3-029. 激震の聖堂宮⑥

 俺は殴った――


 憤怒。

 焦燥。

 失望。

 後悔。

 敬意。


 ――今までの想いを込めて、俺は全力で拳を振るった。

 何度も何度も、クロードの顔面にこれでもか・・・・・というほどに。


「クロードォォッ!!」


 振りかぶっての渾身の一撃。

 クロードは唇を噛み切り、周囲に鮮血が飛び散った。


「がふっ」


 吹っ飛んでいこうとするクロードの体を、俺は互いの右手に縛った魔封帯で引き寄せる。

 そして、戻ってきたクロードの顔へと改めて左拳をお見舞いする。


「ぶぐぁっ」


 唸り声をあげて、クロードはふらりとよろめいた。

 そして力なく両膝を床へと落とす。


 精霊魔法に、属性魔法に、奇跡に、錬金術。

 それらを使わせれば右に出る者はいなかろうが、ゾイサイト流ステゴロり方など勉強したこともないだろう。

 知識も技も何もない、ただの殴り合いなら俺に分がある。


「立てぇっ!」


 膝をついたクロードを、俺は無理やり引き起こした。


「……っ!」


 クロードが空いている左手を冒険者タグへと近づける。

 もちろんそんなことは許さない。

 俺はそうはさせじと――


「ぐああああっ!!」


 ――クロードの左手の指先を握りしめた。

 少し前にコルク銃で骨折させた指だ。

 力任せに掴まれれば、大の大人でも悲鳴をあげるほど痛いだろう。


「クロード、お前がこんな真似をした理由わけを話せっ!」

「ぐうぅ……っ」

「お前のせいで〈ジンカイト〉の立場がない! どうしてくれ――」


 言い終える前に、俺の下腹部に想像を絶する痛みが生じた。


「ぎゃ……」


 ……声が出ない。

 全身を痺れさせるほどの痛み。

 俺は立っていられなくなり、膝から折れるように床へと崩れ落ちた。

 それは、かつて味わったことのない激痛。

 ……きん……てき……。


「……っ」


 クロードのやつ、よりによって俺の急所に膝蹴りをかましやがった。

 急所を押さえて床に崩れ落ちる俺を、誰が責めることができようか……。

 不幸中の幸いか、浅かった・・・・のでかろうじて意識は保っていられるが、これはキツイ。


「この期に及んでクリーンにり合うつもりはありませんよ」


 さっきと立場が逆転してしまった。

 今度はクロードが俺を見下ろす恰好になっている。

 そして、容赦ない追い打ちが俺を襲った。

 クロードの蹴りが至近距離から俺の後頭部へと炸裂したのだ。

 ぐわんぐわんと頭痛が襲ってきて、思わず吐きそうになる。

 ……これ以上は体がもたない。

 俺は右手に握った魔封帯を引っ張って、クロードを床に引き倒した。


「はぁっ、はぁっ……」

「ぜぇっ、ぜぇっ……」


 すぐに取り押さえたいところだが、全身の激痛のせいで今動くのは無理だ。

 クロードが起き上がる前に少しでも呼吸を整えておかなければ……。


「はぁっ、はぁっ……きみと――」


 クロードは起き上がりざま、ズボンのポケットに収めていたガラスの小瓶を取り出した。

 小瓶の中には、黄橙色の液体が入っている。


「――殴り合うのは、もうごめんです」


 クロードは小瓶に蓋をしていたコルク栓を指先で押し抜いた。

 その直後、悪臭が俺の鼻をつく。

 堪らず顔を背けた時、クロードが中身の液体を俺に向かってぶちまけた。


「うわっ!」


 とっさに身をひるがえしたことで液体を顔に受けることは避けられた。

 だが、その液体は俺とクロードとを繋ぐ魔封帯に浴びせられていた。

 途端に、悪臭とともに白い煙が立ち上がる。


「なんだこれ!?」


 よくよく見ると、液体を浴びた箇所が泡立って溶け出していた。

 魔封帯はアンチエーテル鋼で出来ていると聞いたが、それを溶かすほどに酸性の強い液体だったのか!


「離れろっ!」


 穴の開いた脇腹にクロードからの蹴りを食らった。

 泣きたくなるほどの痛みが脇腹から全身へと駆け巡っていく。

 もはや足の踏ん張りもきかず、俺は背中から床に倒れてしまった。

 しかも、倒れた拍子に溶けかかっていた部位からブチブチっと魔封帯が引き千切れてしまう始末。

 慌てて身を起こした時には、クロードは床を蹴って俺から距離を取っていた。


「し、しまった……」


 奴は右手に巻きついていた魔封帯を床に投げ捨てるや、冒険者タグを掲げて空中に白い魔法陣を描き始めた。

 わずか10cmに満たない小さな魔法陣だったが、その分完成するのは一瞬だ。

 魔法陣はすぐに強烈な閃光を放った。


「ぐっ、目がっ!」


 眩い光を間近に受けて、俺は目を開けていられなくなった。

 まさかここにきて魔法の閃光目くらましとは……!


 カシャッ、という音が耳に聞こえて、俺はゾッとした。

 それは勇者の聖剣アルマスレイブリンガーの刃が床に触れた音だ。

 視力を失っている今、俺にはクロードが剣を振るう軌道など読めない。

 俺は今度こそ死を覚悟した。

 ……なのに、次の一太刀はいつまで経っても襲ってこなかった。


「……!?」


 少しずつ視力が戻り始めた俺は、片目をわずかに開いて状況を確認した。

 すると、クロードが勇者の聖剣アルマスレイブリンガーを片手に墜落した岩塊へと歩いていく後ろ姿が見えた。


「クロード、待て!」


 ……とは言ったものの、下腹部や脇腹の痛みが残っていて満足に立ち上がることすらできない。

 俺は両腕の軋むような痛みを我慢しながら、床の上を這ってクロードを追った。


「逃がさねぇぞ! 逃げられると思ってるのかっ!?」


 クロードは俺を無視して岩塊へと向かっている。

 奴自身、相当の疲労とダメージがあるのは明白だ。

 ふらふらと危なっかしい足取りで、勇者の聖剣アルマスレイブリンガーを杖代わりにしている。


「待てったら! なんでこんなことをしたのか、教えろよっ!!」


 床を這っている間、俺は自分の体が鉛のように重くなっていくのを感じた。

 しかも視野まで狭くなってきている。

 闇の時代、何度か体験したことのある死の予感だ。

 だが、そんな予感を覚えつつも俺は叫ぶのをやめられなかった。


「なんでだよ、クロード! 何がお前を狂わせたっ!?」


 岩塊へとたどり着いたクロードは、ぐったりとしながら腰を下ろした。

 俺に向き直った時、彼の顔には苦悶に満ちた表情が浮かんでいた。


「きみは、何を捨ててでも叶えたい願いというものがありますか」

「は?」

「私にはあります。そのためならば、たとえ世界を敵に回しても構わない」

「何を言っているんだ……!?」


 その時、俺の背後に積もった瓦礫の後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 ネフラに……ヘリオに……リッソコーラ卿の声だ。

 どうやら態勢を立て直して加勢に来ようとしているみたいだ。

 ……遅いよ。


「ギルドマスターとしての命令だ、クロードッ! いいかげんに降伏しろ!!」

「お断りします」


 そう言うと、クロードは冒険者タグから〈ジンカイト〉の記章を破り、俺へと投げてよこした。


「お前、これ……」

「きみは先ほど私に解雇クビを通告しましたね。甘んじて受け入れますよ」

「ふ、ふざけんなっ」

「これできみの命令を聞く理由もない。あとは好きにさせてください」

「ギルドを辞めるつもりなら、俺を納得させてから辞めてくれ!!」

「……本当に馬鹿ですね。きみは」


 クロードが俺に蔑むような目を向けた時、その後ろの壁に亀裂が生じた。

 亀裂は見る見るうちに拡がっていき、同時に壁を崩していく。

 ほんの数秒で、ぶ厚い壁に実に5mほどもある大きな裂け目が開いてしまった。

 裂け目からは聖堂宮の外の景色が覗いている。

 虹の都の街並み――地平線の果てにひょっこりと顔を出す太陽、それに照らされる美しい朝焼け。


「まさか――」


 ハッとした俺の頬を風が撫でた。

 外から風が吹き込んでいるわけじゃない。

 宝物庫の内側から風の精霊シルフが風を巻いているのだ。


「――空。それがお前の脱出経路か!」


 クロードを乗せた岩塊がゆっくりと浮き上がり始めた。

 しかも彼の手には勇者の聖剣アルマスレイブリンガーが握られている。

 このまま逃がすわけには……。


「大丈夫ですか、ジルコさん!?」


 ネフラとヘリオがその場に駆けつけて俺に並んだ。

 ヘリオはクロードに向き直り、ネフラは俺に寄り添って肩を貸してくれた。


「ジルコくん、酷い傷……」

「俺のことはいい! すぐにクロードを――」


 俺はヘリオに言ったつもりだったが、前に出てクロードと向かい合ったのはリッソコーラ卿だった。

 その姿は、まばゆい光に包まれていた。


「心配いりません。妹に奇跡を伝授したのはリッソコーラ卿ですから」


 ヘリオの言葉に、俺は息を呑んだ。

 衣服も肌も一様に白く発光するその姿は、まさしく魔効失効の奇跡によるものだ。

 俺は今の今までリッソコーラ卿を非戦闘員の事務方だと思っていたが、どうやら俺の読み違いだったらしい。

 枢機卿すうききょうの役職は伊達ではなかったわけか。


「クロード殿、きみは許されざる罪を犯した。だが、その非は裁判で公正に裁かれるべきだ。おとなしく投降しなさい」

「もう話すことはありません」

「逃げられると思っているのかね」

「すべては私の計画通りに進んでいます」

「虹の都の結界・・は、決してきみを逃しはしないぞ」

「……なるほど。あの塔は遠方の対象も狙い撃てる、というわけですか」


 二人のやり取りで俺は思い出した。

 虹の都の防衛装置――否。破壊兵器の存在を。


「その通りだ。七つある大聖塔のうち、敵方向に近い六つの塔が標的へ向かって太陽光を一点集中で跳ね返す。飛んで逃げようが走って逃げようが、途方もない熱量が一瞬の後にその背中を焼くだろう」

「それだけの熱量なら、この勇者の聖剣アルマスレイブリンガーでも――」

「いくら〈ザ・ワン〉と言えど、あの巨大なエネルギーを瞬時に吸い切れまいよ。聖剣は無事でも、きみの体は炭と化すだろう」

「……でしょうね」


 これはリッソコーラ卿の脅しだ。

 空を飛んでも塔の攻撃からは逃げられない。

 魔効失効の奇跡を前にクロードの魔法は意味をなさない。

 今度こそ詰みだと認めざるを得ないだろう。


「……フフッ」


 クロードは笑った。

 それは諦めの失笑じゃない。

 相手を蔑み、小馬鹿にする時の笑いだ。


「ジルコ。ギルドマスターにお世話になりました、と伝えてください」

「自分で伝えろっ」

「この国に戻ってくることは二度とないでしょうから、きみに頼むんですよ」


 クロードが言い終えると同時に、宝物庫に激しい風が吹き荒れる。

 ネフラに支えられることで、なんとかその風に吹き飛ばされるのを免れた俺は、クロードの乗る岩塊がいっそう高く浮き上がるのを目にした。


「忠告はしたぞクロード殿」


 リッソコーラ卿の説得も空しく、クロードを乗せた岩塊は風に乗って壁の裂け目から外へと吐き出されていった。

 俺はネフラの肩を借りながら裂け目へと近づき、飛び去るクロードを目で追う。

 岩塊は空高く浮き上がっていき、米粒ほどまで小さくなった後、鳥のように飛翔し始めた。

 朝焼けの空を飛び去る岩塊は、太陽が昇ってくる地平線へと向かってどんどん小さくなっていった。


「止むを得ぬ。熾天使の絶唱トリスアギオンを発動させよう」


 リッソコーラ卿は懐から虹色の宝石を取り出し、祈りを捧げた。

 すると、宝石が七色の光を発して周囲を照らし始めた。

 この光が大聖塔の仕掛けギミックを動かす合図なのだろう。


「……待って。その熾天使の絶唱トリスアギオンというのは、太陽光を利用した光線なのですよね?」


 ネフラが唐突に疑問を呈した。

 その疑問に対してヘリオが返答する。


「そうですが、何か?」

「……ダメです!」

「え?」

「クロードを撃ってはダメ!!」


 ネフラがらしくない・・・・・ほどに取り乱し、声を張り上げた。


 外では、虹色に煌めく光線がいくつも空を走るのが見える。

 六つの光線は空中で重なり、一束の巨大な光線に収束していく。

 直後、それは太陽のようにまぶしく輝き、東へと飛び去って行くクロードの後を追うようにして光が伸びていった。


「ダメーーーっ!!」


 ネフラの叫び声が宝物庫に響く中、俺は目にした。

 クロードへと届いた虹色の光線が直前で斜めに折れ曲がるのを。

 ……否。斜めどころではない。

 クロードの乗る岩塊の手前で大きく屈折した光線は、地面を焼きながら虹の都こちらまで跳ね返ってきたのだ。


「嘘だろ」


 俺は自分の目に映る光景に愕然とした。

 空中で大地へと向かって折れ曲がった光線が、一直線に虹の都を焼きながら聖堂宮俺達のもとへ迫ってくる。


「なんということだ……神よ!!」


 リッソコーラ卿の嘆きが聞こえた直後、宝物庫の床がせり上がった。

 俺はとっさにネフラを抱きしめ、床を裂いて現れた光へと背を向ける。

 七色の光がその場を包んだ。

 轟音ごうおんが響き渡り、全身が空中に投げ出されるような感覚を覚える。

 途絶えていく意識の中。

 俺は、腕の中にネフラの温もりだけを感じていた……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る