2-002. 注意! 美女と野獣

「昨日の雨が嘘みたいだ」


 朝起きてギルドの宿直室から出ると、窓の外は快晴だった。


 コイーズ侯爵家の園遊会は今週土曜の正午からか……。

 今日を含めても三日しか猶予がない。

 だが、まずはこの眠気をなんとかしないとな。


「気付けにコーフィーでも飲むか」


 コーフィーは眠気を覚ます効果もあると聞いた。 

 朝から飲んでおいて損はないだろう。

 執務室に置いてあったコーフィー豆の粉砕機は、確かアンが厨房に運んでいたな。


 俺はあくびしながら一階へと降りていった。





 ◇





 一階の酒場に入ると、ゾイサイトがテーブルでぐっすりと眠りこけていた。


 「こいつ、すっかりここが定位置になったな」


 本来この男はギルドマスターから宿直を命じられていたのだが、魔王が倒れてからは覇気をなくして酒ばかり飲むようになってしまった。

 たまに外に出れば問題ばかり起こすので、俺としてはここで飲んだくれてもらっていた方がいい。

 おかげで、俺は宿直室を使えるようになったしな。


 背を丸めて突っ伏しているゾイサイトを尻目に、俺は厨房を覗き込んだ。

 厨房にはシチューの匂いが漂っており、腹の虫がぐぅと鳴いた。


「あ! ジルコさんっ」


 台所には、エプロンを巻いたアンが立っている。


「おはようアン。コーフィー豆まだ残ってる?」

「残ってますよ! 一杯淹れましょうか」

「ああ。頼む」

「豆を挽くので、ちょっと待っててください」


 アンは流し台の隅に置かれた粉砕機の蓋を開けて、コーフィー豆を入れ始めた。

 貯蔵口がいっぱいになると、ハンドルを握ってキコキコと豆を挽き始める。


 俺は一人で厨房を切り盛りするアンの姿を見て、改めてギルドが寂しくなったものだと思う。

 もうギルドにあの頃の喧騒は戻らない……。 


「あ。ジルコさん、ごめんだけど――」


 感慨に浸っていると、アンが背中を向けたまま声をかけてきた。


「――倉庫からチーズ持ってきてもらっていいです?」

「チーズ? いいよ」


 アンの要望に従い、俺は廊下に出て倉庫の重い扉を開けた。

 中には、箱詰めの瓶やら米やらチーズやらが保管されている。


「チーズ、チーズと……」


 床や棚に積まれた箱を開いては閉じてを繰り返しながら、俺はようやくチーズを見つけた。

 その時、棚の隅に置かれていた木箱が目に入った。

 中には青い液体や紫の液体が入ったガラス容器が並んでいる。

 容器にはラベルが貼られており、青い液体には〈ポーション1154〉、紫の液体には〈Zポーション1155〉とあった。


「ポーションと――」


 俺は紫色の液体が入った容器について心当たりがあった。

 これは飲んではいけない薬・・・・・・・・・だ。


「――ゾンビポーション!」


 そう。紫色のはゾンビポーション。

 飲めば誰でもゾンビのようにタフになる!

 剣で斬られても、火で炙られても、外傷からくる痛覚のほとんどすべてを感じなくさせる悪魔の秘薬。

 何年か前に魔導士ウィザードでもあり錬金術師アルケミストでもあるクロードが製造したものだ。

 副作用が危険だとしてギルドマスターがすべて処分したと思っていたが、まだ残ってたんだな。


「ジルコさん!」


 突然後ろからアンの声がしたので、俺は驚いて振り返った。

 廊下から頬を膨らませたアンが俺を睨んでいる。


「チーズ、見つかりました!?」

「あ。これ、どうぞ」


 俺はチーズの入った箱をアンに手渡した。

 彼女は箱を受け取るや否や、鼻を鳴らして厨房へと戻っていった。


「……このポーションはもらっていこう」


 二、三年前のものだが、まだ使えるだろう。

 少し前までは箱買いが当然だったが、今となってはポーションを買う余裕もないのだ。





 ◇





 酒場で朝食をとった後、俺はネフラが来るのを待っていた。

 彼女の知恵があれば、きっとコイーズ侯爵の園遊会に参加する方法も見つかるだろう。

 ……俺だってしっかり考えるけどな。


 手持無沙汰に、ゾイサイトがシチューを静かにすすっているのを観察していると、庭の方から何やら騒がしい声が聞こえてきた。


「なんだ?」


 俺が気になって窓の外に目を向けると、ネフラの前に立ちふさがるようにしてフローラが騒ぎ立てている姿が見えた。

 あの女、今度はネフラに絡んで何を考えてんだ!


「おい、フローラ!」


 俺はすぐに庭へと出て、フローラを呼びつけた。

 だが、彼女は俺を無視してネフラに詰め寄るのを止めない。


「いいですか、ネフラ! ジエル教の門戸はいつでも開いているのです。あなたも信仰を得るべきですわ」

「うう……。でも、私は別に」

「四の五の言わず私の言うことをお聞きなさい! あなたも宝石のひとつでも持てば色鮮やかな人生が開けますわよ!?」

「ジルコくん、助けて」


 フローラのいつもの悪い癖が出ている。

 こうなると落ち着かせるのに苦労するんだよな……。


 まずはネフラから引き剥がそうと、俺はフローラの肩を掴んだ。

 すると――


「ぐはっ!」


 ――数瞬後、俺は青空を見上げていた。


「殿方が女性の肩に気安く触れるものではありませんわ」


 言いながら、俺の顔を覗き込むフローラ。

 その表情は恐ろしく冷めており、まるで地べたを這い回る虫を見下すかのような嫌な目をしていた。


「ジルコくん、大丈夫?」


 ネフラが傍に寄ってきて、身動きの取れない俺を抱き起こしてくれた。

 天使と言うなら、この子のことだ。


 咳き込みながら、俺は何が起こったのか思い返した。

 どうやらフローラの肩を掴んだ直後、彼女によって背中から地面に投げ落とされたらしい。


「ネフラ。女性の美しさは外見だけではダメなのです。内面を磨いてこそ真の淑女足りえます! そして内面を磨くには、ジエル教の教えを尊ぶことが何よりも近道となるのです!!」


 ……長い説教のおかげで、少しは息が整ってきたぞ。

 俺は起き上がって早々、ネフラをかばうようにフローラとの間に割って入った。


「お前な。いきなり人を……投げ飛ばすなよ……ごほっ」

「さっきから何なんですの? 私はネフラと話しているのです」

「ネフラが嫌がってるのが、わからないのか?」

「迷いは信仰を必要とする者の証! 私の話を聞けば迷いも晴れますわ」


 ダメだこいつ。もはやどうにもならない……。

 フローラの解雇通告はまだ先を予定していたが、まずはこいつを解雇するべきだろうか。

 ……いやダメだ、まだ早い。

 キレさせたら・・・・・・始末に負えないナンバーワンのフローラを相手にするには、準備がまるで足りてない。

 仕方ない。ここはひとつ試してみるか。


「ゾイサイト! ちょっとこっちに来てくれ!!」


 俺がゾイサイトの名前を叫ぶと、フローラの顔色が変わった。


「……ちっ」


 フローラは舌打ちすると、俺とネフラを避けて門扉へと向かっていった。

 そう。フローラは過去の経緯からゾイサイトを激しく嫌っているのだ。

 それはもう憎しみと言ってもいいかもしれない。


「ジルコ! 今週の日曜はちゃんと礼拝ミサに行くのですよ!」


 それだけ言い残すと、フローラは門扉をくぐって街路の人混みへと消えた。


「ジルコくん。迷惑かけてごめんなさい」

「迷惑なのはあいつだろ。懲りないんだから――」


 瞬間、俺の背筋にぞわっと鳥肌が立った。

 背後に何か・・がいる!


「おい。わしを呼んだか」


 突然、耳元に野太い声を投げかけられる。

 うわっと驚いて飛び退くと、いつの間にか庭にゾイサイトが出てきていた。

 猫背となって、俺の顔を見下ろしている。


 ……すさまじい威圧感。

 立ち上がると相変わらずでかいな。


 この男は200cmをゆうに超える巨漢で、門扉や入り口をくぐる時も頭を下げなければ通れないほどだ。

 腕も丸太のように太く、機嫌を損ねたら洒落しゃれにならないギルドナンバーワンの人物でもある。


「えぇと……ごめん。なんでもなかった」

「ジルコ――」


 力のこもっていなかった楕円形の目が、突如逆三角形の三白眼に変わった。


「――貴様ぁ、わしをからかっておるのかぁ!?」


 ずいっと、顔を近づけてすごんでくる。

 うおおっ! ヤバい、これは怒っている。


「待て、ゾイサイト。これには理由わけが……」

「知ったことかぁっ!!」


 ゾイサイトの全身の毛がぞわっと逆立つ。

 同時に両腕を折りたたんで力むと、丸太のように太かった腕がさらにボコン、と膨張した。

 首筋には太い血管が現れ、完全に獲物を狩る肉食獣の目をしている。


「待てって、ゾイサイト! 話せばわかる!!」

「じゃかぁしいわ、こんガキャァァーー!!」


 ゾイサイトが剛腕を振りかぶった、その時――


「ちょっとゾイサイト、お酒頼んどいて外で何やってんの!」


 ――アンの声が聞こえた瞬間、ピタリとゾイサイトの動きが止まった。

 直後、三白眼が元の楕円形の目に戻ると、ゾイサイトは鼻を鳴らして酒場へと戻っていった。


 ひえぇぇ……。マジで今、死にかけた。

 まさかアンに救われるとは思いもしなかった。

 否。もしや俺を救ったのは……酒?

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