第62話 すれ違う視線
私はどんな言葉が降ってきても受け止められるよう、覚悟を決めて、母の言葉を待った。
『そうね…。家族にとってあんたはいらない子…。』
ギュッと目を閉じて血が出る程強く唇を噛み締める…。
『……のワケないでしょーがっっ!!!』
「へ?」
お母さんの怒号に私は目を丸くした。
『何?そんな下らない事を考えて今までろくに連絡よこさなかったっていうの?
こっちが連絡してもすぐ電話切るし。どんだけ心配したか分かってる?
だいたいそんなに悩んでいるなら、許嫁の話が出たときすぐに言えばよかったでしょうがっ!』
「え、いや、だって…!あの時はお父さんお母さんが喜んでいるのに、そんな事聞けなかったし…。」
『その話はりんごの気持ち次第って言った筈だよ?
りんごが、話をしてくれば、お母さんもお父さんもちゃんと聞いたよ?
許嫁の話が決まった後も、あんたは相変わらず苺がとっておいたプリンまで食べちゃうぐらいの大食らいで、むしろ同居の準備も楽しそうに進めてたから、悩みがあるなんて思わなかったのよ。
だいたいあんたときたら、小柄なのをいい事にいつも家ではお父さんの使い古しのTシャツ一枚で、ろくな部屋着も持ってないし。服やら何やらどんだけ買ったことか!
カントリー調のお部屋が好きだっていうあんたの要望を叶える為に、響子さんと一緒に何軒も家具屋さんや雑貨屋さん回ったのよ?
はっきり言ってあんたの同居までの間は目の回るような忙しさだったわ。』
「や、そ、それは、ごめんだけどっ。」
しょうがないじゃん。だって、家ではお父さんのTシャツ着てるのが一番楽なんだもん。
シェアハウスの部屋はどんなのがいいか聞かれたときに軽い気持ちでカントリー調って答えた気がする。
準備するのに、そんな大変だったとは。私はお母さんと先輩のお母さんに有り難くも申し訳ない気持ちになった。
『ごめんって謝ってほしいんじゃない!
私がやりたくてやってる事だからそれはいい。
けど、邪魔だと思ってる子の為にそこまで出来ると思う?大事な娘の為だからに決まってるでしょ?』
「!!」
『あんたが4才のときから、私はあんたのお母さんじゃなかった?
あんたがいじめっ子の男子にカエルぶん投げたときも、
お父さんと3人で星を見たときも、
苺と柿人が生まれて、この怪獣さん達を立派に人間に育てていこうねって誓ったときも、中学の時、受験勉強の合間にドラマ見たときも、
高校合格してから近くの喫茶店でカツサンド食べたときも、私があんたの事家族の邪魔者だと思ってたというの?
そんな事思ってたら12年もの間あんたと親子やってない。
今更そんな事をりんごに言われるなんてっ…。お母さんショックだよ!』
お母さんは最後鼻声で言葉を詰まらせた。
お母さん泣いてる…?
私の言った事がお母さんを傷つけてしまうなんて、思いも寄らなかった。
「う、うぅっ。ご、ごめんっ。ごめんなさいっ。ごめんなさいっ。」
私は、泣きながらお母さんに謝った。
『悪いって思うのなら、もう二度と勘違いしないこと!あんたは私の大事な娘。
頑張り屋さんでちょっと抜けてる、なくてはならないうちの家族の長女。
家にいても、どこにいても、血が繋がっていなくても、それは変わらないんだよ?分かった?』
「わ、分かったぁ。お母さん、ごめん。うわぁーん!!あぁーん!!」
私は小さい子供みたいに声を上げて泣いてしまった。
『分かったならもういいよ。私も、りんごともっとよくその事について話をすればよかったね。
忙しかったせいもあるけど、りんごが家を出て行くのがお母さん寂しくて泣いちゃいそうだったからさ、笑って送り出してあげたくて、敢えて荷物の事とか手続きの事とか実務的な事しか話さなかったの。
お母さんカッコつけだったね。ごめん…。』
「お母さん…。」
電話口から鼻をすするような音がして、少しするとお母さんは話を続けた。
『…うん。許嫁と同居の事を反対しなかった理由だったね。
りんごは男の子が苦手だったから確かに心配はしていたよ。
でもりんご、男の子は苦手だけど、浩史郎くんは苦手じゃないよね?』
「うん?」
『理事長室に呼ばれたとき、りんごは浩史郎くんといるときは、とても自然体で楽しそうに見えたよ?』
「私、そんなんだった…?」
『うん。二人でいるところ、まるでコントみたいだったよ?
男の子が苦手な筈のりんごがこんなに言いたい事を言える相手なら、ここで縁を切ってしまうのは惜しいなと思ったの。
お母さんの勘違いだったかな?
浩史郎くんとの同居生活、辛くて嫌で堪らないものだった?
そうだったらお母さん謝らなきゃいけないね。』
「う、ううん…。そんな事ない。」
私は先輩との同居生活を振り返ってみた。
大変は大変だったけど…。
「たのし…かった…。」
うん。嘘偽りなくそう思う。
『そう。よかったね。りんご。』
優しい声音にまた涙が出てきてしまった。
「だけど、お母さん。私ホームシックになっちゃったみたい。
お母さんに、お父さんに、いーちゃんに、かっくんに会いたくて毎日泣いてて、
さ、里見先輩に、すごく迷惑かけちゃって、夢ちゃんに心配かけちゃって。
わ、私自分で思ってたより、子供だったみたいで、すごく恥ずかしい…。」
『バカね。あんたは感情が隠せないのにぎりぎりまで我慢するから。周りにモロバレよ?今日は夢ちゃんからも浩史郎くんからも連絡があったのよ?』
「そう…だったの?」
『後で二人にちゃんとお礼言っときなさいよ?』
「うん…。」
『もう我慢するのはよしなさい。りんごはどうしたいの?』
「うん…。そ、それで、お母さん…。わ、私明日家に帰っても、いいかな…?」
『当たり前でしょ?あんたの家なんだから。早く帰って来なさい。バカ娘。』
「あ、ありがとう。うん…。私、帰るね。」
粗雑な言い方がいかにもお母さんらしかった。
「仕方がないわね」と呆れながらも、優しく微笑むいつものお母さんの姿が思い浮かんだ。
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私は放心状態で電話を切ると、よろよろとその場に崩れ落ちた。
つ、疲れた…。一生分の勇気を使った……。
「大分、お母さんに怒られてたみたいだな。」
面白がっているような笑みを浮かべてリビングテーブルの席から里見先輩がこちらを覗き込んでいた。
「はい…。そんなくだらない事で悩んでいたなら、もっと早く言えって。邪魔者だったら12年も家族やってないって、怒られました。
ホームシックになってたのも、お母さん知ってたみたいで、早く帰って来なさい。バカ娘って…。
取り敢えず、明日家に帰る事になりました。
先輩は事前にお母さんと連絡をとっていたんですね?人が悪いです…。」
私は抗議するように頬を膨らませて、怒ったような顔を作って見せたがうまくいったかどうか。
だってそんなちょっとの反抗心よりも、あまりある程の感謝と、尊敬と、言葉にならない色んな感情が先輩に対して押し寄せていた。
「当たり前だ。俺が勝算のない賭けをすると思うか?行き当たりばったりの君とは違うよ。」
「むうぅ…。」
「でも、お母さんに聞かずとも、ご両親が森野の事を大事に思ってることはすぐ分かったけどな。」
「??どうして…?」
不思議顔で尋ねる私に、先輩はいつもの「君はバカなのか?」という表情で答えた。
「そんなの、君と兄弟の名前を聞いたら一発で分かるよ。
森野の妹と弟の名前はお父さんお母さんで一人ずつつけたって言ってただろ?
林檎、苺、柿人、明らかに果物のグループを連想させる名前じゃないか。血の繋がりのない兄弟だけど、目に見える形で繋がりを作ってやりたいっていう両親の気持ちが込められているとすぐに分かる。
そんな両親が君を邪魔者と思ってるワケがないだろ?家族として大切にされてるに決まってるじゃないか。
一緒に暮らしている森野が何で分からないんだ?」
「わ、分かってますよ。お母さんもお父さんも心の優しい立派な人だって。
でも、だからこそ、義理の娘だから、寂しい思いさせないようにとか、兄弟平等にしてあげようとか、そうすべきだからと思って無理をしているかもって…。」
「なら、逆に森野にとって、家族は義理の家族だから仲良くすべきだからっていう理由で無理して付き合ってたのか?お母さんを慕っているフリをしているのか?」
「そんな事ない!それだったらこんなに辛い思いして泣くことなんて、なかった!」
「森野が家族を大切に思ってるなら、家族にとっても森野は大切なんだよ。人間関係ってお互いに築いていくものだろ?
実際、森野のお母さん、森野と全く同じ事を言ってたからな。」
「え。」
「森野は一人だけ血が繋がっていない事を気にして、無理していたんじゃないか。
今回の件で家を出た事で、森野が家から解放されてホッとしてるから連絡をくれないんじゃないかってお母さん涙ぐんでた。」
「う、嘘…。お母さんは何でそんな…!そんな事ある筈ないじゃない!」
「なっ。傍から見てればすぐ分かる事なんだけどな。本当に君とお母さんは“似たもの親子“だよな。考え方がそっくりだもの。」
“似たもの親子”その言葉を聞いた途端、何だかとてもホッとして、また涙が溢れてきてしまった。
いつも意地悪なくせに、この人はどうしてこういう時私が一番欲しい言葉をくれるんだろうか?
「ふぐっ…。ゔえぇ…。せ、せっかく泣き止んだのにぃっ。せっ、先輩。また、泣かざないで下さいよぉっ!」
先輩は人の悪い笑みを浮かべてそんな私を見下ろした。
「悪いな。俺根がサドなもので。森野がベソかいてるのを見るのは非常に気分がいい。」
「うぅっ。いじめっ子!」
私はニヤニヤしている先輩にせめてもの抵抗で、ベーッと舌を出してやった。
そんな私に先輩は少し表情を緩めて言った。
「本当は森野のお母さん、宇多川から森野の話しを聞いて、心配してこっちに来ようと思ってくださってたらしいんだ。
でも俺は、森野が自分から連絡するよう説得してみるから、少し待ってくれって頼んだ。俺の勝手な判断ですまないが…。」
お母さんが…。
心配してお母さんに連絡してくれた夢ちゃんにも感謝しつつ、少し考えて先輩に言った。
「いえ、それは…。有り難かったです。今だから分かりますが、私、極限状態ですごく意固地になっていたから、お母さんが来てくれても心にもない事を言って追い返してしまっていたかもしれません。」
「ふっ。今は素直になれたならよかったじゃないか。」
「はい。全部先輩のおかげです。先輩が私がどれだけ愚かで臆病だったか教えてくれたから。先輩が過去の事まで…。」
瞬間私は血の気が引いた。
私を助けてくれるために先輩が払った犠牲の大きさを思い出したから。
先輩の一番傷になっている過去を私は暴いてしまった。私のように勝手な思い込みで受けた傷とは違い、先輩は好きな人に存在を否定され続けるという今も癒やされない傷を抱えている。
私は事情も知らないまま、無神経に先輩の人間関係を壊し、その上、知られたくなかった筈の過去まで暴いてしまった。
私が愚かだったせいで。
意地悪をいう振りをして、本当は誰より優しいこの人に、今私が誰よりも感謝しているこの人に。
私は何てことをしてしまったんだろう…。
「ご、ごめんなさい。先輩。私…。」
私は先輩の目を見る事が出来なかった。
「いーよ。」
先輩はそんな私から顔を背け、失望したようなため息をついた。
「明日、実家に帰るんだろ?荷物の準備とかあるなら早くしたら?俺ももう二階にあがるから。」
「あっ。はい。先輩、明日のご予定は…?」
「あぁ。特に予定ないから出るとき言ってくれ。見送りくらいはするよ。これで最後になるかもしれないからな。」
「……!」
私は否定も肯定もできないまま、二階に上がっていく先輩の背中を見守った。
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