第14話

「ねぇレモン」


「はい」


「木崎さんが悲しむ結末じゃなかったのは良かったけどさ」


「はい」


「余計訳が分からなくなってない!?」



 僕は頭を抱えていた。



 僕たちは今日一つの仮説を立て、その仮説が間違っていることを証明した。しかし、そこで判明した事実は思ったより僕たちにとって厄介なものだった。



「つまりさ、浅利先輩が髪を切ったのがペンキの件よりも前に起こったことだとしたら、浅利先輩が見つけた劇の“破綻”っていうのはまた別に存在することになるんだよね?」


「そういうことになりますね」


「だとすれば、もしかしたらペンキの件は浅利先輩の件と全くの別件だったなんてこともあり得るってことじゃない?」


「可能性はありますね」



 二つの出来事に因果関係がなく、それぞれが別個に、そして偶然同じタイミングで起こったのだとすれば、今まで僕たちが調査してきたことは何の意味も為さなくなる。それは考え得る限りで最悪だ。



「でも、大丈夫です」



 しかし僕の不安は一刀両断される形となった。やけに自信ありげなレモンの声に思わず「本当に?」と聞き返す。



「何で疑うんですか!先輩、そんなに絶望する必要はありませんよ。まだ一つの仮説が否定されたにすぎません。そしてその過程で新たな情報を得ることも出来ました」


「山本先輩がペンキを撒いたのは土曜日の早朝だって情報のこと?それだけじゃ、謎は深まるばかりのように思えるけど」


「それがそうでもないんですよね~!現に私の頭の中には次の仮説が完成しています」



 まだ一つの仮説が否定されただけ。確かにそう考えれば大したことではないように聞こえてしまうから不思議だ。何事も捉え様の違いか。僕には絶望的にしか思えなかった現状はレモンにとってみれば進展しているようだ。



「でもその仮説を紹介する前にまず、“浅利先輩と山本先輩が付き合っている”という噂は実際の所どうなのかについて意見を聞かせてもらえませんか?」


「実際の所、か…………」



 思い返せば浩から噂の存在を聞いたとき、欠けていた動機というピースに当て嵌まることだけを重視して、内容の精査は後回しにしてしまっていた。本当に浅利先輩と山本先輩は付き合っているのだろうか、とよくよく考えてみるとすぐに答えは出た。



「うん、嘘だね」


「その心は!」


「もし本当なら木崎さんがそのことを知らないとは考えづらいと思う」



 木崎さんによれば、二人は休日も行動を共にするくらい仲がいい。部活も一緒、帰宅も一緒、休日も一緒。だとすれば浅利先輩はいつ彼氏との時間を作っているのかという話にもなる。



 それにそんな大きな隠し事をされるくらいの仲であるようには思えなかったし。



「それと…………陰口になるから嫌なんだけど、山本先輩ってペンキの件で皆に迷惑をかけたにもかかわらず、だんまりを決め込んでるわけでしょ?それに恋人である浅利先輩が部内で嫌われ者になっているのに庇おうともせずに更に自分の罪まで着せている。その上代役にレモンを勧誘、と。流石にこんな性格の彼を浅利先輩が選ぶとは到底考えづらいというか」


「先輩めっちゃ言いますね。いえ、私も同じ事思ってはいるんですけど」



 少なくとも山本桂利という男、性格はあまりいいとは言えないだろう。



「だとすれば、浅利先輩と山本先輩が付き合っているとかいう噂はどこから出てきたか、という点は調べておく必要があるかもしれませんね」


「そう?僕には噂の出所が重要だとは思えないんだけど。美男美女が同じ部活にいるんだから、そういう噂は自然と出来てもおかしくないと思うよ」


「先輩の言いたいことも分かります。けれど、自然に発生したのだとすれば時期がおかしいと思いませんか?」


「時期?」


「火のないところに煙は立たないと言いますし、根も葉もない噂であっても、その噂が生まれることになったきっかけはあるはずです。例えば昨年行われたコンテスト、もしくは文化祭での公演のすぐ後とかであれば、そういった色恋沙汰の噂が流れるのも当然かと思います。だから今回は、新学期になったとはいえ、新歓前に噂が発生するのはおかしいと思うんです」


「なるほど」



 誰かと誰かが付き合っているなんていう噂はありふれているし、特に浅利先輩と山本先輩ぐらい学内の有名人なら当然噂になるんじゃないかと考えていたけれど、流石に何もないのにいきなり付き合っているという噂が生まれるとは考えにくい。



「噂を流した人が何か誤解してしまうような何かが二人の間で起こっていたかもしれない、と」


「はい。だから、もっと遡って二人の関係と噂の出所を調べるべきだと思うんです」



 手元のメモにこれからの行動指針として二点をかきこむ。噂の出所についてはもういちど浩に話を聞いてみる必要があるかもしれない。



「おっと、少し話が脱線していました。閑話休題としましょうか」



 脱線していたのか。気づかなかった。



 気づいた事とすれば、閑話休題が正しい意味で使われているなぁ、ということぐらい。



「さて、この話を先にしたのは他でもなく、これから話す仮説において二人は付き合っていないということを前提とするからです」



 レモンはこほんと一つ咳払いをした。どうやら探偵モードに入ったらしい。



「さて、先輩。山本先輩はどうして朝早くに部室に来ていたんでしょうか」



 レモンの問いかけはそう驚かされるものでもなく、僕だって考えついた疑問点のうちの一つだった。先週の土曜日、井上先輩が部室に来たのは午前十時半頃。そしてそのときにペンキはまだ乾いていなかったのだから、山本先輩が部室にいたのは午前七時半より後である。



「仮説として先に来て演技の稽古をしておきたかった、とかはどうだろう」


「それならわざわざ部室内に入る必要がないと思いませんか?」



 続けてレモンは詳しい説明を述べた。公演を控えた土曜日の朝の部室内は、まだ運び出されていない大道具や小道具、衣装などで溢れかえっており、お世辞にも演劇の練習をする場所としては不向きである。それなら中庭であったりだとか、教室を一つ借りるなどすればいいということだ。



 レモンの論は腑に落ちるものだった。わざわざ鍵を取りに行ってまで部室に侵入したのには何か合理的な理由があるはずだ。



「レモンには予想ついてるんでしょ?」


「ええ、山本先輩は探し物をしていたんじゃないでしょうか」


「探し物?」



 ヒントをもらってもピンと来なくて、レモンの言葉をオウムのように繰り返す。



「ほら、山本先輩の関わるもので一つ紛失していた物があったじゃないですか」


「え?え~っと…………あ!そうか!“手紙”!」



 そういえばレモンが西峯さんから手紙が紛失したという話を聞いていた。たしか気持ちを込めるためとかいう理由で山本先輩が手書きしていたんだったか。



「正解です!きっと山本先輩はどこかから山本先輩が書いた手紙が紛失したということを聞いて探しに来ていたんです」


「ちょっと待ってよ。手紙がなくなったから探すのは分かる。でもどうしてそんな朝早くに。まるで誰にも見つかりたくないみたいじゃないか」


「はい。そのとおりです。誰にも見つかりたくなかったんですよ」



 早朝に一人で部室に来る。それは今朝の井上先輩と全く同じで、何か後ろめたいことを秘匿しようとしているからとしか考えられなかった。しかし、一体どうして。その疑問についてもレモンは答えを用意しているようだ。



「その手紙、気持ちを込めたいから自分で書きたい、なんて理由をつけて山本先輩が手書きしたそうですが、だからこそ手紙の内容は誰にも見られていないわけです」


「そうか!それなら、山本先輩が台本通りに書いたかどうか誰も知らないんだ!」


「ほぼ改変されているでしょうね。西峯先輩によれば笑ったり悩んだりしながら書いていたみたいですから」


「台本通りに書くだけなら一喜一憂はしない、か」


「つまり何かしら後ろめたい工作を手紙の中に秘めたのではないでしょうか」


「それは一体…………?」


「さぁ、何でしょうね。そこまでは分かりかねます。ただ碌なものじゃない気はしますけど」



 レモンは仮説と言ったが、僕にはそれが真実に思えて仕方がなかった。もしこの手紙が本当だとしたら僕が頭を抱えることになった一つの問題点が解消されることになる。



「もしかして、今回の公演の“破綻”って…………」


「はい。十中八九、手紙の内容が関係しています。浅利先輩は手紙の内容を確認し、その内容が今回の公演を台無しにするものであると気がついた。だから浅利先輩は髪を切ることで公演を中止にすることにした。手紙が紛失したのは浅利先輩が持ち出したからだと考えると辻褄が合います」


「てことは、その手紙の中身さえ分かれば!」


「ほとんど事件は解決したも同然、と言いたいところなんですけど」



 レモンの溜息が聞こえた。



「問題となるのはまたもや動機なんですよ」


「動機?また?」


「また、です。先ほどの仮説が真実だとすると問題があるんです」


「問題って?」


「また浅利先輩が山本先輩を庇っている構図になるんですよ」



 浅利先輩は手紙の内容を見て告発するのではなく、盗み出した上で髪を切って公演を中止に導いている。ということは浅利先輩は本来山本先輩にあった罪を自らが背負っている形になるのは変わらない。



「でも、先ほどの前提から二人は付き合っていない。木崎先輩の話を聞く限り、浅利先輩が山本先輩を身を挺して庇ったというのは考えづらいです」


「つまり浅利先輩は別の理由で手紙を持ち出した、ってことになるよね」


「はい。でもそれは今は考えても無駄かもしれませんね。手紙の内容が見られるならもっと簡単なんでしょうが、直接頼んでも見せてはもらえないでしょうね」



 頼んで見せてくれるくらいなら、最初から皆に開示して責任を追及しておけばいい。



 それは一体――――と考え込んだ所で、手元のスマホが一度震えた。画面を確認すると充電がもうそろそろ切れそうになっていた。



「ごめん、レモンそろそろ充電が」


「そうですね。今日は朝早かったですし、もう眠いですからちょっと早いですが解散にしておきましょうか」


「そうだね。また明日。おやすみ」


「おやすみなさい!」



 通話を切ってすぐ、抗いがたい眠気が瞼を攻める。今日も濃い一日だったから、今朝かなり早起きしたことは頭から抜けていた。



 布団に潜り込んで、うつらうつらとしているといつの間にか寝に入っていた。



 僕ももう少し頑張らなきゃなぁ、なんて寝る前に考えていた。

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