Ep.3 KOKKURI
診療室に入っていくと、白衣の女性が、優雅な手つきで悠然とコーヒーをカップに注いでいるところだった。
オトシマエとほぼ変わらない長身で、年齢をまったく感じさせないスタイル抜群の細身。アメリカ風にウェーブさせて盛り上げた派手な髪型だが、整った怜悧な容貌と強い眼ヂカラのせいですこしも違和感がない。
男ならまちがいなくドキリとさせられることだろう。
……そう、ボク以外は。
「あら、入れ違いね。なかなか興味深いクランケが、ついさっきまでいたのよ」
「そういえば、地味な軽自動車が急発進するのとすれ違ったけど……またどうせ、ありもしない病気を口実にして、こっそり実験台にしてるんだろ」
「失礼な言い方はよしてよ。たいがいの場合、その代償として、本人が自覚していなくても数年後には致命的になりかねない重病を予知して、しっかり治療してあげているわ」
「本人には黙ってやるんだろ。そんなことでありがたがるかなあ」
「そりゃまあね。ところで、今日は急にどうしたの? 娘がとうとう何かやらかした?」
「ていうか、ボクが寝ているうちに、オトシマエにも黙って早朝にこっそり家を出ていったらしいんだ。チクリンに聞いてみたけど、聖エルザにも行ってないようだ。もしかしたら、ここに来てるんじゃないかと思ってね」
「来てやしないわ。それでわざわざ東京から娘を探しに?」
「やっぱり、姉さんにハルナを一度診てもらいたいのもあったからさ。あいつは、何かこうと思い立ったときには、かならず自力で走っていくんだ。だから、これからここに着くのかもしれないんだよ」
「ふうん。変わった子だわね。……それにしてもさ、あなた、最近娘のことに夢中になりすぎてない? 血のつながった子どもじゃないわけでしょ。何か変な感情持ってるんじゃ――」
「と、とんでもない! ハルナの母親探しの事件が解決して、父親のローレンスが亡くなってからは、ボクこそ本当の父親だと思ってる」
「どうかしらね。あなたは十分複雑な人間だけど、姉の私にはすべてお見通しよ」
「な、何がさ……」
アネキが何を言い出すのかと、ボクは内心ドキリとした。
「たとえば、織倉美保は、純真でおっとりした聖少女的なものの象徴ね。白くてしっとりした柔らかそうな肌に、あらぬ妄想をかきたてられていたでしょ?」
「彼女に会ったこともないくせに、何を言うんだい!」
「ちょっと写真を見ただけでわかるわよ。あなたの姉で、しかも超一流の心理学者なんだもの。小栗まなみは、あなたを一から十まで責め立てながら、同時にあらがえない可愛らしさを突きつけて苦悩させるダブルバインドの小悪魔ね。乙島恵利は、圧倒的な肉体的魅力はもちろんだけど……むしろ、あなたを女性的な優しさで包み込んでくれる存在ね。彼女にあきれた顔をされるたびに、あなたは自分が許されてるって幸福感にひたれるのよ。どう、図星でしょ?」
「あ、あ、あ、あ……」
ボクは言い返そうとするのに、ひとつとしてちゃんとした言葉にならない。
「白雪和子は……そうね、あなたにとって永遠の理想像、最高のあこがれ。一度として平静な気持ちで向き合えなかったことでしょうね」
アネキの断定的なもの言いに、ボクは腹を立てることもできず、ただただ赤面して黙りこむしかなかった。
「そんな女性が産んだ子どもなら、うかつに触れることのできない宝物にも、どうにもならない嫉妬の対象にもなりうるはず。父親代わりを務めるなんて信じられないわ」
「だけど、本当なんだ。たしかに、深川の家に同居してしてたときは、姫の娘だってことが頭から離れなくて、ちゃんと向き合うことができなかったよ。でも、ようやくわかった。ハルナはクルセイダーズみんなの子なんだ。なら、どう考えたって父親はボクしかいない」
「なるほどね。私は七回も結婚したけど、そのつどどうしても相手に物足りなさを感じてしまうのよ。でも、仲間だった女の子たちに今でも例外なく恋いこがれているあなたなら、そんな奇跡みたいなアウフヘーベンが起こってもおかしくないかもね」
「やっと理解してくれたんだね。ありがとう!」
「バカね。究極の浮気者、どスケベだってあきれてるのよ」
「ふん。七人もダンナを替えといてよく言うよ」
アネキはまったく意に介する様子もなく、自分だけ勝手にコーヒーを飲み干してしまうと、ラップトップのディスプレイをこちらに向けた。
「これを見て。さっきのクランケのデータよ」
画面をのぞき込んでみると、そこには小刻みに上下する折れ線グラフが色分けされて何本も並んでいた。
「今まで黙ってたけど、私はCIAとアメリカ軍から、それぞれ極秘の依頼を受けて研究していたの。CIAからは『重要人物の記憶をスキャンして機密情報を探り出す方法』、軍からは『兵士のストレスやトラウマを一瞬で除去して戦闘マシーン化する方法』よ」
「ホ、ホントか! それって、どっちもかなりヤバいんじゃないの?」
「ええ。しかも、こっそり二股かけてるのがバレたりしたら、両方とも機密保持のためって理由だけでスナイパーを差し向けてきかねない連中よ」
「それで、日本に……」
「まあ、理由のひとつね。で、私を探りにきたスパイじゃないかと思われるのが、このデータの主ってわけ」
「そんなやつをうかつに近づけたりしたら危険じゃないか!」
「逃げ回ったって、どうせ来るものは来るのよ。敵を知るのは最大の防御だからね。この診察台のリクライニングチェアは、二つの依頼を受けて行ってきた私の研究の粋を集めた傑作よ。上に座らせるだけで、その人物の精神構造を丸裸にできるってわけ」
「じゃあ、そいつの何がわかったの?」
「説明するより、ライブで再現するほうがわかりやすいわ」
アネキが得々としてキー操作すると、グラフにシンクロしているらしい音声が聞こえてきた。
〈……では、前向きに執筆を考えてくださる、と〉
中年の男の声につづいて、アネキがボクの飛翔夢について語りはじめた。
「怪しいクランケって、明晰夢の本の編集者のことだったのか……。じゃあ、ここで反応して上下しているブルーの線は『知的興味』を表してるってこと?」
「ええ。並行して変化しているのが『侮蔑』よ。強い興味を示しながら、同時に夢なんかに夢中になる人間の愚かさをあざ笑ってるってこと。通奏低音みたいに流れていくのが『憎悪』ってわけ。ちなみに、どの数値も常人をはるかに超えるレベルよ」
「なるほど、男の異常さがひと目でわかるんだ。このチェアはすごいシステムだね」
「前回の訪問のときに取れたデータは、彼の精神を構成する要素。一目瞭然、サイコパス並みにヤバい性格なのがわかったわ。冷酷無比のプロフェッショナルの典型よ」
「だったら、すぐに水谷に頼んで探ってもらおう。彼の仲間たちなら、きっとその男の正体を突き止めてくれるよ」
「まだいいわ。もう少しあいつを利用して、この超高性能チェアの力でどこまでのことが可能か、とことん試してみたいの。ヘタに拒むようなら、ヒツジみたいにおとなしい真逆の人間に人格改造してやるだけよ」
「そ、そんなことしたら、こんどはこのリクライニングチェアが狙われちゃうよ!」
「あ、そうか。そりゃマズいわね」
アネキはケラケラと笑った。
超攻撃的性格のうえに、とてつもない自信家ときているから手に負えない。強い興味を感じると、自分の身の危険の心配なんてあっさりふっ飛んでしまうのだ。
「じゃあ、話の流れとはぜんぜん無関係に、ところどころ急に入り込んでくる何本かの線があるのは何だい?」
「ああ、それね――」
アネキは不自然に言葉を切り、ニヤリと不敵に笑った。
「常人でも、精神が集中すれば一時的に高い数値が出るものよ。だから、ちゃんとした平均を取るためには、ときどき刺激を与えて気分をシャッフルしてやる必要があるの」
「刺激って?」
「あなたはぜんぜん気がついてないようだけど、私の白衣の下は実はこうなってるのよ」
アネキがわざとのように身をかがめると胸の谷間が丸見えになり、脚を組み替えると、白衣の合わせ目にチラリと見えたのはスカートでなく、なんと黒いレースの下着だった!
「私だって、もう一回くらい結婚してもいいって思ってるからね。どれだけ男心をくすぐれるものか、ついでに実験してみたの」
ボクはあんぐりと口を開いて何も言えなくなった。
「ホラ、ここで性的欲望と女性蔑視、嗜虐性がピークに達してる。ふつうの男だったら、完全にプッツンして、まちがいなく私を床に押し倒しているレベルだわ。三つの感情を追っかけるようにしてその衝動を抑え込んだ線が、やつの冷徹なまでに堅固な自制心よ。どう? 男の内心の葛藤が手に取るようにわかるでしょ」
(す、すごい……)
アネキらしい、アネキならではの天才的なひらめきと灼熱する執念が伝わってくる。
だけど、同時に背筋にゾクッとするものが走る。
ハルナを眼の前でこれに横たわらせるなんて……
はたしてボクは、そんな場面に耐えられるのだろうか――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます