第5話 破滅を呼ぶ悪魔
北海道の空の玄関口・千歳。
ジャカルタから到着した飛行機を下り、入国手続きを素早く済ませて空港を出た宏信は、迎えに来ていた車のトランクに持っていた荷物を押し込むと急いで助手席に飛び乗った。
「時間がありません。ミスター柴崎。封印が遂に解かれてしまったと、先ほど夕張にいるジルコフから連絡がありました」
運転席に座っていた浅黒い肌のアラブ人の男が、訛りのある英語で宏信にそう伝える。宏信がシートベルトを締めると、彼はすぐに車を発進させた。
「とうとうか……。もう少し早く解読が終えられていれば、日本政府にも危険を伝えることができたんだがね」
自分の力不足を悔やむようにそう呟く宏信だったが、運転手のアミード・ビン・ワリーはそれを言っても仕方がないだろうと慰めるように小さく首を振った。彼はドーハにいる石油王のラーティブが社長を務めている国際石油企業の社員で、訳あって日本に赴任して働いているヨルダン国籍の若者である。
「例のモノは、後ろの席に置いてあります。これさえあれば恐らく……」
「今はとにかく、そう信じるしかないだろうね」
車の後部座席のシートを占拠している黒い大きなケースに目をやって、宏信は柄にもなく神頼みをするかのように言った。ラーティブがカタールから日本に送らせた、宏信もよく知っているこの道具が最悪の大惨事を防ぐ頼みの綱となる。だが実際に上手く行くかどうかは、やってみなければ分からなかった。
「とにかく急ぎましょう。旭川にいるお嬢様の所へ。飛ばしますよ」
「ああ。未玖に今から連絡を取ってみるよ。今日は日曜だから、学校には多分行ってないはずなんだが……」
背広のポケットからスマートフォンを取り出した宏信は、旭川にいるはずの娘に電話をかける。千歳から旭川へ向かうハイウェイに入った車は、その間にもぐんぐんスピードを上げていった。
この地球上に恐竜が栄えていた中生代よりも更に昔、約五億年前の古生代に生息していた節足動物。現生のいかなる生物とも異質なそれら絶滅種の一つであるオパビニアに、その飛翔体は姿形が酷似していた。
妖しく紫色に発光するライトのような六つの目と、象の鼻のように顔から長く伸びた突起、そしてその先端についた食虫植物の
太古のオパビニアとは異なる点として、その飛翔体には数十本の短い脚とは別に、蟹を彷彿とさせる巨大な
「ば、化け物だ!」
「逃げろ! 怪獣だぞ!」
地表の土砂を吹き飛ばし、夕張岳の麓の工事現場の地下から出現したその奇怪な物体は、右の前脚を突き出して鋏でブルドーザーを挟み込むと、そのまま真上に浮遊して甲高い金属音に似た耳障りな鳴き声を発した。顔から伸びた長い突起はいくつもの関節に分かれたチューブのようになっており、その先端についた口が、悲鳴を上げて逃げ惑う地上の土木作業員たちの中から獲物を物色するかのように左右にゆらゆらと揺れ動いている。
「悪魔じゃ……! 悪魔の封印がとうとう解かれてしまった」
空高く持ち上げられていたブルドーザーが、鋏で斬られて真っ二つになり落下する。古いユーカラに伝わる破滅をもたらす悪魔の復活に、敦彦は恐れ慄いて腰を抜かした。
「
アイヌの祖先が彼らよりも更に古くから栄えていた別の民族から伝え聞いたのが起源とされる遠い昔からの伝承によれば、この山林の中には大昔の魔術師が悪魔を封印するために作った結界があったのだが、アミューズメントパークの建設のために木を伐採して土地を馴らしていた作業員たちは知らずにそれを破壊してしまったのである。敦彦が恐れていたのは、その封印されていた悪魔が現代に蘇ってしまうことであった。
「愚かな話だ……。だがこれでいい。計画通りだ」
眠りから覚めた怪物の禍々しい姿を見上げながら、セルゲイは湧き起こる畏怖の念に強張った口元をわずかに歪めて
「こちらジルコフ。聞こえるかアミード。ザデラムが遂に復活した。とにかく急げ! 一刻も早く栗原未玖と接触して、彼女の力を試すんだ」
いつまでもこんな所にいては命はない。運転席に備えつけられたハンズフリーイヤホンでアミードと通信しながら、セルゲイはアクセルを強く踏み込んで狭い林道を全速力で突っ走った。
「ザデラム……やはり伝説通りの凄まじさだな」
背後で轟音が響き、車のバックミラーに巨大な爆炎が映る。セルゲイの車が走り去った直後、彼にザデラムと呼ばれた不気味な飛翔体は両手の鋏から青い稲妻を放ち、アミューズメントパークの工事現場に大爆発を発生させて全てを木端微塵に吹き飛ばしたのである。
同じ頃、駒ヶ岳の麓にある鹿部のゴルフ場では、グリーンの上に集まった人々がゴルフを楽しむのも忘れてずっと山頂の方を見上げながら騒いでいた。
「あっ、また見えたぞ!」
駒ヶ岳の火口の中から、上空に向けて赤いビームのような光が何度となく飛んでいる。つい数分前には、山の上を飛んでいたドローンらしき小さな物体がその光に撃たれて爆発するのも見えた。火山の噴火とは明らかに違う不可思議で奇妙な現象に、集まったゴルファーたちは一体何が起きているのだろうかと口々に言い合っていた。
「おい、あれは何だ!?」
年老いたゴルフ客の一人が、持っていたクラブで山頂を指しながら声を上げた。火口から大量の砂煙が濛々と立ち昇り、やがてその煙の奥から巨大な何かの影が現れる。
「りゅ、竜だ!」
「ドラゴンだぁっ!」
トリケラトプスのような長い二本の角を持つ、鮮やかな真紅の鱗に全身を覆われた巨竜。翼を羽ばたかせて駒ヶ岳の火口から浮上したそのドラゴンは空中で大きく咆えると、口から赤い灼熱の熱線を吐いて山頂付近に爆発を起こした。硬い岩石が粉々に砕け、炎上した土砂が雪崩のように山の斜面を下ってゆく。
「怪獣だ! 早く逃げろ!」
アンキロサウルスを思わせる鋭い棘の生えた尻尾の丸いスパイクを振り回しながら、全長四十メートルの真っ赤なドラゴンは駒ヶ岳の周囲をぐるぐると飛び回る。麓にいた人々は恐れをなし、悲鳴を上げながら一斉に逃げ出した。
地上の混乱をよそに、巨大な竜はしばらくゆっくりと空中で旋回を繰り返していたが、やがて遥か彼方にある何かの存在を鋭く察知したかの如く、突然向きを変えて北東の方角へ凄まじい速さで飛び去っていった。
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