第19話

1548年5月 ロンドンは春から夏に変わろうとしている。散歩が気持ちいい。


ここ「チェルシー宮殿」では

ライラックやデイジーが咲き乱れ、ラヴェンダーやローズマリーの香りが立ち込める


はっ?

樹木が生い茂り、周囲から隠れた場所で気配が。


恐る恐る気づかれぬよう覗く。


後ろ姿は間違いなくエリザベス内親王。


そしてがっしりした中年男性に優しく抱擁されキスを受け入れている。


「相手はやはり・・」

キャサリン・パーは声を立てず泣いた。


キスの相手はキャサリンの夫トマス・シーモア。


トマス・シーモア

腕っぷしと胸板からは衣服からでも分かるほど頑強な肉体に、うなじから色気あふれ出る。

40歳手前、男盛りの騎士だ。


もうすぐ15歳。多感なエリザベスは初めて夢中に。


あれ?

キャサリン・パーはヘンリー8世の王妃ではなかったか?

・・

急ぎ過ぎた。話を戻そう。


1547年1月 ヘンリー8世が崩御する。

崩御に立ち合った枢密院の側近達は

まずは王の死を伏せた。

王のスムーズな継承と分け前をより多く確実に頂く為だ


そうして反乱軍の手に間違っても渡る前にエドワード王子とエリザベス内親王を早急に確保し

ここで初めて二人に王の死を告げる。


さあこれからどうするか?

エリザベス内親王はキャサリン王妃が引き取り「チェルシー宮殿」で同居する事とし、


メアリー内親王はハンズドンの邸宅に。

メアリーはそこをカトリック勢力の拠点とする。

スペインからのスパイも頻繁に出入りするようになった。


エドワードは

1547年2月 法に則って無事戴冠式を終え正式に英国王エドワード6世として即位した。

まだ9歳。なので枢密院が王の摂政として実権を握る。ここまで実にスムーズに迅速に進めた。


王の死を隠し、実権を握ったやり手の枢密院のメンバーが以下3名

①国王私室付き筆頭アンソニー・デニー

②国王秘書官ウィリアムバジェット


そして最高権力者に昇り詰めたのが

③護国卿エドワード・シーモア。

エドワード6世の母の兄だ。


シーモア家は一介の騎士貴族だったが、

ジェン・シーモアとエドワード/トマス3兄弟妹を宮廷務めに就職し


その内ジェンがヘンリー8世の王妃に。

そして世継ぎエドワード6世を産み落としたのをきっかけに

エドワード/トマス兄弟は数々のライバルを蹴落としのしあがった


そして、冒頭エリザベスと抱擁していたトマス・シーモアは、このエドワード護国卿の弟である。


今回彼は兄の引き立てで海軍のトップとなり、相当な領土を賜るも中枢からは外された。

「何故、兄だけなのか?私を何故外したのか?

兄弟力を合わせて、共に英国を支配する気はないのか?」


1547年夏

トマス•シーモアは中枢権力を奪取する為

まずは未亡人キャサリンと近づき密かに結婚した。


ヘンリー8世が崩御して約半年、まだ喪が明ける前だ


覚えているだろうか?キャサリン・パーは、

トマス・シーモアと婚約していた事を。

ヘンリー8世に求められ仕方なく別れた事を。


キャサリンはやっと愛する人と結ばれる喜びに、一方指輪を嵌め永遠の愛を誓うトマスはどうだろう?

・・

トマスとキャサリンの新婚生活が「チェルシー宮殿」で始まるると、トマスはエリザベスに目を付けた。

エリザベスは公式の場では隙を見せず堂々たる振舞いであったが、

普段はケラケラよく笑い、たわいも無い悪戯もする健康的な少女。

トマスはよくエリザベスの寝室に潜ぐり込み戯れるようになる。


これ健全であろうか?

既婚の中年男性が少女の寝室で抱き合って戯れる事は?


侍従長アシュレーが見つけ咎めた事も何度もあった。

もちろんキャサリン・パーも知ってる。

・・

そして冒頭シーンだ


トマス・シーモアの腕の中にエリザベスが優しく包まれている


もう一度言おう

二人が抱擁している木陰で

見つからぬようキャサリンは声をたてず泣いていた。

そして彼女はトマスの子を身籠っていた。


35歳で初めての妊娠。高齢出産だ。命の危険がある。しかし、キャサリンはトマスを愛していていたから、死を覚悟して出産に臨む。それなのに、それなのに・・。


抱擁を目撃した2週間後の6月にキャサリン・パーはエリザベス内親王を呼び出した。

「明日から、ハットフォードシャーに引っ越ししてもらいます。ここから40㎞ほど北にあります。ちょっと遠いけどね・・」

「・・・」


そしてキャサリンはエリザベスを抱きしめ最後の言葉を伝えた。

「分かるわね、エリザベス。

アンソニー・デニー夫妻宅に住むのよ。

いいですか、エリザベス内親王、これはあなたを守る為です。私はどんな事があってもエリザベス内親王を愛してます。これだけは信じて下さい。」


その3か月後の

1548年9月

キャサリン・パーは女児を出産後、産褥死。


エリザベスは別れ際の彼女の最後の言葉を反芻した。


キャサリンの「神の御言葉」を。


地獄ではなく、正しい道に導く

「神の御言葉」を。









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