10章 bevor ich in den Abgrund schaue

82話 繰り返し痛みは続き…①

 ぱらり。

 雑貨屋でそこそこの値段で売られているような、立派なカバーのノート。中身は罫線のみのシンプルなもので、紙色が少しだけクリームがかっている。一か月も放置していたためか、小口の上の方はほんの少しだけ埃っぽくなっていた。


『ヒマリが小学校に入学しました。あんなにちっちゃかったのに大きくなったなぁ。うちに来た頃は本当に赤ちゃんだったのにね。こんなにかわいい子の親代わりになれたことを誇りに思います。今日はナツメがヒマリの髪を結ぶのを手伝ってくれたんだけど、随分と上手になったなぁ 2025年 4月7日』


 一番最初の文章はそこから始まっていた。彼女の部屋から拝借してきた日記帳。去年の春から始まっている。

 毎日つけていたわけじゃないようで、日付は飛び飛びだった。何かあったときに書いていたのだろう。

『久々に一年生の荷物の準備をしていると、ほんと持ち物全部に名前を書くのが大変だなと思う。あっという間に消えちゃって、みんな自分で書いていくようになるんだろうな。ちょっと難しい漢字ばかりつけちゃったから、恨まれてるかも笑 2025年 4月8日』

『小学校は今日たてわりの授業があったそうです。マオもヒマリも2組だから、一緒になったんだって。マオがヒマリがもう友達作ってて安心したなんて言ってて、もう立派なお兄ちゃんだな 2025年 4月20日』

『ナツメが友達と帰りがけに遊んできたらしい。いいなぁ、学校帰りのモールって楽しいよね。乗ってクレープ食べて帰ってきたらごはんがあんまり入らなかったのか、今日はおかわりがなくて面白かったな。もうすっかり女子高生だ、楽しみなよ~! 2025年 4月22日』

『ミタカが久々にそこそこ高い熱を出して心配。最近は比較的軽症なことが多かったから……。何かあったのか本人に聴いたら、中三だから勉強しなきゃって思ってちょっと無理をしたっぽい。まだ始まったばかりだから不安になりすぎないでって言ったけどやっぱり気にしちゃうんだろうな。最近は年頃なのかあんまりべたべたしてこなくなったけど、久々にちょっと駄々をこねたので懐かしくなっちゃった 2025年 4月27日』


 中身は至って普通の日記だった。こういうところに本人の本心が書いてあったりするのではないかとちょっとどぎまぎをしながら開いたのだが、あの人がオレたちに見せていた姿は特に大きく取り繕っていたものではなさそうなことに安心する。

 これがあるってことは、もしかしたら古いものも部屋のどこかにはあるかもしれない。……きっと家宅捜索で色々と彼女の私物は回収されているだろうが、なにかヒントでもあれば。



「なに読んでんの」

「おま……急に話しかけんなよ」

「ん……」


 隣のベッドで沈んでいるヤツは、昨晩から熱を出して寝込んでいる。朝食すら食べる気力がないようで、ずっと布団の中で端末をいじっていた。


「体調は」

「最悪……ここ数年で一番だるい」

「じゃあ携帯触るのやめろ」


 そう言って端末を取り上げる。ちょっと惜しいような、不貞腐れたような顔をする。


「あのさ、動画上げてたヤツのSNS、見た?なんであれ凍結されないの?」

「泳がせてるんだろ……いまだに追跡できてないんだろうし」


【AQWVH @aqwvh そろそろあの動画について説明しようか。明日の19:00~よろしくね】


 奪い取ったミタカの端末には、最新の例のアカウントの最新の投稿が表示されていた。

 たまに腹が立つので自分も目を通すことがあるが、あまり深入りはしたくない。今晩の配信とやらも自分たちに関係がないことを祈りたいのだけれど、あれを公開した張本人なのだ、なにかオレたちに言及されるんじゃないかと思うと恐ろしい。


「あのアカウント、エーキューダブリューブイエイチって名前使ってるじゃん」

「あ〜そうだな」

「アキュヴフェ」

「読み?」


 どうにも日本人には発音が難しいような言葉を口にする。しかしなるほど、単純に読めばそんな音になるのか。


「多分これも正確な発音じゃないんだけど。例のさ、連続殺人をやってた新興宗教について調べたんだよ……功を総べる会、略して。そこで崇められていた神の名前がその英語らしい……発音が難しい言葉にすることで本物の信者かどうか見分けてた、とか。これもあってるのかわからないけど……噂だけだけどね」

「お前、それどこから聞いた」

「そのアカウントの正体を暴こうとしている別のアカウントがあるんだよ。あと匿名掲示板でも……そっちには元信者の末端だったって名乗り出てる人もいる。確証はないけれど、安曇に本殿があるって言ってたから本当に無関係の人ってわけじゃないと思う。まあ嘘も混ざってるかもしれないけれど」

「このオタクめ」


 そんなこと調べてるならさっさと教えてくれたらいいものを。というかそんなことばかりしてたから体調を崩したんじゃないか?


「……けいたい、かえして。気持ち悪すぎて寝れな……っゴホッ……」

「薬は?吸ったり飲んだり」

「解熱剤も吸入も使った……水とって……」

「ほら、慌てて飲むなよ咽るから」


 上体を起こす元気もないのか、横になったまま変な体勢で水を飲む。昔っから変にこういうところだけ器用だ。

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