高田と馬場
麓清
第1話 高田と馬場
「俺の彼女が今田美桜だったらなぁ……」
朝、登校してきた馬場はおれの隣の席に着くなり、そういって机に突っ伏した。
独り言なので無視をする。
やつはこれみよがしに、盛大に溜息をついて、もう一度「ああぁー、俺の彼女が今田美桜だったら、最高なのになぁ」と、おれをチラ見する。
こっちを見るな。
だいたい、「俺の彼女が」は、彼女がいるやつのセリフであって、お前に恋人がいたという事実は、この十三年間のうち、一秒たりとて存在していない。
「だったら、どうするんだ?」
嘆息交じりにいうと、馬場はガバっと上体を起こした。
「そりゃあ、毎日手を繋いで登下校してさ、サイゼリヤで時がたつのも忘れておしゃべりするさ! なあ、高田。お前、学校一頭いいんだし、俺の彼女を今田美桜にする方法、何とか考えてくれよ」
無茶いうな。
そもそも、今田美桜は中学二年生じゃねえし、サイゼリヤデートは論争の種だし、繰り返すがお前に彼女はいない。
馬場を他人に紹介するのには、たった二文字で事足りる。
「馬鹿」だ。
4象眼マトリクスで表示するなら、おれとは十字の対角の、さらにその向こうに突き抜けたような男だ。
そんな男とおれがなぜ毎日つるんでいるかといえば、おれとやつの住むマンションが道路を挟んで向かいどうしという他に、少々やっかいな事情もある。
「そもそも、なんで突然、今田美桜なんだよ。つい最近まで広瀬すずだったくせに」
「すずちゃんはダメだ。倍率が高すぎる」
それは、なんの倍率だ?
「それより聞いてくれよ! 俺ん
中学生に初々しいと評されるとは、その人も不本意極まりないことだろう。
「なるほど、それで今田美桜か。悪いが、もしお前が警察に捕まったとしても、おれはお前のことは知らんと言い張るからな」
「待て、どういう意味だ」
「このところ、近隣でストーカー被害が発生していると、地域防災メールが届いてた」
「ん?」
馬場は首を傾げる。
馬鹿だからおれの言葉の意図は伝わってないらしい。
「何の話してるの?」
ちょうどそのとき、登校してきた大久保が会話に割って入ってきた。大きな丸い銀縁メガネの奥の純朴な瞳が、好奇心に輝いている。
「大久保には毒にしかならない話だ。お前はストーカー行為はしなさそうだし」
「……って、俺はしそうなのか! そういうことなのか⁉」
ようやく気付いた馬場が、おれの胸元を掴んで揺さぶる。大久保は乾いた小さな笑い声をあげただけだった。
「そういえばさ」馬場は手を止めると、思い出したように大久保にいう。「このところ毎朝、陸橋のところで電車の写真撮ってる男がいるんだけど、大久保の知り合いか?」
「は? なんでそうなる?」
話に脈絡がなさ過ぎて、おれは眉間にしわを寄せる。
「だって、大久保って電車好きじゃん? だから知り合いかなって?」
んなわけないだろう。電車好きは皆知り合いじゃねえ。
案の定、大久保も困ったように眉をさげた。
「ごめん、全然知らない。っていうか、そんな人いたんだ? 陸橋って四丁目歩道橋だよね?」
四丁目歩道橋は、諏訪通りという道路を越えるための陸橋だ。以前は横断歩道だったけれど、小滝橋から早稲田に抜けるアンダーパス工事で道路が渡れなくなったために設置されたものだ。
山手線や埼京線、西武新宿線が並んで走る線路の数メートル西側に平行していて、その陸橋の付近は、線路沿いに植え込みやガードフェンスが設置されていないため、通過する電車がよく見えるのだ。休日にそこを通ると、電車を見に来たらしい親子連れの姿をよく見かける。
それにしても……
馬場のやつ、そういうところはよく見ているな。
馬場は馬鹿だが、どういうわけか観察眼だけはずば抜けている。
四丁目歩道橋は、おれたちの住んでいるマンションからは通学路にはなっていない。その手前の交差点で西向きに曲がるので、毎朝電車の写真を撮りに来ているヤツがいたとしても、そんな百メートルも先の歩道橋の上の人物なんて、普通なら気にも留めないだろう。
「その電車マニア風の男は、写真を撮っていたんだよな? どんな風だった?」
「どんなって。そうだな、よく野球とかサッカーとかの試合でさ、こんなでっかいレンズつけたカメラマンいるじゃん?」
馬場は両手の間隔を三十センチほど広げると、「それを、こう線路にむけて構えてるわけよ」といって今度は前方に腕をのばし、直角にした親指と人差し指で四角くフレームを作りつつ、片目をつむってその枠を覗き込む。
「ふぅん、なるほどな……」
おれは、無意識につっと自分の唇をつまんでいた。考え事をするときの癖なのだ。
ちょうど、別の生徒が登校してきたので声を掛ける。
「なあ、
「いや。いなかったけど、どうした?」
「馬場がまたしょうもない嘘をついたらしい」
「嘘じゃねえよ!」
馬場が不服そうにいった。
もっとも、おれは馬場が嘘をついているとは思っていない。やつは馬鹿だが、嘘つきではないのだ。むしろ、おれはある可能性を疑っている
おれは通学鞄からスマホを取り出すと、電源を入れる。
「あ、校内でスマホ禁止だぜ?」
馬場は非難めいた口調でいう。おれは「わかってるよ。けど一応、早い方がいい」といって素早く操作して、その画面を馬場のほうに向けた。
画面に表示していたのは警視庁へご意見・要望を送るためのメールフォームだった。
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