6-023. トロルの巫女

 ネフラは石柱、ジェリカは空、そして俺は花畑。

 それぞれ別の方向を見てヘロスが戻るのを待っていると、寺院の中からズシンズシンと足音が響いてきた。

 見れば、ヘロスがトロルを抱きかかえてこちらに向かってきていた。


「巫女様、ツレテキタ」


 ヘロスが抱えているトロルは女性だった。

 ……そりゃ酋長の娘なんだからそうか。


 寺院の外に出るや、ヘロスは抱いていたトロルを花畑の手前に下ろした。

 ぐったりしている彼女の上半身をヘロスが支えながら、その顔が俺達の方へと向く。


「綺麗な人」


 その姿を見て、最初に声を上げたのはネフラだった。


「……確かに」


 そのトロルを見て、俺も即座に同意した。

 酋長の家にいた女のトロルよりも身なりがしっかりしている。

 およそ7mはあろう巨体を取り巻くのはぼろきれ・・・・ではなく、人間が着るような木綿コットン薄布シーツだった。

 髪の毛もボサボサではなくちゃんとストレートになっているし、容貌も整っていて割と人間に近い印象を受ける。

 たぶん美人の範疇はんちゅうなのだろう。


「巫女様。コノ人達ガ客人ダ」

「……初めまして。お客様にこんなはしたない姿をお見せすること、どうかご容赦くださいまし」


 この人も流暢な大陸共通言語アムアータングを喋っている。

 酋長は、娘は交渉役として大陸共通言語アムアータングを学んでいると言っていたが、トロルしかいない土地でよくぞここまで上達したものだと感心してしまう。


「高いところからごめんなさいね」


 座っているとはいえ、ヒトの数倍はあるサイズ感の人間から見下ろされると圧迫感が凄い。

 しかし、その表情も物腰も落ち着きを払っていて、見た目以外はトロルという感じがまったくしない。

 怒っても怖くなさそうなトロルなんて初めてだ。


「初めまして。わたくしはグロリア火山のヲピダムの長、パテルの娘――フロスと申します。巫女として山の神の寺院を守っております」

「こちらこそ初めまして。俺はジルコ。この子はネフラ。彼女はジェリカ。突然お邪魔してすみません」

「よろしくしてくださいな。ジルコさん、ネフラさん、ジェリカさん」


 挨拶の後、フロスが俺に向かって右手の人差し指と中指を突き出してきた。

 眼前に置かれた二本の指を前に、俺は困惑してしまう。

 彼女は一体何をやっているんだ?


「ジルコくん。右手の人差し指と中指で、彼女の指先にタッチして」

「え?」

「これはトロル同士の挨拶なの」

「あ。そういうことか」


 ネフラに言われた通り、俺はフロスの指先――とりあえず人差し指――に自分の指先を当てた。

 するとフロスはにこりと笑い、ネフラの前へと指先を滑らせた。

 ネフラはちょこんと指先をタッチ。

 その後、フロスはジェリカの前にも指先を動かし、彼女と指タッチを交わした。


「ありがとう、ネフラさん。トロルの慣習にお詳しいのですね」

「本で読みました。トロル同士の挨拶は、互いの利き腕の人差し指と中指を合わせることだって」

「その通りです。あなた方でいうところの握手に相当する所作ですわ」

「トロルの集落を訪れてから、びっくりすることばかり。私達の見識なんてまだまだ不十分なんだと思い知らされました」


 フロスとネフラはすっかり打ち解けた様子。

 ネフラの博識には本当に助けられるな。


「それにしても、ヒトのお客様なんて珍しい。しかも、エルフさんとセリアンさんまでご一緒だなんて」

「彼女達はギルドの仲間なんです」

「そうなのですね。どちらのギルドの方かしら?」

「〈ジンカイト〉です」

「あなた方があの有名な〈ジンカイト〉! これは驚きました」

「〈ジンカイト〉を知っているんですね」

「もちろんですわ。闇の時代末期、下山していた時にそのご勇猛はかねがねお聞きしておりましたもの」


 知謀四族の文明と距離を置いているはずのトロルが、ギルド俺達のことを知っているとは驚きだな。

 そこらへんの経緯いきさつを聞きたいけど、彼女も辛そうだしそろそろ本題に入ろう。


「ネフラ頼む」

「あ。はいっ」


 ネフラに声を掛けると、彼女はハッとして本を開いた。

 酋長との約束通り、フロスの体からドラゴンの残滓ざんしとやらを抜いてやらないとな。


「フロスさん。俺達がここに来たのは――」

「用件はおおよそわかっておりますよ」

「え?」

「ヘロスが一緒なのですもの。彼が生きていて、かつあなた達をフロラリアに連れてきたということは、ドラゴン様についてわたくしに尋ねることがあってのことでしょう?」

「……はい」


 マジかよ。

 真っ当な聖職者クレリックと話しているように綺麗な語彙ばかり出てくるぞ。

 この人、本当にトロルなんだよな?

 今日一日で、俺の中のトロル像が完全に崩壊してしまった。


「あの、ちなみにフロラリアというのは?」

「この場所のことです。大陸共通言語アムアータングでは、花畑という意味ですね。ご覧になりまして?」


 彼女がにこやかな笑みを浮かべながら、花畑を見渡す。

 もはやその所作はヒトやエルフのそれと変わらない。


「綺麗な……花畑ですね」

「ここまでにするのに苦労しましたわ」

「火山灰が舞い散るような場所に、どうやってこんな花畑を作ったのですか?」

「うふふふ。あまり褒められたことではないのですが、わたくしちょっとズルをしてお花達の世話をしておりますの」

「はぁ。ズルですか」

「ええ。それは――こほんこほんっ」


 フロスが急に咳き込んでしまった。

 残滓ざんしの影響なのだろうな。

 早く治してあげないと。


「ネフラ」

「はい」


 ネフラが開いた本をフロスへと掲げた。

 直後、フロスの体から黄色い光が抜け出し、開かれた本の中へと吸い込まれていく。


「……これでもう大丈夫」


 そう言ってネフラは本を閉じた。

 フロスは辛そうだった表情が一変、ケロリとしている。

 自分の体を見渡しながら、体調の変化にずいぶんと驚いている様子。

 すぐ後ろにいるヘロスも同様だ。


「これは……体が急に楽に!?」

「あなたの体内に残っていたドラゴン憑依時の残滓ざんしを取り除きました。もう生活に支障はないはずです」

「本当ですわ。節々の鈍痛もなくなって、重かった体が軽い。……驚きました」


 フロスは投げ出していた足を丁寧に折りたたむや、正座になってネフラへと頭を下げた。

 これほど礼儀正しいトロルは他にいないんじゃなかろうか。


「ありがとうございます、ネフラさん。この御恩は一生忘れません」

「そんな! 酋長さんとの約束を果たしただけですから、気にしないでっ」

「お父様が? ……なるほど。この場に招く代わりに、わたくしの体を治すように言われたのですのね」

「平たく言うと、そうですね」


 フロスは頭を上げると、俺に視線を戻した。


「では、さっそく本題に入った方がよろしいですわね?」

「お願いします」


 彼女はこくりと頷き、話を始めた。


「山の神――ドラゴン様が我らの前に降臨なされたのは、二ヵ月ほど前の晩のことです。突如として、黄金に輝く光が集落に舞い降りてきたのです」

「黄金に輝く光……。それがドラゴンですか」

「はい。九百年もの時を生きるお父様ですら、初めて目にするとのことでした」

「どんな姿だったのです?」

「あれは視覚化されたエーテルの塊だったのでしょう。その輪郭は確かに文献に描かれたドラゴンそのもの――背中に見える一対の翼に、ひと際長い尻尾を持ち、二つの足で地面を踏みしめ、長い首をもたげておりました」

「……それだけですか?」

「いいえ。さらに右手には剣を、左手には天秤を持っておりました。……そう見えた、というのが正しい表現ですが」

「……剣と天秤」


 やはりか。

 エーテルの塊というのが気になるが、その姿からしてそいつ・・・は……本物。

 あの時・・・あいつを・・・・連れて・・・いった・・・ドラゴンに違いない!!


「わたくしはドラゴン様に身を捧げました。それが古の時代より伝えらえてきた我が一族の盟約だったからです――」


 フロスは胸を押さえながら、興奮した面持ちで続ける。


「――光がわたくしの内へと入ってきました。痛みも恐れもありませんでした。ただ気分は晴れやかに、感動して涙すら流れました」

「体を乗っ取られたのに……?」

「大いなるものとの一体化――そんな言葉でしか表せず恐縮ですが、わたくしという存在は、その瞬間のために在ったのだと確信したのです」

「ドラゴンの神託とは、具体的にどういったものだったのです?」

「エル・ロワの地に忌むべき泡が湧き始めた。その泡を放置すれば、やがてすべてを飲み込む波となる。泡は奈落へ向かって落ちてゆく。奈落をこの地より排除せよ。奈落はヒトの町にあり。すべての奈落を集め、火口へとゆだねよ。灼熱の溶岩がすべての呪いを浄化し、奈落を絶やしてくれるであろう。……これが神託のすべてです」


 俺は隣にいたネフラとジェリカと顔を見合わせた。

 彼女達は顔が強張っている。

 ……俺も同じだ。


 忌むべき泡とは魔物のことに違いない。

 エル・ロワの各地に魔物が現れ始めたという比喩だろう。

 そして、すべてを飲み込む波とは大海嘯グリムス・ヴァースを示す。

 酋長が言っていた大いなる災いとは、そのことだったんだ。


 だとすると、奈落とは何を表す?

 泡は奈落へ向かって落ちていく……って、意味深だけどわけがわからないな。

 ドラゴンもやらせたいことがあるのなら、抽象的に言わずに具体的に説明しろっつーの!


 俺が苛立っていると、隣からネフラの顔が覗いた。


「トロル達がパーズに現れたのは、ブラックダイヤを狙ってのこと。もしかして奈落というのはブラックダイヤのことじゃ?」

「……そうか。だとすると、泡は奈落へ向かって落ちていくってのは……」

「ブラックダイヤが魔物を引き寄せるということ。樹木に蜂蜜を塗って、甲虫を集めるのと同じ理屈だと思う」

「魔物を引き寄せる宝石!? そんなもの聞いたことが……」


 本来、エーテルの内包された宝石は魔物が嫌い、避けるのが常識。

 しかし、ブラックダイヤはその真逆――魔物を引き寄せるだなんて、一体どんな宝石だよ!?


「わたくしもネフラさんと同じ解釈をしました。ゆえに、トロル達に回収を命じて下山させたのです」

「でもフロスさん。どうやって奈落が――ブラックダイヤがパーズにあるとわかったんです」

「神託を告げた後、ドラゴン様はわたくしの体を使って木の板に地図と印を残しました。地図はエル・ロワ西部、印はヒトの棲む町を示し、その数は六つ」

「六つの町か。もしやそのひとつがパーズ?」

「その通りです。ドラゴン様が示した奈落の場所は、パーズ、ノール、クォーツ、ダーツヴァリー、ファングス、フットヒルズの六ヶ所でした」

「ということは……」

「はい。ブラックダイヤに類する宝石がさらに五つ、ヒトの町にあったのです」


 ……なんてこった。

 火山近隣の町で立て続けにトロルの襲撃事件が起こっていたのは、ドラゴンの示した宝石があったからだったのか。


「わたくしはドラゴン様から大いなる力をいただきました。それによって、人里へ赴くヘロス達に護りの力を授けました。時折吹き付ける火山灰から花畑を守っているのも、その力の一端です」

「さっき言っていたズルってそういうことですか……」

「花畑には火山灰を拒絶する護りを。ヘロス達には魔法による災いを拒絶する護りと、龍脈を認識する力を、それぞれ授けました」


 魔法による災いを拒絶する護りか。

 いつだったか、クリスタも宝飾銃ジュエルガンの光線を光属性とも言うべき力って言っていたし、宝飾銃ジュエルガンも拒絶できる範疇はんちゅうだったわけだ。


「寺院の奥には、ヒトの町から回収した四つの宝石を封印してあります。しかし、その封印も抑え込めなくなりつつあります。数が揃えば揃うほど、おぞましい負の力が増幅されていますから」

「四つ? パーズのダイヤ回収に失敗したのなら、五つじゃ……」

「もうひとつ、宝石の回収に失敗した町があるのです」

「それってどこです?」

「クォーツ。火山からほど近い町で、そこには三人のトロルを向かわせたのですが、たった一人の戦士に返り討ちにあってしまいました」

「三人のトロルをたった一人で……。あの町、そんな強い奴がいるのか」

「逃げ帰ってきた者達の話を聞くに、クォーツにはとてつもなく強い盾衛士シールダーがいたと言います。パーズもですが、魔法さえ封じればなんとかなると思ったわたくしが浅はかでした」

「トロル三人を倒す盾衛士シールダー……?」


 その話を聞いて、俺は脳裏にある人物の顔を思い浮かべた。

 そっとジェリカの顔をうかがってみると、彼女は怖い顔をしていた。


 ……見つけた。

 防御重視の盾衛士シールダーのくせに、単身でトロル三人を撃退できる戦闘力を持っている奴なんて、あの男しかいない。


「リドット。彼がクォーツにいる……!!」

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