アイよりコイよりひとつのココロ

はじめアキラ

アイよりコイよりひとつのココロ

「あ!」


 私は思わず声を上げていた。駅前の通り。目の前を歩く高校生が、ぽろりとポケットからキーホルダーを落としたからだ。

 それは男子高校生が持つにしては少々可愛らしい、茶色のクマのキーホルダーだった。青いリボンを頭に乗せて、楽しげに片手を上げている。


「すみませーん、そこの人!キーホルダー落としましたよ!」


 すぐに拾って声をかけたが、相手の人物は自分だと気づいていないのか歩みを止めない。制服からして、私と同じ学校の生徒だろう。少し駆け足になり、トン、と軽く肩を叩いた。


「!」

「あの、これ落としましたよ、ポッケから」


 驚いて振り向いた彼の顔を見て私も目を丸くした。後ろ姿だけではわからなかったが、その顔は見覚えのあるものだったからである。同じクラスの、天城紫雨てんじょうしう。まだ高校生活が始まって一ヶ月過ぎていないが、クラスでも一際綺麗な顔をしていたので真っ先に名前を覚えたのだった。現金と言いたければ言え、私も女である。


「あ、ありがとう」


 彼は女の子みたいな優しい顔で微笑む。そっとキーホルダーを受け取る手は、指が細くて爪がとても整っていた。ちょっとだけ手先が触れただけなのに、頬が熱くなるような気がしてしまう。多分、向こうは私のように美人でもなんでもないクラスメートの女の子の顔なんて、きっと全然覚えてなどいないだろうに。


「えっと、天城君だよね?同じクラスの」

「うん?えっと……」

「あ、いいよいいよ。まだ覚えても全然仕方ないし。私、小坂魅子こさかみこ。よろしくね」


 これ幸いと顔と名前を覚えて貰おうとする自分はなかなか強かである。ただしここは、そこそこ人通りの多い駅前通り。多少道の端っこに寄ったとしても、あまり長く立ち話ができるような場所ではない。

 とはいえせっかく、クラス随一のイケメンに接触する大チャンスである。そんなことを狙って落し物を拾ったわけではないがそれはそれ、これはこれ。とりあえず、一度話した、覚えてもらったという事実が大切なのだ。


「そのクマさん、可愛いね。どこでゲットしたの?」


 流れで尋ねると、ほんの少しだけ紫雨の顔が強ばったのが分かった。これは、男の子がこんな可愛いものを持ってるなんて恥ずかしい、みたいに笑われたことでもあるのかもしれない。瞬時に察知した私は、慌てて“あのさ!”と続ける。


「私もクマさんとか、マスコット系のキーホルダー好きでたくさん持ってるの!クレーンゲームとかでもついついお金使っちゃうくらい。でもこのクマさんはまだ見たことなくて、どこで手に入るのかなっておもって。私も欲しいなーとか思ったんだけど……あ、言いたくなかったらいいよ、気にしないで!」

「……これは、その」


 紫雨はわかりやすく安堵した表情になると。受け取ったキーホルダーを、なんだか愛しそうに見つめた。もしやこれは、と私は気づいてしまう。紫雨くらい可愛い顔をしていたら、彼女くらいいてもおかしくない。そういう人に貰ったとか、そういうことなのだろうか。

 ならば、傷は浅いうちに撤退するに限る。私の恋心の寿命短いなおい!と内心がっくりしながらも、笑顔だけは取り繕う私。


「お、もしやカノジョさんに貰ったとか!?天城君なら、彼女くらいいてもおかしくないよね、かっこいいから!」

「ち、違うよ、そんなんじゃないよ!彼女なんかいないって!」

「あれ、そうなの?」

「大切な人から貰ったのはそうだけど、彼女とかじゃないし、今付き合ってる人がいるとかでもないし!確か、A駅のとこのゲームセンターで取ったって聞いた気がする。最近俺も行ってないんだけど……」

「う」


 彼女がいないというのなら、それはまあ信じることにして。キーホルダーに興味があるというのも断じて嘘ではなかった私は、別の意味で固まることになった。

 先ほど言ったように、私はクレーンゲームが好きだ。欲しいものを取るために、何百円どころか何千円とお金を使ってしまうこともザラにある。要するに、下手くそなのだ。大抵最終的には、見かねた店員さんが取りやすい位置に移動させてくれたり、アドバイスを受けたりしてどうにか、というパターンばかりなのである。

 またキーホルダー一個ゲットするために、お財布が寂しくなる運命だろうか。やや白目になっていると、どうやら私が何を考えているのか紫雨にはすっかり筒抜けであったらしく。


「……俺も久しぶりに行こうかと思ってたし。今度一緒に行く?クレーンゲーム得意だから、取ってあげられるかも」

「マジ!?」


 まさかのまさか、ものすごい親切な申し出があった。私は内心小躍りしたい気持ちでいっぱいになる。すぐそこの駅前のゲーセンに一緒に行くだけ。デートと呼べるようなものではないかもしれないが、それはそれ。気になる可愛い男子と一緒に遊びに行けるとなって、喜ばない女が一体何処にいるというのか!


――やっりいいい!今日の私、めっちゃツイてる!


 ちょっと落とし物を拾っただけで、まさかこんな幸運が巡ってこようとは。

 不安でいっぱいの高校生活であったが、四月のしょっぱなから思いがけない幸運を用意してくれていたようだ。最高ではないか。




 ***




 気になる子の前では、ちょっとくらいいいカッコ見せたい。それは女子とて同じことなのである。

 紫雨に取って貰えるのも嬉しいが、できれば最高のクレーンさばきを見せて少しは彼を感心させたい。私はそう思っていた――ほんの十分前までは。


「と、取れん……!何故に!」


 彼が言う通り、そこのゲームセンターには同じクマのキーホルダーが入ったクレーンゲームがあった。アームを使ってフックから上手に外して、ホールに落とすというシンプルなゲーム、なのだが。

 言うほど簡単ならば、世の中のゲーマーはこんなにも苦労していないのである。

 まずアームで、景品が入った箱を掴むのが非常に難しい。アームの力が弱いせいで、多少引っかかっただけではまったくフックから箱を引き剥がしてくれないのである。RPGゲームやバトルゲームでいうところの、クリティカル判定が必須といったところなのだ。

 また、どうにか箱を掴むことに成功しても、取り出し口の穴に落とすまでに箱が落下してしまってうまくいかない、なんてこともなくはない。アームのキャッチ力がもう少し強ければ!なんて文句を言ったところでどうにもならないのだが。


「小坂さん、俺やってみてもいい?このタイプのやつならそこそこ得意だし」

「うう、オネガイシマス……」


 結局、紫雨に頼むことになってしまった。二百円を投入し、いざチャレンジ。そこそこ得意、という言葉は伊達ではなかったらしい。彼は箱の隙間にアームを差し込むことでがっちりと固定することに成功、あっさりとたった一度でキーホルダーをゲットしてみせたのである。

 そういえば、クレーンゲームの技の一つとしてこういうものがあるとは聞いたことがあったが(箱をそのまま掴むのではなく、箱の隙間にアームを差し込むテクニックだ)、まさか実践でそれを見ることになるとは思ってもみなかった。


「はい」

「あ、ありがと……!天城君、ほんとゲーム得意なんだねえ……!」


 心の底から賛辞を述べると、彼は照れたように笑って“それくらいしか取り柄ないけどね”と告げた。彼が笑うだけで、心臓が高鳴ってどうしようもなくなる。やっぱり、可愛らしい。半分は母性本能というやつなのかもしれないが。


「天城君にクマさんをくれた人も、ゲーム得意だったの?プレゼントしてもらったって言ったけど」


 だから、自分でも失敗したと思うのだ。いくらもう少し話を続けたかったからといって、よりにもよってその話題を選ばなくても良かったはずなのに。

 彼は一瞬、ほんの一瞬さみしそうな顔をして、すぐにまた微笑んで言ったのだった。


「うん。……ゲーム友達だったんだよね」


 なんとなく私は。彼は、その人のことが好きだったのではないか、と感じてしまった。


――その顔は、ちょっとヤだな……。


 そして、会ったこともないその人物に対して、ひっそりと嫉妬に近い感情を抱いてしまったのである。




 ***




 いきなり一緒にゲーセンに行く、なんてことをしたものの。そこから先、私と紫雨の距離が縮まったかといえば、そんなこともなかった。たまに一緒にゲームセンターに行って遊ぶくらいの仲である。傍から見ると、デートというよりは友達同士でちょっと遊んでいるくらいにしか見えなかったことだろう。その頃にはもうすっかり、私の方は紫雨に夢中になっていたというのに。

 いい加減、好きならば好きと伝えなければどうにもならない。

 しかし、どうにも紫雨には好きな人がいるように見えるし、あるいはかつて好きだった人を忘れられていないようにも見受けられるのだ。その人物のことを解決しない限り、私達の進展はきっと有り得ないのだろうということも薄々感じていたのである。

 転機が訪れたのは、彼と知り合って半年ほど過ぎた頃のこと。

 そろそろコートを本格的に冬物に切り替えるべきか否か、まさにそんな十月の終わりのことだった。土曜日に買い物に出かけた私は、公園の近くで偶然紫雨の姿を見かけることになるのである。


――あれ?紫雨じゃん。どうしたんだろ。


 その頃にはナチュラルに名前呼びをするようになっていた。向こうは呼び捨てではなく“魅子さん”だったので、なんだか若干距離を感じなくもなかったけれど。

 人気の少ない公園で、紫雨はどこかそわそわした様子でトイレに入っていった。しかも、妙に大きなバッグを持って、男子トイレではなく多目的トイレに。

 どうしたんだろう、と思って少し立ち止まって観察していると――彼は数分程度ですぐトイレから出てきたのである。ただし。


――ええ!?


 声を上げなかった自分を、心の底から褒めたいと思う。

 トイレに入る前までは、確かに自分が知っている紫雨の姿であったはずなのに。出てきたその人は――誰がどう見ても、綺麗な“女の人”以外の何物でもなかったのだから。

 まさか、紫雨に女装の趣味があったとは思ってもみなかった。確かに彼は女の子顔負けの可愛い顔をしているし、声もかなり高めの方なので違和感はほとんど無い(どころか下手な女よりずっと美人)だとは思うが。いけないとわかりつつ、私はこっそり後をつけてしまう。


――いや、ひょっとしたら趣味、なんかじゃないのかも。だって……。


 すぐに、私は自分の浅はかさを恥じることになる。小己が、紫雨がきっと知られたくなかった秘密を暴いてしまったことに気づかされたからだ。

 駅前で。女の子にしか見えない紫雨が、背の高い大学生くらいの男の人と会っていた。彼が待ち合わせ場所にやってきた時の紫雨の顔は、初めて見るくらいにキラキラしていて――恋をしている女の子の顔、以外の何物でもなかったのである。

 そこでふっと、理解してしまう。初めて会った時から気になっていた、紫雨の手。男の子とは思えないくらい爪が綺麗に整えられていたし、今思うと透明なマニキュアもしていたような気がするのだ(爪先を保護する透明マニキュアなら、校則違反にはならなかったはずである)。彼は帰宅部で、手先を使うような部活にも入っていなかったはず。それなのに綺麗に整えていたとしたら、それは多分お洒落のために他ならなくて。

 きっと、何もかも。大好きな人に、“女の子”として見てもらいたかったからで。


――ああ、そっか。そういうこと、か。


 何もかも、わかってしまった気がした。

 普通クラスの女の子と一緒にどこかに遊びに行ったら、部活のマネージャーとかでもない限りそれなりに“雰囲気”というものが出来上がるものだ。互いに意識を全く向けないなんてことは難しいだろう。それこそ、子供の頃から当たり前のように一緒に遊びに行っている関係でもない限り。

 けれど私と紫雨は。名前を呼び合っても、一度も“良い雰囲気”になったことなどなかった気がするのだ。それこそ、まるで同性の友達同士であるかのような。理由は単純明快。最初から紫雨の中で、私という存在が、性別が、恋愛対象ではなかったからだとしたら。




『ち、違うよ、そんなんじゃないよ!彼女なんかいないって!』




『大切な人から貰ったのはそうだけど、彼女とかじゃないし、今付き合ってる人がいるとかでもないし!確か、A駅のとこのゲームセンターで取ったって聞いた気がする。最近俺も行ってないんだけど……』




 きっと紫雨は、嘘など言っていない。

 カノジョがいたことなど、ない。

 そして今会っている人とも、付き合っているわけではないのだろう。本当の性別を隠しているか、あるいは友達として会ってもらっているだけという認識。

 彼があんなに愛おしそうに、同じだけ寂しそうにキーホルダーをくれた人の話をしていたのは――その恋がけして報われないと思っていたからなのではないか。


――……うん。わかる、気がするよ。大好きな人に……そもそも恋愛対象にも見られないって、そんなの辛すぎるよね。性別なんか、自分にはどうしようもないことなのに。


 楽しそうに笑う二人の姿が、ゲームセンターがある通りへと消えていく。私はじわり、と滲んだ涙を強引にコートの袖で拭うと、踵を返して自宅の方へと歩き出した。

 明日は、月曜日。明日になったらまた、いつも通り紫雨に“おはよう”と言おう。

 伝えようと思っていた恋心は、ぎゅっと胸の奥に封じることに決めて。今の関係が壊れてしまったり、優しい彼を無駄に苦しめてしまうくらいなら――自分達はずっと、“同性のような友達”のままでいい。


――だって私、紫雨のことが、好きなんだもん。好きな人の心が大事にできないような恋なら……そんなの、無い方がいいに決まってるんだから。


 そう、明日は。明日になったら。だから。


――だから、今日だけ。今日だけちょっと、泣いてもいいよね。


 バッグには。

 あの日紫雨から貰ったキーホルダーが、大切にしまわれている。多分明日からも、ずっと。

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