3-015. 勇者語り

 食堂に入ると、俺はその広さと豪華さに圧倒された。

 天井からは煌びやかなシャンデリアが吊るされ。

 壁には絵画や宝石装飾インテリアが並べられ。

 床にはピカピカに磨かれた大理石が敷き詰められ。

 部屋の中央に置かれた円卓に到っては、プラチナ刺繍が施された真っ白なテーブルクロスが敷かれ、その上に銀の燭台が立てられている。


 円卓には、すでに枢機卿すうききょうとフローラが並んで座っていた。

 その後ろ――壁際には、ヘリオが武装した姿でたたずんでいる。

 妹が食卓に着いているのに兄はお預けとは、護衛も大変だな。


「お座りなさい」


 フローラが促してきたので、俺達は早々に円卓の席へ着いた。

 俺は枢機卿すうききょうのやや正面に。

 ネフラは俺の左手、クロードは右手に座った。

 円卓は五人分の席があり、各々の座席の前にはすでにナプキンや食器類が用意されていた。

 〈ジンカイト〉は貴族との付き合いもあったので、テーブルマナーはずいぶん前に教えられている。

 とは言え、そういう窮屈なマナーは俺の性に合わない。


「全員揃いましたわ」


 フローラが落ち着き払った表情で枢機卿すうききょうに向き直る。


「〈ジンカイト〉の方々とは初めてお目にかかりますな。私は、教皇聖下せいかより枢機卿すうききょうの任を仰せつかったリッソコーラと申します」


 リッソコーラ卿、か。

 信仰心の薄いジエル教徒の俺でも聞いたことがある名前だ。

 教皇庁に三人いる枢機卿すうききょうの一人で、次期教皇との呼び声が高い人物だったと記憶している。


「俺は……私は、ジルコ・ブレドウィナーと申します」

「ははは。そう改まったしゃべり方をせずともよろしい」


 フローラと違って、ずいぶん気さくな人のようだ。


「ネフラ・エヴァーグリンといいます」

「クロード・インカーローズと申します。このたびは我々のためにこのような席を設けていただき、大変光栄に存じております」


 ……この二人は慣れたものだ。


「リッソコーラ卿は、次期教皇との呼び声が高いお人ですの。本来であれば、あなた方のような平民が食事を共にすることすら許されない方なのです」


 フローラが得意気な顔で話しだした。

 俺の記憶にある評価とまったく同じなのは、そもそもフローラから枢機卿すうききょうのことを聞いていたからだった。

 しかし、本人の前でそれを言うか……?

 リッソコーラ卿が困った顔をしているじゃないか。


「フローラ。お客様に対して無礼ではないかね」

「申し訳ございません。しかと言語化して伝えるべきと思いましたの」

「それに次期教皇とは周りが勝手に言っているだけだよ。お決めになるのは教皇聖下せいかだ」

「お言葉ですが、現枢機卿すうききょうの中ではリッソコーラ卿がもっとも適任ですわ!」

「そうかね。私としては、先日事故で亡くなったドライト卿こそ相応しいと思っていたのだが」

「いいえ! 私はそうは思いません!!」


 興奮したフローラの声が食堂に響き渡る。

 彼女はハッと我に返ると、平静を装いながらも押し黙ってしまった。

 この女、目上の相手に対してもこんな調子なのか……。


「この子は昔から落ち着きがなくてね。きみ達も彼女の扱いには苦労したのではないかね?」

「それはもう」


 リッソコーラ卿の言葉にクロードが間髪入れずに答えた。

 ネフラもうんうんと頷いている。


「しかし、我らの愛すべき聖女が世界平和に貢献したことは、教皇庁の人間として誇らしいことに思う」


 その言葉を聞いて、フローラの顔がパッと明るくなる。


「それでは、そろそろ始めようか。料理を運んでくれたまえ」


 こうして枢機卿すうききょうとの会食が始まった。





 ◇





 会食では勇者の武勇伝に花が咲いた。

 リッソコーラ卿は勇者と顔を合わせたことはなく、その伝説的活躍も伝聞でしか知らないという。


「聞くところによれば、きみ達〈ジンカイト〉の冒険者がもっとも多く勇者様と共に戦ったそうだね」

「はい。あいつにはずいぶん振り回されました」


 昔のことを思い出しながら、俺は率直な気持ちを口に出していた。


「教皇庁から勇者様にお供させた従者からも、その苛烈な性格についていけず離反したという話を聞いている。よっぽどなのかね?」

「よっぽどですね。あいつに付き合わされて、何度死にかけたかわかりません。だけど――」


 俺は今も鮮明にあいつの顔を覚えている。

 美しい銀色の髪。

 黄金に輝くふたつの瞳。

 ……忘れるわけがない。

 仮に頭を打って記憶を失ったとしても、あいつのことだけは忘れられそうもない。


「――隣で一緒に戦いたい。そう思わせる不思議な魅力がありました」

「ほう。もしや、それが噂に聞く勇者様の士気高揚の鼓舞ブレッシングというものかね」

「さぁ。周りがなんて呼んでいるのか知りませんが、あいつは自分の我儘わがまま拒否させない・・・・・・だけですよ」


 勇往邁進ゆうおうまいしん

 どんな危険も顧みず。

 ただ世界のために滅私献身。

 一度やると決めたなら。

 その身が裂かれようと砕かれようと。

 全霊を尽くして、ただ真っすぐに己の信念を貫き通す。

 ……それが勇者の性質だった。


「今日はいろいろなお話が聞けそうですな」

「そんな面白い話じゃ……」

「伝え聞く勇者様の伝説を当事者の視点で聞けることなど滅多にないですからな。これを機会に、ぜひお聞かせ願いたい」


 リッソコーラ卿がグイグイくるものだから、俺達は勇者とのことを思い出しながら語り聞かせることになった。


「――アムアシア東部から西部に戻る時、あいつの提案で魔物だらけの海を帆船で突っ切ったことがありました」

「ほう。それはどんな理由で?」

「陸路より海路の方が速いから。それだけの理由で命を懸けさせられました」

「結果はどうなったのかな?」

「魔物の群れの進撃を止めるのに間に合いました。船は潰れて、仲間が何人か沖で行方不明になりましたけど」


「――勇者様の美しさは、それはもう筆舌に尽くしがたいものでしたわ!」

「きみがそこまで言うほどかね」

「そうですとも! そのお姿は居るだけで人を惹きつけ、その美声は安らぎをもたらし、その凛とした振る舞いは勇気を奮い立たせる!」

「まさしく神の恩寵カリスマというものだね」


「――優しい人でした。私の悩みも親身になって聞いてくれました」

「そういった一面もあったのだね」

「でも、最後はいつも全霊を込めてぶつかれば突破できない壁はない、と言って締めくくられてしまうので……」

「その時、きみはどうしたのかね?」

「はは、と笑うしかないです」


「――明らかに勇者の力は常軌を逸していました」

「等級Sを冠する冒険者のきみから見ても、かね」

「ええ。まさかこの世に空と海と大地を同時に斬れる人間が存在するとは思いませんでした」

「おお! もしやそれが、かのカルヴァリア丘陵防衛戦を終結せしめた輝光の神撃ディヴァイン・ストライク!?」

「おかげでエル・ロワの地形が変わりましたよ」


 ……そんな話を数刻ほどして、会食は終わった。

 話してみてわかったが、この人、めちゃくちゃ勇者のファンだった。

 世界平和の立役者となったあいつにファンが多いことは知っていたが、まさか教皇庁のお偉方にここまで熱狂的なファンがいるとは。


「ああ。そうだ――」


 食事を終えて席を立ったリッソコーラ卿が、思い出したように口を開く。


「――クロード殿がおっしゃっていた勇者様の御業みわざだが、それを実現した聖剣が虹の都に保管されているのはご存じかな?」


 ……勇者の聖剣。

 それを聞いて、あいつの使っていた氷の彫像のように美しい剣を思い出した。

 確かにあいつは魔王を倒した後に教皇庁へ返還したと言っていた。

 その剣が虹の都ここにあるのか!


「それは……実に興味深いですね」

「そうでしょう? 魔王亡き後、聖剣は教皇庁によって管理されているのです」

「その聖剣を直に観ることは可能でしょうか?」

「もちろんだとも。夕方、クロード殿の洗礼の儀・・・・が終わり次第お見せしよう」

「感謝します、猊下げいか


 話を終えると、リッソコーラ卿はヘリオとフローラを伴って食堂から出て行った。

 後に残された俺とネフラとクロードも、それぞれ退席の準備を始める。

 その時、俺は――


「ずいぶん嬉しそうだな?」


 ――クロードの顔が、いつになく笑みをたたえていることに気がついた。


「……勇者の遺産を直に観察できるなど、そうあることではありませんから」


 勇者の聖剣ともなれば、クロードの好奇心も刺激されるか。

 間近で一緒に戦っていたとはいえ、直に聖剣を観察させてもらう機会なんて闇の時代にはなかっただろうしな。


 食堂を出て行くクロードの後に続こうと、俺が椅子から腰を上げた時。

 ネフラが円卓の傍にたたずんだまま、俺をじっと見つめていることに気がついた。


「ネフラ、どうした?」

「……」


 ネフラは無言のまま答えようともしない。

 しかも、不機嫌そうな顔で俺を睨んでいるように見える。


「な、なんだよ……?」

「ずいぶん楽しそうに話してたね。勇者のこと」

「え。それってどういう――」


 俺の返す言葉も聞かずに、ネフラは頬を膨らませて食堂を出て行ってしまう。

 一人取り残された俺は、困惑するばかりだった。

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