復讐者は司る
玻璃跡 紗真
第一章
第1話 悲劇
「テオ! こっちよ、早くおいで」
僕の前を茶色の髪を靡かせたミアが無邪気にはしゃぎながら走っていく。
そのミアに追いつこうと僕も走り出す。
少しすると前を走るミアは何かに気づいたように立ち止まり、僕はすぐに追いついた。立ち止まるミアの横に並び立ち、見えた景色に思わず感嘆の声を上げる。
「わぁ」
目の前には見渡す限り一面の花畑が広がっていた。
あまりの光景にミアが目を輝かせて走っていく。
少し遅れて僕はミアを追いかける。
するとすぐに彼女は立ち止まり、振り返った。
「すごいね。テオ」
「うん。すごくきれいだよ」
満面の笑みで感想を言う彼女に想いを寄せながら僕は答える。
それから僕たちは時間を忘れ、日が沈みかけるまで遊んだ。
「そろそろ村に帰らなくちゃ」
花冠を被り、元気いっぱいなミアに門限だと伝える。
「えー。もう少し遊ぼうよ」
「だめだよ。あと少しで日が沈んじゃうよ」
「いいじゃん。もっと遊ぼうよ」
そう言ってミアは駄々を捏ねだした。経験上こちらが少し譲歩しないと収まらない。
「怒られるよ。また今度にしよう」
「また今度って、いつ?」
その言葉に一瞬言葉を詰まらせる。
村から離れたこの場所に来ていることは大人には内緒であるため、いつ来られるかは正直分からない。
「三日後にまた来よう」
三日後に来れるかは分からないが三日以内であれば大人の目を掻い潜れるはずと考え、提案する。
「やった! また来ようね、三日後に。約束だよ!」
満面の笑みを浮かべたミアはそう言って立ち上がる。
この少し面倒くさいところも可愛いと思えてしまう。
この頃から彼女に惹かれていて、この長閑で幸せな日々がいつまでも続くのだと漠然と思っていた。
だが、この約束が守られることはなかった。
--- ---
村に着いたのは日が沈んだ後のことだった。
幸い、日が沈んでもいつも以上に村から明かりが漏れ出ていたから迷わずに着くことができた。
明かりが漏れ出ているということは恐らく大人たちが僕たちを探しているのだろう。
怒られるのを覚悟しながら足を進める。
「これ、絶対怒られるよ」
「怒られるのはいやだけどテオがいるもの」
嬉しいことを言ってくれるが、この場合基本的に怒られるのは僕一人なのである。
帰ることが少し憂鬱になり始めた矢先、村の異変に気がつく。
誰一人として人がいないということに。
「みんな居ないね」
隣にいるミアがそう呟いた瞬間、村の奥から何かが爆発した様な音が聞こえてきた。
「みんなで何かしてるのかな? 行こうテオ」
彼女はそう言うと僕を置いて走り出してしまった。
何か嫌な予感がしながらも急いで彼女を追いかける。
すると曲がり角を曲がった所で何かを見つけたらしく、ミアは立ち止まっていた。
ミアの反応と直感がこの先にあるものを見てはいけないと予感させるが、それを無視して彼女の横に並び立つ。
「あぁ」
目の前には見渡す限りの地獄が広がっていた。
あまりの光景にミアが嗚咽を漏らしながら崩れ落ちる。
村のみんなが集まる広場。そこにはおびただしい数の死体が集まっていた。
顔は潰され、足は捻じ曲がり、腕はもげている。その惨たらしい光景に僕は耐えられなくなり、嘔吐した。鼻を突くような血臭がさらに嘔吐を誘発させる。
やがて出すものがなくなり、嘔吐が終わる。
気分は悪いが不思議と落ち着き、両親は大丈夫なのかという心配が込み上げてきた。
状況を確認しようと顔を上げると、死体の山の上に全身が真っ黒な謎の怪物がいることに気がつく。
闇夜に紛れているせいか今の今まで気がつかなかったが、本能に訴えてかけるような圧倒的な存在感を放っていた。
「ど……し…て」
横で崩れ落ちているミアは壊れたように繰り言を呟いていた。
「ミア! しっかりして」
放心状態の彼女の肩を揺さぶり語りかける。
幸いなことに怪物は空を見上げ、こちらに気づいてはいない。急いでこの場から離れなければという思いで彼女を立ち上がらせると、自分の失態に気がつく。
目の前に怪物がいる、その状況で声を上げてしまった愚かさに。
恐る恐る怪物へと視線を向ける。
先程まで空を見上げ、微動だにしていなかった怪物の鋭い視線が幼い僕たち二人を容赦なく射抜く。
動けない。
まだ幼かった自分でも分かる本能的な恐怖。生存本能が警鐘をうるさいくらいに鳴らしてくる。
どれくらい経ったのか。
永遠とも思える刹那を経て、二人から興味を無くしたのか怪物は虚ろな目で再び空を見上げた。
怪物の視線が外れ身体の自由を取り戻したことで、急いでミアの手を引いて家の陰に隠れる。
「ミア大丈夫!?」
「…………」
うつむくミアを心配して抱きしめると彼女の身体は震えていた。
「大丈夫。大丈夫だから」
しばらくの間、そうしているとミアの震えが治まった。
「テオ。ありがとう……」
ミアの言葉を聞き、我に返る。
ずっと抱きしめ続ていたことに気が付くと、恥ずかしくなりすぐに離れた。
恥ずかしさを紛らわす意味もこめてミアに提案する。
「ここで待ってて」
「どこに行くの?」
「大人を探してくる」
怪物から逃げることができても、子供だけでは生きてはいけない。
助けてくれる大人を探さなければ。
それに両親のことも気になる。それが例え残酷な現実が待っているとしても。
「わたしもいく」
「だめだ。ミアは待ってて」
彼女を危険にさらしたくないという思いが、語気を強くさせる。
そんな僕の反応にミアは驚き、しぶしぶながら納得した様子を見せた。
そうして僕はミアを残し、大人に助けを求めて走り出す。
怪物が鎮座する広場を避け、まだ崩壊していない家を手当たり次第に回っていく。
どの家にも人の気配はなく、焦りが生まれ始める。
ミアが横にいたことにより自分がしっかりしなければという気持ちが心を支えていたが、その支えも限界が近くなってきた。
焦る気持ちを落ち着け、自分の家に到着する。家は形を保っており、何一つ異常はない。両親が生きている僅かな可能性に縋ってドアを開ける。
中に入ると部屋の様子は朝と変わっておらず、何事もなかったように錯覚させる。
違いがあるとすれば出迎えてくれる両親の姿がないことだけで。
広場で大量に転がっていた死体が脳裏を掠める。
現実が受け入れられず、違う可能性を模索するが嫌な予感めいたものが消えることはない。
家の隅々まで探したが見つかることはなく、悲しみに暮れながら家を出る。
それから残っている家を回ったが、生きている人はいなかった。
ミアの元へと戻る帰り道。
広場の近くで僕は最悪を見てしまう。
「母さん?」
衣服は血に塗れて判別がつかないが、村では珍しい僕と同じ綺麗な黒髪を見間違うはずがなかった。
急いで駆け寄り抱き上げる。
身体は硬く、冷たい。
現実が受け入れられない、だが世界は容赦なく現実を突き付けてくる。
徐々に理解し始めると共に涙が溢れでる。
「母さん……起きてよ……。ねぇ」
抱き上げた母の身体をゆすり呼びかける。
「テオ!!」
呼ばれるはずのない名前が呼ばれ、顔を上げるとミアの姿が見えた瞬間。
身体に衝撃を受け、視界が反転した。
「ッ……」
何が起こったのか分からず、すぐに起き上がる。
するとすぐそこには手を血で紅く濡らした怪物が立っていた。
何が起きたのか。理解が追いつかない。
身体に衝撃を受け、顔を上げると怪物が目の前に立っており、その横にはミアが血を流して倒れていた。
「ミア!」
反射的に叫んでしまうが、ミアの反応はない。
目の前の現実に動悸が激しくなる。
「ッ……ハァッ……」
気が動転して、呼吸の仕方まで忘れた喉が限界だと空気を求める。
胸が苦しい。張り裂けそうだ。
自らの胸を鷲掴み、呼吸を整える。
憎い。無情な世界が、情けない自分が、全てを奪った怪物が憎い。
顔を上げ、怪物の姿を捉える。
夜の闇に紛れた黒い巨躯が、周りの家屋から燃え上がる火に照らされ露わになっている。
猫背に肥大化した前腕。全身が筋肉質で所々、爛れているのか返り血を浴びたからなのか赤黒く変色している。
異形。まさにそんな言葉しか当てはまらないような姿だが、僕は視線を逸らさない。
怪物の姿を絶対に忘れないよう脳に焼きつける。
その過程で怪物と視線が交錯するが、もう怯むことはない。
一歩、また一歩と踏み出し、怪物へと詰め寄っていく。
怪物は動かない。その下で倒れているミアも動くことはない。
一歩踏み出す度、憎しみで忘れていた感情が徐々に蘇ってくる。
怖い。辛い。悲しい。寂しい。
感情が溢れ、歯止めが利かなくなる。
そうして溢れ出た様々な感情は渦を巻き、やがて殺意という激情が全てを呑み込んでいく。
小さな子供に何ができるのか。今の自分に何ができるのか。分からない。
ただ本能に従うように怪物の巨躯へと近付き、手を伸ばす。
怪物に触れた。
その瞬間。怪物が弾かれるように後ろへと飛び退いた。
それから怪物はこちらを見るなり急激に怯え始め、追いかけるように一歩踏み出すと逃げるように去ってしまった。
状況に頭が追い付かずしばらく立ち尽くしていたが、すぐに我に返りミアの元へと駆け寄る。
彼女を抱き起すと、抉れた胸の辺りから血が溢れ出していた。
「ミア……」
抱き起こした手についた生暖かい血の感触に、これが現実なのだと突き付けられる。
「お願い、死なないで。もう僕を置いて行かないで……」
縋るように呼びかけミアを揺さぶるが反応はなく、徐々に冷たくなっていく身体に焦りを覚える。
「ミア、ミア、ミアぁ……」
「ぅ……テ……オ?」
彼女の唇が微かに動き、か細い声が僕の耳に届く。
「ミア!?」
よかった。まだ生きている。早く大人たちに伝えなければ――
「あの……ね……」
周囲の状況に気づき絶望する僕にミアは言い残すように語り掛けてくる。
「テオが……ぶじで……よかっ……た……」
その言葉を聞き、泣きはらした目から再び涙が溢れてくる。
「よくない。よくないよ……」
ミアまで居なくなってしまったら自分はどうすればいい。
「だいじょうぶ。きっと助かるから」
根拠のない言葉を口にし、自分も鼓舞する。
このままでは折れそうになるから。
「……すき……だ……よ……テ……ォ……」
「僕もだよ。僕も、ミアが好きだ」
ミアの思いに応え、自分の思いも打ち明ける。
「だから、また一緒にお花畑にいこうよ」
今日した約束を思い出し、語り掛ける。
「今度は、門限で怒られるまでさ。いっぱい、遊ぼうよ……」
もうミアの反応はない。
「村のみんなに怒られて、またミアの分まで僕が怒られるから……」
もうミアの鼓動を感じることができない。
「あ、あぁ……」
抱きかかえていたミアのぬくもりが消えていき、もういないのだと肌で感じる。
その事実に耐えきれず、夜が明けるまでずっと泣いていた。
誰もいない村の中で。
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