第3話

「一つ目、髪を切るにしても時期がおかしいの」



 木崎さんは①と書き、その隣に数学の授業でよく用いられる数直線のような線を一本引いた。



「まず、ひろちゃんが髪を切ったのは4月16日の金曜日のこと。これは4月19日の月曜日、つまり昨日に予定されていたクラブ勧誘の解禁日であり、私たち演劇部が毎年恒例の新入生歓迎のための演劇を行う大事な日のわずか3日前のことになる」



 直線に4月16日と4月19日の二つの線が縦に引かれる。



「演劇部は毎年新入生歓迎の劇は皆に興味を持ってもらえるようにって恋愛系のものをするんだけど、当然ひろちゃんはメインヒロインをすることになったの。それが決まったのは今年の2月のことだから、もう随分前のことだね」



 ずっと左に2月の縦線と配役決定の文字が書かれる。



「でも、ひろちゃんがあんなに髪を短く切ったことで、メインヒロイン役はできなくなっちゃったの。急なことだったからウィッグも用意できなかったし、そもそも部内でひろちゃんへの不信が爆発して、そのまま続けられる状態ではなくなっちゃって。だから19日の公演は急遽中止になったの。代わりに最終日の30日の金曜日に上演することになった」



 19日の公演予定の文字が赤のチョークでバツを付けられる。そして新たに30日のの縦線と『上演』の文字が書かれた。



「だから髪を切ったのがただの気まぐれであるというのは考えづらい、と思うの。ここまでで何か気になることある?」


「私は特に異論ありませんが、先輩はいかがですか?」


「僕も特に」


「じゃあ続けるね」



 続けて②と書かれる。



「二つ目は性格面の根拠なんだけど…………」



 木崎さんは箇条書きで几帳面、完璧主義、こだわりが強いと書き込んだ。



「大体私が思うひろちゃんの性格がこんな感じなの」


「なるほど、几帳面に完璧主義にこだわり…………それでは浅利先輩がただの“気まぐれ”で髪を切るのは考えづらいですね」



 僕は浅利先輩のことはミスコンや演劇で見たことがある程度で、内面はよく知らない。ただ、木崎さんの話を聞く限りではかなり取っつきづらそうな印象を受ける。



「ひろちゃんがそんな感じなのは一度でも接したことのある人なら誰でも知ってると思うよ」


「へー!随分、分かりやすい性格なんですね」



 レモンが素直な感想を口にする。対して木崎さんは曖昧な笑顔で頷いた。



「まぁね。いい意味でも悪い意味でもはっきりしてるから」

 

「それはどういうことですか?」


「ひろちゃん、興味あるものと興味ないものでは態度が全然違うの。演劇とか、役作りに必要なものへはとことん突き詰めるのに、それ以外だと話しかけられても返事しないこともあったりするの」


「それはまた、独善的ですね……」


「そこがまたひろちゃんのいいところの一つではあるんだけどね。今回の件がおこるまでは演劇部のメンバーからは軒並み尊敬されてたくらいだから」


「そんなにすごい演技をするんですか?」



 レモンの目線がこちらに向く。去年の文化祭に一度彼女の演技を見た僕に意見を求めているらしい。



「多分、すごかったんだと思う」


「多分ってなんですか、多分って」



 レモンのじとっとした目線が突き刺さる。



「仕方ないじゃない。僕は演技のことなんか詳しくないんだから。でも、周りで見てる人で泣いてる人もいたから上手いんじゃないかと」


「究極的に客観的な意見ありがとうございます」



 すっごい皮肉を言われた。しっかり心に刺さる。



「東野くん、演技の良し悪しは勿論テクニックもあるけれど、そんなに難しく考えなくてもいいんだよー」


「そうなの?」


「うん。東野くんはひろちゃんの演技を見てるときに『あ、演技っぽいな』って思った?」


「そんなことは一度も思わなかったよ」


「じゃあ、いい演技だったってことだね」


「それだけで判断できるんだ」


「演技っぽいと思われるってことは、それは逆に"浮いちゃってる"ってことなんだよ。演じる役がまるで本当にそこにいるかのように自然に振る舞うことができるなら、それは上手と言えるんじゃないかな」


「確かに」



 演技っぽくないから、演技が上手い。なるほど納得できる論理である。



 よく洋画の吹き替えなどで、芸能人を起用すると、周りの声優との差で浮いてしまうことがあるが、そんな感じだろうか。



「ひろちゃんは演劇部の中でも随一の演技力だったし、周りにも色々教えてくれるから、みんなから慕われてた、んだけど……」


「でも、今回の自己中心的な行動には流石に怒りを買った、ということですね?」


「そういうこと。今は村八分みたいな感じでひろちゃんの居場所がどこにもない、みたいな感じになってる」



 周りの皆が怒り狂うのも納得できる。演劇部の公演は大体一年に二度から三度しか行われない。それは大道具、小道具の準備や脚本の準備、そして役者の練習に月単位で時間がかかるからだろう。



 話を聞く限り今回の公演は2月から準備していたわけだから、浅利先輩は何の意図があったのかは知らないが、演劇部全員の凡そ2ヶ月から3ヶ月間を台無しにしたとも言えよう。



「木崎先輩は怒ってないんですか?」


「う〜ん……複雑な気持ちっていうのが正直なところ。怒りの感情よりも困惑の方が強いかな。あまりにも予想外の出来事だったから」



 本当に仲の良い友達だからこそ、うまく怒ることができないところだろうか。よしんば本当に浅利先輩が単なるきまぐれで今回の公演をぶち壊したとして、すぐに好き嫌いのベクトルが反転してしまうほど、弱いつながりではないのだ。



「三つ目の理由に進むね」



 ③、髪は女の武器である。



 黒板に唐突に現れた格言のような言葉に僕は少なからず驚きの感情を抱いていた。それはレモンも同じようで、頭の上にクエスチョンマークが見て取れた。それも当然、前二つの理由とは雰囲気が全く異なっているからである。



「あの、それは一体…………?」



 レモンの至極当然な質問が飛ぶ。



「ひろちゃんのお母さんの教えなんだって」



 木崎さんは少し憂えた表情で答えた。



「お母さんの教え、ですか」


「そう。ひろちゃんのご両親ってひろちゃんが小学生だった頃に離婚しているらしくて、今はお父さんの側が親権を得て、お父さんと二人暮らししているんだ。それで、お母さんと一緒に暮らしていた時によく言われてた言葉が『髪は女の武器である』らしいの」


「なるほど、だからあれほど綺麗に髪を伸ばしていたんですね」


「うん。ひろちゃんはお母さんの教えを何より大事にしていて、自分の髪を宝物のように扱ってたの。それこそ平安時代の貴族さながら。私はそんなこだわりなんかこれっぽっちもないから、朝寝坊したときなんか整えるのを諦めて家を出ることもあるんだけど、そういう時はいつもひろちゃん機嫌を損ねてお小言を言われたりもするよ」



 髪は女の武器である。日常的に聞くフレーズではないものの、どこかで一度は耳にしたことのありそうなフレーズである。シャンプーやコンディショナーのコマーシャルで用いられていたとしても不自然ではない。



 もし、浅利先輩が母が彼女に残したその言葉を大切に思っているならば、今回彼女が髪を切った事実はよりいっそう違和感を生じさせるものとなるだろう。



「一旦ここまでのまとめをするね。一つ目、時期の問題。ひろちゃんが髪を切ったのは大事な公演の3日前。二つ目は性格の問題。几帳面で完璧主義なひろちゃんが、ただの気まぐれで髪を切るとは思えない。三つ目、髪は女の武器である。ひろちゃんが大事にしている言葉がこれである。つまり…………ひろちゃんは嘘をついていることはほぼ確実ってことだね」



 認めがたいであろう事実をはっきりと言い切った木崎さんの言葉に僕たちは返す言葉もなかった。



「だから、私はひろちゃんが髪を切った本当の理由が……ううん。違うね。私はひろちゃんがどうして私にまで嘘をつくのかが知りたいの」



 覚悟に満ちた彼女の凛とした目が僕たちを見つめる。



「ひろちゃんは私に何も言わなかった。冗談めかして何度も質問してみたけれど、笑ってはぐらかされるだけだった。今までこんなことはなかったの。お互いに本音で接してきた」



 木崎さんは深々と頭を下げた。



「何度もどうしてだろうって考えたけど、全然分からなくて!だから、意味の分からないお願いだとは思うけれど、力を貸してほしいの!」



 下を向いた彼女の表情は見えないけれど、きっといい表情ではないだろう。



「私は勧誘が止むならぜひとも!それに面白そうな謎ですし!」



 レモンは何の躊躇もなく答えた。なんとなくレモンはそうするんだろうと思っていた。



 レモンが「先輩はどうしますか?」と聞く。



 正直、僕はレモンほど勇んで謎に取り組もうというやる気はなかった。レモンと共に手紙の謎を解いたあの日から数日がたって、自分の中では探偵ごっこをもう一度やろうという気にはならなかった。



 桜さんの手紙については浩のためだから頑張っただけだった。僕の数少ない友達の頼みだったからだ。その中で一度、浩との関係性が壊れてしまう可能性があった。最後の最後に全ての真相が明かされたのは、もはや奇跡ともいえるだろう。



 僕の母が桜さんの実家の塾で浩を見ていなければ。桜さんの家で文也さんの怒りに気づけなければ。文也さんが浩と美穂さんを許さなければ。



 そして何より、野球部のグラウンド、桜の木の下にレモンがいなければ。



 一つ一つが偶然という名の奇跡の積み重ねで、僕は運良くそれらを拾い集めて真相に至ることが出来ただけだと思った。



 つまり、僕にはどうしてももう一度同じ事ができるとは思えなかったのである。中途半端に手を出せば、もしかすると今度は木崎さんと浅利先輩の関係を壊すだけ壊して終わり、なんてこともあり得る。



 だから僕は――



『ああ、桜が苦手なんだよ』



 ふと浩の嘘が頭に蘇る。



 木崎さんと僕はよく似ているのかもしれない。唯一とも言える大切な存在に裏切られて、どうしていいか分からないのだ。



 浩の嘘は僕へのSOSだった。だったら浅利先輩がついた嘘は?



 あの時たまたま桜の木の下にいたレモンが僕の奇跡となったように、僕たちが木崎さんの奇跡になるかもしれない。



 そう考えると答えは一つだった。



「僕も、力を貸すよ。でも、何も分からないかもしれない。それでもいいなら」


「お願いします!」



 他人の関係性を自分事として考えられるほど僕は強くないけれど、今回は少し頑張れそうな気がした。

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