咲ちゃん臭がする有機野菜
広河長綺
第1話
鳩乞いの笛の音が、響き渡った。
汽笛のようなかん高い音。
たぶん、家から数メートル離れた所にある神社から、聞こえているのだろう。しかし、確認のためにカーテンを開けて窓から外を覗いてみても、真っ暗で何も見えない。
ただ、ぼんやりとした赤い提灯の光だけが、夜の闇を抜けてこちらまで届いている。
令和とは思えない夜の暗さも、鳩乞いの笛の音も、村にずっといる私にとっては心地よい夏の風物詩だ。
しかし、久しぶりに里帰りした咲にとっては不気味だったらしい。
「ねぇ、優香、コレ何?」と、ビクビクしながらくっついてきた咲が、私の袖を掴む。
さっきまでリビングで、私が料理した牛丼とお味噌汁を啜っていたはずなのに。
どうやら、外の様子を見にきた私の後ろを、子どもみたいにチョコチョコとついてきていたらしい。
「わざわざこっち来なくても晩御飯食べてていいのに」と苦言を呈そうとして、咲ちゃんの方に顔を向けた私のあごの下にツーサイドアップの髪があり、そこから立ち上がった甘い匂いが私の鼻をくすぐる。
香水とかではない。
小学校の体育の後、中学校の文化祭の後、の昔の咲ちゃんの匂いと変わらないからだ。
昔から、咲ちゃんはオシャレに無頓着なのに、良い匂いがする。
ふわふわしたお菓子みたいな、新鮮な果物みたいな匂い。
素材が良いから飾らなくていいんだよなぁ、と改めて感心しながら「怖がらなくていいんだよ。これは、鳩が来ますようにっていうお
――鳩
そのワードが出た途端に、咲ちゃんの顔が曇る。「そっか、私が上京した後にここの村は鳩肥料産業に依存するようになっちゃったんだね」
「咲博士は、やっぱり、お呪いなんて非科学的な物は嫌いでいらっしゃいますか?」
「そういうのじゃ無いよぉ」
「じゃ、鳩産業そのものを消すのが目標でいらっしゃる?」
「ううん」私のからかいに、咲ちゃんは首を横にふった。「私だってこの村すきだし」
「ふーん、でも、10年ぶりなのにここに帰ってきた理由は、ただの里帰りじゃ無いよね?」
「・・・里帰りだよ」
「ホントは、アンチ鳩産業絡みでしょ?」
「うーん、アンチってわけじゃ…」
はっきりしない返事をする咲に、私は心の中でため息をつく。
やっぱりか、と残念な納得を感じていた。
――この国をナチュラリストに渡さない!
この村を出てから現在までの咲ちゃんからは、そんな強い信念が溢れていた。
研究所の広報官として情報番組に出たら、ナチュラリストのアンチ科学コメンテーターたちを前にして、一歩も引かない。
咲ちゃん
――科学があるから今の豊かな生活があるのです。
――江戸以前の生活に戻れと貴方は言いますが、そうすると子どものほとんどは生まれて1年以内に死にますよ?
――貴方はビーガンですよね?なら、アンチ科学なのは変です。科学は培養肉という理想の食事を提供できるのですから
世の中の「科学は良くない」という流れに1人で逆らう。
始めは笑われた。
そもそもマスコミも「可愛い顔して、中身は科学信者」というネタ欲しさに、咲ちゃんを番組に呼んでいたのだ。
しかし強靭なメンタルで、9年もの間頑張り続けるうちに、流れが変わっていく。
――この咲っていう子、科学信者だけど可愛くね?
――健気だよね。推せる!
咲ちゃんの雄姿は、段々人気になり、SNSで切り抜き動画がバズるようになり、ナチュラリストブームを1人で押し返すようになってきた。
咲ちゃんはもはや、ちょっとした偉人だ。
一方、この村は、「化学的に合成された肥料は毒」というナチュラリスト向けに鳩の糞肥料を売っている村なのだ。
――咲ちゃんが里帰りしたら、そこはアンチ科学のための村でした!
余りにも、わざとらしい。
しかしそれを指摘して、私が協力を拒んでも、咲ちゃんは1人でこの村を調査するのだろう。
そして咲ちゃんが危険な目に合うのも、目に見えている。
「…よし、仕方ない。案内してあげるよ。
抵抗を諦めて、私はそう提案した。
「ありがとう!」
咲は大喜びで、残りのご飯を口にかきこんで、鞄から小型カメラを取り出したのだった。
gopro。
ユーチューバーが使うような、本格的なミニカメラ。
始めからピジョンタワー撮影目当てで準備していたのがバレバレだ。
もうちょっと、取り繕えばいいのに。
呆れ果てる私を尻目に、咲は支度を終えて靴まで履いて、玄関でワクワクしながら待機していた。
まるで、散歩を待ちきれずシッポをブンブン振ってる飼い犬だ。
私は咲ちゃんに急かされるような形で、家をでた。
暗い山道をずっと歩いた先。
村のピジョンタワーは、村の山側にある。
床はなく、地面に直接柱が刺さり、その柱が多層構造屋根を支えている。
屋根と屋根の隙間に、鳩が巣を作るという仕組みだ。
木造で、五重の塔みたいなデザインなのだが、夜みたらその高さだけが目立ち、正直気味が悪い。
村に住む私ですら、こうなのだ。
咲はといえば、思いっきり顔をしかめていた。
鳩産業への嫌悪感を隠そうともしない。
「アンチ科学のせいで、時代が戻ってるよ。鳩の糞肥料目当てに鳩を集めるピジョンタワーは、本来1900年代の中東にあるものなのに。」
「へー、でもそれだと、わざわざここに来る必要はないんじゃない?もう、ピジョンタワーのデータとかも、あるでしょ?」
「でも、日本の労働基準法が適用されるのは、中東の塔じゃないでしょ?」
「どういう意味?」
「鳩糞肥料産業に従事してる人は、こんなにも汚い塔の中で糞を一日中集めてるんだよね?労働条件が過酷すぎるんじゃない?」
「…ふーん」
生返事しながらも、今までとは違う狡猾なアプローチに私は内心舌を巻いていた。
科学的かどうかとかじゃない、言わば別件逮捕のような揚げ足取り。
あの馬鹿正直な咲ちゃんが、こんな、狡猾なやり方もできるようになっていたなんて。
これは、本格的に、鳩糞産業は潰されるのではないか。
「で?」動揺を隠そうとして、私は質問を重ねた。「咲ちゃんの計画が成功して、鳩糞タワーが産業として成り立たなくなったら、私はどうやって生きていけばいいの?」
すると咲ちゃんは、突然モジモジし始める。「えっと、あの」
私はただただ面食らう。
なぜ、このタイミングで、恥ずかしがり始めるのか不思議に思いながら、「どうしたの?言ってよ」と先を促した。
咲ちゃんはしばらく躊躇った後で、「ずっと、私の傍にいてほしいの」と言った。
「は?」
唖然とする私をよそに、咲ちゃんのテンションは上がっていく。
「いや、あのさ、さっきまで優香の手作りのご飯食べてたでしょ。それがとっても美味しかったの。ほら、小学校ではさ、年上の優香がよく私の世話してくれてたでしょ。その頃の思い出も駆け巡って、とても美味しくて、毎日食べたいなぁって。だからさ優香、私のハウスキーパーにならない?もちろん、お金は払う。市場価格の100倍は払うよ。だから私の家に…ぐっふっ」
咲ちゃんの興奮に満ちた言葉は途中で、うめき声に変わった。
あれ、どうしたんだろ?
不思議に思った私が、ふと、視線を下ろすと、私の手の中に
私が咲の頭を、箒で殴ったからだった。
この箒はピジョンタワー専用の箒であり、つまり鳩の糞を回収する道具だったので、咲の可愛らしいツーサイドアップの髪は糞まみれになった。
その場に倒れこむ咲。
鳩の糞だらけの地面に転がって、最期の息も絶え絶えに「どうして、優香?」と呟いている。
どうしてなのだろう?私も知りたい。
気がついたらその場にあった箒を手に取り、発作的に殴っていたので、自分でも動機がわからなかった。
私しか見ていない咲の独善に、怒りが沸騰したのかもしれない。
私は自分が思うよりも村愛が強い人間であり「私以外の村人が路頭に迷ってもどうでもいい」という咲ちゃんの考えに腹が立ったのかもしれなかった。
よくよく考えると、ただの嫉妬な気もしてくる。
咲ちゃんのように、頭が良くて顔も良くて正義感も持っている人が嬉しそうにしていたことに、イラっとしただけかも。
いや、そんな内省、今はどうでもいい。
とにかく、救急車を呼ばないと。
痙攣している咲を前に、私が慌ててスマホを取り出した時、突然上から風が吹き下ろしてきた。
私の髪が乱れ、足が少しよたつく。
驚いて上を見ると、鳩が大量に降りてきていた。
群れ全体の羽ばたきが、風を起こしていたのだ。
夜の暗い視界を、鳩たちの羽が真っ白に染める。
瀕死の咲ちゃんの体に、鳩が群がっていく。
鳩たちは、まったく、興奮していない。
鳩たちの様子はいつも通りだった。
鳩にとっては、普段食べてるパンくずも、咲ちゃんの死体も、同じ餌でしかない。
そして、どれほど賢くても美人でも、鳩の餌になってしまえば、最終的に、ただの糞になる。
その糞を肥料にして育った野菜を、科学を知らないバカが食べるのだろう。
ただ、私が凄いなと思ったのは、こんな状態になってもまだ、咲ちゃんの体からは可愛くていい匂いが漂っていたことだ。
やっぱり、咲ちゃんは生まれつき、魅力的な子なのだ。
どんな状況になっても、鳩の糞と血と羽でぐちゃぐちゃになっても、体の肉を
非科学的な考えだけど、もしかしたら咲ちゃんを肥料にして育った有機野菜からも、ほんのり、可愛らしい体臭がするのかもしれない。
そんな咲ちゃん臭がする野菜は、きっと、完璧な味がするに違いない。
咲ちゃん臭がする有機野菜 広河長綺 @hirokawanagaki
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