第八話 家族

第八話 家族

 

 まぁ、そうだろうな。

 これからどこに行くにしても。

 ついていくとしても。連れていかれるとしても。

 一日が終わる前に帰ってくるような、お出かけじゃないのだろうし、というかもう日が傾いてるし、ある程度の荷物は必要になってくる。

 そして今、僕は何も持っていない。

 スマホも。財布も。身分証明できる類のものも。

 当然だ。死ぬつもりだったのだから。

 しかしなんというか、うまい具合に丸め込まれて、まぁ僕の意思が弱かったというのも大いにあるのだろうけれど、というかそれが因果の大半なのだけれど、僕は碧に、ついていくことになった。なってしまった。

 今日の昼下がりに会ったばかりの、赤髪の同年代の女の子に、ついていくことになった。

 そしてその女の子、つまり碧は、この町から片道二時間かかる町、つまり楓町に住んでいて、僕はその町までついていくのだ。

 だから荷物が必要だった。

 だからその荷物を取りに行くために、僕の家に行かざるを得ない。

 これくらいの推測なら、実は碧に「ついてきて欲しい」と言われた時にすでに済ませていて。

 だから別に特段、驚くようなことなんてなかった。

 今から僕は、自宅へ赴くだけなのだ。

 今じゃ僕しか住んでいない、建物へ。


 「へぇ……。結構大きいんだね」

 空を仰ぐように、遠くの飛行機雲を眺めるように、碧は目の前の木造二階建て住宅を見て、言った。

「……もしかして澪君の家って、結構お金持ち?」

 悪ぶれる様子もなく聞いてくるな、こいつは……。

「大きく作らざるを得なかったんだよ。僕が車いすだから」

「あぁ、なるほど。確かに、狭いと動きづらそうだもんね」

 スロープを上って、玄関の扉を開けた。

「……鍵かけてなかったの?」

「……帰るつもりがなかったからね」

「……そうだとしても、鍵くらいは掛けたら?泥棒とか入られたら、澪君は困らなくても家族が困るでしょ」

 呆れた、と言わんばかりのため息をついて、碧は僕の後ろから家の中を覗き込んだ。

「……それはそうと、今日、家族の人は出かけてるの?……もしかして、最近流行りの放任主義ってやつ?」

 玄関に靴が一足もないことから推理してか、碧はそう、からかうように笑った。

 だから。

「そうだよ、放任主義ってやつ。まったく干渉してこないから、僕はすごく自由に生きられているよ」

「そうだね。……息子の自殺衝動すら見落とすほどのほったらかしってのも、極端な気がするけれど」

 若干上がっている口角を下げることなく、碧は続ける。

「それで、澪君が自由気ままに死のうとしている間、両親はどこに?」

 ……まぁ、この流れならそう聞くよね。

 僕は黙ったまま、左手を上にあげて、人差し指で天井を指す。

「……二階?」

 ……あぁ、この子は、純粋だな。

「天国」

 久々に口に出したな、この単語。

「え……」

「だから、天国。死んだんだよ」




 静かになった。

 午後五時の市内アナウンスと、向かいの家のピアノ演奏の音が、微かに流れてくる。

 半開きの玄関の外に広がったオレンジがかった大気と地面を、電柱の影が横断している景色が、やけに目に留まった。

 次第に細くなっていく市内アナウンスの七つの子を、カラスが鳴き声で遮って。

 水泳バッグを振り回しながら歩く子供たちのはしゃぎ声を、バイクの走行音が掻き消して。

 そして、どうしようもなく、一秒が長かった。


 そこまで時間はたっていないのだろうけれど。

 永遠にも感じられた静寂は、碧の発言によって幕を閉じる。

「……だから、澪君も死のうとしたの?」

「ううん、それは関係ない。死ねば会えるとも思ってないし。そもそも僕、無神論者だし」

「……そっか」

「……まぁ、そうだな、さっきのジェスチャーは確かに間違ってたかも。天国とか信じてないから、指は下に向けるべきだったね。土に還ったって意味で」

「……」

「いや、でも今の時代火葬が主流だし、灰になって舞ったって意味なら別に上を指しても矛盾しないか」

「……澪君」

「……違うか、もう消えたのだから、そもそも指を指すジェスチャー自体が間違っていたな。……普通に『死んだよ』でよかったんだ。そう、父親は――」

「澪君‼」

 刹那、僕は碧に後ろから抱きしめられていた。

 否、抱き絞められていた。

「カハッ……、ちょっと……く……首、絞まって……」

「あ、ごめん」

 碧は僕の首に回した両手をほどく。

 まったく。いちいち感傷的だな。

 まぁ、遊んだ僕が悪いのだけれど。

「ちなみに、兄弟もいないよ。僕は五年前から、ずっとここで独り暮らししてる」

「そう……なんだ」

 あからさまに言葉数が少なったな。

 なんとなくイラつく。

「……親がいないって、そんなに憐れむことなの?」

「え」

「いや、親がいなくたって、僕は生きてるし、生きてきたし。……まぁ死のうとしたけど。今も死にたいけど」

「そ……うだね」

「みんなさ、親なら誰でも、子供を守る大人、みたいに思ってるんだろうね。どうせ、未成年で、世間知らずで、そして障碍者の僕に、守ってくれる大人がいなくて可哀そう、とか、そういう思考の末の憐憫の目なんでしょ」

「う……ん、それも、あるとは思う。けど」

「けど?」

「……家族っていうのは、仲間だから」

 言葉を探しているように、碧の視線が床を這うのを見た。

「何かあったときは助けあって、いつだって味方で。自分の次に、自分の理解者で。ありのままの自分を出しても恥ずかしくない、最初のコミュニティで」

 そこまで言って、他の言い換えが見つからなかったのか、碧は口を閉じた。

「ふぅん。そうかぁ」

 とりあえず、相槌だけ打った。


「……もう家族の話はおしまい。荷物、整えてくるから、そこで待ってて」

 あまり心地よくない空気から脱したくて、僕は行動を起こすことにした。

「私、ここで待ってたらいいの?」

「上がってもいいけど、もてなす物は何も用意してないよ。それでもいいなら」

「……荷造り、手伝おっか?」

「……それはありがたいな。なら、上がって」

 本当は上げたくないんだけど。

 荷物が多くなるのも明白だし、仕方ない。

 そして僕は、碧を自室へ案内した。


 女の子を自室に呼ぶのは初めてだった。

 ドアの前まで来て、今更緊張した。

 もう少し掃除しとけばよかったと後悔した。

 しかし、時すでに遅し。

「……もう少し、散らかってるかと思った」

 ドアを開いて開口一番、碧は言った。

「……物が少ないだけだよ」

 だから片付いているように見えるだけ。

 だけど掃除はしていない。


 とりあえず、貴重品は一式持っていくのは当然として。

 服は……三組くらいあればいっか。

 問題は、どのくらいの頻度でこちらに帰ってくるかだよな……。

「おーい、夢咲さん」

 ……返事がない。

 振り返ってもう一度呼んだ。

 瞳だけ上を向いて、何やら考え事をしていたようだ。

「あ……なに?」

「僕はどのくらい、そっちに滞在すればいいの」

「……そうだね。……澪君は、こっちに用事があるの?」

 謎の間が気になる。

「いや……特にないけど」

 そう答えると、さらに考え込むように唸った。

 なんだかよくわからないけど、なんとなく返事を待っていると、碧はおもむろにスマホを取り出して、誰かに電話を掛けた。

「もしもし、お母さん?」

 通話相手は、碧の母親か。

 このタイミングで、何の用事だ?

「うん、そう。今、枳町。……うん。大丈夫。何も起きてないよ。ちょっと寄り道してるだけ」

 ドアの入り口に体育座りでもたれかかって、碧は何やら談笑している。

 今のうちに服でも詰めとくか……。

 そう思って僕が、押し入れからキャリーケースを引っ張り出し、クローゼットから衣類を取り出した時、後ろから碧の視線を感じた。

 咄嗟に振り返ると、朗らかな笑顔で僕を見ながら、通話相手に口を開いた碧がいた。

「それでね。実はさぁ、その車いすの男の子に、うちで住んでもらいたいんだけど、いい?」

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