第7話

 僕たちが玄関先で立ち尽くしていたのはどれくらいの時間だっただろう。次に口を開いたのも桜さんのお父さんだった。



「君たち、折角来てくれてこのまま帰すのも忍びないし、桜に線香を上げていかないかい?」


「先輩、どうしますか?」


「あ、ああ、では線香を上げさせていただければ……」


「じゃあ、どうぞ入って」



 家の中はお父さんの格好とは裏腹に綺麗に保たれていた。玄関からすぐ右側の襖を開けると和室があり、その一角に仏壇が備え付けられていた。その周りの棚の上にはいくつかの写真立てが置かれているのがわかる。僕は促されるままに用意された座布団に正座し、線香を上げた。



 線香は故人と心を通わせる時の場を清めるために用いられるという。だったら、僕は桜さんに何を伝えればいいだろう。同じ学校に通っていて、顔を合わせたことくらいはあったかもしれないが、言葉を交わしたことはなかった。そんな知らないやつに線香を上げられる桜さんに少し申し訳なかった。その分安らかに眠れるようにと祈っておいた。



 僕ですらそんな状態なのだから、レモンはもっと何を祈ればいいのか分からなかったことだろう。



 ある程度の時間が経って、またも最初に動いたのはお父さんだった。「お茶を入れるよ」と別室に向かおうとするので「いえ、お構いなく」と伝えると、「桜と同世代の子と話すのは久しぶりだから、付き合ってくれないか?」と笑って、さっさと行ってしまった。



「先輩。これは、予定外でしたね」


「おい、一体どうする気だよ」


「仕方ありません。路線変更です。相手を傷つけないように気をつけながらお父様から情報収集しましょう」


「君ねえ……」



 僕は知り合いでもなんでもなかったとはいえ、元同級生がなくなっているという事実に少なからず動揺していた。そんな僕に比べるとレモンは肝が据わっていた。



 レモンは「まずはこの写真立てからですね」とスマホをポケットから出しながら近づいていく。どうやら写真を取るようだ。非常識でないと探偵はつとまらないのか?



「レモン、それはいくらなんでも……」


「どうやら桜さんが友達と撮ったであろう写真がいくつかありますね、はい、パシャパシャッと!いでっ」



 頭上にチョップ。



「話を聞け」


「暴力だー!先輩!ひどい!」


「酷いのは他人の家の中を勝手に撮ろうとする君だ」


「だって推理に必要かもしれないじゃないですか!」


「そんな理由で許されるわけないだろうが」



 そんな風にレモンを窘めていると、お父さんが戻ってきた。僕たちのやりとりが聞かれているかどうか不安だったが、どうやら聞こえていなかったらしく、「ここで話すのもなんだから」と仏間から玄関から続く廊下を挟んで今度は左手側に案内された。そこにはいくつかのソファとグランドピアノ、レコードプレーヤーが置いてあった。どうやらここが応接間になっているらしい。ソファに座ると、暖かい緑茶が出された。



 先ほどのレモンとのやりとりで少し喉が渇いていたので、お礼を言って口にする。緑茶は渋くて苦手意識があったのだけれど、この緑茶は渋みもあるのだが、すっと飲むことが出来た。なんだか高級なんだろうな、と月並みの感想しか出そうにない。



 レモンは何も気にしていないようにお茶をグビグビと飲んで「美味しいですね!」と無邪気に感想すら述べていた。もう少し趣というものを大事にしてほしい。



「自己紹介が遅れたね。私は桜の父の鈴木文也だ。そして、改めて今日は桜に会いに来てくれて、ありがとう。桜が亡くなってから、なかなか桜を訪れる人も減って、なんだか桜の存在が忘れられていくみたいで悲しかったんだ」


「こちらとしては桜さんがお亡くなりになっていることも知らず、訪れてしまっただけですのでそう言われるのは恐縮です」


「いいんだ、これは私の気持ちの問題だからね。それより、君たちは一体桜に何の用事が?」


「実は、僕たちは苦境にある友人のために寄せ書きを集めていまして、元クラスメイトからコメントを頂ければと思って伺わせていただいた次第です」


「そうか、今の子は寄せ書きなんてこともするのか。随分友達思いなんだね」



 これでいいんだよな、と横目でレモンに確認をとる。この家に来る前に二人で示し合わせた答えだった。実際そのために偽造の寄せ書き色紙すら用意してきたのだが、無駄になってしまった。そして、当然南中で使った設定の使い回しである。今回はレモンの提案で浩の名前は敢えて伏せることにした。理由はなんとなく、らしい。



「こんなことを聞いて気を悪くされたらすみませんが、桜さんは何故お亡くなりに……?」


「君たちにとっては気になるところだよね」


「すみません。でもすごく予想外だったものですから」


「それは私にとってもそうだったよ。桜が死んでしまうなんて想像もしていなかった。まさか、自殺してしまうなんて……親として何も気づいてやれなかった自分が恥ずかしくて仕方がないよ」



 レモンは自然と桜さんの死の理由について話題を切り替えた。桜さんの死は必ず手紙の謎に大きく関わっているだろうということは僕だって直感がそう訴えている。けれど、遺族に対し死の理由を聞くなんて、配慮がなさすぎるからやめておいた方がいいのではないか。そう考えていた矢先のことだったから、僕は内心焦っていた。



 レモンは更に続ける。



「自殺……?それこそ意外ですね。もしや事故に遭われたのかと邪推していたのですが……」


「君たちから見ても、そう思えたかい?」


「ええ、とてもそんな風には……実は思い詰めていたことがあったんでしょうか」



 自然と会話が続いているように見えるが、忘れてはならないのは、僕たちは桜さんの性格など何も知らないという事である。レモンはまるで彼女を以前から知っているかのように会話を続けていく。圧巻の演技力だった。



「それがね、結局動機が何だったのか分からなかったんだよ」


「分からなかった?遺書などは用意されていなかったんですか?」


「……なかったんだ。だから何も知ることが出来なくてね」



 文也さんはどこか言葉を探しているようだった。その姿は悲しみを堪えているように見えるけれど、僕にはどこかその姿が怒りをこらえているようにもみえた。



「むしろ君たちは桜が何について悩んでいたとか、交友関係とか、詳しく知らないかな」


「すみません。私は何も……先輩は何かあります?」


「いや、僕も分からないです」


「そうか、何か些細なことでも分かったら教えてくれると助かるよ」



 それはこちらもです、とは口が裂けても言えなかった。



「すみません。僕たちはそろそろお暇させていただこうかと思います。本日は急な来訪にもかかわらず、良くしていただいてありがとうございました」


「いやいや、いつも暇してるから、話が出来て楽しかったくらいだよ」


「そう言っていただけるとありがたいです」


「また桜に会いにきてやってくれるとうれしいよ」



 帰り支度を初めてすぐ、レモンが思い出したかのように文也さんに問いかけた。



「すみません!私、今回は急な来訪で何にも用意できなかったので、今度は正式にお供え物などを用意してお墓参りに伺いたいのですが、よければお墓の場所を教えていただけませんか?」


「ありがとう。桜も喜ぶよ。今地図を書いて渡すから少し待っててね」



 文也さんが書く紙を持ってくるといって部屋を後にしたため、部屋には僕たち二人だけが残った。



「レモン、情報は十分か?」


「後でまとめてみないと、何とも。でもおそらく十分だと思います」


「後、文也さんなんか怒ってなかったか?」


「そうですか?あまり感じませんでしたけど」


「ごめん気のせいかもしれない」



 予定とは随分異なったけれど、レモンの中では新たな推理の形が生まれてきているらしい。僕には皆目見当も付かないけれど、真実に近づいている感覚に胸が躍るような思いだった。



 そうしているうちに戻ってきた文也さんは良い紙がなかったと謝りつつ、チラシの裏にこの家からお墓までの道を書いてくれた。レモンは丁重に地図を受け取って鞄にしまい、「じゃあ、次のお宅に向かいましょう!」と言った。



 一瞬何のことだろうと不思議に思ったが、そういえば僕たちは寄せ書きのために各お宅を回っている設定になっていたのだと思いだし、話を合わせる。最後に玄関先で、もう一度お礼を言ってから帰路についた。



 ◆◇◆◇◆



 今日はこれ以上何も予定していなかったため、そのまままっすぐ帰ろうとしていたのだけれど、途中で雲行きが怪しくなり、そのまま雨が降り出してきてしまった。どちらかが折りたたみ傘でも持っていればなんとかして帰ることも出来たかもしれないが、生憎二人とも持っておらず、目と鼻の先に偶然あったカフェに入って雨をやり過ごすことにした。



 雨が降り始めてすぐに店内に逃げ込めたため、お互いに濡れ鼠になることはなかった。言うまでもないが、濡れ透けシチュエーションはありませんでした。残念だなんて別に思ってない。



「今日雨が降る予報だったんですね。基本テレビ見ないので知りませんでした」


「僕も同じく。学校には置き傘があるから今までは支障は出なかったんだけどな。そもそも学校と家意外の場所に出かけることになるとは思ってもなかったからね」


「雨、やみますかね……」


「まあ、やむまで今までの情報をまとめようよ」


「そうですね」



 店内には僕たち以外の客はおらず、注文していたホットココア二つはすぐに机の上に並べられた。さっきの緑茶もあれはあれで良かったけれど、やはりこれくらいの甘いココアも僕は好みだ。レモンはこれまたごくごくと豪快に飲み干している。カフェのココアだしちょっとお高めなんだけどな。やっぱり風情とか趣とかは彼女には無用のものらしい。



 そんなことより、と前置きをしてレモンは話し始めた。 



「さてと、後は情報をまとめれば真実解明はもうすぐだと思います」


「もうそんなところまで来てるのか」


「ええ。後は差出人の特定が出来ればバッチリだと思います。そういえば今朝チャットでお願いしてた件はどうなりました?」



 そういえば今日の朝、滅多に公式アカウント以外から通知が来ない僕のチャットアプリに連絡が入っていたんだった。多少ワクワクしながらも開いてみるとそこには『先輩、クラスメイトの顔と名前一致させておいてもらってもいいですか?』という悪魔のようなメッセージが入っていた。僕が友達が少ないことは伝えてあるから、これがどれだけの重労働か分かった上で言っているのだ。一応『私は相原先輩の元カノについて、中学時代の同級生当たってみます』とあったので納得したけれど。



「君ね、あれは無茶というものだよ」


「えー!出来なかったんですかー?」


「出来なかったとは言っていないだろう。なんとかなったと思う」


「さすが先輩頼りになる!」


「褒めれば何でも良いってわけじゃないからな」


「やだな、本心ですよぅ。じゃあ、始めましょうか」


「一体何を始める気だい?」


「決まってるじゃないですか!」



 レモンの満面の笑みは無邪気で可愛いとは思うのだが、もっと違うシチュエーションで見てみたかったものだ。



「手紙の差出人を特定しましょう!」

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