第一章 それは、とても胃が痛くなる仕事
1-001. 終わりの始まり
惚れた女が勇者だった。
彼女が俺の想いを受け入れてくれた時は、天にも昇る心地だったが――
「お別れしよう」
――唐突にそう切り出されて、俺は困惑した。
蒼穹の下、風がそよぐ野原でのことだった。
「そんな顔をするなよ。君が悪いことは何もないさ」
彼女は困ったように眉をひそませながらも、笑みを絶やさずに言った。
「俺じゃ、お前の隣に立つには力不足だったのか……?」
「そういう言い方は好きじゃないな。それに君が僕の隣に居てくれたことは、とても嬉しくて、それに心強かったよ」
「だったらどうしてそんなことを言うんだ!?」
魔王が滅びてからしばらく。
使命を終えた勇者の息抜きにと、俺は彼女を王都から連れ出した。
世界を救った大英雄である彼女を連れ出すには骨が折れた。
人目を忍んでようやくここまでやってきて、久しぶりに二人きりになれたのだ。
勇者は、剣も手放し、鎧も脱ぎ、ただの女の子となった。
誰の目も気にする必要のないこの場所で、その華奢な体を強く抱きしめよう。
そう思った矢先の思いがけない言葉だった。
「僕の助けを呼ぶ声が聞こえるんだ」
「声?」
「だから僕は行かなければならない。僕を必要とする人達を助けるために」
「そんな……」
彼女の言葉を聞いて、俺は自分の矮小さに嫌悪感すら覚えた。
救いを求める声があるのなら、それに応えるのが勇者の義務――存在意義だ。
なのに俺は――
「行くなよ。俺の前から消えるな。俺と一緒に居てくれ!」
――自己満足のために、彼女を束縛しようとしているのだ。
今さらながら、俺はなんて傲慢な男なんだ。
勇者を独り占めできると本気で思っていたのだろうか。
俺は、このやるせない気持ちを何にぶつければいいんだ……!?
「ごめんね」
不意に、彼女の唇が俺の頬に触れた。
……柔らかい唇だった。
その時、野原に大きな影が現れた。
「迎えが来たみたいだ」
彼女が空を見上げたので、俺も釣られて顎を上げる。
そこには……。
「……っ!!」
俺は自分の視界に映ったものに戸惑いを隠せなかった。
「せっかちだなぁ。僕が一人になった時に迎えに来ると約束したのに」
「
「僕に声を届けてくれたのは、
「そうか……」
勇者の使命は終わってはいなかった。
否。その使命に終わりなどないのかもしれない。
「本当に行くんだな」
「うん」
「もう二度と会えないのか?」
「どうかな」
「俺はお前のことを――」
「知ってる」
彼女のまぶしいほどの満面の笑みに、俺は言葉を続けることができなかった。
「ギルドマスターには旅立つことは伝えてある」
「そうか」
「他のみんなには、ジルコ。君から伝えてほしい」
「わかった。伝えるよ」
俺は、口にしたいことの多くを飲み込んだ――
その華奢な体で、まだ戦い続けるのか?
勇者の使命を辛いと思ったことはないのか?
戦いのない平穏な人生を歩みたいと考えたことはないのか?
俺と一緒に生きていってはくれないのか?
――どんな疑問も、最後には結局、俺自身のエゴになる。
俺は彼女を手放したくなかった。
今からでも抱きしめてやれば、彼女は考えを改めてくれるだろうか。
「君には、僕よりもずっと相応しい女の子がいるよ」
そんな女性がいるわけがない。
「世界はきっと、もうちょっとだけ騒がしい。新しい時代で迷った時は、僕の言葉を思い出して」
彼女の言葉を忘れるわけがない。
「一度やると決めたなら――」
「その身が裂かれようと砕かれようと、全霊を尽くして――」
「「――ただ真っ直ぐに己の信念を貫き通せ!」」
勇者の口癖。
困難な旅の中、俺の背中を何度も押してくれた言葉だ。
「一言一句、覚えているさ。忘れられない名言だからな」
彼女はこくりと頷くと、手のひらを自分の胸に当てて続けた。
「その言葉が
……
相変わらずと言うべきか、やっぱり彼女はどこまでも勇者だな。
「ああ。そうだな。その通りだ」
俺達の傍に落ちた影が、どんどん大きくなっていく。
「君達と一緒に戦えてよかった」
「ああ」
「とても素敵なギルドだった」
「ああ」
「これからもギルドを――仲間達を大切に」
「ああ」
彼女との最後の会話だと言うのに、もっとマシな返しができないのか。
俺は、俺自身が今ほど情けないと思ったことはない。
「ありがとう。さようなら。行ってくるよ、ジルコ」
「元気で……な」
それから、野原を突風が吹きつけた。
風が止む頃には影は消え去り、俺は蒼穹を遥か遠くまで見つめていた。
野原に一人残された俺は――
「……さようなら」
――失恋の鈍痛に
◇
それから半年が経とうという頃だった。
ギルドマスターから、俺達のギルドが解散の危機にあることを聞かされたのは。
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