第16話
「『じゃあ、今までのは全部嘘だったって…………こと?』」
「『…………ああ、そうだ。俺は嘘つきだよ。俺が君に話してきた俺の過去はほとんどデタラメだ』」
「『何で、そんなことを…………』」
「『君を、死なせたくなかった』」
「はいストップ~!」
木崎さんの中断の合図と共に僕とレモンは大きく溜息をついた。
「木崎先輩、今のどうでした?」
「さっきよりは良かったと思うよ~。でも実践レベルかというと…………まだまだかな」
「ですよね~」
レモンも自分の演技力が求められているものと比べて大きく劣っていることは自覚しているみたいだ。
「それにしても先輩!なんでそこそこ演技上手いんですか!」
「あ、確かに~。私も想像してたより上手くてびっくりしちゃったよ」
「俺も同意だな。経験でもあるのか?」
僕はレモンに巻き込まれる形で読みあわせを手伝っていた。本当は断るつもりだった。というか実際に一度断った。しかし、あまりにも進歩しそうにないレモンの演技と尽力をつくしてくれている木崎さんと井上先輩の姿に良心が痛み、嫌々の渋々ではあるものの読みあわせの相手をしていた。
「なんでって言われてもなぁ…………こいつ《男主人公》ならこういう風に言うかなって思ったことをやってるだけですよ」
「それが出来たら苦労しないんですよー!!」
「まあまあレモンちゃん。ちょっとずつでも上手くなってるから頑張ろう?」
レモンに比べて僕の方はそこそこ演技が出来るらしいと分かった。もちろん本職には遙か及ばないが、レモンとの間にも大きく隔たりがあるくらいの実力である。
「でも僕自身演じてみて、何でレモンが演技できないのか分かってきたよ」
「推理ですか!?」
この推理オタクめ。隙を与えるとすぐこうだ。
「いや、ただの想像だよ。と、いうかこれも一つの理由なのかな」
「どういうことですか?」
「あ、今のは気にしないで。それで、レモンが下手な理由なんだけど、簡単に言うとレモンはヒロインの気持ちを全然分かってないんじゃないかな」
今回の演劇で用いられている
これが物語の冒頭部分である。この時点でヒロインの気持ちは揺らいでおり、演技をするには上手くそれを掴まなければならない。
しかしレモンにはそれが出来ない。なぜなら彼女は他人の感情を考えることに慣れていないからだ。
「そんなことないと思うんですけどね…………」
「じゃあ、一つ試してみよう。さっきのシーン、ヒロインの子はどういう気持ちだったと思う?」
「悲しかったんじゃないですか?」
「そうだね。でもそれはどういう悲しさ?」
「どういうって…………泣いちゃうくらい?」
「じゃあ、どうして悲しかったんだと思う?」
「それは簡単です。嘘をつかれたからです」
「それをふまえてどんな演技をするべきだと思う?」
「悲しい気持ちを表現するために沈んだ声を出します」
「はいオッケー。ところで木崎さん、井上先輩。今の答えをどう思いますか?」
質疑応答が終わったところで演劇の先輩方に聞いてみる。
「え~っと…………間違ってはないんだけど…………」
「浅いな」
そう、浅い。レモンのヒロインへの理解は間違ってこそいないものの浅いのだ。
「とのことだ。レモン、それをふまえて君の感想は?」
「納得いきません!」
「だと思った。じゃあ、納得出来るように説明してあげる」
そして一番の問題はそれをレモンが理解できないということにある。だから僕がどうしてか、かみ砕いてレモンにも分かるように説明してあげる必要があった。
「めちゃくちゃ簡単に言うと、レモンは論理的過ぎるんだよね」
「論理的思考が出来るのはいいことじゃないですか」
「もちろん論理的である事が悪いことだとは言っていない。でも、レモンのは極端だ」
レモンは推理オタクである。何でもかんでも推理に結びつけようとする。先ほどだってそうだ。つまり彼女は推理をするために論理的であろうとし、実際に論理的である。
では彼女における推理とは何なのかといえば、それは事実の積み重ねによって、隠された事実を浮き彫りにすることを指している様に思う。逆に言えば、レモンは事実ではない事柄を推理に持ち込まない。
では他人の感情は事実であると言えるだろうか。
「答えはNoです。感情は行動から読み取るしかありません。しかし、それでも正確に読み取ることは不可能です」
「そうだと思ってたよ」
つまりレモンにとって他人の感情とは“想像”によって推し量るしかないもの、信用に足るものではないという結論になる。
でも彼女にとって感情は全て無意味な物かといえばそうではない。
「いや、私はアンドロイドじゃないんですから。人は感情によって動く生物ですし、推理の際動機を考えるためには感情を読み取ることも必要です」
「その答えがもはやアンドロイドなんだけど」
ではアンドロイドレモンが他人の感情を理解するためにしていることとはなんだろう。
正解は“小説を読むこと”である。レモンはたくさんの小説を読むことで一般的にこういう場面では人はこういう感情になるのだという経験を小説から摂取しているのだ。そして実際に似たような場面に出くわしたとき、一番可能性が高い感情をあてはめて思考する。
なぜならそれが一番論理的だからである。
だから彼女の感情理解は一般論を離れられず、人間の感情特有の揺らぎを上手く捉えられない。
それはレモンの受け答えにもそれは表れている。レモンは悲しいときにどう演技するかという質問に「悲しい気持ちを表現するために沈んだ声を出します」と答えた。
そんな訳あるか!という話である。悲しい気持ちの時なんて一番感情に振れ幅があるだろう。泣くこともあれば怒ることもある。しかし、レモンの経験上、悲しいときは沈んだ声を出す“可能性が一番高い”のである。だからそれに従って低く平坦な声を出していれば正解の可能性が高い。だからレモンの演技は棒読みに聞こえていたんじゃないか。
「と、ここまでが僕の想像。推理じゃないよ。だって間違ってるかもしれないもの」
「まぁ、先輩が言うなら多分そうなんでしょうね」
「他人事みたいに言わないでよ」
木崎さんと井上先輩は僕たちのやりとりに対し、何を言っているのか分からないといった様子で呆然としている。少しかみ砕いて説明しなければいけなさそうだ。
「えーっとつまりですね…………レモンは感情を場面ごとの統計で考えるようにしているので、70%の正解くらいは出せるんですけど、100%は難しい、みたいな感じですかね?」
「なるほど。いや、なるほどと頷いてもいいのか?これは」
井上先輩が首をひねる。その感覚は間違っていないと思う。
「う~ん。理屈自体は理解できた、と思うんだけど。なんでそうなるの?とは思っちゃうかな」
「過去、他人の気持ちに配慮してたら酷い目にあったことがありまして」
「わっ!思ったより重い話だった!軽々しく聞いてごめんね!」
「ああ、いいんですよ。私はもう気にしてませんから」
なんだかレモンの闇を垣間見てしまった気分である。過去何があったのかはストーリーとして面白そうだから聞いてみたい気持ちはあるが、あまり余計な詮索をするのはよくないので我慢しておこう。
「その話は気になるが、今は梶本の演技についてだ。感情を読み取れていないのであれば、やはり台本を深く読み込むほかないんじゃないか。それとも東野はいいアイディアがあるのか?」
井上先輩が話を元に戻す。それに関しては一つアイディアがあった。
「多分、一度正解の演技を見るのがいいと思うんです。自分で解釈できないとしても、誰かの演技を真似するのは出来るんじゃないでしょうか」
「なるほど。梶本が出来ないのは自身で演技の方向性を決めることだとすれば、初めからここはこう演じると指定してやれば良い、と。でも、正解の演技となると…………」
井上先輩は言葉を詰まらせた。正解の演技が出来る人物に心当たりはあるものの、彼の立場からは口に出しづらかったのだろう。だから僕が代わりに言うしかない。
「つまり浅利先輩にお願いして演技を見せてもらうということです」
「ひろちゃんに!?」
「うん。そしてその橋渡しは申し訳ないんだけど木崎さんにお願いしたいんだけど」
「ま~、そうなるよね…………ちょっと聞いてみる」
木崎さんは自身のスマホを持って部室の外へ出て行った。どうやら電話で交渉するらしい。
それを見届けると同時にレモンが近くに寄ってきて僕にしか聞こえない程度の声で尋ねた。
「先輩、さっきの話これが狙いだったんですか?」
「いいや、半分成り行きだよ。浅利先輩とどうにか直接話が出来ないかとは思ってたけど」
「それは私も同じですけど、浅利先輩は受け入れてくれるでしょうか。浅利先輩からすれば、正式に部活に入部したわけでもない私のために時間をとって演技を見せる義理はないはずです」
「そうだけど、もしかしたら木崎さんからのお願いだったらチャンスがあるかなって」
「親友のお願いならってことですか」
話が切れた所で木崎さんが部室に戻ってくる。彼女は不思議そうな顔を浮かべていた。
「どうだった?」
「えっと、おっけーだって。でも…………」
「どうかしたの?」
「いや、断られると思ってたから。意外で…………」
気まぐれか、それとも他の狙いがあるのかは分からないけれど、僕たちはようやく元凶の彼女と対峙することが出来そうである。
「あ、あと今からひろちゃんの家に行くことになりました」
「今から!?」
いきなりラスボスのダンジョンに突入は聞いてないんだけど。
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