Episode1 How to Dream a Happy Dream ―― 夢見る技術

Ep.1 HARUNA 1

「はあ? おまえ、夢でも見てんじゃねえのか」

 おふくろは、仕入れ先の海産物問屋でもらったっていうコブ茶なんかのんきにすすりながら、キョトンとした顔で言った。


「い、いや……だから、まさに夢の話なんだってば。最近、そういう夢ばっかり何度も見るんだ」

「おまえなあ、ひどい夢を見たからって、それを人のせいにするこたねえだろ」

「そういう意味じゃなくてさあ……」


 今日あたしが授業中に起こしてしまった騒ぎのことは、もうとっくに学園長であるチクリンママのところに報告が届いているだろう。たとえ怒ったりはしなくても、ママはあれこれしつこく聞いてくるにちがいない。ああ見えて、ママはものすごい心配性なのだ。だから、夢のことは今までだれにも言ったことも相談したこともなかった。


 もしあれが本当にあったことで、かつてあたしが体験したことの記憶なのだとしたら、やっぱり確かめる相手はおふくろオトシマエしかいない。

 そこで意を決して真相を問いただそうと、放課後すぐにランニングがてら深川の店までやって来たのだ。


「そりゃきっとロクでもねえ動画とかの見すぎだよ。とにかく、アタイがおまえをブン投げたなんて、空手の稽古のとき以外にありっこねえぜ」

 なかば予想していたことだが、おふくろはぜんぜんまともに取り合ってくれない。

 あたしは、店のすみっこにある丸椅子に腰かけている。横の小さなテーブルにコブ茶の湯呑みを置き、口をとがらせてフーッとため息をついた。


 この試食コーナーは、おふくろが聖エルザの教師をやめて店を継ぐことになったとき、お祝いに駆けつけたミホ母さんが物置きをあれこれ物色して、

『こういう場所があるとね、お客さんが気軽に入りやすくなるものなのよ』

 と言って手際よく調えてくれたものだという。一輪挿しの花なんかも活けてある。


 実際、そのせいか初めての客や観光客の来店がずっと増えたっていうし、高齢のなじみ客なんかには一休みできると好評らしい。

『でも、いちいち相手するのがめんどくさいんだよなあ』

 とはおふくろのいつものセリフだった。


 そんな万事おおざっぱで現実的な彼女だから、あたしが悩みごとを打ち明けても顔色ひとつ変えるでなく、ショーケースの向こうで佃煮を詰める小ビンにシールを貼る手を止める気配すらない。

(やっぱりおふくろに聞いても無駄だったか……)


 店先は朝にはいつもあわてて駆け抜ける場所だったし、部活終わって帰るとたいがいもう閉店してて暗かった。試食コーナーに座るのはたぶんこれが初めてだし、店の中をゆっくり見渡したなんて経験もなかったと思う。


 壁の品書きの札の上に、へったくそな絵が画ビョウでとめてあるのに気づいた。クレヨンで描かれてる丸っこい人物は、厨房で働いてるおふくろのオフクロだろう。柱の陰からじいちゃんらしい痩せっぽちの姿がそれをのぞいてるのでわかる。


「どうしてあたしの小さいときの絵なんか貼ってあるの?」

「ああ、それか。オヤジが亡くなったすぐ後くらいだったかな。おまえも小学校に入ってチクリンの家に引き取られてたから、きっとオフクロは寂しかったんだろう。どっかからあの絵を探してきて、厨房に貼ってたのさ。油煙で汚れてきたから、あたしが店を継いだときにそっちへ移したんだ」


 じいちゃんが脳卒中で倒れて急死すると、ばあちゃんも気が抜けたようにボケてしまい、施設に入ってまもなく後を追うように亡くなってしまった。


「オフクロはずっとおまえが本当の孫だと信じてたよ。ていうか、信じたがってたってことかな。おまえを連れて帰ったときは、ベビーサークルに入れていつでも自分の眼が届くように厨房の入口に置いてた。オヤジには『あんましかまいすぎるんじゃねえ』って怒鳴るくせに、自分のほうこそソワソワと嬉しそうにしてたなあ。たとえクルセイダーズの間の秘密でなかったとしても、あんなオフクロに真実を話せるわけがない」


 そうだったのか――

 じいちゃんを完全に尻の下に敷き、おふくろには趣味の編み物さえ禁じたっていうばあちゃんが、あたしにはそんな一面を見せていたのだ。本当の両親である姫とローレンスはもちろんのこと、あたしは三組もの母親と父親や空手部の面々にも温かく見守られて育った。だけど、愛情を注いでくれた人たちが、まだほかにもいたってことだ。


 なのに、そんな記憶はまったくない。あれくらいの絵が描けたなら、ちょうどあの悪夢の中の出来事があったのと同じ頃ってことになる。いくら印象の強弱に差があったって、まるっきり片方しか憶えてないなんてことはないだろう。そうすると、あの夢はやっぱりあたしの妄想の産物ってことになるんだろうか……?


「そんなことよか、せっかく久しぶりに帰ったんだ。夕メシ食って泊まってけよ、ハルナ」

「今日は遠慮しとくよ。このところ寝不足で頭がボンヤリしてちゃんと勉強できてないんだ。定期テストも近いから、少しでもやっとかないと」

「だったら、よけいその悩みにサッサとケリをつけちまわなきゃ。コックリは『ボクはエンターテインメントな夢しか見ない』なんて自慢してるくらいだ。悪夢を見ないですむ方法だってきっと教えてくれるさ」


「エッ。オヤジが湘南からわざわざもどってくるの?」

「もどるもなにも、二階で寝てるよ。あいつの姉さんが帰国して、病院を引き受けてくれたんだ。おかげであいつは、自分の担当の患者が来るときだけ、週に二日か三日行くだけでよくなったのさ。またどんどん自堕落な生活にハマりこんでる」


 そうか。すっかり忘れてたけど、オヤジには姉さんがいたんだ。

 おふくろたちの大先輩で、三〇年前の大騒動のときにはもう学園を卒業していた。だから、自分の代わりに聖エルザに行くようにって、留学先のアメリカからオヤジに手紙を書いて寄越したんだった。

 あたしは一度も会った記憶がないから、そのまま海外で暮らしていたのだろう。宇奈月医院を引き受けてくれたってことは、その人もやっぱり医者なのにちがいない。


 するとそこに階段がきしむ音がして、おぼつかない足取りのオヤジが現れた。

「やあ、ハルナじゃないか。ちょうどおまえの夢を見たところだよ。水谷の巨体を蹴り倒し、若松のチビを投げ飛ばして、ついにおまえをボク一人の娘にしたのさ。これはきっと正夢になるよなあ!」

 まだ夢の中にいるみたいなトロンとした眼をして、コックリオヤジはいかにも嬉しそうにニタァッと笑った――

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