第28話【救出編】犠牲とその遺恨

 -千住家-


「桃波まだ帰ってないのー?」


 桃波の姉・葉月は、数ヵ月ぶりに実家のマンションへと戻っていた。ここ最近は仕事が立て込んでいて、家族と会えずじまいだったのだ。


「そう言えば遅いわねー。連絡もないし」


 母はキッチンで夕飯の支度をしながら時計を見る。


「あたしもさっき電話したのに出ないのー。せっかくあの子のお土産も用意したのに―」


 レースカーテンから差す柔らかな夕陽に、ブランドの小箱が照らされている。


「誕生日でもないのに、妹へのプレゼントなんて珍しいじゃない。何買ってきたの?」


 ソファに座り込み背を向けていた葉月が、母の方へ振り返る。


「ピンクのシュシュ! 買ってきたんじゃないよー。あたしがプロデュースした商品の完成品」


「ふーん。さすが葉月ねー。ママもあなたのプロデュースしたもの欲しいわー」


「今度帰ってきたときあげるよ。後でカタログ見せる」


「あら、ありがとう。でも、どうして桃波にピンクのシュシュ?」


「あの子、そういう可愛い系好きだからさ」


「子供の頃は好きだったわよねー。今も好きなのかしら」


「好きだよ」


 葉月はまたソファの正面に向き直して、ガラスの天板に乗った小箱を見つめる。


「完成したら一番にあげたかったんだよね」




-職員室-


 防災訓練が終わると、今日は生徒は速やかに帰宅するよう促されていた。生徒だけではなく、教職員もそれは同じであった。学園長の指示だったが、特に説明もなかったため一部の教員が反発し、強豪校である吹奏楽部だけは生徒のみで夕方六時までの部活が許可された。


 吹奏楽部の個人練習の音だけが響く、穏やかな校内。そこに、一本の電話が職員室にかかってきた。その電話を取ったのは白手袋をつけた年老いた腕だった。


「はい、東歩とうぶ学園でございます」


「お世話になっておりますー。二年一組井上修司の母ですー」


「お世話になっておりますぅ。どうされましたでしょうか」


「あの、息子が学校から戻ってきていなくてですね。連絡もないもので。今日は生徒会はお休みだと思うんですが、学校にはいませんよね?」


「あら、それは心配ですねぇ。本日は部活動や生徒会はお休みの日になっておりますぅ。何か手がかりになるやもしれませんし、修司くんの担任に今尋ねて参ります。そのままお待ちいただけますでしょうかぁ?」


 東歩学園を装い、電話に出たのは運河雅代うんがまさよであった。


「井上修司って子の情報を」


 電話の保留ボタンを押すなり、運河は教職員用のデスクに居座る男に指令する。


「えーっとですね」


 男が生徒情報の書かれた冊子をぱたぱたとめくる。


「早くしてちょうだい」


 放課後、教員が一人残らず帰宅すると、団体の運動制服をまとった男たちと運河が職員室を占拠していた。


「大変お待たせいたしましたぁ。担任が耳にした話によりますと、修司くんは今日、生徒会のお友達とカラオケに行ったそうですぅ」


「あっ、そうでしたかー。あの子、連絡もしないで」


「連絡がないと親御さんとしては心配ですよねぇ」


「そうですよー。帰ってきたら叱ってやります! すいません、お手数おかけしましたー」


「とんでもございません! また何かご心配なことがあれば協力いたしますので”一番に”ご連絡くださいませ! それでは失礼いたしますぅ」


 二年一組の担任はもちろん学校に残っていない。運河が考えたマニュアル通りの対応である。


 担任に確認するふりをし、足取りが分かることで、子供がおそらく無事であることを暗示し、安心させる。不安ごとがある時は学園に電話するよう仕向けることで、警察沙汰など、事件が発覚することを可能な限り遅らせる。


 運河はこの一世一代の難題を遂行する今日のために、多大な労力と時間をかけてきたのだ。男たちにも覚悟があった。いかに足跡を残さず、素早く事を終わらせるか。多少の犠牲が出たとしても、団体の尻尾は掴ませない。これを成功させれば莫大な報酬が得られる。今、団体の結束が試されているのだ。


「運河さん! 視聴覚室前に動きありです。男子生徒が一人、二年一組に気づいて扉越しに話しかけています」


 視聴覚室前のシューズボックスには隠しカメラと盗聴器がセットされていた。


「話す内容をよく聞きなさい。何とか職員室におびき寄せて始末しなさい。その場で警察に連絡しそうなら、その場で即刻始末」


 そして、図らずとも生徒は大人を呼ぶために職員室へやって来た。


「先生! ってあれ……。あの!」


 見知った教職員がおらず、生徒は少し狼狽えた。


「はい、事務員の運河です。どうしましたか?」


 運河が落ち着いて応対する。


「あの、視聴覚教室で二年一組が閉じ込められているんです! しかも中で人が死んでるらしくて! 警察に連絡してもらえますか!?」


 興奮して喋る生徒に、運河は微笑を崩さない。


「そうですか、そうですか。それは困りましたねぇ」


 運河の反応を不審がったのも束の間、大柄な男が背後から生徒の首にスタンガンを当てた。


 バチバチと音が響き渡り、生徒は身体を硬直させ倒れた。


「知られた以上、生かすわけにはいかないわよ。静かに始末しておいて」


「承知しました」


「アッ……アッ……」


 生徒は意識はあったが、喋ることも抵抗することもできなかった。


 硬くなった身体を男に抱えられ、職員室から廊下の奥の闇へと連れていかれた。


「まったく……」


 気の抜けない状況に、運河は短い溜息をついた。


「プログラムの進捗は?」


 連れ去られていく生徒を見届け、運河は職員室に戻る。


「武里一也はまだ生きているの?」




-ツバサ-


 春日かすがツバサは、姫宮希空と放課後に遊ぶことを楽しみにしていた。これは二人の毎週のルーティンで、学校から一旦帰宅しておしゃれな私服に着替える。最寄り駅で待ち合わせして、二人で渋谷や原宿に出かけるのだ。


 しかしその希空が今日は最寄り駅に現れないのだ。昼食時に約束をしたきり見かけることはなかったし、メッセージを送っても既読すらつかない。


 こんなことは初めてだ。希空が約束を忘れるわけがない。何かあったに違いない。ツバサは大急ぎで希空の家に向かったが、残念ながら家は留守だった。共通の知り合いに連絡もしたが、足取りがつかめない。


 警察に連絡することも考えたが、そこまで大事にしていいのか判断がつかなかった。そしてツバサは迷った末、学校へと出向く。


 職員室へ向かおうとしていたその時、何か弾けるような電気の音を聞いた。ツバサは思わず角で立ち止まり、聞き耳を立てる。


 知らない男女の話す声が微かに聞こえ、その後、誰かのうめき声がしたので角から顔を出す。


 学校では異質な格好といえる図体の大きい男が、明らかに様子のおかしい生徒を運んでいる。


 その生徒の苦しむ顔が一瞬見えた。


「生徒会長……!?」


 ツバサの直観が働く。学校で何かまずいことが起こっている。希空が、危ない。そんな気がする。


 早くなる鼓動と共に、ツバサの五感が研ぎ澄まされる。


「中庭」


 新校舎へと繋がる中庭から複数人の生徒の声。直行したいが、今の恐ろしい一部始終を目撃してしまった以上、校内で大人に会うのは危険。


 人けのほとんどない校舎を遠回りし、新校舎を目指す。職員室近くで聞いた複数人の生徒もどうやら新校舎辺りに向かっているらしく、再び話し声が近くなってきた。


 そして道中、ツバサは希空との食堂での会話を思い出す。


「何か、視聴覚室で防災訓練の映像見るんだって」


「えー、一組だけ新しい校舎かー。行ってみたいなあ」


 二年一組だけが防災訓練を自分たちの教室ではなく、新校舎の視聴覚室で受けることになっていた。


 連絡の途絶えた希空。新校舎に集められた二年一組。ぐったりした生徒会長を運ぶ謎の男。


 新校舎辺りでガンガンと強く何かを叩くような音が聞こえ始めた。


 あの場所で、何かが起こっている。


 そう確信した所で案の定、新校舎の上の方から女の悲鳴が聞こえた。男女が揉め、ただ事ではないことが声色から分かる。


 新校舎の外階段を音を立てないよう上り、視聴覚室のある二階へと向かった。


「紗綾! 紗綾!」


「てめえ!」


 聞き取れたのはその二つだけで、あとは射撃音と共に、嘘のように静かになってしまった。


 やっと追いついて、ツバサが恐る恐る覗くと、奥にある視聴覚室の前にはまた、異様な姿の男たちが立っていた。その足元にはさっきまで騒いでいたであろう複数人の生徒が倒れていて、そのうちの一人の女子生徒の運び出しがまさに行われようとしていた。


 一体この学園で何が起こっているのだろう。ツバサはいつの間にかガタガタと震えていた。自分の手に負えない事態だということがひしひしと感じられ、思い立ったようにポケットに手を伸ばす。


「け、警察……警察」


 ボタンを押そうとした所で背後の嫌な気配に気づき振り向く。


「あら、そこで何をしているのかしらぁ」


 階段の踊り場に運河が立っていた。


「あなたはこの学園の生徒さん?」


「あ、あ、いや、違くて……」


 面識はなかったが、出会ってはいけない人物と出くわしてしまったことを直感で察する。


「ん? 違う? あなたはそこで何をしていたの? 何を見ていたのかしらぁ?」


「あ、あの!」


 ツバサは震える声で運河に尋ねる。


「希空は、姫宮希空は無事ですか!?」


 運河は怒りも、悲しみも表さなかった。ただいやらしく口角を上げて答えた。


「知らなあい。おばさん、その子が生きてるかどうかなんて興味ないから」


 青ざめるツバサ。これが本物の悪魔の顔なのだと、頭に衝撃が走った。


「やってちょうだい」


 運河がそう言って右手を挙げると、さらに下の階段で待機していた一人の男が現れる。手にはクロスボウ。


「あぁ、あぁ」


 恐怖でもう声は出なかった。腰が砕けて、階段に尻もちをつく。男がツバサに照準を合わせる。矢の先が、今にも飛びたそうにツバサの胸を向いている。


「の……あ……」


 走馬灯が浮かぶ。


 会いたかった。希空に会いたかった。希空も同じ気持ちなら、嬉しいな。


 矢はそんなツバサの想いを切り裂き、一瞬にして貫いた。


 運河の迅速な対処により、学園内はまた楽器の音だけが響く、静かで穏やかな放課後へと戻った。




-発覚-


 事件の発覚は遅れに遅れたが、校内の異変に気づいた吹奏楽部員や二年一組と関係のある友人、そして保護者から続々と通報が寄せられ、絡み合った糸が収束するように、警察を新校舎の視聴覚室へと向かわせた。


 消息を追っていた警察がその一つの現場へと到達する頃、運河や団体のものたちはほとんど痕跡を残さずに学園内から逃亡していた。怪しい車両の目撃や、吹奏楽部員が聞いた悲鳴、事件後に姿を眩ませた学園長。証拠は各所に散らばっているが、捜査は難航しているという。


 現場は凄惨なもので、新興宗教団体が絡んだ死者三十三名の大量殺人事件として世界を震撼させることとなった。


 以下はその犠牲者の名簿である。


相沢梨花あいざわりか

伊藤和佳奈いとうわかな

蒲生がもういづみ

木村咲きむらえみ

木下世利菜きのしたせりな

金城真矢きんじょうまや

小菅茉衣こすげまい

津田つだめぐみ

戸田朱理とだあかり

西川千夏にしかわちか

新田晶子にったあきこ

真鍋実那まなべみな

村本玲むらもとれい

若林陽奈わかばやしひな


飯田勇樹いいだゆうき

井上修司いのうえしゅうじ

牛田琢朗うしだたくろう

遠藤陸えんどうりく

鐘淵壮人かねふちまさと

黒井泰人くろいやすひと

後藤篤史ごとうあつし

谷塚秀たにづかひで

中村永人なかむらえいと

野村悠のむらゆう

東圭一ひがしけいいち

姫宮希空ひめみやのあ

横田凱十よこたかいと


下野紗綾しものさあや

山田凜華やまだりんか


伊原楓馬いはらふうま

大城泰河おおきたいが

春日かすがツバサ

渡辺慎わたなべまこと




 また現場では八名の生存者も確認されており、発見当時は腕時計型端末に仕込まれた薬物によって昏睡状態だったという。


 以下はその生存者の名簿である。


草加茜くさかあかね

千住桃波せんじゅももは 

堀切和花ほりきりのどか


梅島京助うめしまきょうすけ

木村寛大きむらかんた

小林劉弥こばやしりゅうや

武里一也たけさとかずや

矢田優斗やたゆうと




 生存者のうち武里一也本人を含む一家の行方が分かっておらず、事件に関係があるものとして現在も捜査が続いている。

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