Ep.1 HARUNA 3
オヤジはごくあっさりと言い切った。
「可能さ。ふつうは『今夜はこういう夢を見よう』と思って寝るなんてことはない。だから、夢で起こっていることに対して、当然のように受け身になってしまうだけなんだ」
「だって、夢って無意識のうちに見ちゃうもんだろ」
「ああ。入口の部分はね。遭遇した状況を受け入れてしまうしかない。展開していく場面をなすすべなく見守ったり、どうしても相手に合わせて行動してしまうものだ。でも、あるときボクは思ったんだ。『これは変えられるんじゃないか』ってね」
「いったい何を変えるわけ?」
「眼をつけたのは、まさにおまえの悪夢みたいに同じパターンで展開する夢だったよ。ボクの場合は、見たこともない、行ったこともない異国の街路だった。いつもずらりと露店が並び、多くの人でにぎわっている。雑然として活気に満ちたところが魅力なんだけど、ボクはその街の風景をどうにかしてもっと別の角度から見てみたくなった。そこで、ある作家の小説だったかエッセイからヒントを得た方法を、あるとき試してみたんだ」
「へえ、何したの?」
「いきなりふり返ったのさ」
「それだけ?」
「ああ。街の反対側がどんな風になってるのか、それまで見たことがなかったからね。ところが、これは失敗だったよ。この街路のつづきなら当然こうなってるよな、っていう感じの風景しか見られなかった」
「でも、見られたことは見られたんだろ。それが失敗なのか?」
「自分に『やったぞ!』って達成感がないなら、やっぱり失敗さ。原因はわかってる。ボクはサッと勢いよくふり向こうとしたんだけど、それはじれったいほどゆっくりした動作にしかならなかった。ほら、夢の中で何かから必死に逃げようとするのに、足が思うように動かない、スピードが出ないってことがあるだろ。それと同じだったんだ」
「なーるほどね」
たしかに、夢の中で急いで移動しようとしたり、何かあせってやろうとすると、うまくいかなくてもどかしい思いをするっていうのはよくあることのような気がする。
「動作の遅さはどうやっても解決できなかった。で、考えたすえに試したのが、街角を曲がってみることだった」
「そうか。そこがメインストリートなら、横丁はきっと違う風景になるはずだもんね」
「そうなんだ。ボクは歩道を進み、角にある店の前まで来た。すると、やっぱり足や身体をうまく運べない抵抗感を感じた。でも、だからこそ『これだ』と確信したんだ。ここを突破すればいいんだってね」
「じゃあ、成功したんだね!」
オヤジが力強くうなずいた。
「店の端はすぐそこにある。もう一歩前進し、手を伸ばすだけだ。ボクは倒れる寸前までありえないくらい身体を前傾させ、やっと壁の角をつかんだ。そして鉄棒の懸垂みたいにジリジリと身体を引っ張っていって、なんとか角から顔を出した。そのとたん――」
「見えたの? 横丁のむこうが!」
「突然、傾きかけたまぶしい異国の太陽に眼を射られた。だから横丁のたたずまいはよくわからなかったんだが、予想もしていなかった教会の尖塔が、通りの突き当たりにシルエットになってボウッと浮かんでいるのが見えたのさ。気がつくと、ボクの身体への抵抗感はすっかり消えていて、通りの角に呆然と突っ立っていた。――そう、夢の中で自由を得ることについに成功したんだよ!」
オヤジは得意満面で叫んだ。
あたしが話し終えると、キャティはひどく当惑した表情で言った。
「な、なんだかとっても感動的アルけど……『なに、それだけのこと?』っていうか、やっぱり天才が考えることは他人の理解をはるかに超えてるようね」
「実は、あたしもそう思った。本人にとってはなんかすごい体験だったんだろうけど、よくもまあそんなことに真剣に精力を注げるもんだなあ、って」
興奮したオヤジの前で、あたしは吹き出しそうになるのを必死にこらえていた。
「聞けば、ひまをもてあましていた学生時代――つまり、おふくろと結婚する前ってことだけど、好きなときに好きなだけたっぷり寝られたから、ほかにもいろいろと夢に関する実験をしてみたんだって」
「たとえば、どんなこと?」
「太平洋のむこうからゴジラが出現して江ノ島を踏みつぶす光景を、夢でどれだけリアルに再現できるか、トコトン追求したことがあるって言ってた。着ぐるみなんだっていう先入観をなんとか乗り越え、ついに体長五〇メートルの巨体をイメージできたけど、キングギドラの場合はイマイチで、まだその二頭の対決が実現してないって悔しがってた」
「あきれてものも言えないアル……」
「それから、どうしても空を飛べるようになりたいと思い立ったときには、イメージトレーニングのために箱根までわざわざ出かけてったこともあるんだってさ」
キャティは眼と口をまん丸に開いて、ほんとに何も言えなくなった。
おふくろだって、オヤジのあきれはてた話の途中からウトウトしはじめ、『アタイは仕込みがあって朝早いから』と言ってサッサと寝てしまった。
だけどあたしは、相談した手前『もういいから』と言うわけにもいかず、オヤジの横に敷いた布団に入ってからも真夜中すぎまでその話に付き合ったのだった。もちろん、トンデモ話として聞く分には、お腹を抱えて笑いころげるほどおもしろかったのだけれど。
「で……じゃあ、実際のところどうだったの?」
キャティが、あらたまった興味シンシンの表情であたしの顔をのぞきこんだ。
「何が?」
「効果があったのかどうかってことアルよ。コックリさんの話がヒントになって、あなたの悪夢に何か変化が起こったり抑えられたりしたの?」
あ――
「そういえば……夢、見てないよ」
深川の家では、とうとう朝までどんな夢も見ないで熟睡することができた。
もしかしたら、それは、あたしの悪夢のことをちゃんと理解してて、心から心配してくれるオヤジがすぐ横にいるっていう安心感のせいだったのかもしれない。
だから当然、夢を変化させるなんてことにはトライできなかった。
でも、授業中の居眠りでうなされることもなかったし、図書館でキャティに起こされたときだって、ヨダレを垂らすくらいぐっすり眠りこんでいたのだ。
悪夢が解消されたとは、たぶんまだとても言えないと思うけど、何かが貴重な気分転換をもたらしてくれたことだけはまちがいなかった。
ぬるくなった紅茶の残りを乾いた喉に流しこむと、あたしはなんだかえらくホッとした――
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