§7

「……へぇ、そんな事があったんだ……」

 その夜マグは、いつもの待ち合わせ場所で、昼間の出来事をマーベルに報告していた。報告というより相談に近いニュアンスであったが、とにかくこの事をマーベルの耳に入れておきたい……という衝動が、マグを動かしていたのだろう。それだけ、先程バッカスが見せた一連の事実は、彼女にとってセンセーショナルな事だったのだ。

「もうビックリですよ、あんなに不真面目でスケベなのに、急に真面目な事をやり出したりして……」

「あら、それは違うよ?」

「え?」

 身体を固定せずに宙に浮いている所為で、上下逆さまになった状態で座った格好になったマーベルが、興奮状態で喋り続けるマグの台詞を遮り、会話の主導権を握った。

「彼の住んでいる家と、その身なりを見て御覧なさい。決して裕福ではないけれど、みすぼらしくもないでしょう? これは、彼がある程度安定した収入を得ている証拠。そして、それを維持し続けるには、それなりのモチベーション維持も不可欠……」

「あ……そういえば」

 色々と思い当たる節があるのか、マグは声のトーンを落として考え込んだ。

「つまり、今朝マグが見た彼の姿は、彼にとっての当たり前……いつもやっている事に過ぎなかったという訳だね」

「じゃ、じゃあ……いつものあの不真面目な態度は、芝居だという事に……?」

 その質問に、ちょっと困ったような顔をしながらも、マーベルははぐらかさずにキチッと答えた。

「そうとも言えないね。むしろ、真面目に働いている顔の方が芝居なのかも知れない……」

「え? ど、どういう意味ですか!?」

「マグ、アナタは本当に気の許せる相手の前で、わざわざ体裁を整えたりする?」

「……!!」

 短い一言だったが、それでもそれはマグの疑問を解決するのに充分な威力を持っていた。が……逆に今度は、その一言によってマグの心に新たな疑問が浮かび上がった。

「私の前でなら、遠慮は要らないと……?」

「んー……私は彼じゃないからねぇ、そこまでは……ただね? 警戒心を持ってたら、添い寝なんか……ねだらないんじゃないかな?」

「スケベなだけですよ」

「アハハ……まぁ、それは間違いないね」

 ぷぅっと頬を膨らませて拗ねてみせるマグに対し、マーベルはケラケラと笑った。そしてバッカスは、その人格の正否はどうであれ、ともかくスケベであるという事実だけは肯定されてしまった。尤も、彼がこの会話を聞いていたとしても、その結論に否定はしなかったであろうが。

「んで? マグ……結局アナタは、あの男をどうしたいワケ?」

「……それが、分からなくなっちゃって……今朝の事が無かったら、消すよ? という問いには『はい』と答えられたんですけど……」

「意外な一面を見て、迷いが出たか……ま、良い経験かもね。納得行くまで悩みなさい。それも勉強の一つだよ」

「はぁい……」

 バッカスが見せた意外な一面とマーベルの意見によって、マグはいま自分が置かれている立場が非常に恥ずかしい物だと気付いた。しかし、今の彼女には為す術がなく、自分はどうするべきなのか、それを真剣に考える以外に活路を見出す策は無かった。

(あの男も、ふざけた顔をしながらも……真剣に生きている。それに比べ、私は……?)

 ろくに努力もせず闇雲に足掻いた挙句に、結果が出ない事ばかりを悔やんで周りに当り散らし、自分を正当化して慰める……これで望み通りの結果が得られるなら誰も苦労などしはしない。それは判ってはいるが、では具体的にどうすれば良いのか……それが判らないのだ。

(頑張る……って、何を頑張ればいいの? どう足掻いたって、私はもう故郷へは帰れない。だって、私が故郷に帰るには、あの男を抹消するしかないんだもん……でも、彼にだって生きる権利がある。私のワガママで、それを取り上げる事は出来ない……)

 経緯がどうであれ、彼と主従関係を結んでしまった事実はもう覆らない。そもそもあの時、酔っ払いが相手なら口八丁で言いくるめて、労せずして実績を作れるなどと考えた自分に非がある……考えれば考えるほど、マグの心の中にある迷路の出口は遠くなっていくのだった。

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