第8話 モブとバグ

気持ちよく晴れた日曜の朝、俺はリビングのソファーに座り、窓から見える空に白い雲が浮かんでいるのをぼんやり眺めていた。


といっても、のどかな気持ちで春の空を眺めていたワケではない。


今目の前で起こっていることを受け入れず、

それらをすっ飛ばして、窓の外の風景を見ていたのだから、一種の現実逃避というヤツだろうか?


約束していた通り、森野の家族(森野の父、母、森野、森野の双子の弟、妹)が自宅にやってきて、許嫁やシェアハウスでの同居についてウチの両親と森野の両親で話し合っていた。


その中で、森野の母は森野の父とは再婚で、森野は森野母の連れ子であること、その後

森野の父との間にできた双子の子供達(森野苺もりのいちご森野柿人もりのかきと)は今年で小学一年生になることが分かったが、俺には正直どうでもいい情報だった。


シェアハウスの場所や、いつから入居できるかなど、学校の手続きがどうこうなど、全て俺の預かり知らぬところで、勝手に決められていた。


一通り話し合いが終わると、森野父と親父は昔話に興じ、森野母は、ともすればソファーから飛び降りて暴れ出しそうな森野弟を窘めながら母と世間話をし、森野は森野妹とテーブルに出してある近くの有名洋菓子店のクッキーやマフィンを頬張りながら、ガールズトークを楽しんでいた。


(どうしてこうなった?俺、何でここにいるんだろう?)


自宅のリビングルームで繰り広げられる二家族の団欒を俺は虚無の瞳で見遣っていると…。


「ねぇ、お兄さん、お兄さん。」


ふと、膝のあたりをポンポンと叩かれた。


「ん?」


先ほど森野と話し込んでいた小学一年生の妹が、くりくりした大きな瞳で、俺を興味津々の様子で見上げていた。


「えぇと、確か…苺ちゃんだったかな?何かな?」


「お兄さん、イケメンですね。」


うん、正直でいい子じゃないか。森野の妹とは思えない。


「ありがとう。苺ちゃんも可愛いね。」


俺はにっこりわらって、森野妹のツインテールの頭を撫でてやると、森野妹は目がハートマークになっていた。


ホラ見よ、イケメンスマイルの威力を!幼女にまで効果抜群だぜ!


照れて、森野妹が森野の背後に逃げてバシバシとその背中を叩いた。


「痛た…!いーちゃん何?」


「りんごちゃん、いいなぁ、こんなカッコイイお兄さんと結婚できるなんて!前はお父さんみたいな人と結婚したいって言ってたのに、全然違うじゃん!結局じゃん!」


「え…いや、ハハハ…。お父さんもカッコイイと思うけどな…。」


森野は黒縁メガネをかけた、額が後退しかけた、真面目でやや陰のうすそうな森野の父と俺を見比べて苦笑いしていたが、俺と目が合うと気まずそうに目を逸らした。


「こらこら、苺。2人の邪魔しちゃダメよー。」


そこへ、森野の母が割って入った。


「邪魔してないもーん。」


森野妹は頬をプーッと膨らませて言い返した。


そのやり取りをきいて、森野の父と話し込んでいた親父がこちらを振り向いて言った。


「ああ、つい話に熱中してしまって。若い二人で話したいよな。気付かなくてすまなかった。浩史郎、森野さんをお前の部屋に案内して差し上げたらどうだ?」


「ああ、いえいえ、そんなお気遣いなく…。」


森野が遠慮するのを遮るように俺は肯定した。


「そうだね。確かに僕らで話したい事もあるし。ねぇ、森野さん」


凄みを効かせた笑顔で言外に(逃げんじゃねーよ!)と目で言うと、森野は引き攣った笑顔で仕方なく応じた。


「あはは…。そう…ですね…。」


その様子は両親達には二人仲睦まじいように映っていたのだろう。


全員が温かい目で見守る中、俺は森野を促して自室のある二階へと連れて行った。


階段を登り、廊下沿いの左右にはいくつも部屋が並んでいるのを見て、森野は目を丸くした。


「本当に大きいお家ですね。お部屋いくつあるんですかぁ?」


「半分以上は物置部屋だよ。父の趣味の本が多くてね。俺の部屋は左側の一番奥。」


俺は自室のドアを開けると森野を促した。


「入って。」


「あっ、はい、お邪魔します。」


森野はおずおずと、部屋の中に足を踏み入れた。


「わぁ…!」


森野は机、パソコン、本棚、ベッド、ラック、洋服ダンスなど基本の家具以外何もない、寒色系でシンプルに片付いた俺の部屋を

キョロキョロと見回して、歓声を上げた。


「不本意ながら、この部屋に入れた女性は家族以外では君が初めてだ。ご感想は?」


「私も、年頃の男の子の部屋に入ったのは初めてですよ。男の子の部屋ってもっと散らかってるんだと思ってました。広くて、モデルルームみたいにキレイですね。こんな部屋に住めるなんて、先輩が羨ましいです。」


興奮気味にそう言う森野に俺は冷たく言った。


「もう、シェアハウスに引っ越すけどね。」


「あ…。ご、ごめんなさい。」


森野は気まずそうに謝った。


「少し話そう。そこら辺適当に座って。」


俺は森野にベッド横の紺色のラグマットが敷いてある辺りを指差して言った。


「は、はい。」


森野は緊張した様子でラグの上に大人しく座った。


「で、こんな事をして何が目的なんだ、君は?」


「……。」


「俺に気があるワケじゃないって言ってたよな?俺自身が目的じゃないなら、この家の

財産目当てか?」


「どちらも違います。というより、最終的にあなたと結婚まで行くつもりはありません。だから、安心して下さい。」


「はあぁ!?」


「学費がタダになる事と、家を出てシェアハウスで自立した生活をできるっていう事が

魅力だったんです。」


「自立したいからって理由はまだ分かるけど、学費がタダになるからって…、そんな理由で君は許嫁の事を決めたのか?」


俺は許嫁&同居を決めた理由に思いもよらない理由を言われ、呆然とした。


「先輩はお金持ちだから、そんな事って思うかもしれませんが、この学園の学費年間いくらか知っていますか?私立大学並にかかるんですよ。一般家庭には、なかなか厳しいお値段なんです。まぁ、私は奨学特待生なので、実際はその半額ですが。」


「それぐらいだったら、俺の小遣いで充分賄える額だ。その分出してやってもいいから、考え直さないか?」


「先輩、いくらお小遣いもらってんですか?」


「月○万円」


「先輩を絞め殺してやりたくなりました。」


鋭くこちらを睨んでくる森野に肩を竦めた。


「まぁ、今はああいう事があったから減額されて昼飯代のみになっているが…。」


「遠慮しておきます。先輩のお小遣いは自分で稼いだお金じゃないし、ご両親の信頼いかんで失うような不安定なものではありませんか。そもそも、先輩にお金をもらう謂れがありません。」


「親父に学費を出してもらうのはいいのか?」


「許嫁という役目を負います。シェアハウスで先輩と一緒に生活をします。その対価として学費を出して頂くんです。何もしないで頂くワケではありません。」


人差し指を突きつけて力説する森野に、俺は嘲るように言った。


「何が許嫁の役目だ!もともと、結婚する気がないのなら、詐欺と同じじゃないか?俺の両親も君のご両親も騙している事になるんだぞ。良心は痛まないのか!」


森野は少し怯んで、小声になった。


「わ、私の両親には…おいおい分かってもらいます。きっと最終的にはそれでよかったという事になる筈です。」


うん、と咳払いをして調子を取り戻すと、森野は続けた。


「先輩のご両親に関して言えば、もっと簡単です。そもそも許嫁の話が出る事になった根本の問題を解決すれば、無理にという形にならずとも好ましい結果になると思いますよ。」


「根本の問題って、あの騒動の事か?見るも無惨な形で終わって、今更解決も何もあったもんじゃないが…。」


「そうではなくて、それ以前からの先輩の素行の悪さ(女性関係のだらしなさ)がご両親の心配の種になっていたってことですよ。

そこへ来て、あの二股騒ぎ。ご両親は、もうこうなったらしっかりした特定の女子と強制的にくっつけちゃって、他の女子との問題が起こらないようにしようと思われて、許嫁の提案をしてきたんじゃないですか?」


「それは…まぁ、そうなんだろうな。」


俺は森野の言葉に同意した。いきなり降って湧いた許嫁&同居の話に憤り、両親の真意を測りかねていたが、つまりはそういう事なのだろう。


「君は考えなしに行動するバカだと思っていたのだが、案外結構考えているんだな…。」


俺は少し驚いて森野を見た。


「バカって何?失礼な!これで言われるの

3回目ですからね!口が悪いなぁ、もう!

まぁ、たまに考えなしに行動しちゃうこともあるけど、普段はちゃんと考えているんですよ。」


森野はプリプリと気分を害した様子で主張した。


「えっと、それでですね。先輩のお父さんが言うように、先輩がこれから女性との不誠実な交際を改め、勉強や他の色々な事に励み、自立した立派な姿を見せれば、ご両親の信頼も回復し、そうしたら許嫁を提案した原因もなくなるし、その頃に許嫁を解消しても問題ないのではという事です。」


なるほどと、思わず頷く。


「これから先輩は、自由になるために女性達との関係を断ち、自立した姿を見せ、ご両親の信頼を回復する。

私は、学費と自立のために、シェアハウスで一緒に生活し、先輩をサポート(監視)する。

ねっ、悪い話じゃないでしょう?ずっとではありません。ご両親の信頼を回復するまでの期間限定の同居です。

取り敢えず1年間ぐらい、目標達成の為頑張ってみませんか?」


「うん。君の言う事も一理ある。確かに僕にとって悪いだけの話じゃないかもしれない。」


「でしょう?」


森野は嬉しそうに言った。


「でも、少し気に入らないな。」


俺の目に剣呑な光が宿ったことに、森野は気が付かなかった。


「え?わっ、ちょっと…!!」


俺は無防備な森野の肩を、床に押さえ付けるように引き倒し、上から覆い被さるような体勢をとった。


至近距離に、驚いて目を見開いた森野の顔がある。

俺は逃げられないように、そのすぐ横に手を付いた。


「全部が君の思い通りじゃないか?人を舐め過ぎだろ?」


耳元で囁くように言ってやった。


「何するんですかっ?!離して下さい!」


いきなり押し倒された森野はパニックになっている。


「男と一緒に生活するって事がどういう事か分かってるのか?部屋に連れ込まれていいようにされても、誰も助けてくれないんだぞ?」


「!!」


怯えた様子の森野に、更に耳元で囁く。


「君…処女だろ?言っとくけど、俺は童貞じゃないからな。シェアハウスを退去するころには、俺に大事な貞操を奪われてボロボロになっていると思うけど、いいのか?」


「わ…私に手を出したら、ご両親に言います!そうしたら、許嫁解消できなくなりますよ?」


森野は震える声で反論した。


「それは、君にとっても不都合だろ?俺と結婚したくないなら、何があっても黙っているべきじゃないのか?」


「……。」


森野は涙目になって、俺を睨みつけている。


できれば、俺もこんな手は使いたくなかったが、今は手段を選んでいるときではない。

森野さえ諦めてくれれば、許嫁の件は白紙に戻る。森野は大分ビビっている。あと、もうひと押しというところか。


「こ、こんなの想定外だよ、夢ちゃん…。アレはリビングに置いてきちゃったし、どうしたら…?」


森野は何かワケの分からない事をブツブツ呟いている。


「何?誰だって?もしかして君、彼氏がいるのか?なら、なおさら…。」


「違います!夢ちゃん私の親友で女の子です。あっ、そうだ!」


森野はキッと俺を睨みつけてそう言うと、何か思いついたように、スカートのポケットからペンのよいなものを取り出して、俺の目の前に付き出した。


ん?このペン前にも見たような記憶が…。


森野はペンに付いているボタンをカチッと音を立てて押すと、音声が流れてきた。


『君を初めてみたとき、俺の好みからは一番遠いところにいる子だと思った。女だと思えない。つまり、俺にとって君は『モブ』キャラでアウトオブ眼中だ。結婚相手になんて考える事も出来ない。

頼むからこの話は断ってくれ!』


間違いなく、俺の肉声だった。


俺は思わず呻いて森野から離れた。


「それ、ボイスレコーダーだったのか?

君…なんてもの録ってるんだ…!」


今思い出しても苦々しい。通常の精神状態じゃなかったとはいえ、女の子に対してひどい事を言ったものだ。しかも、全くの本音なのがたちが悪い。


森野は身を起こして勝ち誇ったような笑顔を浮かべていた。


「ねっ?これが証拠ですよ。先輩の本音はしっかりと録音させてもらってます。

先輩は私に手を出すことはありません。

大体、こんな事でダメージを受けてしまうような繊細な神経の人が、無理矢理女の子をどうこうするなんて出来ません。

悪い人ぶって脅しても無駄ですよ?」


「くっ…!」


「先輩が、私を『モブ』だと清々しいまでにはっきり宣言してくれたから、私はこの話を受けたんです。何をどう転んでも、この人とは『男女関係』にも『恋愛関係』にもならない。そう確信できたから、私は安心して仮の許嫁になることを決心できたんです。

先輩にとって私は『モブ』なら、私にとって先輩は『バグ』です。

普通だったら関わり合いになる筈のない相手ですが、何かの間違いで関わる事になってしまいました。その状態はいつかは修正されて、なくなるのでしょう。

でも、しばらくは諦めてお付き合い下さいね?

お互いの目的の為に…!」


森野は笑顔で言い切った。

その笑顔は力強く、もう見せかけの脅しではびくとも揺るがない様子だった。


こうして俺は、この馬鹿げた許嫁&同居の件を白紙に戻す事のできる最後の機会を失ったのだった…。



*あとがき*


いつも読んで頂き、フォローや、応援、評価下さって本当にありがとうございます

m(_ _)m


今後ともどうかよろしくお願いします。

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