藍里の優しさ

 ――なんだか、僕は、とにかく疲れた。


「あの、さとりくん。手、大丈夫ですか? 水でよく洗わないと、ばい菌入っちゃいます。それに、ちゃんと手当てもしないと傷が残っちゃいます」

 こんな時まで僕のことを心配してくれる……藍里はなんて良い子なのだろう。

「そうだね……ありがとう」

 そう言って僕は、左手に巻かれているハンカチをほどいて手のひらを見る。

 先ほどまでの輝きは消え、痛々しい擦り傷だけが残っていた。僕たちは大通りにまで出ると、藍里が近くにある薬局に駆け込んだ。

 水と包帯、それから消毒液の小瓶を買ってきてくれた。


 僕たちは、そのまま駅前まで歩き、入り口にあるベンチに座る――すると、藍里が意気込んだ。

「さ、覚悟してください! 少し沁みますよ!」

 藍里は、僕の左手にできた擦り傷の汚れを水で流し、消毒液をガーゼに染み込ませてから、傷の周りを優しく消毒した後、丁寧に包帯を巻いてくれた。

「はい、おしまい!」

 藍里はそう言うと、包帯が巻かれた僕の左手を、両手でぎゅっと握って微笑んだ。

 いろんな出来事があったせいか、藍里の藍里の優しさが心地よく感じられる。傷は沁みたけれど、何よりも、藍里のその優しさが心に沁みた。

「ありがとう」

「どういたしまして!」

 藍里に手当てしてもらった左手からは、心なしか、傷の痛みがほとんど感じられない。それほどまでに、僕は安らぎを感じているのだろう。


 ――駅前のベンチに座った僕ら二人は、しばし無言のまま、道行く人々の流れをただ眺めていた。

 この中にどれだけの能力者がいるのだろうか? 皆、自分の能力に気付いているのだろうか? 僕と同じで、自分の能力に気が付いていなのだろうか? 能力っていったい、何なのだろうか? 僕は、いったい、どうなってしまったのだろうか――


「お父さん、政府の研究者なんだね。何かこの不思議な能力について知っているのかな……」

 僕は藍里にそれとなく呟いた。

「このブレスレット、1日の朝に突然私にプレゼントしてくれて……そのまま、用事があるからって出かけていきました。普段から家を留守にしているので、今回も忙しいだけなのかなって思っていましたが、なんだか、事情が違うみたいです――それと、絶対に肌身離さず身に着けていなさいって。もしかすると、この藍色の宝石に秘密が隠されているのかもしれません……」

 藍里はブレスレットを見せようとして手を差し出した。


 僕は藍里の手を軽く支えながら、ブレスレットに埋め込まれている宝石を眺めた。

 吸い込まれるような藍色の宝石。いや、宝石ではなく、生き物のようにも見える。それどころか、何かに見えて、何かに見えない、そこにあるようで、なにもない、そんな、錯覚を引き起こす、僕らにはそれを判別することのできない謎の物質にさえ思えた。

 藍色の宝石を直視していると、記憶の膨張のような、そんな謎の情報量が頭を駆け巡り、僕の頭がパンクしそうになる。


 その宝石が、奇妙で眩い、それでいて吸い込まれそうな光を放つ、という幻覚を僕は見始める。

 その光……幻覚から目をそらすことが出来なくなってしまった僕は、ひどい頭痛に見舞われて、そのまま視界が真っ暗になった。

「さとりくん!? さとりくん、大丈夫ですか?」

 藍里の声が聞こえる。


 ――そして、僕は藍色の宝石によって、僕の記憶の中に眠る、近い未来に起こる出来事を鮮明に思い出した。

 1月6日、宵の刻――愛唯の手によって僕は瀕死となり、泣きながら僕の手を握りしめる藍里の腕には、藍色の宝石が埋め込まれたブレスレット。その不気味な藍色の宝石が、僕の意識が遠のいていく中、奇妙な光を放っていた。

 そして、そのまま意識を失った僕は過去に戻るのだ――1月1日、元日の朝に。

 

 真っ暗になった僕の視界は徐々に鮮明となっていく。

 そして、過去なのか、未来なのか、よく分からない記憶がしっかりと脳裏に焼き付けられていた。


 藍里に未来の出来事を話そうか迷ったが、彼女が未来を意識してしまうことが心配になり、伝えることができなかった。

 現に、僕はもう、誰も信じられなくなってしまった。愛唯も、銀太も、そして、藍里さえも……。

 それでも、最期の時に僕の隣に居てくれる藍里は信じてもいいのだろうか……?

 実は、それが藍里の策略で、何らかの計画を僕に邪魔されることを防ぐため、僕を騙している? もしくは、僕を利用している? だとすると、ブレスレットを見せてくれたり、それよりなにより僕とこうしているのも、すべて、藍里の演技だったりするのだろうか?

 愛唯が僕を殺め、銀太が敵対し、藍里がキューブのコアを持っている、という現状から推測できる未来ならば――それも十分にあり得る。


「――さとりくん! さとりくん! 本当に、大丈夫ですか!?」

 藍里は“抜け殻”のようになった僕のことを本気で心配してくれている。だが、これも演技なのかもしれない。

 もう、誰も信用できない……そんな風に、僕は思えてきてしまった。

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