第1部 第1話 §2  その名はドライ その1

  街を出たローズは暫く歩き、やがて街道から外れた山道に入り、不気味に静まり返った、暗い森へと差し掛かる場所までやってくる。


 だが、耳を澄ませると、木々の葉が擦れる騒めきの中に、人の気配の騒めきを感じる。きっと何かが起こると、彼女は確信するのだった。


 しかしそのようなことは、今更珍しいことではなかった。森に入れば夜盗も山賊もいる。可成りの規模を誇った盗賊団が根城にしていることもある。

 そして、賞金稼ぎが其処へ身を投じるのは何ら不思議なことではなく、彼女もそんな一人であり、何の躊躇も無くそんな森へと続く道を進み続けた。


 暫くすると、騒めきが狂気の声へと変わる。感極まった野卑な声が、興奮した叫び声となって、森中に響き渡り始めた。


 それは、紛れもなく盗賊共が獲物を追い回している声だ。


「誰かぁ!助けて!」


 そして彼等の獲物であろう、その主が声を上げる。


 高く若々しい女性の声が聞こえる。間違い無く獲物として追われている主の声に違いない。


 吐き出す呼吸の間から必死に絞り出すその声は、命辛々で、今にも狂気に押しつぶされそうなほどに、張り裂けんばかりのものだった。


 そして、彼女は縺れもつれそうになる足を漸く動かし、ローズの膝元に転げるようにして現れるのだ。


 半裸になったその女性は、顔も打たれているのか、口から血を流し、頬も腫れ上がっている。ローズが目に入ると、彼女は藁をもすがる思いで、ローズに助けを求め、彼女の足にすがる。


「おぉぉ…お願いです!追われてるんです!」


 震えながら必死で、ローズの服の裾を掴み、懸命に引っ張り、保護を求める。

 彼女はもはや疑心暗鬼になる余裕もなく、目の前に現れた人間にただ縋るすがること事に、必死だった。


 ローズは口元をわずかにも開くことなく、女性を見つめた。


 その直後、今度は盗賊共が目の前に姿を現し、薄暗い夜の中、盗賊の持っている松明の明かりが、二人を照らし出した。


「へへ……、女が一人増えたぜ」

「ああ、活きの良さそうなネェチャンだ……」


 ローズを眺める盗賊共の目は、盛りの付いた野獣より劣っていた。

 だが女であり、賞金稼ぎである彼女にとって、この視線は、もはや見飽きる物となっていた。


 彼等の次の行動は大体目に見えている。女が心身壊れても尚飽きるほど弄んだ後後、道具として役に立たなくなった後、山中に置き去りにしてしまうのだ。

 心神喪失した後の末路など、見るに堪えない。


「怪我をしないように、下がっておきなさい」


 此処でローズが漸く口を開き、女性を庇い、盗賊との間に割って入り、そして腰元からスラリと剣を抜き構える。


 その剣は、柄に劣らず刀身も燃えるように紅く、松明に照らされ、なお紅く輝く。


 ロングソードであるにも関わらず、彼女は軽々と左手一本でそれを軽く振り回し、一度両手で持ち腰を落として、いつでも動ける体勢に入る。


 ローズは左利きの剣士なのである。そのためか、構えが少し歪に見える。

 それに少し戸惑った盗賊達だが、彼女が身構える様子を見て、斧や剣、ショートボウなどを持ち出す。


 左利きの剣士は、相対するには少々遣りづらいのだ。ただ盗賊達には多勢で有り、すぐに平静さを取り戻す。


「女如きが、俺達に敵うと思っているのか?俺達はなぁ、あのドライ=サヴァラスティアを……、赤い目の狼を殺ったんだぜ。たった今なぁ!」


 余裕ぶった態度で、ローズを上から見下ろして、角張った厳つい顔をニタニタとした笑いで溢れさせる。

 だが、ローズの反応は変わらない。


「笑止。御託はそれだけ?……いくわよ」


 ローズが、至近距離をさらに詰め、盗賊共の懐に飛び込む。そう思うや否や、クルリと回転すると同時に、あっと言う間に、横一文字に数人を切り殺してしまう。


 ローズは、次に後方からクロスボウの矢が飛んでくるのを、弦が弾ける一瞬の音で察知し、上空に飛び上がり、木の枝の飛びつき、上に立つと同時にしゃがみ込む。

 そして盗賊共が彼女を捜している間に、剣を木の枝に突き刺し、左手を前に、右手を胸元で握りしめ、弓を引き絞る型を取る。


「雷光のライトニング・ボウ!!」


 声と同時に、握りしめた右手を解放する。すると、そこから黄金に輝く矢が現れ、あっと言う間に、クロスボウを持っていた盗賊の身体を貫く。それから再び剣を手に、枝の上から飛び降り、着地と同時に残り数人を連続的に斬り殺してしまう。


 まるで大地を掛ける疾風の如く、素早い動きで、あっという間のことだった。


 盗賊を殺し終え、周囲に騒めきを感じなくなると、転がっている盗賊の死体の側にまで寄る。


「ドライを殺したって?そんな腕で、世界一の男を殺せるもんか!」


 すでに死んでいる相手に対して、怒り気味に捲し立てて言う。


 自分が殺すまで、ドライに死んで貰っては困るのだ。それがこんな三下に殺されたと考えると、其れだけで腹立たしい。

 ドライだけは、自らの手でズタズタに切り裂かないと気が済まない。

 怒りと憎しみに食いしばられたローズの口元が酷く歪む。


 それから目星いと思われる盗賊共の首を、賞金との引き替えの証明にするため、一つ二つ切り落とす。そして鞘に括り付けていた、鞣し革で出来た袋を取り出し、首をその中に放り込む。


 袋の口は閉じられたものの。血の臭いが直ぐに断たれることもない。それから女性の方に近づく。荒っぽい仕事をするローズだが、丁寧に、彼女の肩や背中に怪我がないかどうかを調べ始めた。


「大した怪我は無いようね、それにしてもそこまでされて、良く無事で済んだわね。他の連中は?」


「みんな殺されて!でも、一人の男の人が助けてくれて!そう、盗賊が、ドライだって!」


 彼女は、怯えていたが盗賊と彼女の会話を耳にしていたようで、ローズに懸命にその事を伝える。


 「そう……」


 ローズは、少しだけ考える。だがここで彼を逃してしまえば、次に何処で会えるか解らなくなってしまう。漸く彼を捕まえる事の出来るチャンスが訪れたのだ。

 そして、決断する。


 「申し訳ないけど、一人で街まで行けるわね?此処を真っ直ぐ下ればすぐだから……」

 

 女性はローズの、鬼気迫る表情に気圧されて、唯々頷くのだった。


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