19話 満ちる月を越えて
ラージャ・タリアシンは、渡された小刀を目の前に翳す。
柄は木製で、古き
革製の鞘も黒ずみ、破れを繕った痕跡もある。
だが、その内側の刃から溢れる閃光は強大だ。
その刃の先端に触れれば、命は消えるだろう。
「ラージャ・タリアシン……
『イドルフィン』は、冷徹に真相を語る。
「召喚された
「……
――ラージャ・タリアシンは自らの言葉を思い出し、眠っているヒズルを見た。
それを鍵として
それにも、やはりヒズルが必要なのだろう。
自らを贄としたグ・シン公の血が。
「ラージャ・タリアシン……ひとりの人間としての、ミカギ様の言葉を伝える」
『イドルフィン』は告げた。
「……我には、ヒズルは甥に等しい存在だ。
姉の夫の子の末裔……。
人ならぬ姿で産まれ、
旅の中で、人の幸せを得た。
多くの友を得た。
甥は、友が傷付けるのを望まぬことは解かっている。
甥は、
その時は、そなたが甥の命を断ってはくれまいか。
その刃が触れた身は、たちまち精霊の加護を断つ。
その身は苦痛も無く大気に溶け、魂は天へと還る。
……我は、間違っている……
この世が滅びて良い筈はない。
甥が贄となったとしても。
なれど、心はそれを許さぬ。
炎の申し子よ。
そなたに託すのは、余りに身勝手と心得る。
だが………
……… 」
(……知るか、干物ババァが!)
小刀をそっと床に置き、裸足で踏み付ける。
傍らでは、あえかな陽光が『
表紙は碧く輝き、金色の光の粒が舞う。
光の妖精が、呼んでいるのであろうか――
光の粒は、ラージャを導くように右手に纏わる。
ラージャは、『
彼から離さぬように、慎重に捲る。
しおり代わりの折り目を入れた頁を開くと、湯屋の絵が目に飛び込んだ。
湯浴み着姿のカイルが真ん中に立ち、その右隣にヒズル。左隣に自分がいる。
ヒズルと自分は、カイルと手を繋いでいる。
絵の中のヒズルの股間は、『
(……オレだけ、ちんこ丸出しじゃねーか)
目を凝らすと、絵の下に文字がある。
『カイルさんとラージャと、なかよくお風呂に入りました』
(……バカ……嘘を書くなよ……)
ラージャは鼻を啜る。
そっと『
落とした小刀を拾い、自分の寝床に置いた。
持っていても、損は無い――。
……日没が訪れた。
ヒズルたちは、岩窟の出入り口に立つ。
新しいマントに身を包むヒズルとラージャ。
そしてスイレン、マリーレイン。バシュラール。
バシュラールは、日が傾く前に戻って来た。
ヒズルは抱き付き、待ってたと呟いた。
バシュラールは、黙って頷いた。
カイル、イドル、アグナイ夫妻、司祭が見送りに来た。
ヒズルは頭巾を取り、挨拶をする。
「お世話になりました。色々と教わり、とても楽しく過ごせました。食料も薬も頂いて……御恩は忘れません。ミカギ様にも、よろしくお伝えください」
「いつ、戻って来ても良いのよ」
ガレリア、ヒズルを抱きしめる。
ヒズルは頷き、その温もりに瞳を濡らす。
「……マントも頭巾も……ありがとうございます」
ラージャも頭を下げる。
黒く染められたマントは立て衿が付いており、右肩を金属のブローチで止める。
長さは膝下まであり、ふんだんにドレープが入っている。
ヒズルのマントも染めていないだけで、同じ仕様だ。
満更でも無さそうな顔のラージャに、イドルは微笑みかける。
「君の古いマントは、ミカギ様がお使いになられる。他の魔導師たちのマント同様、世界の記憶の一部として……ここの民の詩や舞踏の一部となって語り続けられる」
「……はい」
ラージャに代わって、ヒズルが頷いた。
人々の語りや舞踏も、記憶の継承手段だ。
天井に彫られた先史時代の絵、ミカギ様の玄室の魔導師たちの名。
世界のどこかで人は死に、けれど人が生きた証は様々な形で遺る。
「行って来ます!」
ヒズルは声を上げ、沈む太陽を眺める。
ここを訪れた時とは違い、迷路は解除されている。
月が昇った方角に進めば良い。
東に向け、力強く踏み出す。
別れを惜しむ声と激励が飛び交う。
棚田から、窓からも送る声が舞う。
子供の声も、大人の声も。
この瞬間も、『
人間が生き延びる未来のために。
「……あらら」
マリーレインは、肩越しに後ろを見た。
五十歩と歩いていないのに、背後の岩窟は日没の空に溶けて消えた。
迷路は解除されたが、岩窟を守る結界は直ぐに形成されたらしい。
後ろには、赤味を帯びた黄色い砂漠があるだけだ。
ヒズルは岩窟の人々の末永きを祈り、隣を行くバシュラールを見上げた。
「岩窟村の人たち……すごく優しかった。色々聞かせてあげるよ」
「そうさせて貰う……」
バシュラールは、前を向いたまま言う。
いつも通りの彼で、ヒズルは安堵する。
彼が『天使さま』であることは変わりない。
彼のお陰で、こうして生きているのだから。
そして――
「ミカギ様……」
ヒズルは黒衣の巫女を思い出し、遅い瞬きを繰り返す。
自分の出自を明かしてくれた、同郷の女性だ。
この戦いが終わるまで……あの地下の玄室におわすのだろう。
今一度会おうとしたが、もはや話すこと無しと断られた。
けれど……今も見守っていて下さっているに違いない。
「行こう……スイレン」
ヒズルは愛馬の頬を撫で、昇る月を見る。
金色の光が、また砂漠を満たす。
しばらくは、この光の中を進むだろう。
その先に、始祖の地がある。
けれど――
いつか、生まれた地に『
街の人々、おじいちゃん、お父さん、お母さん。
そして、テオドラ。
あの地に、いつか帰ろう。
ヒズルは『
未来へ――。
† 次章に続く †
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