3-016. 教皇との謁見
会食後、俺は宿にあてがわれた部屋で暇を持て余していた。
夕方から行われるクロードの洗礼の儀――つまり宗旨替えのしきたりには、俺とネフラも参列することになる。
それまでは各々自由行動となっているのだが、俺一人でジエル教徒の都を歩き回る気にはなれなかった。
部屋を訪ねてもネフラは出て来やしないし。
当のクロードは相変わらず忙しなく虹の都を見て回っているようだ。
そんなわけで、俺は時間が来るまで部屋に備え付けられている贅沢なベッドに寝そべりながら、真っ白な天井を眺めていたのだ。
このベッドのふわふわした感触に何度眠気を誘われたことか。
この寝心地は王都に戻ったら味わえないので、今のうちに満喫しておこう。
その時、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
「誰だ?」
「開けますわよ」
ドアを開けて、廊下から顔を覗かせてきたのはフローラだった。
窓から差し込む日の光は赤い。
そろそろ洗礼の儀の時間なので、迎えに来てくれたのだろう。
「……いませんわね」
フローラは独り言ちながら、俺の部屋の中をキョロキョロと見回している。
「ここにいるぞ」
「あなたは見えてますわよ」
「洗礼の儀の時間だから、迎えに来たんじゃないのか?」
「そうですわよ。さっさと支度してエントランスに集まるのですわ」
そう言うと、フローラはぶしつけにドアを閉めた。
一応、俺は客分の身なんだから、少しは気を使ってくれてもいいのに。
◇
外出の準備を終えて宿のエントランスホールへ降りると、すでにフローラとクロードが俺を待ちかねていた。
「遅いですわよ!」
顔を合わせて早々、フローラからの叱責。
俺がムッとしているとクロードが話しかけてくる。
「ネフラはどうしたのです?」
「え。まだ来てないのか」
「私はジルコと一緒かと思っていましたが」
エントランスホールには、ネフラの姿はなかった。
「俺はずっと一人だったよ」
ネフラのやつ、部屋にもいなかったのか?
会食の後ずいぶん不機嫌だったけど、どうしたって言うんだ。
「どうします、フローラ。あの子を待ちますか?」
「せっかく教皇様が時間を取ってくださったのに、あの子一人のために遅れるなんてありえませんわ!」
……フローラならそう言うよな。
このままネフラを置いてけぼりにするのは気が進まないが、かと言って教皇を待たせるのは気が引ける。
元々、洗礼の儀は明日行われる予定だったそうだが、俺達が半日早く虹の都に到着したため、わざわざ教皇が前日に変更してくれたのだ。
忙しい身だろうに、ここまで俺達に良くしてくれるなんてな。
俺も少しは真面目にジエル教徒をやらなければ罰が当たりそうだ。
「なぁ、もう少しだけ待っ――」
「ごめんなさいっ!」
俺の言葉を遮って、聞き慣れた声がエントランスホールに響いた。
入り口の方に振り向くと、ネフラがミスリルカバーの本を抱えながら宿の中へと駆け込んできた。
「ずっと図書館にいて、遅れてしまった」
「5時には宿に戻ってるように伝えておいたでしょう!?」
「はい……」
「まったく。教育がなっていないんじゃありませんの!?」
フローラが俺を睨みつけてきた。
俺はネフラの教育係でもなんでもないぞ。
「それより、よく私がいないのに図書館に入れましたわね。客分とはいえ、部外者には基本的に開放されていませんのに」
「これを見せたら入れてくれた」
ネフラが首から下げていた冒険者タグを指さした。
冒険者タグには、
過去の偉業の
王都や衛星都市だけでなく、虹の都でもその威光は健在らしい。
「全員揃ったことですし、行きますわよ!」
意気揚々と歩き出すフローラ。
後に続こうとした時、だしぬけにネフラと目が合ったのだが――
「ふんっ」
――そっぽを向かれてしまった。
◇
夕焼けが街並みを照らす中。
俺達はフローラに連れられて街路を歩いていた。
時折すれ違う住人には、やはり奇異の目を向けられる。
虹の都にはギルドといった組織は存在せず、ほぼすべての事業を教皇庁の職員――つまりジエル教徒だけでまかなっているという。
俺達が目立つのはそういった事情からなのだろう。
「人気が少なくなってきたな」
「日が落ちる頃には、みんな家に帰るのですから当然ですわ」
「それじゃ
「
「……確かに酒場らしき施設も見当たらないもんな」
「虹の都に暮らす人々は、厳格な審査を経て居住を認められたジエル教徒の規範ですの。朝から夕方まで働いて、夜は家族と祈りながら過ごすのですわ」
……つまらない都だなぁ。
規律に支配され、自由のない生き方の何が楽しいのだろうか。
「見えてきましたわ――」
フローラが前を指さしたので、俺は反射的にその指が差す先を目で追った。
「――あれがフォェボス・ジエル聖堂宮ですわ。教皇様や
俺は前方に見えるそびえ立つ宮殿に圧倒された。
噴水広場から正門へと続く大理石の階段。
金銀細工があしらわれたアーチ。
壁や敷石に彫り込まれた天使の群れの彫刻。
高さこそ俺達が紹介された宿と変わりないが、都で見たどの建物よりも荘厳かつ豪勢な建築物だ。
維持費には一体いくらかかっているのだろうか。
「教皇様に謁見する際には
そう言って、フローラが俺の顔を指さした。
「はいはい。わかってるって」
もはや無礼だとは思うまい。
俺の信仰心の薄さに対する嫌がらせだろうからな……。
◇
謁見の間へと入るなり、俺は目を見張った。
赤い
肘掛けには金の装飾が施され、腰掛けには柔らかそうな赤いクッション。
さぞ座り心地がいいのだろうなと思いつつも、俺の興味を惹いたのは玉座の後ろに張り巡らされたステンドグラスの宗教画だった。
光の翼をはためかせ。
氷のような蒼い剣を持ち。
聖母のような穏やかな表情で。
翼ある黒い獣を踏みつける銀髪の美丈夫(?)の姿。
その美丈夫――中性的な顔で性別はわからない――が手にしている蒼い剣は、勇者が持っていたそれと酷似していた。
「ジルコ! ぼさっとしてないでこっちへ来なさいな!」
俺はフローラの声で我に返った。
玉座は無人で、謁見の間には俺達に加えてフローラの四人しかいない。
言われるがまま、俺とネフラとクロードは玉座に向かって一列に並ばされた。
そして、教皇が来るまで立ったまま待機を申しつけられる。
……しばらくして。
玉座の横にある袖幕から、リッソコーラ卿を伴って教皇が現れた。
数名の
教皇が玉座に座ると、左手にフローラ、右手にリッソコーラ卿が立ち、
教皇は真っ白な清潔感漂うローブを羽織っており、首周りにはダイヤモンドが装飾された金色の襟飾りをつけていた。
老齢だが背筋はピンとしていて、弱々しい印象はまったくない。
そして、その
「ジルコ殿。ネフラ殿。クロード殿。遠路はるばる、よくぞいらしてくださいました。昨年の凱旋式以来ですね」
教皇からの労いの言葉を聞くや、クロードが片膝をついて頭を垂れた。
俺とネフラは、わずかに遅れてクロードにならう。
「お三方、楽になさってください」
「このたびは、私のために貴重なお時間を割いていただき、
「あなたほどの方に我がジエル教が選ばれたこと、大変喜ばしい限りです。〈理知の賢者〉クロード殿」
「今まで自分の目が曇っていたことを恥じるばかりです」
「そうおっしゃらず。いかなる信仰であっても、信ずるものが無いよりはよろしいでしょう」
「もったいなきお言葉」
クロードのやつ、よくもまぁ教皇相手にすらすらしゃべれるものだ。
俺と同じく教皇とは凱旋式の勲章授与の時に対面しただけのはずなのに。
思い返せば、クロードなど〈ジンカイト〉のインテリ冒険者は、王侯貴族のパーティーに飽きるほど呼ばれていたな。
それで偉い人との会話には慣れているのだろうか。
「では、さっそく洗礼の儀を始めましょうか」
教皇が言うと、袖幕から男性の
机は玉座の前に置かれ、その上にはふたつのガラス瓶が置かれた。
一方のガラス瓶には、キラキラと煌めく水が入っている。
もう一方のガラス瓶には、底に詰められた木の枝に火が灯っている。
「これは清めの霊水と浄化の
リッソコーラが歩み出て、机に乗せられた瓶の説明を始める。
「――クロード殿は古き信仰を焼き、新たな信仰をその身に受けていただきます。よろしいかな?」
「はい」
クロードは立ち上がるや否や、マントの襟飾りに備え付けられていた竜の彫像を引き剥がし、机へと歩み寄る。
「あなたに
リッソコーラ卿の言葉を聞いた後、クロードは一切の
瓶の中で竜の彫像に火がつき、徐々に燃え上がっていく。
「あなたは今、古き信仰を捨て去りました。次は、教皇
リッソコーラ卿が目配せすると、玉座から教皇が立ち上がった。
そして教皇は清めの霊水の入った瓶を手に取り、それを頭上高くへと掲げる。
「我が主ジエルの名の下に、迷える人の子へ新たなる道筋を示し
祈りの言葉と共にクロードへと瓶を傾かせ、頭から霊水をかけていく。
「――
煌めく霊水が、クロードの顔を伝っていく。
すべての霊水が流れ落ちた時、白い光がクロードの体を覆った。
「……儀は果たされました。これにて洗礼を終了いたします」
教皇が言い終えた時にはクロードを覆った白い光は消え去っていた。
俺が見る限り、クロードには何の変化も見当たらない。
「クロード殿。宝石の輝きは、神が人々を導くためにお創りになられたのです。あなたも道を見失わないように自分だけの
言い終えると、教皇は空になった瓶を机の上に戻した。
「虹の都からお帰りになる前に教会をお訪ねなさい。司祭がジエル教徒としての気構えを教えてくれるでしょう」
「ありがとうございます。教皇
再び片膝をついて頭を垂れるクロード。
そんな彼にほほ笑みかけると、教皇は袖幕の奥へと去って行った。
その後を慌ただしく
「おめでとう、クロード殿。たった今から、あなたは私達と同じジエル教徒だ」
「そう……ですね」
リッソコーラ卿からの激励を受けたのにクロードは上の空だ。
洗礼が終わって念願のジエル教徒になったというのに、嬉しそうな素振りを見せないのはなぜだろう。
「……クロード? どうかしたのか」
「別に」
せっかく心配して声をかけてやったのに素っ気ない。
クロードは濡れた髪を掻き上げ、じっとステンドグラスを見上げている。
釣られて俺もステンドグラスの絵を見上げるが、やはり目を引くのは美丈夫(?)の持つ蒼い剣だった。
クロードも同じものを見ているのだろうか。
「さて。洗礼の儀も終わりましたし――」
リッソコーラ卿が、俺達と同じくステンドグラスへと目を向ける。
「――お約束通り、聖剣をご覧いれましょう」
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