海に浮かぶ水死体!? 次の国は夢の国か、悪夢の国か

「ルル、今日は外に行こう! おもしろいものを見せてあげるよ!」


 ある日、キールがルルを誘って家の外に出ることを提案する。行動範囲を屋敷の庭の中だけに限定されているルルに外の街並みを見せてあげようと思ったからだ。しかしルルは拒絶した。


「もうしわけありません、キールさま。ルルはやしきのそとにでてはいけないと、いわれていますので……」

「大丈夫だって! いくぞ!」


 ルルは屋敷の外に出ることを固く禁じられていたため拒絶した。主人として認められるのは両親、または両親が認めた屋敷の大人だけである。キールは子どものため監視役としては認められていないからだ。


 だがキールは知っていた。監視役の父は奴隷ルルを連れて外出する際に必ずとある紫の宝石がはめられた指輪をしていた。それはプログラムを発動させるスイッチでもあり、奴隷ルルとの距離を測る計測器でもあるのだ。これを持っている者が監視役として認識されるのだ。


 実はキールはこの日のためにコッソリ父の書斎から指輪を盗んでいた。これでキールはルルを連れて外出することが可能になる。


「でも……」

「いいからッ!」


 それでもルルは抵抗した。今までなんでも付き合ってくれたルルががんとして動かないため、ムキになったキールは強引にルルを引っ張って連れ出した。ルルの力ならキールの引く力に簡単に抵抗できたはずなのに、ルルは抵抗しなかった。キールはチラっと振り返ってルルの顔を見た。


 ルルの顔を見ると口元に力が入っていて少し悲しそうな顔をしていた。キールを怒らせてしまったことに罪悪感を覚えていたのだろうか。キールはそれを気づかないフリをしてルルを引っ張っていった。


 ──街の中、人ごみの多い大通り。

 キールはルルを連れて街の中を通り抜けていった。途中で人通りが多い大通りを抜けていく。

 ドンッ!

 そのときキールは急いでいたため茶色いフードの男にぶつかってしまう。すると男が言う。


「おい、気をつけろガキ」

「ゴメンなさい!」

「………………………………………………………………」


 キールはすぐに謝って急いでその場を去る。その後ろ姿を茶色いフードを被った男は見えなくなるまで、じっと見ていた。


 キールとルルは大通りを抜けてしばらく歩き、町の外れまで歩いてきた。結構な距離を歩いたため二人は休憩することにした。


「キールさま……どこまでいくんですか?」

「もう少しだよ。オレだけが知ってるヒミツの場所があるんだ」


 ルルが不安そうにたずねるとキールが嬉しそうに答える。人の数も少なくなり、ほぼ二人っきりの状態でした。


 ──その時です。


「!」「?!」


 突然、背後から針のようなもので首の後ろを刺された。一瞬だが思考が停止して何が起こっているのか分からなかった。直後に全身の力が抜けていくのが分かった。おそらく筋弛緩剤きんしかんざい(筋肉がユルユルになる薬)か何かを塗った小さな吹き矢か何かを刺されたのだろう。


 キールは動けなくなった。すると体が浮く感覚で何者かに担ぎ上げられたのだと分かった。


「いやっ! やめて、はなして! キールさまあああああああああああああああああああああああああ!!」

「何でまだ動けんだよ! 大人しくしろってんだ! クソガキが!」

「あぅ……!?」


 複数人の大人を相手に暴れて抵抗していたルルは、急速にうなだれる様に動かなくなった。キールと同じタイミングで薬を刺されたのだろうが、鬼族だからかキールよりも効き目が弱かったらしい。再び針を刺されてようやくルルは動けなくなった。そして動けなくなった二人は一瞬で袋詰めにされて運ばれていく。


「ルルを返せええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」


 キールは真っ暗な袋の中で必死にもがき、叫んだ。大人に担がれてユッサユッサと小刻みに揺れる感覚。時々枝の折れるようなパキッという音。気づけば町から遠く離れて人気ひとけの少ない林か森の中を走っているようだ。


「キールさま! キールさま……」


 微かにキールを呼ぶルルの声が聞こえる。そして先ほどよりどんどん小さくなっていくのが分かる。どうやらキールを背負っていた男は足が遅い。ルルを担いでいる男と離されているようだ。


 まずい。このままではキールとルルの距離が一定範囲を超えてしまう。そうなったらルルに刻まれた呪印が反応して殺処分プログラムが発動してしまう。


 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。


 キールは焦った。自分のせいでルルが死んでしまう。


 キールは残っている力を振り絞った。自分を抱えている人さらいの男はキールを右肩に抱えているようだ。キールは自身の爪を操作して鋭利にする。そして被された袋を突き破った。キールは頭と右腕のみが袋から飛び出る。そして目の先に見える男の背中に爪を立てた。


 ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ!!


ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 男は背中を切り裂かれて悲鳴を上げた。男の右腕の力が緩んで、キールは男の背後に振り落とされる。


「ぎゃあああああああああああああああああああああ!! ちきしょう! 痛ぇ! 痛ぇよォ!」


 キールは人さらいの男を見る。太っちょの男が切り裂かれた背中を手で押さえて泣き叫んでいる。四つん這いになっておでこを地面に押し付け、涙を流しながらもがき苦しんでいた。


「ざまぁ……みやがれ……」とキールが口元をニヤリと緩めときだった。


 ──ボォンッ!


「!」


 遠くで何か破裂する音が小さく聞こえた。一瞬何の音か分からず、キールは口をぽかんと開けて周囲を見渡す。すると目の前に人影が見えた。キールが顔を苦しそうに上げて見る。


「無事だったか! キール」

「お、父さん……?」


 目の前にキールの父が立っていた。すると父が言う。


「奴隷が逃げたと聞いてな、心配してたんだ。もう安心だぞ、あの奴隷は今“処分”したからな」

「……え」


 キールは言葉を失った。そういえば先ほどからルルの声が聞こえてこなかったことに気づく。


 父の手にはキールと同じ指輪をしている。おそらく無くした際の予備の指輪だろう。父の指輪は紫の宝石部分が欠けており、粉々に砕けてパラパラと小さな紫の粒が見えていた。恐る恐る持っているキールは自分の指輪も見てみる。するとやはり同じように指輪が壊れていたのだ。殺処分プログラムが発動したのだとキールは悟った。キールはかすれた声で言う。


「そん、な……ウソ、だ……」

「鬼なんて買うべきじゃなかった。こんなことになるとは……、あれだけ良くしてやったというのに……。やはり鬼は鬼だ、下等な悪の種族め」


 どうやらキールの父は、ルルが自分の意志で逃げだしたと思っているらしい。キールがそれを追いかけて危害を加えられたのだと。近くにいる太っちょの人さらいの男もルルの被害者だと思っているに違いない。キールは必死でルルの弁解をしようとしたが、声が出せなかった。毒の影響が喉にも及んでいるのだろうか。


「ち、が…………ル……は……」

「どうしたキール?! 喉をやられたのか? すぐ医者を屋敷に呼んで──」


 ザク。


「?」


 ──父が倒れた。


 キールを抱きかかえようとしていた父は突然倒れてしまった。キールは父にのしかかられて身動きが取れなくなる。すると父の背後から声が聞こえてきた。


「ハァ、ハァ。どうだ、この野郎。お、お前に逃げられたら、ぼ、ぼ、僕が、こ、こ、殺されちゃうだろうが。ハァ、ハァ」


 さっきまで這いつくばって泣いていた太っちょの男だった。父の後頭部を見ると、バタフライナイフが突き刺さっていた。背後で笑っている男の手は、べっとりと赤黒い液体が手首までついていた。


 体が温かくなっていくのをキールが感じる。父の後頭部から赤黒い液体が流れ出してキールの顔に垂れ落ちてくる。同時に血の匂いが鼻の奥にツンと突き刺さる。


 すると太っちょの男が近づいて来た。男はキールの上に乗っかっている父の死体を蹴って退かした。そして男はキールの髪の毛を掴んで引っ張り出す。キールは太っちょの男を睨んで言う。


「ル……ルを……返」

「お、お前は、僕たちの商品なんだから。大人しく寝てろ」

「ッ!」


 その瞬間、太っちょの男が懐から注射器を出してキールの首筋に突き刺した。キールはルルを失った絶望と、何もできない幼い自分の不甲斐なさを呪いながら意識を失っていった。


 ────────────────────────

 ────────────

 ──────

 ──


                   *


 いつもの朝が来た。


 太陽が地平線から登り切っていない薄暗く、青く澄んだ世界が広がっている。キールが目を開けた。気が付くと海の水平線にぼんやりと太陽の光がまんまるマンボウ号を照らし始めた。キールがつぶやく。


ち……」


 太陽の光がキールの額に当たって熱さを感じる。キールは太陽の光を避けて影の中に入る。純粋吸血鬼のように太陽の光で燃えカスになって消滅するなんてことはない。理由はキールは混血ハーフ吸血鬼族で半分は人族だからだ。


 しかし長時間日光に当たると酷い日焼けをする体質ではある。吸血鬼が太陽の光を恐れるのは『紫外線』に弱いからだと言われている。強い日差しが肌に当たると低温火傷のような赤みや痛み、水ぶくれ等の症状も発症する。最悪は死に至る場合もある。


 もちろん対策法はある、こまめに『日焼け止め』を塗ることだ。

 キールは外に出る時は必ず〔SPF50+ PA++++〕の日焼け止めを使っている。服隠れている肌なら大丈夫だが、露出している肌には必ず塗る。


「やべ、オレここで寝ちまったのか」


 変な場所で変な体勢で寝てしまったため体中がギシギシと痛かった。

 片膝を立てて座ったまま寄りかかっている壁の固さを背中で感じる。キールは立ち上がってグ〰〰っと身体を伸ばす。簡単なストレッチをして全身の筋肉をほぐした。


 キールは、ふと夢を見たことを思い出ながら言う。


「クソ……嫌なもん思い出しちまった」


 そして頭の中に浮かぶさきほどまでの嫌な情景を声でかき消すように上を向いて「あぁーー!!」とキールは叫んだ。思い出したくなかった過去にキールは不快感を覚えたが、すぐに気持ちを切り替えて言った。


「さて、朝飯でも作るか」

「そうだね~、お腹空いたね~」


 キールが驚いて声の方向を見る。するとミドが日課の瞑想をしていた。


 ミドは朝起きると日課の瞑想をしに船の甲板に出ている。まず太陽の光を全身に浴びながら軽く運動をする。そして少し息が上がっている状態で座り、呼吸を整えるように瞑想に入る。それらを終えたら、キールの作った朝食を食べに降りていくのがミドのモーニングルーティーンだ。


 いつものミドにキールが言う。


「ミド!? いたのか!」

「1時間くらい前からね~。こんな場所で寝ると風邪ひくよ~」

「いたんなら起こせよ!」

「だって『ルルー!』とか『行かないでくれー!』とか言ってるから起こしたら悪いかな~って」

「なっ……////」


 どうやらキールは寝言を言っていたらしい。頬を赤らめているキールにミドがニヤニヤして言う。


「キールの好きな人はルルちゃんって言うんだね~」

「う、うるせぇ! 今すぐ忘れろ!」

「う~ん、それは無理かな~」

「頼むから他のヤツに言うな! 特にフィオには絶対言うな!」

「大丈夫だよ~。ボクは口堅いから~」


 ミドはヘラヘラ笑いながら言っている。恥ずかしいやら悲しいやらで何とも言えない様々な感情がキールの中で蠢いていた。


「そんなことよりお腹空いたな~。朝ごはんはまだかな~?」

「分かった! 今すぐ作るから待ってろ」

「いってらっしゃ~い」

「約束だぞ! 絶対言うなよ!」


 ミドに念押しをするようにキールが振り返って言う。そして急いで自室に行って着替えてから朝食の準備をしにキッチンに向かった。


 ジュ〰〰という目玉焼きやベーコンを焼く音がキッチンに響く。トントントン、ザクザクザクと野菜を切って簡単なサラダを大皿に盛り、塩と黒コショウとオリーブオイルをかける。安いパンを人数分ほど切って皿に並べる。ヨーグルトと果物も欠かせない。


 マルコも起きた様子で階段を降りてきた。慣れない環境に戸惑いながら、キールやミドに挨拶をする。何か手伝えることはないかとキールやミドに言っていた。


 最後にフィオ。いつもの寝ぐせと、ヨレヨレのデカいTシャツ一枚で降りてきた。露出が多く、だらしないフィオの姿を見てマルコは直視できずに困っている様子だ。


 マルコのことも考えて多少は身だしなみ整えてから降りてこいとキールに注意されたフィオだったが、あまり気にしていない様子だ。


 ギリギリパンツは見えてないのだから問題ないとフィオが言うが、マルコはまだ多感な10代前半である。少しは配慮してほしいものだ。


 基本的に朝食は早い者勝ちで先に来た人から食べてしまうルールになっている。と言っても別に早く来たところでキールは全員分用意するし、作る料理は同じなので早くても遅くても関係ない。ただ冷めないうちに食べてほしいというだけのことである。


「ごちそうさまでした~」

「あ、ミド。皿は後で洗うからそこの水の中に入れといてくれ」

「はいは~い」


 ミドが両手を合わせて言う。そして食べ終わった皿を持ってキッチンの流し台シンクにある水を張ったプラスチックの容器にチャプンと食器を入れた。マルコも「ごちそうさまです」と言って皿を水の中に入れる。するとフィオも満足したようで、膨らませた下腹部をポンポン叩きながら言う。


「あ〰〰お腹いっぱいっスぅ〰〰。キールは料理だけは最高っスね〰〰。げふっ」

「“だけは”ってなんだ。あとゲップ吹きかけんな」


 フィオの余計な一言に、キールが睨みながら言った。

 そして作業着にフィオは着替えてマンボウ号の朝の整備点検をするためにエンジンルームに向かった。軽い点検のため、30分もあれば大体の点検は終わる。


 いつもの風景を見ながらキールは考える。


(オレの日常はここにある。過去を悔やんでもしょうがない)


 今のキールにはミドやフィオ、マルコという仲間がいる。いつまでも過去のことに囚われていてはいけない。気持ちを切り替えてルルのことは忘れようとキールは思った。


                   *


 朝食を食べ終わったキールが食器を洗いながらミドに訊ねる。


「次はどこの国に行くんだ? そろそろ旅の資金も底をつきそうなんだ。早いとこ次の国で金を稼がねぇと……」

「マンボウ号の航路を決めてるのはフィオだし、彼女が知ってるよ~」

「ミドお前……いっつも人任せだな。この旅はお前の目的がメインだろうが……」

「まぁ、ボクの目的地は見つかるかどうかも分からない“生きている大陸”だからね~。そんなに急いでもしょうがないし。とりあえず今は裏側の世界に入る唯一の道、メビウス回廊までの道中を楽しむことにしてるんだ。寄り道も旅の醍醐味だと思うんだよね~」

「そんな調子だと一生たどり着けないんじゃないか?」

「フィオにも今の目的地はメビウス回廊方面だって伝えてるし、大きく道を外れなければ問題ないよ。焦らない焦らない、一休み一休み」


 ミドはそう言っていつものように飄々としていた。キールは仕方なくフィオに訊ねることにした。するとフィオは早く聞いて欲しいと言わんばかりにウズウズしているのが背中からも分かった。


 キールがフィオに声をかける。


「フィオ、次の国はどこなんだ?」

「ふっふっふ……、よくぞ聞いてくれたっス! 次の国はキールのお悩みをババッと解決する最高の国っスよ!」


 フィオは待ってましたと言わんばかりに飛び上がって言った。さきほどまでのミドとキールの会話を盗み聞きしていたようだ。早く言いたい、教えてあげたいと顔に書いてあるのが分かる。


 フィオがキールの肩を抱いて言う。


「あーしは知ってるんスよ……いつもキールがお金の工面くめんに困っていることを……。そこで手っ取り早く大金を手に入る方法がないか考えたっス! そしたら夢のような国を見つけたっスよ! もう夜な夜な泣きながら鉛筆削りの内職する必要もないっス。辛かったっスね、キール……ヨシヨシ」

「何だよ鉛筆削りって。そんな内職オレがするわけねぇだろ」

「鉛筆削りの内職も知らないっスか? 鉛筆をキレイに削るだけで一本20ゼニー稼げる最高にクールでクリエイティブな仕事っスよ。小さい子でもできる簡単なお仕事っス! あーしも昔はよく削って駄菓子を買いに行ったもんっスよぉ……」

「聞いてねぇよ! ふざけてねぇで、サッサと次の国を言え!」

「うぉっほん! それでは発表するっス! 次に行く国には『ベガ・ラグナス』。世界最高峰のカジノがある夢のような島国っス!」


 フィオが両手を腰に当てて仁王立ちしながら言った。


「………………は?」


 すると呆れながらキールはフィオに言う。


「オレは反対だ」

「なんでっスか!?!? 一攫千金っスよ!! 大金持ちになるチャンスっスよ!!」

「あのな、ギャンブルってのは胴元が儲かるシステムになってんだよ。一攫千金なんて上手くいくことしか考えられねぇバカはカモにされるだけだ」

「な!? 誰がカモっスか! あーしはカモじゃないっス!」

「悪い悪い、カモじゃなくてバカだったな」

「バカって言ったっスか! バカって言う方がバカなんスよ! キールのバーカバーカ!」

「とにかくオレは反対だ! 普通に依頼を受けて金を稼げる普通の国にしろ!」

「イヤっス! あーしもカジノでスロット打ちたいっス! ルーレットとかしたいっス! パチプロになるのが夢だったっスよ!」

「お前ただカジノで遊びたかっただけじゃねぇか!」


 キールとフィオが言い合いをミドは微笑ましく見守っている。すると何かに気づいて横をチラ見する。


 ──その時だった。


「皆さあああああああああああああああああああああああああああああああああああん! 大変、大変、大変ですうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!」


 外で海を眺めていたマルコの叫び声が聞こえてきた。キールとミド、フィオが何ごとかと振り返り、駆け下りてきたマルコを見る。するとキールが言う。


「なんだよマルコ、騒々しい」

「死体ですよ、死体! 海に浮かんでるんです! 早く助けないと!」

「死体なのに助けてどうすんだよ。ほっとけよ気持ち悪りぃ」

「確かにそうですね……。もう死んでるなら助ける意味は…………じゃなくて! まだ生きてるかもしれないじゃないですか! 見殺しなんてできませんよ!」


 マルコは一瞬説得されそうになりながら、海に浮かんでいる人物を助けたいと騒いでいた。


 正直言って旅をしていれば行き倒れた骸骨ガイコツや、モンスターに食べられている死体を見ることなど日常茶飯事だ。ミドやキールは死体など見慣れているため、さほど驚きはしない。だがマルコにとっては衝撃だったのだろう。死体というだけで大騒ぎだ。


 フィオに関しては“死体”というワードは退屈な日常に適度な刺激を与えてくれるイベント程度に考えている。怖いもの見たさと面白半分でマルコと一緒に騒いでいる。マルコが事件で騒いでいる印象なら、フィオは祭りで騒いでいる感じだ。


 ミドとキール、フィオの三人はマルコに連れられながら船の甲板に出る。そこから広がる海を見下ろす。すると小さな赤い点が見える。どうやら真っ赤な民族衣装に身を包んだ男が浮かんでいた。


 男から100メートル以上先の海の上にフィオはマンボウ号を降ろした。ザブ~ンという大きな波が生まれる。そこからゆっくりと男に近づいていく。50メートルほどマンボウ号を近づけた段階で小舟を滑車かっしゃを使って海に降ろした。


 小舟にはミドとキールの二人が乗った。マンボウ号からマルコとフィオが心配そうに見守っている。30メートル付近まで小舟を近づけたミドとキールは男を観察する。海洋生物の罠の可能性もあるからだ。


 海洋生物の中には釣りの疑似餌ぎじえのように触手の先を人間の形に擬態させて、近づいた人間を捕食するものもいるのだ。疑似餌の特徴は、まだ生きているかのように溺れかけている人に擬態する場合が多い。


 男を観察した結果、どうやら気絶しているようだ。かろうじて息もあると判断した。ミドとキールがお互いに目を合わせて頷くと、男を二人で引き上げる。ミドとキールは、男を救出してそのままマンボウ号に帰還した。


                   *


 マンボウ号の客室。

 キールが小さな椅子に腰かけながら本を読んでいる。対面には客室のベッドがあり、先ほど海で拾った男が眠っている。


 そして時々、キールはベッドで寝ている男の様子を見ていた。額の特徴的な一本角。ガタイの大きい筋肉質な体。特徴的な真っ赤な民族衣装。運んでくる最中にピリピリと小さく静電気が走ることがあった。キールはその特徴から男の正体に気づいていた。


 ──この男……『鬼族』だな。


 傍から見ればキールが看病しているようにも見える。だがキールにとって、まだ敵の可能性は捨てきれない。キールは異分子の監視という意味でも男のそばをほんの少しの間も離れなかった。


「う……うぅ……」


 すると男が目を覚ました。周囲を観察するように目をキョロキョロ動かしている。キールを見た瞬間に驚いて体をビクンとさせて言った。


「!? ここは? 誰だ、お前?!」

「安心しろ。オレたちの船の中だ」

「どうして、俺は……?」

「感謝しろよ。オレたちが助けなかったら、今頃は海洋生物の腹の中だったろうからな」


 キールは本のページをペラリとめくりながら言った。するとキールがベッドのそばにある赤いボタンを押す。すると10秒ほどで、ドタドタと走ってくる足音が聞こえてきた。


 ガチャン!


「ナースコールが鳴ったっス! 目を覚ましたっスか!」

「大丈夫ですか?! 生きてますか? 良かったぁ……」


 ドアが開くと同時に第一声をフィオが放った。続けてマルコも入ってきた。遅れてミドがマイペースに歩いて来た。そしてミドがキールに言う。


「お疲れ~キール。今度はボクが代わるから休んでていいよ~」

「いや、これくらい平気だ」


 するとキールは全員が集まったところで鬼族の男に訊ねた。


「少なくとも、オレたちはアンタの敵じゃない。何があったのか話してくれないか?」

「……俺は、とある国から逃げ出してきたんだ」


 鬼族の男は警戒しながらも、ゆっくりと話を始めた。


 彼は奴隷で、数年前に労働力として別の国から海を渡って運ばれてきたらしい。その国では大量の電気を使用するため膨大な発電が必要だった。だから鬼族が必要だったそうだ。


 発電には火力発電、原子力発電、地熱発電、太陽光発電、風力発電、水力発電など様々な発電方法が存在する。

 しかし現在では自然に優しい風力発電と水力発電が主流で、その他の発電方法は古代文明の時代にあった過去のものとなっている。原子力発電や火力発電の方が得られる電気の量も多いのだが、技術もすでに失われていた。

 唯一『生きている大陸ゼイン・リィーガ』になら古代の発電技術が記された本があるかもしれないが、知ることは不可能に近い。だが、それ以外の強力な発電方法があると男は言う。


「俺たち鬼族の『雷臓』に蓄積された電力を奪う方法だ」


 鬼族という種族は人体の構造は他の種族と基本的に同じだが、一つ特殊なのが雷臓という臓器が存在することだ。いわゆる電気袋である。彼ら彼女らはそこに静電気をため込んで、いざというときに放電することができる。肉食動物の牙のような役割である。


 主に電気袋は左右の胸部に二つと丹田たんでんに一つで、計三つ存在する。


 鬼族の電力は強力で、成人男性の電気袋の最大蓄電量は一回の落雷と同等と言われるほどだ。成人女性でもあまり変わりはない。


 ちなみに雷1回の電力は「数千万~1億ボルト」と言われている。これは100Wの電球90億個分に相当し、通常の一般家庭であれば約50日間の電力がまかなえることになる。


 蓄電方法も筋肉を鍛えて刺激を与えたり、性的刺激を与えるだけでも良い。

 胸部に刺激を与えられると発電するため、ゴリラのドラミングのように胸部を拳で叩いて蓄電する者もいる。鬼族の男性は胸筋を鍛えたりするのも一つの方法だ。テストステロンも発電に関係してると言われている。自慰行為マスターベーションによっても発電されることが実験で証明されている。


 鬼族の女性も基本的には同じである。胸部への刺激や筋力トレーニング等でも発電される。オキシトシンが分泌されるような愛情の行為や恋愛等の行動をすると発電が促されるそうだ。


 男の話では、その国では鬼族の奴隷が非常に多く、風俗関係の仕事をさせられている鬼族の女性も多いらしい。その後、貯まった電力を各施設に供給されるのだ。もちろんすべての鬼族が奴隷というわけではないが、奴隷じゃない鬼族に出会う方が難しい。


 マルコは男の話を聞いて言う。


「なるほど、それはひでい国ですね」

「まったくっスね! そんな国潰れちゃえばいいっス!! どこにあるっスか! そんな不届きな国は!」


 フィオもマルコに同調してい言う。フィオが訊ねると男が言った。


「ここから真っすぐ行った先にある島だ。名は『ベガ・ラグナス』……。金と欲望が渦巻く、世界最悪のカジノがある悪夢のような島国だ」


 フィオとキールが国の名を聞いて顔が固まる。ミドは相変わらずニコニコと何を考えているか分からない不敵な笑みを浮かべている。


「アンタたち、少人数で旅できるってことはかなり強いんだろ? ここに100万ゼニーある。頼む、これで同胞を助けてくれないか? これが俺の同胞たちの写真だ」


 鬼族の男は血で汚れたクシャクシャの札束と複数の写真を出した。くしゃくしゃに握りつぶされていたその写真をミドが受け取る。キールも隣から写真をのぞき込んだ。何枚か見ているとキールがミドの手を止めた。


「!?」

「どうしたのキール?」


 キールは写真の人物に目を見開いて震え出した。その写真には、死んだと思っていた桃髪の少女の姿が映っていたのだ。そして鬼族の男に訊ねた。


「おい、この写真の女は誰だ?」

「あぁ……その娘は『ルル・アーシュラ』って子だ。ベガの愛人お気に入りだよ」

「!?」

「あの娘は鬼族の中でも特別だったんだ。信じられないほどの発電力と蓄電量の雷臓を持っていた。噂レベルの話だが、毎晩ベガや他の連中の慰み者にされているようだ。それで貯まった電力を真夜中にカジノの電力源に供給されてるらしい。彼女一人で6ヶ月の電力がまかなえるって言うんだから驚きだよ」


 男の話を聞いたキールは震えいていた。それは恐怖ではなく、怒りでもなく、懺悔のような感情だった。するとキールがミドに言う。


「フィオ、前言撤回だ。オレも『ベガ・ラグナス』に行く」


 キールは写真を持つ手に力を入れて、決意を言葉にした──。

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