第1話:相談

「私、離婚しようと思うの」


 第一声はそれ。


 目の前にあるアイスコーヒーの入っているグラスの氷を見つめていたら、タイミングよく溶けた氷がカランっと涼し気な音を立てる。

 黒いコーヒーと氷が解けてできた水が表面で混ざり切らずに、黒と透明のコントラストを見せる。

 黒と透明の狭間がとても綺麗でこの均衡を壊したくない、そんな衝動に駆られる。


 グラス越しに見える屈折した淡いピンクの服を辿って顔を上げると、目の前にいる親友が私を見ている。その瞳には「早く同意して」と書いてある気がする。


「聞いてる?」


「うん、聞いてるよ。なんて答えようか考えてたの」


 私の答えに納得したのか、僅かに前のめりになっていた体をソファーの背もたれへと戻して、私の言葉を待っている。

 そもそも昨晩、通話アプリで送られた長文を読まされた上ですぐに話を聞いて欲しいと電話がかかってきて、朝早くから喫茶店に呼ばれたというのに、アイスコーヒーが来てすぐに「ねえどう思う?」では、私が答えるタイミングはないと思うのだけど。


沙姫さきは、旦那さんが浮気してる現場を見たの?」


 私の質問に自信たっぷりに首を横に振ると、テーブルに両腕を置いて、再び体を前のめりにする。


「朝帰りも多いしさ、絶対浮気してる!」


「それだけじゃあ証拠にはならないし……」


「一回聞いたときに、そんなわけないだろ! ってめんどくさそうに言ってさ逃げて行くんだよ。でさ、すぐにシャワー浴びに行くし、絶対やましいことがあるからだって」


「直接聞いたの?」


「うん、そっちの方が早いし」


 驚く私に沙姫は自慢げに頷く。


「それにさ、私にはこれがあるもの!」


 沙姫は自分のスマホを操作すると印籠のごとく私に見せてくる。


 そこには、女の人と一緒にホテル街を歩く沙姫の夫、正和まさかずさんが写っている。

 女性は顔を正和さんに向け見えないが、長いミルキーブロンドの髪の後ろ姿に、両肩が見えるオフショルのニットとミニのスカートを穿いていて、ギャルっぽいファッションをしている。


 そんな女性を真剣な表情の正和さんは話し掛けている姿。


「これも見せたの?」


「これはまだ。とっておきだから」


 沙姫は笑みを浮かべ、写真の写るスマホを大事そうに抱えている。


「その写真どうしたの? 沙姫が撮ったってわけじゃないんでしょ?」


「まあね、メッセージアプリに匿名で『あなたの夫は浮気をしてます』って写真付きで送られてきたから誰かは分からないけど、うちの夫が写ってるのは間違いないし。証拠としては使えるからいいかなって」


 そう言って、もう一度私に見せてくるスマホの画面には、独特な光を放つホテル街で、正和さんとギャル風な女性が向き合っている、不倫に見えなくもない写真。


 写真を見せる沙姫はどこか嬉しそうでもある。


「そんなに離婚したいものなの?」


「3年も一緒にいたら段々と嫌なところも見えてくるしさ。茉莉まりのところはどうなのよ?」


「私? 私のところは別に普通かな」


「普通って、そう言えるのが一番難しいんだって」


「そうかな? まあ、嘘がつけないっていうか素直ではあるかな? 思ったことをちゃんと伝えてくれる人かも」


「なにそれ、自慢? 素直ってそれが一番大事だって! あぁ良いなぁ~。茉莉のとこ優しそうだもんなぁ。あぁ~見る目なかったなぁ~私も茉莉の旦那さんみたいな人が良いなぁ~」


 良いな、良いなを連呼する、沙姫に向ける私の表情はきっと幸せな笑顔。

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