第4話 二大怪獣の復活
大地を覆っていた雪が溶け、北海道にも遅めの春が訪れる。長い冬の間、ずっと冷たい雪に埋もれていたフィールドの芝に緑が戻って来れば、待ちに待ったサッカーのシーズンもいよいよ開幕である。
旭川市の郊外に建設されたばかりの大型球技場・旭川ライジングスタジアムでは、地元のプロサッカークラブ・ライザーレ旭川と九州の強豪・サンタクルス島原の試合が開催され、詰めかけた二万人を超える観衆が、曙色のユニフォームを纏って躍動するライザーレの選手たちに熱い声援を送っていた。
「行け行けっ! チャンスよ! ああっ、惜しい……!」
白いTシャツの上にライザーレのレプリカユニフォームを着ながら、未玖はライジングスタジアムの観客席から声を涸らして地元旭川のチームを応援する。ユニフォームの背番号はお気に入りの13。背中に大きく書かれた数字の上にはアルファベットで「SUGIURA」という選手名が刻まれている。
ファルハードが栗原家から巣立っていったあの日から、既に七年。十八歳になった未玖と拓矢は、旭川市内の同じ高校に通う三年生となっていた。アウェイのサンタクルスに先制点を奪われ、0-1のスコアのまま残り時間が少なくなってくると、未玖は選手交代を待ち侘びるようにライザーレの控え選手たちが並んでいるベンチの方に目を向ける。その一番奥には、彼女のレプリカと同じ背番号13のユニフォームを着た幼馴染の姿があった。
「拓矢の出番、まだかな……」
高校卒業を来年に控え、本州の国立大学への進学を目指して受験勉強に励んでいる未玖に対し、小さい頃からサッカーが得意だった拓矢は高校入学と同時にライザーレのユースチームに入団し、実力が認められて今やトップチームの試合にも度々出場する選手となっていた。この試合でも先発メンバーからは外れたものの、劣勢に立つライザーレの反撃の切り札として十分に期待できるストライカーの一人だ。
「ファル、今頃どうしてるかな……?」
一点を巡る白熱した攻防の中、ふと未玖はそんなことを考える。今でも夢だったんじゃないかと思ってしまいそうになるような、不思議でファンタスティックで楽しかったあの赤い小さなドラゴンと過ごした日々。ファルハードを野生に放すことについては不安や懸念も多かったが、今までに人間に発見されて騒ぎになったり、何か悪さをしてどこかに被害が出てしまったりしたことはないようで、きっとどこか人里離れた場所でひっそりと暮らしているのだろうと未玖は思う。元気でいてくれたらいいけど、と、未玖はライザーレの選手の一人が放った豪快なロングシュートの軌道を目で追いながらそっと心の中で祈った。
「よし、最後の選手交代で勝負だ。杉浦、行けるな?」
「はい! 監督!」
ライザーレを指揮する
「来たぁっ! いよいよ拓矢の出番ね!」
残り時間はおよそ十五分。守備を固めて逃げ切ろうとするサンタクルスを何とか攻め崩そうと、拓矢というジョーカーを投入し前線の人数を増やしてライザーレは最後の総攻撃に出る。未玖も興奮して思わず拳を突き上げる中、満員のライジングスタジアムの熱気はまさに最高潮に達しようとしていた。
旭川市の南、北海道のほぼ中央にそびえる夕張岳。
地上には雪解けの季節が訪れても、標高千六百メートルを超える山頂は未だに白い雪を冠している。夏になれば美しい花々が咲き乱れることになるこの山の麓では、森林を伐採して新たなアミューズメントパークを建設する工事が進められていた。
「この森に入ってはならん。畏れを知らぬ愚か者め。何度言ったら分かるんじゃ!」
「お爺さん、あんたこそ何回言ったら分かるんだい? この工事は国からも道からもちゃんと認可されている正当な開発だ。いくらこの土地に昔から住んでいたからって、アイヌの人たちに文句を言われる筋合いはない。こんな所にいたら危ないから、とっとと帰ってくれ」
黄色いヘルメットを被った中年の土木作業員が、叱りつけるようにそう言って工事の邪魔をする敦彦を追い払おうとする。北海道の開発においては、古くからそこで自然と共に暮らしてきたアイヌの人々との間で土地の権利を巡るトラブルが起きてしまうのは珍しいことではない。だがこの件に関しては、敦彦は決して先住民族としての自分たちの権利を主張して工事に反対しているわけではなかった。
「お前たちこそ、早く工事をやめないと恐ろしい目に遭うぞ。ここには悪魔が眠っておる。我々はずっと、先祖代々それを語り継いできたのじゃ。この森を荒らせば封印されていた悪魔が目覚め、世界を滅ぼしてしまうであろうという言い伝えをな」
「何をバカな。ほら、ダンプが通るから、踏み潰されたくなかったら早くそこをどきなさい」
この地に住むアイヌの人々が遠い先祖の代からずっと語り継いできたユーカラの伝承を、作業員の男は一笑に付した。重い土砂を一杯に積んだダンプカーが敦彦の目の前を横切り、ブルドーザーも轟音を上げながら地面をそこに生えている草木ごと圧倒的な馬力で無慈悲に削ってゆく。敦彦がどんなに懸命に抗議しようが、工事が中止されることはなかった。
「この世の終わりじゃ……何たることか……」
愕然として、敦彦は地面に膝を突きながらもはや避けようのない運命を嘆いた。その様子を遠くから冷ややかに見やりつつ、どこかに通信をしている大柄な銀髪の男がいる。
「こちらジルコフ。もはや時間がない。奴らが森の中にある封印の結界を破壊してしまうまで、あと何分あるかという状況だ。ああ。とにかく急いでくれ。もし先に彼女がザデラムに
そのロシア人の男――セルゲイ・ジルコフがそう言って通話を切ったその時、突如として大地が揺れ、生き物の鳴き声とも金属音ともつかない不気味な甲高い音が地の底から響いてきた。
「とうとう来たか。破滅をもたらす悪魔の目覚める時が」
北海道南部・渡島半島にそびえる駒ヶ岳。
数万年前の火山噴火によって崩れたその山頂部分は左右非対称の歪な形をしており、そのためどの方角から見るかによって山のシルエットは大きく異なってくる。山頂が崩落するほどの大爆発があったその痕跡は、太古の昔に起きたその噴火がどれほど凄まじいものだったかを雄弁に物語るものでもあった。
「ここ数十年は、火山活動はずっと小康状態が続いていたのですが……」
その駒ヶ岳の付近一帯で、不気味な地鳴りと地殻変動が続いている。現地から送られているライブ映像をスクリーンに映し出しながら、山麓にある鹿部町の町長である
「マルチコプターを飛ばして上空から調査してみたところ、火口から噴出している火山性ガスの濃度はわずかに増加しているとのことです。ただ地震学者たちの見解によれば、最近相次いでいる揺れは火山性地震とは明らかに性質が違っており、火山学者らもこの程度のガスの濃度の変動はよくあることで、直ちに噴火が起こる可能性は極めて低いだろうと口を揃えております」
「ううむ……。では原因は何だというのかね」
得体の知れない何かが駒ヶ岳の内部で
「いずれにせよ、噴火の可能性も含めてあらゆる事態を想定し、政府とも連携して対策を講じておく必要があるかと存じます。万一の時に備えて、周辺の住民がいつでも避難できるよう態勢を整えることは勿論ですが……」
福永が話していたその時、火口付近を飛ぶドローンから中継されていた映像が突然、フラッシュを焚いたように眩しい赤色の光に包まれた。直後、映像が大きく揺れて乱れ、スクリーンが暗転して何も映らなくなってしまう。
「どうしたんだ。カメラの異常か?」
「いえ、カメラだけでなく、ドローン自体が全く応答していないようです。恐らく、何らかの原因で機体が故障してしまったものと思われます。もしかすると墜落したのかも知れません」
ドローンを遠隔操作しているスタッフの元へ駆け寄って確認を取った福永は、そう言って首を傾げた。
「噴火に巻き込まれたのか? いや、それにしては妙だったな。いくら猛烈な大噴火でも、あんな一瞬で噴出物がドローンまで届くわけがない。爆発する火口の様子が、ほんの数秒だけでも撮影できているはずだろう」
「おい、さっきの映像は録画できているか? それをもう一度映してくれ」
福永はスタッフに、中継が途絶える直前の映像を再生するよう指示した。ブラックアウトしていた画面に、火口をほぼ真上から見下ろしていた先ほどの場面が映される。
「……? おい君、今の所を、スローモーションでもう一度だ」
無言のまま目を細めてじっとスクリーンを凝視していた米倉が、何かに気づいて鋭い声でスタッフに直接指示を飛ばした。すぐに映像が巻き戻され、再度コマ送りでゆっくりと再生される。
「これは……!」
「竜……!?」
火口の岩陰からこちらを覗いている、赤いドラゴンのような巨大生物。その竜が鋭い牙の生えた口を大きく開け、燃えたぎるマグマのような真紅の熱線を吐き出してドローンを撃った。スロー再生された映像は、その瞬間を確かに捉えていたのだ。
「信じられん……! まさかこんなことが……」
それはまさに怪獣と呼ぶべき生き物だった。体長が目測で数十メートルはあるこの竜が、もし町に下りて来れば大変な災害となる。
「これは噴火どころの騒ぎではないぞ。今まで前例のないとんでもない事態だ」
ようやく我に返った米倉は未だに信じられないという己の心境と必死に戦いながら、直ちに道民を守るため、北海道知事の権限と責任においてこの想定外の巨大モンスターへの対応に当たろうとした。だが彼が意を決して声を発しかけた刹那、それを遮るように別の急報が飛び込んできたのである。
「米倉知事! 大変です。夕張岳に、謎の巨大な飛行物体が出現したと……!」
「何だって!?」
それは破局を告げる号砲。およそ一万年の時を超えて現代に蘇った、恐るべき悪夢の始まりであった。
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