第四話 カミングアウト

第四話 カミングアウト

 

 ……え?

 今なんて?

 苦しんで欲しい?

 相当なサディストなのか?

 いやまぁ、つまり「生きて欲しい」ってことなんだろうけれど。

 生きるのは苦しむこと、って言ってしまった以上、そういう表現になっただけなんだろうけれど。

 いや、……そんなことを言われることは、ある程度予想していた。

 どうせまだ、諦めてくれないってことは。


 ――そうじゃなくて。

 ――そこじゃなくて。


「一年間……だけ?」


 てっきり僕は、僕が死ぬのを諦めるまで、言い換えれば、僕が生きようとするまで、目の前の少女、夢咲碧と名乗る少女から監視、或いは監禁されるのかと思っていた。

 死ぬ自由を侵害するための、束縛。

 そういうものをされるのかと思っていた。

 ……一年間で僕の希死念慮を潰して差し上げる、っといったニュアンスでもない。

 まるで、一年間しかいられない、みたいな――

「私、あと一年しか生きられないんだ」

 快活に笑いながら、碧は言った。

 言い切った。

 そんな碧を見て、僕は怖くなった。


 どうしてそんな顔で、そんな言葉が言えるんだ。


 思わず言葉が漏れてしまった。

「どうして……?」

 まぁ、その疑問は当然だよね、みたいな顔をして、碧は続ける。

「原因はわからない。対策もわからない。どうにかしたいんだけど、どうにもならないらしくってさ」

 僕の「どうして」はその「どうして」じゃない。

 しかし、聞きたいこと以上にその内容は救いようのないものだった。

 漏れる言葉がなかった。

 詰まってしまった。

「でもさ、残り一年、いつまでもうじうじしてるのってもったいないじゃん。一年のうちでやりたかったこと全部できるわけじゃないけれど、やれるだけやってやみようって思って。余命一年、精一杯楽しもうって」


 自分の希死念慮がすごく稚拙なものに思えてくる。

 死にたがりを引き留める常套句の一つに、「生きたくても生きられない人だっているんだよ」というものがある。僕はその言葉が大っ嫌いだった。

 架空の生きたがりの想像は出来るくせに、目の前の僕の絶望に思いを馳せることは出来ねぇのかよ、なんて思っていたし、もし誰かにその言葉を言われたらそう返そうと決めていた。

 けど実際、その境遇にいる人を前にして、それでも僕はこの世から去るんだ、なんてことはとてもじゃないけど言えない。

 生きられない人の前で。

 生きていたくないなんて、言えない。


 何を言っていいのかわからなかった。

 正確には、何を言ったら悪いのかわからなかった。

 黙ってしまった僕をよそに、碧はカミングアウトを続けた。

「私、色々やりたいことがあるんだよね。でも、それを叶えるには私一人じゃ大変でさ。もちろん手伝ってくれる友達とかいるんだけど、色んな人がいた方が楽しいじゃん」

 そう前置きして、碧は僕へ指をさす。

「私、車いすに乗ってる友達ってまだいたことないんだよね。澪君が一緒に私といてくれたら楽しいと思ってさ」

 碧の指がうなだれて、僕の足元あたりをさした。

「私、公園から澪君を見てた。私の住んでるところって田舎でさ。車いすなんて本でしか見たことがなくって。友達になれたら面白そうだなって思ってた。……そしたら、線路で止まるもんだから、びっくりしちゃって」

 つい三十分ほど前のことを、碧は懐かしむように話した。

「助けなきゃって思って、ぎりぎり助けられて。もしかしたら死のうとしてるのかなって思わなかったわけじゃないけど、タイヤかなんかが引っかかって動けなくなってた、とかだったら大変でしょう?」

 やれやれ、という身振りをして、碧は小さなため息をつく。

「まぁ、やっぱり澪君は死のうとしてて。困ったもんだよ。車いすに乗っている人を見るのも、死にたがってる人と話すのも、初めてだったんだから。……澪君が死ぬのを諦めたらカミングアウトしようと思ってたんだけど、諦めてくれないじゃん。生きるのは諦められるくせに」

 呆れたような顔で、碧は嘲笑する。


 そっか。

 「君が私を幸せにしてよ」も。

 「私の為に苦しんで欲しい」も。

 言葉の最初に、『余命一年の私が楽しめるように』があったんだ。

 言葉だけ受け取るとなかなか重たいけれど。

 いや、ニュアンスを汲んでも別の意味で重たいけれど。

 つまりずっと、碧は。

「まぁ、友達になってとか、生きてとか、色々修飾が多いけれど、私はただ、澪君と遊びたいだけだよ。一年間っていう期限付きだけどね」

 僕の結論を代弁するかのように、碧は話を括った。


 どうしよう。

 すっかり、死ねる空気じゃなくなった。

 興ざめだ。

 ……いや、正直になろう。

 僕は、圧倒されたんだ。

 ここで死ぬのをやめて、生き続けたとして、生きにくさが払拭されることはないし、これまでと変わらず苦しみ続けるんだろう。そしてまた、逃げたくなるんだろう。

 でも、碧は言った。

 「あと一年しか生きられない」と言った。

 その言葉に羨ましさを感じないどころか、少し憐れんでしまったことが、何よりの答えだった。


 僕は、死にかったわけじゃなかった。

 僕は、苦しみたくなかったんだ。


 誰よりも、自己対話に時間を費やしてきたと自負していた。

 自分のことは自分が一番よくわかっていると思っていた。

 お前らに何がわかるんだ?って、人の言葉に耳を貸さなかった。

 自分のことに関しては、自分が一番正しいと思っていた。

 心の奥の、黒い靄みたいなものが、だんだんと形を成していくのを感じた。

 感動さえ、感じていた。

 だから。


「僕は、苦しみたくない」

 勝手にあふれた涙が、頬を伝っていく。

 自分の言葉が、心のやわらかいところに、沁みる。

「……うん」

 碧は穏やかに頷いた。

 母親を知らない僕が、その穏やかさに母性を見出すくらいの穏やかさだった。

「生きるのが、楽しくなかった。ずっと、ずっと、色んなことを、我慢して、我慢して、我慢して、……苦しかった」

 涙が唇に触れた。甘かった。

「………………僕も」

 止まらなかった。

 涙も。

 言葉も。

「楽しく、生きていたい」


 後ろから、抱きしめられた。

 僕の肩の後ろから伸びた碧の腕が、鎖骨の下で交差する。

 強く、優しく、僕を抱きしめる、碧の両腕を。

 僕はそっと握って。

 しばらく、離せなかった。

 

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