第60話 生徒Aと生徒Bの対峙

「ホームシックか…。やっとこれで、自然な形で森野を追い出してやれるな。」


「ち、ちがっ。私はただ寝不足で…!」


この期に及んで、必死に言い張る往生際の悪い森野に俺は呆れたように言ってやる。


「今更そんな言い訳通用しないぞ?

あれだけおかしくなってて、気が付いていないとでも思ってたか?


毎日、夜通し泣いたような赤い目をして、いつも心ここにあらず、ボーッとしてやることなすこと失敗ばかり。

そのくせ、大好きな家族から電話があっても、取り付く島もない対応ですぐ電話を切る。

嘘のつけない君が、すぐバレるような嘘をつき続ける。何故だ?


そんなの、会ってからまだ日が浅い俺でも分かる。

家族に会えない寂しさで毎晩泣いてんだろ?

家族と話したり、会ったりするとその寂しさをぶつけてしまいそうで、泣いてしまいそうで、怖いんだろ?」


「違うっ。違うぅっ!」


森野は激しくかぶりを振ったが、溢れてくる涙が、俺の言った事が真実である事を証明していた。


「そうだな。君は、いざという時に頑固なんだってな。宇多川が言ってた。あいつは君が言われたくない事、気付いて欲しくない事は友達としての優しさであえて言わないだろうさ。例え陰で死ぬ程心配していたとしてもな。


でも、俺は違う。君とは因縁の間柄だ。


俺の素行が悪かったせいとはいえ、両親の計らいがあったとはいえ、君の希望で、仮の許嫁になり、同居もする事になった。


だから遠慮なく言いたい事を言わせてもらう。


最初ここへ来たときの君は確かに本当に頑張っていたよ。慣れない環境の中、一切の家事を引き受け、俺の嫌みを笑顔で受け流して、失敗のフォローまでしてくれた。反発する気持ちはあれど、君がすごい奴だ。いい奴だという事は認めざるをえないと思っていた。


それなのに最近の君と来たらなんだ?


家事はおろか学校生活もまともに送れないポンコツじゃないか。


会いたくてたまらない筈の家族に連絡をとることもできない。親友が心配をしてくれているのも気づかぬ振り。


そんなにボロボロになってまで、駄目になってる自分を認められないのか。


人に迷惑をかけても、自分の意地を通すのがそこまで大事か?


傍から見てると見苦しいぞ。

正直君にはガッカリだ。」


「わ、わたしだって!」


そこまで言われっ放しだった森野がヤケクソのように叫んだ。


「私だって、誰より私自身がこんな自分カッコ悪いと思ってますよ!ガッカリだって思ってますよ!!」


森野は泣きながらまくし立てた。


「こんな筈じゃなかった!同居を始めたときは今までお世話になった家族ときれいにさよならをして、ここで、誰にも頼らずに自立した生活を送るつもりだった。最初の一ヶ月ははうまく行ってた。全ての家事を担うのはやっぱり大変だったし、先輩は以外と手のかかる人だったから寂しいなんて思う余裕なかった…。」


「そりゃ、悪かったな。」


俺は迷惑をかけた自覚があるだけに苦笑いをした。


「でも、時間が経って、生活に慣れて心に余裕ができてくると、夜に家族の顔や温もりが思い浮かぶようになって、堪えきれない寂しさに毎日泣くようになった。

こんなに自分が弱いなんて思わなかった。

どんどん駄目になってくの、自分でも分かっていたけど、どうしたらいいのか分からなかった。」


「これで分かったろ?君はまだお母さんの恋しい子供なんだよ。家族と離れて平気でいられるワケがなかったんだよ。」


「うん…。私…子供だった…。な、情けない…。」


森野は溢れてくる涙を指で拭いながら俺の言葉を肯定した。


「なら、どうしたらいいかなんて方法は一つしかないだろ?実家に帰って思う存分家族に甘えて来いよ。近いんだろ?」


「で、出来ないぃっ。」


森野はしゃくり上げながら、なおも頑なに言い張った。


「何で?家族だろ?娘が帰って来て嬉しくない事はないだろ?」


「せっ、せっかく、私が家を出て、4人だけの生活に、なれたのに、いっ、今更、お家になんて、帰れないぃっ。」


「あっ、もしかして、家では双子だけ可愛がられて、森野は冷たく当たられてるとか?優しいご両親だと思ったのに意外…。」


「違います!」


森野は間髪入れず否定して俺をギッと睨みつけた。


「お父さんもお母さんも私といーちゃん、かっくんを分け隔てなく可愛がってくれていました。変な事言わないで下さい!」


「へぇ、じゃあ何故自分は邪魔者だから帰れないみたいに言うんだ?」


「そ、それは…。」


「家族で自分だけ血が繋がってないからか?」


「え…?」


「お母さんとも血が繋がってないんだろ?森野は最初のお父さんの連れ子だな?」


「ど、どうしてそれを…。」


森野は呆然と呟いた。


「どうしても何も…。が知ってて当然の情報だろ?」


「………。」


森野は納得できるような、できないような複雑な表情をしていた。


「だとしても、それが何だ?例え血の繋がりがなくても、今まで一緒に過ごしてきた家族だろ?血が繋がっていても、仲の悪い家族だってたくさんある。森野のところは誰もが羨む位仲のいい家族だったじゃないか。今更何を遠慮する必要があるんだ?」


「私もそう思ってましたよ。」


森野は硬い声で言った。


「あの日、理事長室に呼ばれて両親の前であなたとの許嫁と同居の話が出るその時までは…!」


「!!」


「天然のお父さんは置いといて、お母さんは私が男の子が苦手だって知ってた筈なんです。

なのに、何でまだ16の娘の許嫁と同居の話をあんなに簡単に受けてしまったんでしょう?

私に家を出て欲しい理由があるんでしょうか?

私の事を可愛がってくれていましたが、やはり血の繋がった家族で気兼ねなく過ごしたいという気持ちがどこかにあったのでしょうか?


もしそうだとしても私はお母さんを責められません。


16まで弟妹と分け隔てなく私を育ててくれて、その時まで私にその事を気付かせなかったお母さんはやはり立派な方だと思います。とても辛い事ですが。」


「それが、森野の心につかえている事か?」


「はい。だから私は実家に帰る事はできません。」


「じゃ、聞いてみればいいんじゃないか?」


「は?」


「森野としては母親に邪魔だと思われているかもしれないから、実家には帰れない。でも、その事がはっきりしない限りいつまでも引きずる。それなら、聞いてみればいいだろ?直接本人に、電話で。」


「あ、あの、先輩?正気…??」


「俺は至って正気だ。森野の母親に事実を確認して、誤解だったなら安心して実家に帰ればいい。やはり疎まれているようなら、辛いだろうが、これで吹っ切れるだろう。少しずつでも立ち直って、自分で生きて行く道を探すしかないだろうな。」


「い、いや。そうかもしれないけど、そんな竹を割ったような…。」


「あ、何なら俺が電話してやろうか?森野を追い出すためなら何でもやってやるぞ?」


「やめてよ!」


あまりの提案に呆気にとられていた森野も流石に叫んだ。


「先輩?あ、あなたは血も涙もない人なんですか?

今まで聞けなかったって事は答えを聞くのがこわいから聞けなかったんだよ。少しは空気読んでよ!

誤解だったのならいいけど、大好きなお母さんから私が邪魔だと聞かされたら私は立ち直るどころかこの先生きてはいけません…!


そんな事を聞かされるくらいだったら、このままずっと家族と会えなくても、私を大事に思ってくれているかもしれない可能性を残したままでいたい…。」


「はっ。バカらしい。そんなのモヤモヤを抱えて泣いているだけの、人生じゃないか。」


俺は必死に言い募る森野を鼻でせせら笑った。


「せっ、先輩には分からないですよ!

先輩みたいにイケメンでお金持ちで、実の両親に愛されて何不自由なく暮らしていて、成績優秀、スポーツ万能、何でもできてる学校の人気者で、女の子も選び放題で…。


そんな人に、自分に誇れるものが何一つなくって、家族にすら愛されているのか自信が持てなくて、それでも僅かな可能性に縋っている私の気持ちなんか分かりっこないっ!!」


森野は最初に出会った時に一瞬見せた憎悪の籠もる目で俺を睨みつけた。


「先輩なんか大っ嫌いだよぉ!

最初に会ったときから、私は恵まれている先輩が羨ましくて妬ましくてたまらなかった!ずっとずっと大嫌いだった!!」


知ってたよ…。


やっと言ってくれたな。森野。


拳を握りしめて泣き叫ぶ森野にも、自身の胸の痛みにも負けない位の大声で俺は叫び返した。


「そりゃ、気が合うな!俺だって最初に会ったときから君の事なんて大嫌いだ!!


だけど、俺だって何でもできるワケじゃない!思い通りになるワケじゃない!


死ぬ程望んだ人に否定されて死のうとした事だってある!!」



奇妙な沈黙があった。



暫く森野がしゃくり上げるような小さな音だけが部屋に響いていた。




「う、嘘だ…。」




やがて、森野は目を見開いて呆然としたままそれだけ呟いた。


「嘘じゃない。もう大分薄くなったけどな…。」


俺は左手首に薄く残る白い傷跡を森野に見せた。


「……!!」


「俺は中学2年の時初めて好きな人ができた。その人は優しくて綺麗な大人の女性で、俺の初めてのひとだった。

俺は厳格な両親、窮屈な環境にに反発して、度々彼女の家に入り浸っていた。


ある時彼女の家へ行くと…。」


両手を口に当てて、ものも言えず、蒼白な顔をしている森野に苦笑しながら俺は聞いた。


「こんな話、聞きたくないか?」


青ざめながらも、小刻みに頭を横に振る森野を見て、俺は意を決して最後まで言った。


「彼女は他の男と裸でベッドで抱き合って、行為に及んでいた。俺は気が狂いそうだった。

後で分かった事だが、彼女は俺の母の血の繋がらない妹だった。

彼女は少女の頃俺の父に想いを寄せていたらしい。俺の父を母に奪われて両親への復讐の為に俺に近付いただけだった。


それを知ったとき、衝動的に手首を切った。すぐ見つかって手当てされたから、命は助かったけどな。」


「せ、先輩が…、中学の頃荒れてたって…言ってたのは…。」


森野が唇を震わせてかすれた声で聞いてきた。


「ああ、傷はすぐ回復したけど、暫く何もやる気にならなくてな。数ヶ月は学校にも行かず、自宅で無気力に過ごしていた。まぁ、その頃は家にいても両親とは口も利かなかったな。」


「そ、そのせいで…、先輩は複数の女の子と付き合うようになっちゃったの…?」


森野に問われ、俺は少し考えた。


「んー。まぁ、全てがそのせいっていうのも違うし、卑怯な気がするけど…。

女性に対して冷めた部分はあるかな?真剣に想ったら、相手も想い返してくれるとか絶対ないなって。希望や幻想を持たなくなったっていうの?」


「私はそんな事情も知らないで先輩に説教をしたんですね…。」


項垂れる森野に追い討ちをかけるようにその言葉を肯定してやった。


「ああ。『ちゃんと彼女達に向き合え』って言った。」


森野は絶望的な様子で顔を両手で覆った。


「私はなんて傲慢で浅はかだったんでしょう?私は今、自分が恥ずかしいです。」


「俺も傲慢で浅はかな奴だからな。今、森野に同じ事を言ってやるよ。『ちゃんと家族と向き合えよ。』」


「………っ。」


森野は堪えきれないように目を瞑ると、涙の珠がいくつも頬を伝っていった。


「せっ、先輩には…、私にそう言う権利がありますね。そう言われたら、私も従わないワケにはいきません。

そうじゃないと、私は傲慢で浅はかな上に、ただの卑怯者になってしまいます。」


森野は顔を真っ赤にして、涙を流しながら少しだけ微笑んだ。


「先輩。今から家族に…。お母さんに、まず電話をします。ちゃんと思ってる事を全部言って、向き合ってきます。」


「おう。」


「だから、先輩…。」


「!?」


突然森野が俺の首に手を回して抱きついてくるのを信じられない思いで見つめていた。


小さくて華奢な体がふわっと俺の体を包む。


触れた部分がじんわり熱い。


「私もちゃんと向き合うから、先輩も人と真剣に向き合う事を諦めないで下さい。

先輩は少し捻くれているところもあるけど、人の気持ちに親身になって寄り添える優しい人です。

今回の事も私を追い出すためって言ってて、それも嘘じゃないだろうけど、私の為を想って言ってくれてるのもあるってちゃんと分かっているんですよ?


いつか絶対に先輩の事を真剣に好きになってくれる人が現れますからね。」


それから森野は首に回した腕をゆっくり解いて、俺の頭をポンポンと叩くと小さい子供に言い聞かせるように言った。


「約束ですよ?」


森野は涙をポロポロこぼしながら、満面の笑みを浮かべた。


俺は返事ができなかった。


目頭が熱くて、何か言葉を発しようとすれば、必死にこらえている涙が落ちてしまいそうだったから。


本当に森野は生意気な奴だ。後輩のくせに俺を泣かそうとするなんて。


そんな俺の様子を見ながら森野はあえて返答を求めなかった。


「では、行ってきますね。」


森野は何かを決意した表情で、俺に背を向けて、リビングにある備え付けの電話の方に歩いて行った。


が…。


あと数歩で電話口というところで、急に情けない顔で俺を振り返った。


「あ、あの、もし玉砕したら骨は拾って下さいね?」


「おう。任しとけ。どんな展開になっても話ぐらいは聞いてやる。大丈夫。死ぬ程辛い目にあっても、人は滅多に死ねない。俺がいい証拠だ。」


俺が自分を親指で指してにっと笑ってやると、森野はふふっと泣き笑いのような表情を浮かべた。



「はい。」



それから電話の前に立ち、軽く深呼吸をすると…。

森野林檎は受話器を取って電話番号をゆっくりと、間違えることなく押していった。


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