1-003. 解雇候補者達①

 執務室を出た後、まず向かったのは酒場だ。

 これからの苦難を想像すると、酒の一杯でも飲まなければやっていられない。

 しかし――


「静かすぎて落ち着かない」


 ――空いているテーブルに着いて早々、俺は独り言ちた。


 ギルドには冒険者専用の酒場が併設されている。

 それが今は人気がなくてガランとしている。


「はぁ。この大改革はもう止められないな……」


 俺は執務室を出る際、ギルドマスターからギルド名簿を受け取っていた。

 名簿には、冒険者から事務員まで、ギルドに所属するすべての人物の名が書かれている。

 すでにその九割に赤線が引かれていたのだ。


 ギルドマスターは、やると言ったら行動は早い。

 当面の給料を先払いすることで、ギルド専属の鍛冶職人やその他事務員をすでに辞めさせていたのだ。

 一部、強引な退職要請に裁判沙汰になっている者もいるとか……。


「もしかして、ギルドマスターの代わりに俺が裁判に出るのか?」


 頭が痛くなってきた。


「裁判って何の話?」


 背後から突然声を掛けられて、思わずビクッとしてしまった。

 振り返ってみると――


「ジルコくん。顔色が悪いけど、どうかしたの?」


 ――冒険者の一人、ネフラが俺の顔を覗き込んできた。


 ネフラはハーフエルフの少女だ。

 透き通るような白い肌に、ピンと尖った耳、美しいエメラルドグーンの髪が思わず目を引く。

 まだ幼さの残る顔立ちだが、そのはかなげな表情は、ただただ美しい。

 白と緑を基調としたエルフ特有の民族衣装が、その美貌に拍車をかけているのか。

 彼女は無類の読書家であり、そのせいか常に眼鏡を掛けている。

 透けたガラスの先に見える碧眼ブルーアイは、吸い込まれるような不思議な雰囲気を感じさせる。


「いや、別に」


 不安や迷いが顔に出ていたか。

 俺を心配して声を掛けてくれたのだろうに、思わず否定してしまった。


「そう」


 ネフラは俺と対面の椅子に腰掛けると、そこで静かに本を読み始めた。

 この子は大きなリュックに何冊も本を入れていて、何もなければ大抵は本を開いて読みふけっている。

 彼女が本の虫・・・と言われる所以ゆえんだ。


「……」

「……」


 沈黙が気まずいので、何か話題を口にしようとした時――


「ただいま!」


 ――酒場に凛とした声が響き渡った。


 声のした方向に目を向けると、ギルドの入り口をちょうど三人組の冒険者がくぐり抜けたところだった。

 声の主は、三人の先頭にいる女性だ。


「一ヵ月ぶりだな、ジルコ殿。変わりないか?」


 黒髪の女性――ルリが屈託のない笑顔で話しかけてくる。

 腰まで届きそうな長い黒髪。

 白と朱を主体とした目にまぶしい戦装束。

 彼女はアマクニと呼ばれる島国出身のサムライで、ひとたび刀を抜けば一太刀で鋼鉄すらも斬り裂く剣の達人だ。

 そして、三人組の冒険者パーティー〈あけ鎌鼬かまいたち〉のリーダーでもある。


「変わりないよ。ルリ姫も健在で何より」

「すこぶる元気さ!」

「それにしても急な帰還だったな」

「ん。昨日、手紙が届かなかったか? 伝書鳩に預けていたのだが」

「えっ」


 ……そうか。

 昨日の時点で鳥番も解雇されたから、鳥小屋に手紙が届いても放置されたままになってるのか!

 ん? これってもしかして、いなくなった事務員の雑用まで俺が巻き取るハメになるのでは……?


「まぁ、無事に戻ってくれて嬉しいよ」


 ルリの後ろにいる他の二人も変わりないようで。


「北の害獣討伐の依頼クエストは終えた。さっそくで悪いが報酬をいただきたい」


 報告を終えるや、口を閉じて目も合わせないセリアンの男――剣闘士グラディエーターのタイガ。

 セリアンとは、ヒトとケモノの両方の特性を併せ持つ種族をさす。

 そのうちトラ族・・・は寡黙な人間が多いそうだが、不愛想すぎるだろ!

 こいつ、俺のこと嫌っているのか?


「帰ったばかりで、そんな急がなくても。ゆっくりご飯でも食べましょうよ」


 タイガの隣に立つ小柄な少年――名前はトリフェン。

 この子は、ヒトとセリアンの混血であるライカンスロープだ。

 一見するとヒトの姿そっくりだが、セリアンの獣耳や尻尾といった身体的特徴を部分的に受け継いでいる珍しい種族なのだ。


 以上、三人一組の冒険者パーティー〈あけ鎌鼬かまいたち〉。

 この三人のうち二人・・は話のわかる相手だが、もう一人・・・・に解雇の話をしたらどうなるか……。


「あれ? 今日はずいぶん人が少ないですね」


 トリフェンがさっそく気づいてしまった。

 そりゃ気づくよな。


「確かに月曜の朝にしては人が少ないな。庭には酒蔵の銘の入った木箱が放置されたままだったが、何かあったのか」


 いつもながらタイガの観察眼は素晴らしい。

 だけど、何もこんな時にまでそれを働かせなくても……。


「何かあったのなら、私が力を貸すぞジルコ殿!」

「ルリがそう言うのであれば……手を貸そう」

「僕もジルコさんの助けになります!」


 これが阿吽あうんの呼吸というものなのか。

 ルリ、タイガ、トリフェンの三人が一斉に俺へと詰め寄ってくる。

 なんて圧力……!

 この三人の連携は日常でも発揮されるらしい。


 今後の方針もまとまっていない今、解雇の話をしてもいいものか?

 俺が答えあぐねていると――


「従業員のみんなは、来週行われるコイーズ侯爵の園遊会の手伝いに駆り出されてる。だからしばらく酒場も工房もお休み」


 ――ネフラが助け船を出してくれた。

 彼女の回答が百点満点だったのか、三人とも納得してくれた様子。


「ルリ。食事は他を当たろう」

「ピドナばば殿の肉料理をいただきたかったが、仕方ないな」


 ルリの言葉に内心ギクリとした。

 料理人兼給仕のピドナ婆さんは、新しい職場を探している最中だと思う。


 〈あけ鎌鼬かまいたち〉の三人が話し合っている間、俺はネフラに向き直った。


「助かったよ。ネフラ」


 褒めるついでにネフラの頭を撫でてやると――


「もう子供じゃないっ」


 ――開いていた本へと恥ずかしそうに顔をうずめてしまった。


 ネフラは博識だし、機転が利く。

 今の俺にとって、この子は心強い助けになるかもしれない。

 解雇通告の件、ネフラの助けを借りられれば無事に終えられるかも……?

 だが、彼女もギルドの冒険者である以上、解雇の対象者だ。

 自分に不利益なことに進んで協力するわけが――


「帰ったぞぉ! 酒を持ってこいやぁ!!」

「この私の隣で、そんな三下っぽいセリフを吐くのやめていただけます?」


 新たにギルドへと響く二人の声。

 話の通じなさそうなのが帰ってきたなぁ……。

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