入する。


「やるな。見事な剣の技だ」


「あなたもね。随分と戦い慣れてるみたいじゃない」


 間合いを取って刃の切っ先を向け合いながら、二人が交わした賛辞はどちらも偽りなき本心から出た評価であった。メリッサの剣術は洗練されていて無駄がなく、その果敢で攻撃的な姿勢は相手に息つく暇を与えないが、彼女の猛攻に冷静に対処しながら鋭く攻め返すラシードの戦いぶりも歴戦の経験を感じさせる。


「あなたのその武、ここで戦場の露と消し去るのは惜しいわ。降参して改宗すれば、特別に私の配下の騎士として召し抱えてあげる。どう?」


「お断りだな。他人の国を土足で踏み荒らすのを正義だの天命だのと呼ぶような頭のおかしな野蛮人どもの宗教に、帰依するなんて死んでも御免だ」


 仕官の誘いをにべもなく拒絶されて、メリッサは残念そうに顔をしかめた。


「野蛮人か……。非礼極まる物言いだけど、仲間の命を次々と奪っている私たちをそう評したくなる、あなたたちアラジニア人の気持ちは敵ながら分からなくはないわね」


「お前こそ、降参するなら今の内だぞ。俺たちが崇める神ジュシエルはお前たちの神と違って寛容で慈悲深いから、異教徒にも無理に改宗しろとはお命じにならない」


 ラシードがそう言うと、メリッサは物珍しそうに目を丸くする。

 ジュシエル教では異教徒にも改宗を強いたりはせず、人頭税ジズヤを支払って服従することを条件に元の信仰を維持したまま保護民として受け入れるという制度がある。誰もが自分たちと同じ神を崇拝しなければならず、そうしない者は許されざる悪であって成敗されねばならないというロギエル教では当たり前の発想が、必ずしも当てはまらない宗教もあり得るというのはメリッサにとっては新鮮な驚きであった。


「投降すれば、命だけでなく信教の自由まで保障してくれるってこと? それは心の広い神様ね。でも困ったことに、私にはあなたに対して白旗を上げる理由がないのよね」


「お前が勝つから、か?」


「そういうことよ。悪いけどね」


 メリッサが不敵な微笑に口元を歪ませると、ラシードも釣られるようにして嗤った。挑発的な軽口の応酬を終えると、二人は改めて同時に剣と刀を構え直す。


「残念ながら交渉は決裂ね。それじゃ、行くわよ」


「おう、来い」


 ラシードがゆっくりと腰を落として身構えたのを見ると、メリッサは右足をわずかに浮かせて足元に舞う砂塵を蹴り、それから勢いよく走り出して正面から斬りかかった。その場から微動だにせず迎え撃つラシードは曲刀の柄を握っていた右手を蛇のように柔らかくしならせ、その勢いのまま刃を顔の前に振り上げて防御する。


「えっ……!?」


 その時、ラシードが不意に見せた奇妙で独特な腕の動きが、メリッサの古い記憶を呼び起こしてその上に重なった。既に敵の目の前まで接近していた突撃を止めることはできず、そのまま突っ込んだメリッサの剣はラシードの刀に受け止められて甲高い金属音を響かせる。そして次の瞬間、ふと視線を落として相手の胸元に目をやったメリッサは、思わず息が止まりそうになるほどの強い衝撃に襲われたのである。


「どうした」


 自分と切り結んだ状態のまま急に硬直し、唖然となって力を抜いてしまったメリッサの剣を軽く弾いて押し返し、後退させて距離を取り直したラシードが不審そうに訊ねる。


「その首飾り……どうしてあなたが」


 見間違えようはずもなかった。ラシードが首にかけている金色の琥珀のような宝石がついた首飾りは昔、子供の頃にメリッサが作ってあのレオナルドに渡したものだ。この世に一つしかない手作りの贈り物なのだから、彼がレオナルドから貰ったり奪ったり、あるいは落としたのを拾ったりしたのでない限り、他の人も同じ物を持っているということはあり得ない。


「こいつがどうかしたのか」


 先ほどからずっとこの男と間近で相対していながら、なぜ今まで気づかなかったのだろう。栗色の髪と、紫色の瞳。黄色人種であるはずの純血のアラジニア人とは明らかに違う色白の肌。首に見える小さな古傷は、もしかするとあの時の火傷の痕だろうか。武骨で剽悍な戦士の顔立ちの下にも、よく見ればあの内気で繊細だった少年の面影が窺えなくはない。


「嘘でしょ……そんな……まさか……」


 胸元に垂れ下がっていた宝石を掌に乗せて持ち上げ、怪訝そうにこちらをじっと見つめているラシードには、十年前のあのレオナルドの残像が確かに見える。もはや戦うどころではなくなってしまったメリッサは、構えていた剣を力なく下げて隙だらけの体勢のまま呆然とその場に立ち尽くした。


「レオ……様……どうして……?」


 当惑のあまり、気が動転したメリッサは握っていた剣を危うく手から取り落としそうになった。だが、そんなことが本当にあるだろうか。十年前、自分の目の前で怪物に襲われて海中に没し、そのまま遺体は見つからず死んでしまったと思われていたあのレオナルドが――


「危ない!」


 思わぬことに頭の中が真っ白になっていたメリッサは、ラシードが咄嗟に大声で発した警告に迂闊にも反応することができなかった。この時、更に信じ難いことが彼女の背後で起こったのだ。


「うっ……!」


 不意に後ろから首を絞められて、メリッサが呻く。警告の声を上げたラシードも、自分が目にしている光景がにわかには信じられなかった。ヴェルファリア軍の刃に倒れた村人の一人――先ほどラシードが怪しんで様子を観察したあの若い農夫――が突然むくりと起き上がり、まるで幽鬼の如く目を血走らせながら、凄まじい腕力で背後からメリッサに組みついてきたのである。

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