乙女の髪は春風に吹かれて

第1話

「レモン、最近何かあった?」



 放課後、いつも通り目の前の席に座って本を読むレモンの表情がいつもより暗いことに気づいた僕は思わず声をかけた。レモンは気持ちが顔に出やすい。恋愛小説を読んでいる時はずっとニコニコしているし、ホラーを読んでいる時は薄く目を開けて恐る恐るページをめくったかと思えば、露骨に体を跳ねさせる。



 だから今日のレモンを見れば何かがあったのは一目瞭然なのだ。恋愛作品を読んでいる彼女の表情が暗く曇ったまま変わらないのだから。



「ああ、えっと、まあ、大したことじゃないんですけどね」



 僕の問いかけに顔を上げたレモンは歯切れの悪い返事を返した。らしくない、それに尽きた。



「最近部活の勧誘がうざ・・・・・・凄くて、ちょっと疲れてるんです」


「ああ、なるほど、もうそんな時期だっけ」



 四月も下旬に差し掛かり、徐々に新しい学校生活に慣れ始めた新一年生のクラブ活動が解禁された。一部の運動部は特例で入部を受け付けていたものの、ほとんどのクラブはここがスタート。これからゴールデンウィークが始まるまでの十数日間は勧誘合戦が始まるのだ。



「五月入るまでは続くから諦めたほうがいい」


「ええ〜。この一日二日でも結構疲労感あるんですけど、あと十日間くらい耐えなきゃいけないってことですかぁ?」


「そうなるね。少なくとも去年の僕はそうだった」



 思い返してみると、こんな僕ですらある程度声をかけられる状態だった。運動部から文化部から様々な部活、同好会たちが読書の邪魔をしてくるから、非常に不快だったことを覚えている。もとよりどの部活にも入部するつもりがなかったため、返事すらせずに本を読んでいたらいつの間にか五月に突入していた。



 五月に入ると皆、暗黙の了解として過激な勧誘は行わないようになる。なぜなら、クラブに所属しようと考えている学生は四月のうちにほとんどがどこかのクラブに所属を決めているからである。



「それで、どこか良さそうなところはあった?」


「いえ、別にどこも」


「そっか、じゃあどこにも入部しない感じ?」


「今のところはそのつもりです!あ、もし先輩がどこかに所属しているならその限りではないです!」


「僕は帰宅部に所属していてね」


「じゃあ私もそうします!」



 つくづく奇特な後輩だなあ、と思わされる。浩の一件があってからレモンは僕に過剰なほどの懐き具合を見せている。というよりかは僕以外に興味がない様子である。それが見ていて少し危なっかしい。



 だからだろうか。彼女が強くこちらに近づいてくればくるほど、少しずつ彼女への感情が恋愛のそれではないのだと自覚できてしまうのは。



 なぜならレモンが何故僕なんかにこれほどまでに強い興味を抱くのかが分からないからだ。確かに桜の手紙の謎を結論づけたのは僕だという自覚はある。けれど、そこに至るまでの障害を突破したのはレモン一人の力だった。



 なぜ好かれているのか分からない。だからレモンの好意が少しだけ怖い。



「それにしても、この学校はどれだけ部活があるんですか!ひっきりなしに勧誘がやってくるんですけど!」


「えーと、確か部活も同好会も30くらいあるんだったかな。合わせると60団体ってことだね」


「部活も同好会も多いですね。そりゃひっきりなしに勧誘がくるわけです・・・・・・でもそもそも部活と同好会って一体何が違うんですか?」


「簡単に言えば人数と実績かな。同好会は二人から設立可能で実績はなくてもいい。対して部活は十人以上の部員が必要だし、何か一つでも実績がないといけない」


「実績作るのって難しくないですか?」


「実績って言ったって別に大会で優勝しなきゃいけないとかそういうんじゃないよ。運動部だったら大会出場実績とか、ちゃんと活動している証拠があればいいんだ」


「それなら簡単ですね」



 ちなみにうちの学校は部活と同好会は全くの別物であるため、二つまとめて表現したい場合は“クラブ”という表現をもちいるのが一般的になっている。



「つまり、同好会が部活に昇格するために一番ネックになっているのは人数の問題で、十人集めるのがなかなか難しいらしい」


「なるほど。十人となるとそこそこ大変ですよね」


「うん。うちは兼部は認められるけど、幽霊部員が多いクラブは抜き打ちで入る生徒会の監査に引っかかるからより厳しいと言えるね」



 うちの高校の生徒会はクラブ活動の管理という面で教師側から一定の権利を譲渡されている。主な活動は監査であり、部活を同好会に格上げ、逆に同好会を部活に格下げするために、毎日どこかのクラブを訪れては審査を行うのだという。



 活動内容が誰かの粗探しばかりだからか、部活と同好会の当落線上にいるクラブの面々からは畏怖の感情を抱かれることもあるのだとか。



 怖がられるような性格してはないんだけどなぁ、と生徒会長の彼女のことを思い浮かべる。そういえば最近めっきり話をする機会もなくなってしまった。それも仕方ないだろう。彼女は生徒会長であり、受験生なのだから時間はない。



「というか、そもそも何でどこも部活に拘るんですか?同好会でも楽しければ良さそうですけど」


「それは単純に部費の問題かな。同好会は学校から支援が出ないから大会に出るとしても交通費が自腹だったり、備品も自分たちで揃えなきゃいけないから」


「お金の問題ですか。結構みんな切実なんですね」


「学生はほとんどみんな金欠だからね」



 ほとんどの学生はお小遣いを切り詰めてようやく欲しいものが買えるくらいの生活なのだから、クラブ活動にかかるお金まで自分の懐から出ていくと考えるとやってられないのだろう。だからなんとしても部活に昇格したい、または同好会に降格したくないと、勧誘合戦が激化する傾向にあるのだ。



「あーあ、そろそろ勧誘ラッシュが終わってくれるといいんですけど!」


「ああ、それは難しいんじゃない?」



 僕の言葉にレモンは苦虫でも噛み潰したような顔をして机に伏せた。そして机の下で足をバタバタさせ始める。完全に駄々をこねている。



「そんなバッサリと否定しなくても!」


「ああ、ごめん。でもレモンって多分他のクラスメイトに比べても勧誘の数が多いでしょ?」


「え、まあ、そうですけど。もしかして先輩知ってたんですか?」


「いや、知らなかったけど、多分そうかなって」


「推理ですか!?」



 レモンの顔が一気に明るくなる。と、ともに机の下の方でガンッと鈍い音がして、レモンの顔が固まる。どうやら興奮してぶつけたらしい。どうもこの子は推理と聞くと我を忘れるみたいだ。



 だけど、これは推理といっていいのかどうか・・・・・・



「そんな大袈裟なものじゃないよ、ただの推測。例えばレモンがどこかの部活に所属しているとしてさ、どうやったら人が集まると思う?」


「人を集める方法ですか?」



 レモンがぶつけた足をさすりながら考える。けれどきっとレモンにはこの問いの答えは出せないだろう。



「大々的に宣伝するとか、魅力的な活動実績を作るとかですか?」


「それもいいかもね。でもそれだと今レモンが熱狂的に勧誘されていることにはつながらない。今レモンが言ったような正統派の増やし方じゃなくて邪道な方法もあるよねってこと」



 レモンはじゃどう、と呟くと思考に入った。そしてすぐに顔を真っ赤にして怒り出した。どうやら僕と同じ考えに行き着いたみたいである。



「ああ、なるほど。つまりは、私が可愛いから、客寄せパンダにしたいわけですか。ふざけてますね!」


「まあ、レモンくらい可愛い子がクラブに所属していると知れば、お近づきになるために入部しようとする男子も増えるんじゃない?」



 その未来が容易に想像できる。レモンがすごく不機嫌になって早々に部活を辞めるところまで想像できてしまう。



「ああもう!じゃあどうすればいいって言うんですか!」


「じゃあ、今月末までうちに体験入部するっていうのはどうかな~?」



 レモンのやけっぱちの質問と呼べない質問に対して解を与えたのは僕ではなくて、いつの間にか僕たちの隣の席に座っていた彼女だった。



「ごめんね、いきなり話に割り込んで。たまたま話を盗み聞きしちゃったんだ」


「えっと、木崎緑さんだよね?」


「そうだよ。名前覚えてくれたんだ~。そういうあなたは東野健介くんだよね」


「正解」



 僕は彼女の名前を知っていた。先日の事件の際、レモンの指示でクラスメイト全員の名前と顔を記憶に定着させた副産物といったところである。茶髪のボブカットで全体的に癖っ毛なのかふわふわもこもこと膨らんでいるから、覚えやすかった。しかも、木崎緑さんといえば、手紙の差出人の謎を解くために一度名前を取り上げた分、より印象に残っている。



 レモンが見知らぬ先輩の突然の登場にギョッとしているため、きちんと間に入って説明してあげる必要がありそうだ。



「ほら、レモン。美穂さんが手紙を預けた人だよ」


「ああ!」



 レモンの中で木崎緑という名前と、美穂さんと友達であるという情報がリンクしたのか、警戒を解いたようで、いつものように人懐っこい笑顔が戻ってきた。



「東野くんとレモンちゃんのことは美穂ちゃんから少し聞いてたから思わず話しかけちゃった」


「ちなみに何て言ってた?」


「浩くんとの復縁の手助けをしてくれたって。お互いに勘違いしていたことを解消してくれたとも言ってたかな~。あ、すっごく迷惑かけたとも言ってた」


「別に迷惑なんて思ってはないんだけどね」


「それで、木崎先輩が先程おっしゃった体験入部のお話ってどういうことなんですか?」



 レモンの問いかけに、緑さんは質問に答えるより先に、顔を輝かせて「先輩って久しぶりに呼ばれたかも~!」と喜んでいる。随分マイペースな性格のようだ。しかし、このままではいつまで経っても本題に入れなさそうなので、少し手助けをしよう。



「木崎さん、レモンの質問、僕も同じことを聞きたいな」


「あ、えっとね?勧誘がひたすら来るのが嫌なんだったら、少しの間でもどこかの部活に所属していることにすればいいんじゃないかな。うちはクラブの掛け持ちは推奨されてないし、無理やり引き抜いた、なんてことになったら、周りのクラブから白い目で見られかねないし」


「それで体験入部、というわけですか」


「そう!うちのクラブが唾つけたってことにしておけば勧誘はましになるんじゃないかな」



 予想以上に良い解決方法で思わず感心してしまう。しかし、それだとあまりにもレモンにだけ都合が良すぎる。もちろんただのお人好しの提案ということもかんがえられるが、急に手助けをする理由も見当たらない。



「木崎先輩のクラブは私に体験入部を利用されるかたちになりますが、大丈夫なんですか?結局入部しない私を囲うメリットがあまり見当たらないんですけど」


「それが、今回の場合、そうでもないんだよね」



 木崎さんは急に表情を曇らせ、右手の人差し指にもみあげの毛をくるくると巻き付け始めた。何か困っていることがあるのは容易に理解できた。



「勧誘から助けてあげる代わり、といっちゃ押し付けがましいんだけど、君たちに一つ、お願いがあるんだよね」


「それは・・・・・・内容次第といったところでしょうか。流石に知り合いから部員を十人用意しろ、とかは不可能ですよ?」


「あぁ、えっと、そんなんじゃないよ~。ただ・・・・・・」



 一謎去って、また一謎。人の出会いの数だけ謎は生まれるのかもしれない。



「ちょっと手伝って欲しいことがあって」



 新しい月を迎える前に、僕たちはまた、探偵ごっこをすることになりそうである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る