第20話 掛け値なしの笑顔

「あっ。」

一時限目の授業の準備をしようと、スクールバッグを開けて、俺はしまったと思った。


うっかり、森野の電子辞書を持って来てしまった。昨日リビングで勉強した時に、上に取りに行くのが面倒で、森野に借りたのをそのまま返さずに学校に持って来てしまったのだ。


あいつ、今日辞書が引けなくて、困っているかな?

仕方がない。あの手を使おう。

森野のクラスは確か1ーBだったよな。


❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇


ホームルーム前の1ーBの教室は活気づいていた。

仲のよいグループに別れて、思い思いに雑談を交わしている。

その中でも、中心的なグループはひと目で分かった。

窓際教室の後ろの方の席に座っているセミロングの髪の美少女を中心とするグループ、

数人の取り巻きの女子と、見目のよい男子生徒の何人かが部活の話題で盛り上がっていた。


今は、周りから遠巻きにされ、クラスでも一人で行動する事が多いが、

少し前までは、俺もクラスのあんなグループの中にいたんだよな…。いいなぁ。畜生…!


いや、感傷に浸っている場合じゃないか。


恐らくはセミロングの髪の美少女が、宇多川夢だろう。取り巻きの女子の一人が森野だった。

宇多川の隣で楽しそうに話に加わっていたが、男子に話しかけられると、途端に緊張した様子で、引き攣ったような笑顔で受け答えしていた。


男子が苦手っていうのは本当みたいだな。


俺は入口にいたクラスの女子に声をかけた。


「ねぇ君、すまないけど、これ、森野さんに渡してくれる?昨日図書室に電子辞書忘れていったみたいなんだ。」


「は、はいっ。分かりました。」


その女子はポーッとした様子で、了承してくれた。


「ありがとう。」


俺はにっこり笑って礼を言うと、教室を出た。


「きゃーっ。誰あの先輩?めちゃめちゃカッコよくない?」


背後から女子達の歓声が聞こえた。


その一年生達には俺の顔はしれていないみたいで、イケメン効果が健在だった。


まだまだ俺も1年相手ならもうワンチャンいけるかもな。


などと思っていると、後ろから誰かが全力疾走で追いかけてきた。


「せんぱーいっ。」


「げ。」


嫌な予感がして振り返ると、森野が息を切らせてこっちに走って来た。

極力目立たないように渡してやったのに、意味ないじゃねーか。


森野は近くに寄ると、俺に睨まれ、はたと気付いたように取り繕った。


「あっ、えーと。どこの先輩かは存じませんが、リビング…じゃない、図書室に忘れていた電子辞書をわざわざ持って来て頂いてありがございました。ホント助かりました。」


森野は満面の笑顔で礼を言った。

さっき男子生徒に見せていた引き攣った笑みとは全く違った心からの笑顔だった。


「べ、別に礼を言われる程の事はないけど。」


借りたものを返しそびれていただけで、どっちかって言うと、こっちが謝らなきゃいけない方なんだけどな。


「いえ、届けて頂いて嬉しかったです。」


「そうか。よかったな。」


俺はニコニコしている森野から目を逸らして言った。


「はい。それと、先輩。」


「何だ?」


「ご体調の方は大丈夫ですか?」


森野が心配そうに聞いてきた。

週末体調を崩したのを心配して言ってるんだろうが、初対面の先輩に言う事じゃないだろ?

俺が周りを気にして慌てると、森野は弁解するように言った。


「あっ、いや、私保健委員なので、体調が悪くなる事があったらいつでも言って下さいね?」


「分かったよ。今のとこ大丈夫だけど、もし悪くなったら君を頼る事にするよ。」


「はいっ。それでは失礼します。」


森野は安心したように微笑むと、また教室の方へ戻って行った。


小柄な体がパタパタ駆けていくのを見送って、俺はふーっとため息をついた。

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