83話 繰り返し痛みは続き…②

「おい!?お前なに……」


 何もできることがないまま時間ばかりが過ぎ、ヤツを置いて夕飯を食べに行って戻った時だった。水音が聞こえたからシャワーでも浴びているのかと思っていたのだが、それにしても長い。普通なら体を洗っている間とかシャワーを止めるはずなのに、ずっとずっと出しっぱなしだ。もしや倒れてでもいるんじゃないかと不安になって、ドアノブを回したら鍵が開いていたので中を見ると、バスタブの中で服を着たままシャワーを頭から被っているミタカの姿があった。跳ね返ってくる空気が妙に寒いと思ったら、シャワーは冷たい水だった。


「風邪ひくだろバカ!?」


 うんともすんとも言い返してこないので、むりやり脇の下から抱き上げて外に出す。その時、ぬるり、とした感覚があったので恐る恐る手を見たら真っ赤になっていた。黒い服を着ているから気づかないだけでどこからか出血している。出血してる状態で流水を浴びるなんて、自殺の常套句だ。流石に肝が冷える。

 ぐしょぬれになって重くなった服を剥いで、とにかく着替えさせる。血が出ていたのは脇腹からで、傷は浅かったのか少し抑えてやるとすぐに血は止まった。だいぶ意識が混濁しているのか、とうに体は冷え切ってるのにうわごとのように「あつい、あつい」と痰が絡んだような音で繰り返している。体温を測らせると、電源を入れたときに前の数値として39.2と出ていたのに36.8まで落ちていた。


「熱は下がったから寝とけ、な」

「……っい……」


 こっちの言葉も上手く認識できてない。暑いどころか、失血も相まって唇が真っ青になっているというのにお構いなしだ。ただ、誰かが侵入してきて彼に危害を加えたというわけではなさそうなことに安心する。

 昔からごく稀にあるのだ。あまりの高熱で異常行動に出る。時には壁に頭を何度も打ちつけて鼻血を出したり、ハサミで自分の髪を切っていたり、腕を自分で噛んで血を出していたり。ひどい時は世間で言うリストカットみたいなことをしはじめたり。一度そうなってしまうと、疲れて倒れるまで治らないので、カオリさんも手を焼いていた。医者に相談したときは、熱せん妄か夢遊病じゃないか、と言われたけれど、10を超えても落ち着くことはなかった。幼かったオレとしても、普段穏やかな分、突然そんな行動に出るミタカが時に恐ろしかった。頭を打って自分を制御できない病気になって、ようやくこいつも自分で望んでやっているわけじゃないんだと理解して。それまでは正直こいつが熱を出すたびに”そう”なってしまうのではないかと怯えていた。

 もし、そういう行動に出る方の彼が本心で、普段はオレたちに気を遣って穏やかに振る舞っているのではないかと疑っていた。……今でも正直その気持ちはあるのだ。オレたちに普段見せているあれが本心だと言われてしまったら、自分のような人間はどうにも薄汚いじゃないか。だから、どこかに別の本心を持っている存在だと思ってしまいたくて、彼の行動をそれに結び付けては怯えつつも勝手に安心している。


「もう寒いだろお前……ほら、布団戻るぞ」

「……っ……ぃ」

「わかったから。氷枕持ってきてやるから、おちつけって」


 着替えさせて、髪の水気もあらかた拭き取って、無理やり布団に押し込んだ。横になってもまだ気が済まないのか、布団から出ようとする。


「ああもう、めんどくせえな……」


 もうここまできたら強硬手段だった。自分も布団の中に入り込んで、頭を抱えて抵抗できないように脚で締め付ける。


「いいからとっとと寝ろ、このバカ」

「う……ぐぅ……」

「はいはい息苦しいですね〜ほらさっさと寝ろ」


 少しずつ抵抗する力が弱くなっていく。……昔は、こうして二人でよく寝ていたっけ。あの時、オレはどうしてたんだっけ。



『みっちゃん、みっちゃん。早く布団きて』

『ちょっとまって、歯磨いてくるから』

『みっちゃ〜』

『あ〜もう、泣かないでよアイちゃん……ちょっと待ってー』


 なぜか、オレはあいつとべったりだった。あいつもオレにべったりだった。なぜだ?別に他にもいただろう。兄貴も、ナツメも。



『ねえ、どうしていつもそんなところで寝てるの?━━━くん』


 知っている顔が頭をよぎった。

 そうだ、オレは最初からミタカのことを知っていた?知っていたから、彼の元にいると安心した。ミタカのことが心配だった。体が弱いから、オレが目を離したら死んじゃうんじゃないかと思って、ずっとずっと離れたくなかった。

 目線を下に向けると、変わらず唇が青いままの彼の姿があった。肩は寒さで震えて、眉間にシワを寄せて苦しそうにしていた。


『わからない、けど。血の繋がった兄弟じゃないけど、あれだけ口論しても別に、アイカのこと嫌いじゃないよ』


「オレだって……お前に生きて、できれば健康でいて欲しいって思うくらいにはさ……大切なんだよ」


 きっと、こんなこと起きでもしなかったら、彼にこう素直に告げる機会は一度もなかったのだろう。けれど、こんな形じゃなく、そしてできれば彼女にも、伝えるべきだったのかもしれない。ああ、まただ。

 ずっと、ずっと、自分の本心がわからないまま、同じように後悔を繰り返して。

 オレは嘘つきだ。自分の心にも、他人への言葉も、全部全部嘘ばかりだ。ああしたい、こうしたいと”それ”を掴んでもすぐ歪めてしまう。言ったそばから、動いたそばから、信じられなくなってしまう。


「お前はさ、本当はどう思ってんの」


 怖いのだ。実は嫌われているのではないかと思うと、怖かった。だってミタカは優しいから”優しいみっちゃん”がオレにとっての彼だから。その優しさがうざくて、お節介で。彼にはそういう人間でいて欲しいのだ。


「死にたいなんて、言わないで欲しいし、そんな行動すんなよな……」


 オレの中の彼は、そういう人間なのだ。

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