章末1 帰る時間は一緒!?前編

 放課後の教室はほんのりと薄暗い。差し込む西日を遮るように薄いカーテンを閉めてしまうからだろうか。未だ蛍光灯の照明で照らすことが出来ているのは教室の中心ばかりで、端の方はどうも光が届かず気味が悪い。LEDに変えれば少しは変わるだろうか。



 もうすっかり春も中旬になり、日もどんどん長くなってきて、午後六時で辺りがようやく闇に染まり出すようになってきた。もはやカーテンは開けておいた方が明るいのかもしれない。



 人の少なくなった教室に本のページをめくる音だけが静かに響く。軽やかに紙が空気を滑る音を聞いているとなんだか特別な気持ちになれる。家では味わうことの出来ない感覚だ。教室という広い空間だからこそ、浸ることが出来るのだ。



 しかし、今日は来客がいた。僕がページの途中を読んでいる時に、目の前からペラリと音がする。目の前の浩の席を180度回転させ、さも当然のようにこちらを向いて座って本を読むレモンがいるからである。



「レモンはなぜここにいるの?」


「今更!?私がここに座って一時間は経過しましたけど!?」



 そんなに経っていたのか、と驚いて時計を見るともうすぐ午後六時を回りそうになっていた。



「いや、だって。あまりにも自然に座って本を読み始めたものだから、聞きづらくてさ」


「聞いてくださいよぉ!私だって結構緊張しながら先輩の教室に入ってきたんですから!それだと一時間前の私が無駄に『あれ?話しかけられないんだ…………』ってドキドキしただけ損じゃないですか!」


「一応僕も何が起きているのかとドキドキしてたけど」



 レモンは相変わらず元気だ。会話も行動も表情もうるさいくらい明るい。あの墓地では不安がったり泣いたりと湿った表情ばかりだったから、復調して何よりだ。



 レモンは以前浩の手紙についての謎で行動を共にしたときから、随分と僕に懐いてくれたようで、毎日チャットアプリでやりとりをするくらいの仲になった。



 いや、やりとりというと誤解があるかもしれない。基本、僕から話しかけることはなく、レモンから毎日の様に、あれが気になる、それは謎じゃないか、今日はこんなものを食べました、といった風な雑談が送られてくるので、まめに返信を返している状態だ。



 ただ明らかに頻度が多い上に、寝ている時以外は既読がすぐにつく。レモンに直接聞いたことはないけれど、同学年に友達がいないのではないかと少し心配である。顔は十二分に可愛いのだから、黙っていても周りに人が集まってきそうなものだが、そうでもないらしいのが不思議である。



「で、どうしたの?」


「今日から私もここで一緒に読書しようかなと思いまして!」


「わざわざここで?」


「はい!だってお気に入りだった読書スポットは閉鎖されちゃったんですもん!先輩も知ってるでしょう?」



 そういえば、彼女がお気に入りとしていた第二運動場の桜の木の下は危ないということで学校側から立ち入りを禁止されてしまったのだ。他にあの場所を使っていた生徒には申し訳ないのだが、野球観戦の際の僕たちが原因であることは間違いない。



「仕方ないなあ、僕のお気に入りスポットであるここを貸してあげよう」


「ありがとうございます!」



 前は浩の席だし、勝手に座っていても問題ないだろう。



「それにしても一時間前なら他の生徒も結構居ただろうに、よく気怖じせず入ってこれたね」


「私結構強心臓なので。それに先輩の群れに屈してるようじゃ探偵はつとまらないでしょう?」



 レモンのメンタルが強いというのは大いに同意である。なんたって興味だけで初めて会った先輩の抱える謎に首を突っ込み、母校や見知らぬ人の実家に訪問できるのだから弱いわけがない。僕はさすがに少しは躊躇してしまう。



「それより先輩の方は大丈夫ですか?」


「何が?」


「数日間私と行動を共にして、更に私が教室まで押しかけたので、多分噂になってるんじゃないですか?」


「ああ…………なるほど」



 高校生というものは得てして恋愛の話題に飢えている。誰と誰が付き合っただの、告白しただの、恋愛に疎い僕にすら噂話が届くぐらいには恋愛が高校生活を牛耳っている。恋愛とあらばどれだけ摂取しても物足りないらしく、今日は今日の恋愛、明日は明日の恋愛、と絶え間なく話題は変化し続ける。



 そんな高校生の噂話の種として、今の僕たちの関係はうってつけであることは言うまでもなかった。男の先輩の元に可愛い後輩の女の子が訪れて一緒に本を読んでいるのだ。外野から見ればもう付き合っていると思われること間違いなしである。



「言われるまで気づかないくらいには気にしてないよ。それに、もし噂になったとして、僕はむしろ役得だなぁって感じだけど」


「気にしてないようで何よりです」


「むしろレモンの方が気にする立場なんじゃないの?美女と野獣とまでは言わないけど、レモンは美人なんだし」



 そう伝えるとレモンは「うぉっ」とか「ぐおぉ」と聞こえるようなくぐもった呻き声を発した。たちまち顔が赤く染まっていく。



「前から思ってましたけど、先輩ってナチュラルに可愛いとか美人とかって言いますよね…………」


「言っちゃダメだった?」


「ダメってことはないですけど、結構照れます」


「そうなんだ。てっきり言われ慣れてるもんだと思ってたけど」


「そんな口説き文句、何度言われても慣れませんよ!」



 言われてはいるらしい。これほど容姿が整っていれば当然のことだろう。それより「可愛い」とか「美人」は誰もが言われて嬉しい褒め言葉に該当するものかと思っていたが、どうやらレモンとは解釈が異なるらしい。



 初めてレモンを見たときは多少なりとも恋愛的な期待を抱いていたのだけれど、今は関係が変化したからか、あまりそういった感情は抱けなくなっている。友達とも恋人とも違う。可愛い後輩が一番しっくりくるかもしれない。



「別に僕は口説いているつもりはないけど。可愛いとかは誰にでも使うし」



 そう伝えるとレモンは口の端をひくひくとさせ、何か言おうとするのを堪えている様子を見せた。その顔は信じられないものでも見たと言いたげである。



「そんなドン引きするようなことかね」


「先輩が誰にでも可愛いって言うような“女たらし”だとは思いませんでした」


「言い方が悪いな」


「悪くもなりますよ!」



 そしてレモンは小声で「もしかして先輩ってモテるのかな…………」と呟いた。僕に聞かせるつもりはなかったのだろうけど、しっかりと耳に届いた。残念ながらモテないし、そもそも女子の知り合いはほとんどいない。レモンを除けばまともに話をするのは一人か二人である。



「ともかく、先輩はあまり容姿に関する褒め言葉を多用しない方がいいかと!勘違いされるかもしれませんので!」


「勘違いされてもあまり害はないけど」


「刺されても知りませんからね!」


「ありえないって。それは大袈裟すぎるでしょ」



 レモンは大きな溜息をついた。やはり読書を趣味とする人は想像が膨らみがちである。例えば僕が女の子に褒め言葉を伝えることで好意を抱かれるなら、僕は既に彼女ができているはずだろう。



 そうじゃないってことは…………って悲しいことを考えさせないでほしいものだ。



 僕は読みかけのページに栞紐を挟んで鞄にしまい、帰る準備を始めた。するとレモンが不思議そうにこちらを見た。



「先輩、帰るんですか?随分早いですね」


「え?いつもと同じ時間に帰るつもりだけど」


「何言ってるんですか?まだ六時になったばかりですよ。いつも七時まで本を読んでから帰るって言ってたじゃないですか」



 お互いに言っている意味がよくわからなくて首をかしげる。少しの沈黙があって、僕はレモンと認識の食い違いが発生していることに気づいた。



「ああ、なるほど。えっとね」


「ちょっと待ってください先輩!」


「え、何?」


「まだ私が分かってないのに謎の種明かしをしないでください!」


「謎って…………ただの食い違いじゃないか」


「食い違いだって立派な謎ですよ!」



 レモンはぐぬぬと唸りながら考え始めた。そこまで立派な謎でもなく、どちらかと言えば僕がレモンの質問を曲解してしまっただけなのだ。ただまあ、レモンが楽しめるならそれでいいか。



「いつも帰るのが七時で、今日は六時に帰るのに、同じ時間…………?そんなわけないと思うんですけど…………!」


「ヒントが欲しかったらいつでも言ってね」


「…………まだ考えます」


「じゃ、とりあえず学校出て帰りながら考えようよ」


「分かりました」



 レモンは廊下を歩くときも、靴を履き替えるときも、桜並木を通る時もうんうんと謎に頭を悩ませていたが、どうやら何も思いつかないらしい。



「うがー!!!!」


「いきなり叫ばないでよ」


「だって!先輩が数秒で分かった謎がいくら考えても分からないのが悔しいんですもん!」


「なんでだろうねぇ」



 意地悪く微笑んでみる。僕がわかってレモンが分からないなんて当然なのだ。だってこの謎を解くためには情報が必要なのだから。



 まあでも、帰る途中で気づくだろうね。

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